2007年5月30日水曜日

Ser obeso é uma vantagem ?

Hoje tive uma surpresa no supermercado. Ultimamente os vinhos italianos estão ficando mais acessíveis. Após escolher algumas garrafas, resolvi entrar na fila do caixa. Vi que tem muita gente, então pensei, “A fila daquele caixa deve estar bem menor”, pois lembrei dos caixas exclusivos criados por lei há alguns anos para deficientes físicos, mulheres gestantes, mães com crianças de colo e idosos acima de 60 anos. Felizmente (?) eu me encaixo nesse. Opa, só tem 2 pessoas na fila. Aí, quando olhei para cima me deparei com a placa da foto abaixo. Achei estranho, pois tinha uma linha a mais. Para meu espanto estava escrito “pessoas obesas”. O quê ? As pessoas obesas também tem o direito a tratamento especial !? Está incentivando a comer mais e ficar obeso !? A lei confere isso ou uma medida exclusiva tomada pelo supermercado ? Qual é o critério para definir a obesidade ? Será que vai usar aquele IMC que está em moda hoje em dia (peso(Kg) /altura(m)/altura(m))? O obeso é acima de IMC 25? Vão colocar a balança em frente ao caixa ? Será que eles não vão entrar nesta fila de vergonha ou vão entrar exigindo o direito? Vale a pena observar os movimentos desta fila por em quanto.
Aí lembrei o episódio do casal que eu conheço. Os dois estão com mais de 70 anos. O marido praticava o judô quando era jovem e tem um corpo atlético. Eles foram ao banco para pagar as contas. Como sempre, a fila estava enorme. Eles costumam entram na fila normal, mas nesse dia tinham outros compromissos. A mulher disse “Meu bem, hoje vamos entrar na fila especial?” “Vamos” Quando eles estavam quase entrando na fila, um senhor de cabelos brancos adverteu “ Aqui só quem tem mais de 60 anos ” Prontamente a senhora retrucou “Desculpe, era a fila dos jóvens ? E a fila de quem tem mais de 70 anos é onde ?” Ao ouvir isso, o caixa do banco gritou “Aqui mesmo! aqui mesmo!”. Geralmente os japoneses aparentam menos que a idade que tem e sentem certa resistência para entrar na fila especial, inclusive eu?

2007年5月29日火曜日

肥満者は有利?


今日スーパーにいってびっくりしました。この頃イタリア産のワインが手頃な値段で手に入るようになったので色々選んで早速レジに並ぼうとした時です。かなり混んでいます。あっそうだ、あそこは空いているかもしれない。そうです何年か前から法令で身体障害者、妊婦、60歳以上のお年寄り、赤ちゃんを抱いた(ブラジルではおんぶの習慣はありません)お母さんたち優先の専用レジが設けられるようになったのを思い出したからです。私も幸い(?)該当します。

あっ、この列に入ろう二人しかいない。そこで上を見た時です、写真の文字が目にとまりました。いつもとは違うのが一行あるのです。なんと、肥満者(Pessoas Obesas)と書いてあるではありませんか。えっ、肥満者も特別待遇?これじゃ沢山食べて肥満者になれっていうの?これはこのスーパー独自の判断なのでしょうか。大体何をもって肥満と決めるのでしょうか。今はやりのBMI{体重(Kg)/ 身長(m)/身長(m)}が25以上というのか。体重計でもおくのかな。いや、恥ずかしいからこの列に入らないかも。いやまてよ、ブラジル人のことだから権利を主張して堂々と入るかな。このレジしばらく観察する価値があるようです。

そこで私の知人夫妻の話を思い出しました。二人とも70歳を超えています。旦那は若い頃柔道で鍛えた立派な体格をしています。銀行に支払いに行った時のことです。相変わらず長い列ができています。いつもは普通の列に入るのですがその日はまだ他に用事がありました。「ねえあなた、今日はもういいんじゃない、あちらの列に入りましょうよ」 「ああ、そうするか」 二人がその列に並ぼうとするとすぐあとから来た白髪のブラジル人 「ちょっと、ここは60歳以上の人だけだよ」。 すかさず奥さん「あら失礼、知らなかったわ、そう若い人の列なの。それじゃ、70歳以上の人の列はどこなの」 窓口の銀行員あわてて 「ここでいいんです、ここです、ここです
日本人は大体年よりも若く見られ、自分たちもそれを知っているのでなかなか堂々とはそういう列に入りづらいようです。わたしも含めて?

2007年5月25日金曜日

Segredo para lembrar os nomes ? Parte 3

Não me lembro bem onde é que ouvi isso. Era sobre como avança a esclerose. 1-Esquecer as coisas; 2-Esquecer os nomes das pessoas; 3-Esquecer o próprio nome.
Conforme essa definição, já passei a fase 1 há muito tempo e estou no meio da fase 2 e não meço esforços para que a situação não piore e avance para fase 3.
Estou revelando meus preciosos segredos de como lembrar os nomes nesta série. Na teoria deveria funcionar, mas na prática ... Eis mais uma história de fracasso. Foi no início do ano passado. Encontrei com meu amigo e ele me contou que Paulo tinha arrumado nova namorada. Para facilitar eu guardei “é o mesmo nome da esposa do vizinho”. Dias atrás encontrei de novo com o amigo e o assunto do Paulo apareceu de novo. “Paulo ainda está namorando a Maria?” perguntei. “O que ? de onde que você tirou esse nome Maria, é Tereza e que eu já te contei antes. Quando você encontrar com Paulo e namorada e se proferir esse nome, você vai apanhar”. Ainda bem que escapei dessa. O vizinho tinha se mudado no início deste ano e a esposa do novo vizinho se chama Maria.

名前の覚え方? パート3

どこで聞いたか覚えていませんがボケの進み具合だったと思います。
1-ものを忘れる 2-ひとの名前を忘れる 3-自分の名前を忘れる。

私はとうに1を通りこして2の中ごろにきています。なんとか3に進まないように必死に努力している毎日です。この名前の覚え方シリーズどうも失敗談ばかりで申し訳ないのですが、ばらしついでにもう一つ。去年の初め知り合いのパウロが新しい恋人とつきあっていると友達から聞きました。ああ、うちの隣の奥さんと同じ名前だな。その友達と最近会いまたパウロの話がでました。「やあ、パウロはまだマリアとつきあっているのかい」 「えっ、誰だそのマリアとは、テレザだろ、前に君に教えただろう。もしパウロが恋人といるときにそんな名前を口にしたらぶっとばされるぞ」 危ないところでした。隣は今年の初め引っ越して今の隣の奥さんの名前はマリアです。

2007年5月20日日曜日

二つの同窓会


                                    私は後列左から10人目                              

今から20年ほど前の話。ある日会社から帰ると妻が 「あなた、サンパウロから手紙が届いているわよ、テーブルの上に置いてあるから」 「へえ、珍しいなあ」 この頃は親戚とは電話だしそのほかサンパウロからといえば銀行や週刊誌の出版社からの勧誘ぐらいのものなので差出人を見た。知らないところからだ。開けてみると名前のリストが目に飛び込んできた。何、大学卒業10年目なので同窓会を開くという案内状だ。

今まではサンパウロ市内で気のあったもの同志でやってきたが10年目の節目の年であるし皆に呼びかけたと書いてある。しかしよくここまで来たものだ。私は卒業後すぐサンパウロを離れてエスピリトサント州に来たので誰も知らないと思っていた。後で歯科医の弟から聞いた話だと私を知らないかと電話がかかってきたので住所を知らせておいたというのだ。すると私の場合はあの分厚いサンパウロ市の電話帳から私と同じ姓の人のところ(もっとも佐伯をSAHEKI と書くのは少ないと思うのだが)へ電話をかけて捜したということになる。200人ほどのリストで電話番号と住所が書いてある。ほとんどサンパウロ州それも市内が多い。州外は数えるほど。名前をたどっていくとその頃のことがなつかしく思い出される。日にちを見ると2ヶ月ほど先の木曜日となっている。いつ会議があるかあるいは出張があるかわからないし出席の通知を出すことは出来なかった。

同じことが15年目、20年目、25年目と続いた。5年毎となったらしい。そして今年30年目の同窓会の案内状がきた。私はブラジルで学校にいったのは大学だけなので同級生といえばこの仲間しかいない。場所はサンパウロ市内のホテルのレストラン。幸い今年は定年退職して自由の身? 早速出席の確認となる経費の半額を払い込んだ。妻も同席。やがて当日。時間どおり夜8時にホテルに着いた。レストランは1階にありプールがその後ろにあるという。早速受け付けで名前をいうと名札を胸に貼ってくれた。プールの周りに集まって話がはずんでいる。なにしろ私は始めての参加なのでどうなるかと心配だ。

いやー いたいた。昔の面影が残っているもの、かすかに思い出せるもの、まったくわからないもの。おたがい胸の名札を確認しながら握手したり抱きあったり。30年の年月を超えてまるで大学時代の放課後そのまま。おたがい相手を見ているものの実はそのうしろから覗いている30年前の姿しか見えていない。そこには今なにをしているかとか肩書きとかはまったく関係ない。ただお互い昔の無垢のままの関係。今までの自分の足取り、今の仕事のこと、子供のこと、話がつきない。お互い再会を誓いあい私たちは12時頃席をたったが酒豪連中は4時頃まで飲み明かしたらしい。幸い今年は金曜の夜。今思い出すだけでも身体がほてって忘れられない夜になった。

その時の一人がエスピリトサント州ヴィトリア市にも事務所をもっていて次の週に行くというので帰って早速連絡を取り一緒に我が家で夕食を共にした。同窓会に来ていなかった友の消息も知っていてそのうち私に連絡してくれるという。離れて点になっていた私、これからは少しでも輪のなかに入っていけたらと思っている。

実は私にはもう一つの同窓会がある。日本の中学校の同窓会でこれは10年ほど前に招待状をもらった。これもよく届いたものと感心している。同じようにリストには住所と電話番号が書いてある。2年に一度11月の第一土曜日。そのうち出席できる日が来ることを楽しみにしている。

2007年4月29日日曜日

クリチーバ紀行 - 2007年4月


娘がサンパウロ州の南、パラナ州の州都クリチーバ市に移り住んで8ヶ月。今回訪ねてきました。ヴィトリアは30度を越す暑さでしたが着いた日は22度の寒さ(?)、ヴィトリアでは着ることのないジャンパーを早速かばんの底からひっぱりだしました。パラナ州の南にはあと二つ州があるのですがそれぞれ州都は海辺ですのでクリチーバ市がブラジルで一番気温の低い州都となっています。ちなみに標高は900mを超えています。

朝ウオーキングをしようと出かけました。家のすぐ裏にウオーキング、サイクリング用の道があり主な市内の公園を結んでいます。公園と言えばクリチーバは家族で週末を過ごすことが出来る整備された公園が植物園を始めとしてあちこちにあり静かな落ち着いたまちの印象を受けました。これらの公園と市内の観光名所を巡るバスが回っており英語,ポルトガル語およびスペイン語で案内するテープがまわっていました。ブラジルの移民と言えばポルトガルから始まりスペイン、イタリア,ドイツが代表的ですがここクリチーバではそのほかにポーランド,ウクラニア、日本とそれぞれの公園もあり当時の移民の生活を偲ぶことが出来るようになっている所もあります。さらにアラブとかイスラエルとか名のついたモニュメントもあります。またクリチーバという名の由来は土着民がここはパラナ松の実(kury)が沢山取れる所と言って町造りの第一歩をふみだしたところに槍をさしたことに始まるなどいかにも多民族で構成されそれぞれが町にとけあっているという印象をうけました。

パラナ松の実、どこか日本の栗と似たところがありますね。語源なにか関係があるのでしょうか? 町を一望できる高さ100m程のタワーがありなんとこれがコンクリートで出来ています。私も日本をはじめ外国のタワーがある所には必ず上るのですがコンクリートは初めてでした。上から見た景色は思っていたとおり緑の多い静かな町並みでまるでヨーロッパに行ったような気分になりました。観光客が必ず立ち寄るというイタリア地区サンタフェリシダーデにある4645人の客を同時に接待できるアメリカ大陸最大のレストラン ”マダロッソ”に行きました。パスタの食べ放題というのがうたい文句ですが少食の私達には値段的になにか損をした感じでした。

クリチーバに行ったら必ず乗ってみたいと思っていたクリチーバからパラナグア港行きの列車。標高900mを越すクリチーバから海岸山脈を3時間かけての鈍行で海辺の町まで下りました。途中川あり谷あり小さな滝ありの山の中、いつあのガイドの写真に載っているような断崖絶壁を走るのだろうと胸をわくわくさせていたのですがなにか期待はずれでした。海辺の町モへッテス(Morretes)でバヘアド(Barreado)と言う郷土料理を食べました。12時間ぐらい土鍋で煮込んだ肉が主体の料理。人それぞれ好みがありまた自分の住んでいる所の郷土料理を自慢したくなるもので私としてはやはりおなじ土鍋で作った料理ならエスピリトサント州のムケッカ カピシャーバ (Moqueca capixaba)に軍配をあげたいですね。家の娘はアルゼンチンのブエノスアイレスから来ている娘さんとすっかり仲良くなり二人で当地で作られている首飾り等を買っていました。帰りは車でグラシオザ街道を約1時間で登りクリチーバに着きました。途中道の両脇はバナナの並木(?)道理で海辺の町でバナナの飴とかお菓子とかをよくみかけたわけです。

帰る前の日は娘の友達の日系の大学の先生(娘さん)にパラナ博物館を案内してもらいました。パラナ州の歴史をたどりながらまたブラジルの南部の州が独立しようとして起こしたファホウピリア(Farroupilha)の戦いの時の様子など興味深く、なにか全体の印象としてバルセロナで見たカタルニャ博物館とイメージがダブりました。感じたことはパラナの人たちは自分たちの州を愛し誇りに思っているのだなあということでした。

ここでは日本人もパラナ州建設の一端を担い一目置かれていると感じられ何か嬉しくなりました。ちなみにクリチーバで二期つとめた前市長は日系の谷口氏です。
まだまだ書きたいことは沢山あるのですがきりがないのでこの辺で。
クリチーバそしてパラナ州に繁栄あれと祈りつつ。

2007年4月24日火曜日

Presente !

Hoje recebi o e-mail da Varig anunciando a promoção para o Dia das Mães, ”Melhor do que dar presente, é estar presente”.
Logo lembrei a história da minha mulher. Ela cresceu no meio da colônia japonesa e naquela época era comum as crianças de descendentes japoneses começarem a freqüentar escola da língua japonesa aos 4 anos e quando atingirem a idade de 6 a 7 anos iam a escola primária (na época Grupo Escolar). E dependendo da situação e circunstâncias da família, as crianças, às vezes, não tinham contato com a língua portuguesa até lá. Minha mulher era uma dessas. No primeiro dia de aula no Grupo Escolar, a professora começou a chamada olhando a lista dos alunos. Ao serem chamadas, as crianças respondiam “Presente”. Ela pensava "Será que eles trouxeram presentes nas bolsas ?" Chegou a vez dela. “Kiyoko Inomata”, a professora chamou. Mas ela ficou quietinha, porque ela não tinha trazido o presente para a professora. “Kiyoko Inomata, levante a mão”, mais uma vez a professora chamou. Ela, acanhada, levantou a mão à meia altura. “Ah, você está aí” e a professora continuou a chamada. Após um ano de escola, quando começou a aprender os verbos, ela entendeu que a palavra "presente" tem outro significado.