ある日何気なくこの地図を見ていて気が付いた。パライーバ州(PB)とペルナンブコ州(PE)は横に長く海岸線にある州都のジョン・ペッソーアとレシフェの間は近い。調べてみると約120キロ。更にその上の北大河州(RN)の州都ナタールとの間は約190キロ。陸路310キロの間に三つの州都があるのはここ以外にはない。8日間あったら回れるな、と見当をつけ手ごろな値段の航空券が出るのを待っていた。
ブラジルは広い、しかもエスピリトサント州は小さい州でどこに行くにもリオかサンパウロ、あるいはブラジリアで乗り換えねばならない。
ブラジリア経由の手ごろな値段の航空券が手に入った。ヴィトリア―ブラジリアーレシフェ間は約2600キロ。ブラジルの大きさを感じる時である。
ブラジリア空港内、昨年のワールドカップできれいになった
飛行機からみるレシフェは大きい。レシフェ大都市圏内では約4百万人が住む。
レシフェとは海岸に沿う岩礁という意味で実際自然の岩礁に守られているのでそれを越さなければ問題ないのだがそれを越して‘ふか‘から襲われたと2,3年に一度はニュースで報じられる
レシフェはブラジルのベニスなどと呼ばれるほど橋が多いので有名。ゴンドラではないが川を遊覧して橋の下をくぐっていくツアーがある。カーニバルの時は‘暁の雄鶏‘と呼ばれる列が橋を通って町を練り歩く、それが2015年は250万人にも達しギネスブックにも登録されている。
ブラジルのカーニバルというとリオやサンパウロの豪勢な出し物ショーで踊りはサンバだがここレシフェでは街を練り歩きしかも踊りは軽装した男女が小さな色とりどりの傘を手にしてしゃがんだ姿勢で足を交互に出して踊るフレボ(Frevo)でこれはユネスコの文化遺産として登録されている。お土産用の傘を二つ買った。
先代が瓦、れんがやタイルを焼いていた炉で今では芸術品ともいえる瀬戸物の注文を受けて焼いているFrancisco Brennand が一般に開放し焼き物の博物館のようになっている
奥にレシフェの町が見える。
オリンダは坂の街、カーニバルには人が大きな人形の中に入って回しながら坂を下っていく。時の人や俳優、スポーツ選手などの人形が並ぶ。妻はサッカー選手Neimarの大ファン。
Mosteiro de São Bento オリンダは祈りの町でもある
レシフェには市内から空港そしてバスターミナルまでメトロ(市内と郊外を結ぶ電車)が走っている。リオやサンパウロも空港にはつながっていない。Boa Viagemからダウンタウンに向かい途中で乗り換えてバスターミナルへ。かなりの駅の数はあったが早く着いた。大きな町はどこもこうしてほしい。Parabéns Recife ! そういえば私たちが滞在していた時にオリンダは創立479年、レシフェは477年、この次に行くジョン・ペッソーアは429年、そしてNatal は1599年のNatal(クリスマスの日)に創立されたので419年。リオが450年なのでこの北東部の町は早く開けたほうだ。
レシフェからジョン・ペッソーアまではバス。写真のような気楽な格好で乗り込んだ。
バスの窓からはサトウキビ畑が広がる。この辺が早く開けたのは当時‘白い金‘と呼ばれた砂糖の生産で栄えたからである。
パライーバ州の州都ジョン・ペッソーアの朝。明るい感じの気持ちの良い町だ。
小さな町かと思っていたが高いビルも多い。今までブラジルの北東部は貧しいというイメージがあったが実際来てみて(観て)海岸帯は豊だと思った。住んでも良いかなという感じさえする。
曲がって伸びている椰子の木の下で腰を伸ばす
ここはブラジル最東端Ponta do Seixas, アフリカの方がブラジルの南端より近い。
サンフランシスコ教会、天井の宗教画は少しいたんできていたが多くの木彫りの聖人像が並ぶ
ブラジルで一番早い夕焼け
ジョン・ペッソーアからナタールに向かうべくタクシーを呼んでバスターミナルに行く途中運転手が私たちに「これからどこへ行かれますか?」と聞いてきた。「ナタールです」というと「今私の兄貴がナタールにお客さんを迎えに行くと出かけたばかりなんですよ。よかったら彼を呼び戻しますからバスでなくて車で行きませんか安くしておきますから」願ってもない話、早速飛びついた。彼はケータイで連絡して待ち合う場所を決めた。街道脇ののガソリンポストでほとんど同時に着いた。「私の料金は35へアイス、彼には100払って下さい」「OK」バス代だけで一人40、それに向こうに着いたらホテルまでのタクシー代がかかる。彼は直接ホテルに届けてくれるという。それにバスだと3時間はかかる。
車窓から見えるのはやはりサトウキビ畑。色々この辺の事情を教えてもらったり、そして話題は去年のワールドカップへと。「ナタールで日本の試合があったのですが日本のサポーター達にはマナーを教えてもらいましたよ。プラスチックの袋を持っていくので応援に使うのだと思っていたらなんと試合後にその袋にゴミをいれてスタジアムをきれいにして帰ったのですよ。立派ですね。」当時はメディアにも取り上げられたが今でも語り草になっている。しかし残念ながらそれを見習うということはない。
ホテルの部屋から見たNatalのまち
州の名前(北大河州)の由来となったPotenji川にかかる橋。Potenjiとは原住民の言葉で「エビの水」という意味。このあたりはエビがよくとれるらしい。そしてここの州民
を意味する「Potiguar」とはエビを食べる人という意味。ずっと前からこの言葉は知っていたがその意味を調べたことはなかった。それで要塞見学の時、面白おかしく説明していたガイドがそう言った時思わず「本当?!」といってしまった。若い女性のガイドさん、「なに!私がうそを言っていると思うのかあ」とふざけた調子で皆を笑わせた。
そういうわけで、どうしても昼食はエビの料理を食べてみたかった。大きな皿に盛られた料理、エビも大きくて美味しい。食べきれないので包んでもらって夕飯となった。値段もヴィトリアよりはるかに安い。これだったら私たちもPotiguar になりたいなと妻とため息をつく。
世界一大きなカシューナッツの木としてブラジルのテレビでも何回か紹介されギネスブックにも登録されている。一本の木で枝が土の中に入っても腐らず伸びていき一区域の土地を占領してしまった。ここ北東部はカシューナッツの生産地で自家用とお土産に2キロほど買った。
上の写真はジョン・ペッソーアの軽食広場で夜は観光客でいっぱい、土地の名物料理タピオカの店が並ぶ。夜はざわめきの中で気が付かなかったが何か書いてある「Trate bem o Turista(観光客に親切にしよう)」。ここ北東部は最近観光に力をいれている。今回行った三つの州に隣接しているセアラーの州都Fortaleza は特に注目されている。ヨーロッパへの直行便もここからでている。ナタールの市内観光のVanでガイドが説明していたが、今までは町の収入の一番は石油関係だったが去年は観光収入がトップになったと。ここらは常夏、7月の(冬?)休みはブラジルの南の方からの観光客でにぎあう。スローガンどおり皆親切だ。
帰りはナタールの新空港から。去年ここはワールドカップで新しい空港が作られた。出発ボードを見るとポルトガルのリスボンと出ているから国際空港だ。それに比べて情けないのはわがヴィトリア空港。拡張工事に取り掛かったがすぐに中断。なんでも工事に汚職があったそうだ。それから数年ほってあるので再開するにもまた一から始めなければならない。なんという税金の無駄使いだ。帰りは飛行機でNatal-Recife-Rio-Vitoria と乗り継ぐ。
この空港で面白いのを見つけた。時間があったので上の空港内の写真の奥の方に行ってみた。小さく仕切ってある高さ2mほどの箱型の作りがある。Siesta Box と書いてあって写真の料金表が貼ってある。シエスタというとラテン系の国々で今でも習慣になっている昼(寝)休み。
中を見せてもらうと一人寝のベッドとノートブックが使える机そしてカバンなど置けるスペース、それが数室。「長時間空港で待つ場合ここで9時間まで休めますよ」と女の子が説明してくれた。「始めたばかりですから友人、知人に広めてください」と、しかし中の写真はフラッシュがきかず暗いのでここに出せなかった。隣にもう一人聞いていた人が「その一人寝のベッド、私と妻だったら二人で寝れるけどOKですか」「いいでしょう」。