2015年3月1日日曜日

リオ創立450周年

4,5、0の3つの数字で書かれたログマーク

今日はリオ・デ・ジャネイロ市の450回目の誕生日。ブラジルは歴史が浅いので全ての町で創立記念日がありそれとその町の守り神(Padroeiro)の日があり大抵の町がその日を町の休日にしている。リオの場合は1月20日がPadroeiro、サン・セバスチャンの日で休日である。リオの創立記念日はあまり祝われてなかったようだが今年は450年目とあってミディアでも大きく取り上げられている。特にリオでは去年のワールドカップの決勝戦が行われ、さらに来年のオリンピック開催地でもあり、そして世界遺産にも登録されたとあって最近は画期的な出来事が続く。 

リオの治安の悪さはよく取沙汰されるがそれは麻薬関係の犯罪が絡んでおり、危ない所に行かないように気を付けておれば大丈夫だ。これは自分の経験から割り出された結論である。長男がリオの伝染病を専門とした国立病院の医者なのでここ10年間で彼の所へ約20回ほど行ったが一般庶民の生活はどこでも同じで私たちが住んでいるヴィトリアとたいした変わりはなかった。リオ州とエスピリトサント州は隣り合わせ、気候も似ていて親しみやすい。州都リオとヴィトリアは海岸の町なのでどちらでも半袖シャツと短パンで過ごしている。サンパウロなんかは銀行にそんな姿では入りにくいがリオとヴィトリアはそれが一年中の制服(?)なので同じ感覚で過ごせる。

今年は雨が降らないのでいつ雨が降るかと天気予報は欠かさず見ているが何故かリオがブラジル全国で一番気温が高い。なんでも風があまり吹かないので実際より常に5度くらい高く感じられるのだそうだ。時々息子の所に電話を入れるがいつだったか気温は41度だが感じる温度は55度だと言っていた。

ブラジルの歴史の教科書にリオの創立者Estácio de Sá がでてくる。ブラジルは1500年ポルトガルのPedro Álvares Cabralにより発見されポルトガル領としたがその後リオにはフランスが入り込んでいた。これを追い払うべく当時のブラジルの三代目の総督Mem de Sáが甥のEstácio de Sá にその任務を課した。彼は1565年の3月1日にリオを創立、そして約2年の戦いの後、そこに10年ほど前からいたフランス人達を追い払うことに成功した。しかしその1か月後、1567年の2月20、戦いの時に頬に受けた毒矢の傷が原因でこの世を去った。47歳だった。

今日のニュースでは450メートルのケーキが作られ市長が最初の一切れ州知事が2切れ目を取って後は集まっていた市民たちに配られたそうだ。





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