2014年5月28日水曜日

一週間遅れの集まり


私たちがサン・ルイースに行っていた間に母の日と息子の妻ビアンカの誕生日があったが私たちが帰るのを待ってやろうということになっていたらしく一週間遅れで家にみんな集まった。
この写真を撮ってすぐ印刷して家族に一枚ずつ渡したが翌日のFacebookに誰かが載せ楽しかったというコメントが出ていた。
このFacebook というのは友達の友達はわが友達とネットワークがどんどん広がっていくしくみになっている。私は苦手で息子たちが言うので入ったがほとんど見ない。たまに妻がコメントする所を見る。これは世界中につながっているので数年前に理奈のイタリアの友達が家に来て一週間ほどいたが彼女も私たちにメッセージをくれていた。
街を歩いていると若者たちがスマートフォンを上手に使いこなしている。今日のニュースで流していたが今では電話としてより音楽を聞いたりメールをチェックしたりインターネットを通していろいろななアプリを利用して使っていると言っていた。
以前は考えもできなかったものがどんどん私たちの身の回りに現れる。果たしてそれを活用し恩恵を受けている人達はどのくらいいるのだろうか。 


2014年5月18日日曜日

São Luís (サン・ルイース) do Maranhão e Lençóis


最近気を付けているとインターネットのサイトhttp://www.melhoresdestinos.com.br/ で格安航空券に出会うことがある。あまりにも安いのがあると、つい買ってしまう。あとはどうにかなるだろうと運に身をまかす。今回のマラニョン州の州都São Luís(サン・ルイース)行も3か月ほど前に買っていたものである。幸い定年退職の身で自分で日時の調節が出来るから助かる。ホテルもその時点で予約しておくので値段の割に良いのが選べる。

エスピリトサント州のヴィトリアからサン・ルイ―スまでは地図上の直線距離で2千キロちょっと、首都ブラジリア経由なので約3千キロを飛ぶこととなる。
サン・ルイースは1612年にフランス人によって開かれた町である。地名もフランス王で十字軍遠征に加わったルイ9世にちなんでつけられたもので彼は後に聖ルイース(São Luis)となってこの土地にその名を与えた。その後オランダからの侵略があり最終的にポルトガルが植民地とした。ブラジルの海辺の大きな町は16,17世紀はこの三国の利害が絡み合った歴史となっている。

この街には以前から興味があった。旧市街は植民地時代のフランス、ポルトガル様式のタイル張りの家が残っているので世界文化遺産に登録されている。しかし旧市街の建築物の保存状態が悪くこのままでは世界遺産から外される可能性があるといわれているので出来るだけ早く見ておきたいと思っていた。行ってみるとまるで幽霊街、崩壊が始まっている。手を付けようにも昔の様式でリフォームしなければならないので個人では金と時間がかかるので放棄してあるとはガイドが話していた。私たちが泊まったホテルは旧市街の世界遺産の中にあり昔は砦だったそうで確かに町に船が入ってきた時には良く見える場所だ。ホテルのすぐ横は大聖堂でリフォーム中、内には入れなかった。

サン・ルイースから船で約1時間20分で対岸の町、Alcântaraに着く。波が荒く船が揺れる。ここも昔は栄えた町で古いフランス、ポルトガル様式のタイルの家を見かける。今は柱だけが残った大きな屋敷の廃墟があちこちにある。そのうち特に大きなのが二つ。これはガイドの話。Alcântaraとはブラジルの皇帝「ドン・ペドロ2世 (Pedro de Alcântara ・・・つづく)」にちなんで付けられたもので皇帝の訪問も予定されていたそうだ。そこで土地の二人のライバル有力者が皇帝が来られた時には自分のところに泊まってもらおうと一人は部屋が36ある家、もう一人は48あり海がのぞめる家を建てだした。そしてお互いに、もし皇帝が相手の家に泊まられた時は決闘を申し込むようにしているとのうわさがたった。それを皇帝の側近が知り皇帝の耳に入れた。その話を聞いた皇帝は争いを避けるため訪問を取り消されたそうだ。どこまで本当かわからないが熱の入ったガイドの説明だった。

サン・ルイースもアルカンタラも昔グラビア雑誌で見た写真が時々思い出されていつか行ってみようと思っていた。あれから何年経ったのか知らないが「昔の光今いづこ」、すすぼけて見えた。

Alcântara は最新技術の新しい面もある。それはここ(とは言っても歴史地区からは18キロほど離れたところ)に人工衛星発射基地が設置されていることである。しかし数年前の最後の打ち上げに失敗し発射基地まで焼け尽してからはあまりニュースも聞かない。どこの国も人工衛星発射基地は赤道に近い所で設置条件の良い所に作られる, Alcântara は南緯2度強。ここら辺はヴィトリアより大分熱い。外に出るときは日焼け止めは必ず塗らなければならない。


アルカンタラからの帰りの船は右側に座った。遠くで大きな船になにか積んでいる。ガイドにあれが鉄鉱石輸出のItaqui (イタキ)港かと聞くと「そうだよ」との答え。Vale do Rio Doce 社のCarajás 鉱山から鉄道でここまで運ばれてきた鉄鉱石は世界に向けて輸出される
このあたりは潮の満ち引きの差が大きいのでも有名だ。調べてみたら今年の7月の満月の満潮の日には6.6m差となっていて、ヴィトリア港は1,6m差。Alcântara行きの船は翌日の朝、埠頭に行ってみたら水のない岸の泥の上に座り込んでいた。乗船時間も潮の満ち引き時間に応じて毎日変わっている。


サン・ルイースに発つ朝ヴィトリアの飛行場で現役時代の会社の同僚たちとであった。サン・ルイースに行くのだと言ったら「ああ、Lençóis (レンソイス)を見に行くのか」と聞かれた。「もちろん!」。

Lençóisとは砂丘と湖が繰り返す景色を指し、ここは国立公園になっている。サン・ルイース市内からマイクロバスで約4時間。私たちが泊まっているホテルからは10人ほど乗った。着く頃にはお尻が痛くなってくる。「こんなに人が行くのだからヘリコプターか何かないのかな」と妻にぼやいていると後ろに座っている人が「今年中にここに新しい飛行場が出来るそうだよ」と情報をくれた。便利になれば観光客も増えるだろう。

Barreirinhas というLençóis観光の玄関口ともいえる町でそれぞれ予約してある宿に届けられる。午後からは早速レンソイスへ。4輪駆動のジープの荷台に四列に板が通してあり一列3人ずつ乗り込む。妻の横に若い日本からの新婚夫婦。車は砂地の深いわだちのついた道を行く。木立の中を行くときは車は小枝の中を縦横に揺れて行く。しっかり前の座席の鉄の棒を握っていないと外に放り出される危険がある。こんな道を走るのは生まれて初めての経験だ。これではもっと歳をとったり体の調子が悪い時などは来れないなと思って妻に「ここをもっと整備しないと観光客から文句がでるぞ」とコメントすると妻「あら、これがスリルがあって面白いのよ、これがすぐに目的地についてごらん味気ないから。」なるほど、そういう見方もあるのか。そして私も皆に「こんな遊びがデズニーランドにあったら高い金払って乗らなければならないよ。」と言って皆を笑わせた。

あとは https://www.flickr.com/photos/123933064@N03/  の写真で。



2014年5月4日日曜日

長男の結婚式



4月30日は長男Mauricio尚人(なおと)がリオの自分たちが住んでいるマンションの近くの登記所で結婚届けを出していたのが無事に受理され結婚証明書を受け取る簡単な儀式があった。届けを出してそれが一ヶ月の間に誰もそれに抗議しないで(二重結婚などの)問題がなければ無事民事的な結婚が認められる。その後ブラジルの一般的な習慣として教会で宗教的な儀式がとり行われ、夜は親戚、友人、知人を招待してのパーティーとなる。
息子尚人と嫁Danielleはすでに5年くらい一緒に住んでいるので簡単な昼食会を日本食レストランでCartório(登記所)に出席していた親戚たちと共にテーブルを囲んだ。夜は住んでいるマンションのSalão de Festa (大広間)で昼のメンバーと友人やマンションで親しくしている人たちを招待しての少人数のささやかなパーティーとなった。
彼女もサエキの姓を名乗り、サンパウロに住む弟の所と亡くなった弟の家族などでブラジルでサエキの姓がわずかながら増えていく。
上の写真はCartórioで判事から指輪を手渡してもらうところ。向こう側で写真を撮っているのが私で実は私が載っている写真はこれ一枚っきり。
下は近くの日本食レストランでの昼食会。