2019年2月9日土曜日

猛暑



エスピリトサント州は今も猛暑が続いている。1月は雨が一滴も落ちず家の庭の菜園も水をかけなかった所は雑草まで枯れてしまった。しかも青空には雲も出ない。引っ越しの用意もしなければならないのだが家の中でも動けば汗がでるので横になってテレビを見てい
る。
さて、上の写真の温度計に出ている数字の73度は気温ではない。家の風呂は太陽熱を利用すべく太陽熱温水器を取り付けてある。一年365日のうちに電気シャワーを使うのは多くて15日。2日くらい太陽が照らなくても温水保温タンクなので十分2日くらいは持ちこたえる。
この猛暑では温度が高くなるから用心しないと火傷(湯傷?)する。
さてもうすぐ私達はブラジルの州都で一番気温が低いといわれているパラナ州の州都クリチーバ市に引っ越す。娘はガスを使って温める風呂にしているが様子を見て経済的に太陽熱が使えるかどうかを調べてみようと思っている。

2019年1月11日金曜日

2019年が始まった!





明けましておめでとうございます!
2019年が始まった。クリチーバから家に着いたのが12月31日の夜、お供え餅はクリチーバに行く前につくってあったので家のアセロラを乗せて何とか正月の飾りつけができた。
後ろは物置小屋でこれから整理しなければならない。

今年はいよいよパラナ州の州都クリチーバ市に引っ越すことになる。
41年以上住んだエスピリトサント州、世界的な兆候なのかここ州都ヴィトリアを囲む大ヴィトリア圏内は人口の増加が激しく私達がこちらに引っ越してきた時は州都ヴィトリアは人口が一番多かったのが今や周囲の市に越され4番目になった。家の前にもマンション群が建ち並び騒々しくなってきた。
しかし引っ越しの一番の理由は子供たちはここから飛び立ってしまいここにはもう私達二人しか住んでいないということだ。私もこの正月で75才、妻も一昨年の院内感染からは何とか抜け出すことはできたもののバクテリアはまだ身体の中でスキを窺っている。
お互い年齢を重ね何かあっても相手を看ることは出来ない。
私達を心配して呼んでくれている子供の所へ行こうと決心がついた。娘も私達との新しい経験に心を弾ませている。
ちょっと心配なのは私の物忘れのスピードがすごく速くなってきているということだ。
後は「ケセラセラ」に任せるしかない。

去年の末はクリチーバ郊外に娘が建てていた家が出来上がり住めるようになったとのことで年末に様子を見に行った。水、電気、ガスなどが入っているので4日ほど泊まってみた。台所などは今住んでいる我が家にそっくりの配置なので自然に入り込めるようになっていた。これも私達がすぐ慣れるようにとの娘の策略(?)だったようだ。



理奈の夫のRodrigo(ホドリゴ)と。




家具も少し入り私達が注文した簡易暖炉が壁に据え付けてある。


ダイニングキッチン、配置は家のとすべて同じ。テーブルは家のがはいる。

居間

廊下と奥は部屋、車いすで入れるようにとドアの広さは80cmになっていた。

2018年12月10日月曜日

初めての旅行


このブログを始めてからは写真はデジタルなので、アナログの写真はどうなっているのかと本棚からアルバムを取り出してみたら写真が赤くなったり色がぼやけたりしている。早く何とかしないと思い出が消えてしまう。めくっているうちに妻と二人で初めて旅行したアルバムが出てきた。私たちの結婚は一月、田舎では一番忙しい時なので新婚旅行はできなかった。そうこうするうちに娘が生まれそのあと息子が二人生まれ、私たちの二人だけの旅行はお預けとなった。娘が14歳になり二人の弟の監視(?)もできるようになったので留守番を頼んで1週間の旅行に出かけた。

目的地は日本にいた時からいつか行こうと思っていたアマゾン地方とブラジルの歴史地区のバイア州の州都サルバドールへの旅行となった。
アルバムに写真のほかに旅行記もあったのでそのまま使うことにした。




サルバドールでは当時ブラジルで一番大きい航空会社VARIGが経営するホテルに泊まった。





海に近いマーケット
































































当時パノラマ撮影はできなかったので3枚の写真を重ね合わせて撮った。
船から見たサルバドールの全景。左手が教会の多いCentro.Histórico (歴史地区)
中心が商業地域、右手がビルの多いBARRA。

































長い修理が終わったばかりのアマゾン劇場を見学することが出来た。まだ正式には一般に公開されてなくなんでも見学者第一号とのことだった。当時のゴム景気の富を投じた贅沢な劇場だった。










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私のすぐ横の木彫りは丸太から彫られたもので長さ112cm、幅25cm。
おそらく丸太はそれ以上の寸法があっただろう、木のくさりもどこも継ぎ目はない。。
彫るのに大変だったろうと思った。初めは何も知らずに値切ろうと思ったが
それを聞いて向こうの言い値でかった。













当時の旅行記を読み直して日本語とポルトガル語のアルファベットそして
カタカナのポルトガル語などが混じっている。まるで家の中の会話だ。
自分だけのもので絶対外に出ないものだと思っていた。こうしてブログ
に載せて親戚、友人、知人に見てもらうことがあろうとは思いもしなかった。
他のアルバムに目を通すとどうやら写真だけらしい。何とか少しでも昔の
思い出を取り戻したい。