2017年3月6日月曜日

髑髏(どくろ)検査官

実はこの話は運転免許の話が出るたびに妻から今まで何回も聞いた話で、いつかブログに書いておこうと思いながら長い年月が過ぎとうとう今日になってしまった。

妻は17歳の時に父親をなくしそれからは近所に用がある場合などは祖父や祖母を車に乗せて連れて行っていた。田舎道でそのころは車もあまり通っていなかった。

18歳で成人になり真っ先に必要なのは運転免許証、家で採れた野菜や育てた鶏などを約15キロ先のモジ(Mogi das Cruzes)の町の市営市場まで運ばなければならない。そのうち田舎道は約3キロ、そこから町までの12キロは舗装されていて途中に小学校、中学校があるので警察が毎日見張っている。免許証なしでは通れない。

運転免許証を取るにはAuto Escola (自動車教習所)で規則と運転を学び試験を受けるようになっている。運転練習の最低時間数は決まっているので、いくらハンドルに慣れて運転がうまくてもそれをクリアーしなければならない。

筆記試験を無事通り、いよいよ今日は技能検査。
今日は野菜の出荷日で忙しい日だ。早く来たつもりだが前にもう20人ほどいる。車に乗り込む検査官たちが集まっているがまだ始まらない、やがて古い型のスポーツ車をバリバリーと音をたてて来て検査官たちの中に入った人が来たと思ったら皆こちらに向ってきた。

そして最後に来た検査官らしい人が言った「誰か俺と一緒に回らないか?」誰もウンともスンとも言わない。早く家に帰って荷造りをしないと間に合わない、私は手を上!げて聞いた「誰でもいいのですか?」「ああ誰でもいいよ」「私行きます」その時教習所の教官が頭を抱えて座り込むのを見た。

慣れた町の中をハンドルを切って進む。モジの町でも名の知れたけわしい坂の道をのぼる途中で「ストップ!!」検査官がどなった。いつも練習してきた時と同じようにクラッチとアクセルだけをコントロールしてエンジンが切れないように車を止めた。「ちょっとここで待っておれ、下の店でたばこを買ってくる。」検査官はそう言って車を降りゆっくりと坂の下の店に向った。私は車をアクセルとクラッチだけでコントロールしていた。いつまでたっても検査官は帰ってこない足がくたびれてきた。ふっと、バックミラーを見た。なんと検査官は煙草をふかしながらこちらを見ている。あっ、クラッチのコントロールがおかしくなりエンジンが止まりそうだ、とっさにブレーキを踏んでしまった。

「あっ、後ろのブレーキの灯がついたな。何か手がないかなあ」私はゆっくりと車を下に転がし検査官の横に付けて言った。さも迎えに来たように「検査官、遅れますよ。」彼は黙って車に乗り込んだ。駐車試験や右、左と角を曲ったりした後、出発点に戻ってくると周りにいた人たちがドッと車を囲んだ。そして誰かが聞いた「彼女は通りましたか?」「ああ、こいつは通ったよ」周りで「おおー!!!」というどよめきがあがった。

教習所の教官が飛んで来て言った。「馬鹿だなー、なんでCaveira(髑髏)を選んだんだよ」
「えっ、何ですかそれ?」「彼は検査官たちのチーフであだ名は髑髏、彼の手にかかっていまだに合格者は出たことがないんだよ。技能検査がある日に来て一人だけ検査し、そしてあの古いスポーツカーを吹かせて事務所に帰るんだ。」「だって、誰も私に教えてくれなかったもの」「今日はお前が20番くらいのところにいたので安心していたんだよ。そこでお前が手を上げただろう、もう終わりだと思ったんだ。しかし何も知らないということは恐ろしいものだな。おそらくお前が最初で最後になるかもしれないなー」

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