1960年にブラジルに来て以来病気らしい病気にもかからず入院もしたこともない母でしたが最近は寝たきりで体の調子も思わしくなく近くの病院で肺炎が悪化し息 を引き取りました。
ブラジルでの慣れない生活で初めは苦労の連続でしたが自分たちの土地を買い、農業で生活が安定した頃息子たちが勉学を目指し町に出、4人とも大学を出た時は大喜びでした。しかし四男、三男と若くして他界した時はさぞ悲しかったことでしょう。その後日本で覚えたゲートボールを初めはサンパウロそして後にここヴィトリアで父と共に広めようと同じ年代の人達との交流を通しての楽しい時間を満喫したようでした。ひ孫の恵美とは話さずとも息がピッタリ合っていてびっくりしました。
今頃は父と楽しくゲートボールをやっているのではないでしょうか。