2007年4月29日日曜日

クリチーバ紀行 - 2007年4月


娘がサンパウロ州の南、パラナ州の州都クリチーバ市に移り住んで8ヶ月。今回訪ねてきました。ヴィトリアは30度を越す暑さでしたが着いた日は22度の寒さ(?)、ヴィトリアでは着ることのないジャンパーを早速かばんの底からひっぱりだしました。パラナ州の南にはあと二つ州があるのですがそれぞれ州都は海辺ですのでクリチーバ市がブラジルで一番気温の低い州都となっています。ちなみに標高は900mを超えています。

朝ウオーキングをしようと出かけました。家のすぐ裏にウオーキング、サイクリング用の道があり主な市内の公園を結んでいます。公園と言えばクリチーバは家族で週末を過ごすことが出来る整備された公園が植物園を始めとしてあちこちにあり静かな落ち着いたまちの印象を受けました。これらの公園と市内の観光名所を巡るバスが回っており英語,ポルトガル語およびスペイン語で案内するテープがまわっていました。ブラジルの移民と言えばポルトガルから始まりスペイン、イタリア,ドイツが代表的ですがここクリチーバではそのほかにポーランド,ウクラニア、日本とそれぞれの公園もあり当時の移民の生活を偲ぶことが出来るようになっている所もあります。さらにアラブとかイスラエルとか名のついたモニュメントもあります。またクリチーバという名の由来は土着民がここはパラナ松の実(kury)が沢山取れる所と言って町造りの第一歩をふみだしたところに槍をさしたことに始まるなどいかにも多民族で構成されそれぞれが町にとけあっているという印象をうけました。

パラナ松の実、どこか日本の栗と似たところがありますね。語源なにか関係があるのでしょうか? 町を一望できる高さ100m程のタワーがありなんとこれがコンクリートで出来ています。私も日本をはじめ外国のタワーがある所には必ず上るのですがコンクリートは初めてでした。上から見た景色は思っていたとおり緑の多い静かな町並みでまるでヨーロッパに行ったような気分になりました。観光客が必ず立ち寄るというイタリア地区サンタフェリシダーデにある4645人の客を同時に接待できるアメリカ大陸最大のレストラン ”マダロッソ”に行きました。パスタの食べ放題というのがうたい文句ですが少食の私達には値段的になにか損をした感じでした。

クリチーバに行ったら必ず乗ってみたいと思っていたクリチーバからパラナグア港行きの列車。標高900mを越すクリチーバから海岸山脈を3時間かけての鈍行で海辺の町まで下りました。途中川あり谷あり小さな滝ありの山の中、いつあのガイドの写真に載っているような断崖絶壁を走るのだろうと胸をわくわくさせていたのですがなにか期待はずれでした。海辺の町モへッテス(Morretes)でバヘアド(Barreado)と言う郷土料理を食べました。12時間ぐらい土鍋で煮込んだ肉が主体の料理。人それぞれ好みがありまた自分の住んでいる所の郷土料理を自慢したくなるもので私としてはやはりおなじ土鍋で作った料理ならエスピリトサント州のムケッカ カピシャーバ (Moqueca capixaba)に軍配をあげたいですね。家の娘はアルゼンチンのブエノスアイレスから来ている娘さんとすっかり仲良くなり二人で当地で作られている首飾り等を買っていました。帰りは車でグラシオザ街道を約1時間で登りクリチーバに着きました。途中道の両脇はバナナの並木(?)道理で海辺の町でバナナの飴とかお菓子とかをよくみかけたわけです。

帰る前の日は娘の友達の日系の大学の先生(娘さん)にパラナ博物館を案内してもらいました。パラナ州の歴史をたどりながらまたブラジルの南部の州が独立しようとして起こしたファホウピリア(Farroupilha)の戦いの時の様子など興味深く、なにか全体の印象としてバルセロナで見たカタルニャ博物館とイメージがダブりました。感じたことはパラナの人たちは自分たちの州を愛し誇りに思っているのだなあということでした。

ここでは日本人もパラナ州建設の一端を担い一目置かれていると感じられ何か嬉しくなりました。ちなみにクリチーバで二期つとめた前市長は日系の谷口氏です。
まだまだ書きたいことは沢山あるのですがきりがないのでこの辺で。
クリチーバそしてパラナ州に繁栄あれと祈りつつ。

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