2020年2月26日水曜日

紫蘇

家の前に植えた紫蘇がどんどんと大きくなって私の背を越す勢いで伸びている。
家の周りに植えている野菜も成績は今のところ驚くほど良い。
これも依然書いた Terra Roxa (赤い土地)のお陰なのかと調べてみた。

この種類の土地は主にブラジルの南部および南東部に多く、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけ大規模にコーヒーの木が植えられそれに準じて鉄道が敷かれ各地の町が成長して行った。その例がパラナ州のマリンガー市(Maringá)やロンドリーナ市(Londrina)、そしてサンパウロ州のリベロン・プレット市(Ribeirão Preto)やカンピーナス市(Campinas)それに南マットグロッソ州のドウラードス市(Dourados)であると書いてある。
アレー、これすべて今も多くの日系人が住んでいる所ではないかと頭にピンときた。
ブラジルを永住の土地と決めた日本移民達が選んだ足取りが見えるようだ。

もう一つこの Terra roxa (話し言葉ではテーハ ホッシャ)という言い方はやはり当時その地方に居たイタリア移民達がイタリア語で赤を意味するRossoという言葉を使ってTerra roxaという言葉を作り上げたようだと語源を説明していた。

私も初めにTerra roxa をどう日本語で訳したら良いかと迷った。Roxa とはポルトガル語で「紫」を意味する。しかし「Terra roxa」 という言葉は誰もが知っていてそれは「赤い土地」を意味する。「後で調べておこう」が今日のブログのポストとなった。


2020年2月2日日曜日

日本梨


近くの柿街道(Estrada de Caqui) にある食品を扱う店で日本梨を買った。
ブラジルに来てサンパウロ州で15年エスピリトサント州で43年、58年間日本梨をほとんど食べたことがない。
2013年と2014年にボツカツの坂田さんの所で大きな日本梨をいただいたことをこのブログで書いているが自分で腹いっぱい食べれるほど買えるのは今回が初めてだ。一週間前もこれ以上買った。懐かしい日本梨の歯ごたえだ。
ブラジルに来てからは小柄で実が柔らかい西洋梨を食べてきた。そのたびに歯ごたえのある日本梨を食べたいと思ってきた。
今私たちが住んでいるところは以前は日本人が沢山いたのではないかと思っている。近所でも日本街道(Estrada do Japão)がある。ここのスーパーでもよく年配の日本人と行きかう。もっとこの地方の日本移民の歴史を知りたいと思っている。
また来週、梨を買いに行こう。

2020年2月1日土曜日

暑いクリチーバ

今までは夏にしては涼しい日が続いていたのだがこのところは暑くなって昼の日差しが少し強くなってきた。それでも外に出てもあまり汗をかかないから助かる。
週の始めに以前エスピリトサント州の我が家の近くに住んでいた人が息子の嫁がこちらの大学院に通うようになるので彼女とt一緒に二日ほど借家を探すのでそちらの家に泊めてくれないかと言ってきたのでOKのサインを出した。その時、妻がこちらは夏といえどもそちらの暑さではないので長袖のシャツを持ってくるようにと言っていたのを覚えている。

数日後、彼女たちが家に着いたのは昼食時、しかも雲一つない青空、二人とも半袖シャツ。「ヴィトリアが暑かったので半袖で来たが後は全部長袖シャツだよ」
翌日インターネットで話していた不動産屋と見て回ったそうだが気に入らなかったということで「明日はこの近くのアパートで歩いて行けるところだから10時ごろ出ればいい」とのこと。「明日も暑かったら同じシャツで行くしかないな」とぼやいている。妻が「今までは涼しかったんだよ。この暑さはあんたたちが持って来たんだよ」と苦しい弁解。

2日目、彼女たちは10時前に出て行ったが12時前には帰ってきて「この近くで大学院にも近い良いとこを見つけたよ」と上機嫌で帰ってきた。昼食後はクリチーバの観光名所の植物園に行ったが欄があまり見れなかったとぼやいていた。

大学院に通うことになる娘さんはベジタリアンを超えたヴィーガン(動物を搾取することなく生きるべきだという主義)で妻はその話を聞いた時からどういうものを食卓に出したらいいものかと頭をひねっていたが肉類、卵類を外した日本食を出したら「おいしい!、おいしい!」を連発して日本の米がこんなに味があるとは知らなかったといって連れ添いの姑が食堂に行こうと誘っても我が家の日本食だけで食事を共にした。
妻から日本食を教えてほしいということで食べ物に心配していた姑も安心した様子だった。

私はといえば年寄りには肉食が良いなどと本に出ているので最近は肉が食卓に欠かせないようになった。