2016年12月2日金曜日

ブラジルサッカー最大の悲劇



11月29日の午前1時ブラジルのサッカーチームChapecoenseを乗せた飛行機がコロンビ
アのMedellínの飛行場近くの森に墜落、71人の犠牲者を出した。生存者は6人(選手3人、乗組員2人、新聞記者一人)
Chapecoense の選手19人、コーチ・サポート陣14人、チーム運営及び招待陣11人、ジャーナリスト20人、乗組員7人が亡くなった。

彼らはメデリンで行われるCopa Sul-Americana (南米カップ)の決勝戦に参加すべくボリビアのLaMia社95人乗りの飛行機をチャーターしてボリビアのSanta Cruz de la SierraからMedellínに向かった、その距離約3千キロ。墜落の原因は燃料不足と言われている。パイロットと管制塔との最後のやり取りで燃料が枯渇し電気系統も動かなくなったという声が残されている。そして当時は4機が飛行場に接近しており他の飛行機も燃料不足で緊急着陸を要請していて先に許可されたという。燃料がなかったので爆発,燃焼は起こらず機体はバラバラになった。

この惨事が世界中のニュースとなりサッカーの試合開始前に1分間の黙とうが捧げられ、エッフェル塔など世界各地の有名建造物がチームの色である緑のライトアップに照らし出された。暗い中の緑、何とも言えないさみしさだ。

なんとこの飛行機の飛行可能距離は約3千キロだという。よくもこんな危険な冒険をしたものだ。この会社は燃料をいつもぎりぎりで飛行するので以前注意を受けたことがあるとか。乗り物の中でも燃料がなければ即墜落,運が良くて緊急着陸しかない飛行機、大きな危険、犠牲を伴う。

この事故を知ったコロンビア側は山の上の墜落現場に着き早急、適切な処置、救助活動でブラジル側からも感謝の表意がなされた。コロンビアの対戦相手だったAtlético Nacionalチーム(南米最高のLibertadores杯の覇者)のスタジアムは白衣の サポーター達が埋め尽くしで点灯したスマホを振りながら相手チームChapecoenseの名を叫びチャンピオン、チャンピオンと讃えていた。見ていて涙が止まらなかった。ブラジルからは外務大臣がスペイン語で世話になったお礼を述べた。

Chapecoenseというチームの名前はブラジル南部のサンタカタリナ州のChapecó市からきている。サンタカタリナ州の西の方に位置し標高約700m、養豚、養鶏や七面鳥を養いこの方面ではブラジル最高の生産を誇る。この辺はイタリア、ドイツなどのヨーロッパ移民によって開拓された。
現在の市の人口は約21万人、近くの経済圏を入れれば40万人に達する。

サンタカタリナ州はサッカーが強い。人口はブラジルで11番目の約681万人でトップのセリエAに2チームが参加そしてセリエBで3チームが戦っている。エスピリトサント州はといえば人口約393万人で15番目だがAにもBにも1チームも入ってない。なんと情けない。だからこの州ではほとんどが隣の州のリオのチームとかミナスのチームを応援している。これも情けない。
エスピリトサントもっとがんばれ!!

Chapecoenseの名を耳にし始めたのは2,3年前頃から。おそらくスーパーでもよく買うハムや鶏の肉の生産地であるサンタカタリナ州の西の町のチームだなと見当をつけた。時々スポーツニュースを見ていると大都市の有名チームを負かしている。小さいチームだと思うがすごいなーと感心した。

創立1973年でセリエA20チームの中では一番若いチームだ。ブラジルでは創立100年を超すチームがいくつかある。特に2009年からのChape(愛称)の躍進はすさまじい。
2009年 セリエDで3位となり
2010年 セリエCに昇格
2012年 セリエBに昇格
2014年 セリエAに昇格 15位
2015年 セリエA 14位
2016年 現在 セリエA 9位 
この間1回も降格なし。
大都市の強豪揃いのセリエAで引けを取らずに上って行くのは素晴らしい。そしてこの中にブラジル代表の選手はいない。

明日ブラジルの空軍機3機がアマゾン川流域のマナウス市からコロンビアに飛び遺体をChapecóに運びChapecoenseのスタジアムで共同ミサが執り行われる。その後それぞれの家族が引き取り埋葬される。サポーター達、市民は観客席からと周囲に配置される4つの巨大スクリーンで選手たちを見送ることとなる。ブラジル国民もテレビを通して別れを惜しむだろう。

ブラジルサッカー界に旋風を巻き起こした君たちの栄光は永遠に残るだろう。安らかな眠りを。




2016年11月25日金曜日

11月のトピックス

1週間に一度は野菜や果物、干し肉などを求める為に立ち寄る近くのなんでも売ってる八百屋さんにブラジルインディオが現れた。聞くとバイア州の歴史及び観光で有名なPorto Seguroで原住民の民芸品を売っていて、今回はエスピリトサント州の知り合いに呼ばれて様子を見に来たという。めったに会うことはないと思って一緒に写真をとらしてもらった。彼が店を出たとたん「なーに、目立つようにあんな格好をしているだけでインディオとは何の関係もないのだよ」と冷めたコメントが感動の余韻が冷めない私の後ろから聞こえてきた。   


毎日同じような生活なので冗談交じりに朝のコーヒーの後、妻に「何かパーと気分が変わるようなものはないかなあ」とぼやいていたら一時して妻が「裏にこんなきれいな花が咲いていたわ」とカトレアの株を抱えてきた。写真ではうまく色が出なかったが実物はピンクの華やかな花で確かに気分まで華やかになった。ありがとう。


家のブドウが今年は例年より早く熟れそうだ。いつもは子供たちが戻ってくるクリスマス、正月まであるのだが今年はそれまでもてそうもない。おまけに小鳥たちが上からつついているのでスーパーのレジ袋で房を覆ってこちらの分も確保しなければならない、家の後ろにもぶどう棚はあるのだがこちらは棚の下を私たちがよく通るので被害はすくなく今のところ袋もかけていない。今年はブドウの皮までかんでポリフェノールを絞り出している。


上の写真は今日郵便屋さんが届けてくれた私の運転免許証。70歳を過ぎると免許証更新は3年毎となる。頭の回転や運動神経が鈍るので私自身としては75歳までだと思っていたが、今はその時が来れば自分の脳力、体力と相談して決めようと思っている。
この運転免許証にはいろいろな情報がのっている。免許証番号の他にID番号、納税番号、自分の名前、生年月日、両親の名前、血液型、死亡した場合臓器提供者か否か(最終的にはやはり家族の同意が必要らしいですが)、有効期限、免許証初発行日。
身分証明に今まではIDカードを持ち歩いていたが今では運転免許証の方が小さいのでこちらを重宝している。外国旅行でホテルをでて観光に出かける時はパスポートはコピーにし写真付きの原本はこれを持ち歩いている。運転免許証は再発行が早い。


トランプ氏がアメリカの新しい大統領に!
トランプ氏が大方の予想を裏切ってヒラリークリントン氏を破り新しいアメリカの大統領に選出された。アメリカは4年に一回必ず大統領選挙があるのでその時の国民の意思を反映した大統領が選ばれる?と思っていた。大統領の選挙は過半数を取った方が勝つ。これが民主主義のルールだと思っていた。民主主義のリーダーたるアメリカの選挙にこれが適用されないのは理解に苦しむ。どうやら選挙ルールが歴史的な選挙人制度で決まりそれは各候補が得票した比例に沿ったものとは言えない時があるということである。ブラジルのニュースでもアメリカではまだ開票が行われているという。国民一人一人の票の積み重ねだとヒラリークリントン氏の方がトランプ氏の票を上回っているという。これと同じことが過去のゴア氏とブッシュ氏の間にも起こったという。民主主義とITのリーダーたるアメリカにこんなことが起きるなんて理解できない。

Black Friday
今日はBlack Fridayだ。朝ちょっとノートブックをのぞきインターネットでスマートホンを買った。以前から目を付けていたもので20%は安かったか。
ブラジルにBlack Fridayが入ってきたのは約10年前。始めはほとんどの人がしらなかったし売り上げも少なかったが3年前位からテレビやインターネットを通じての客引き合戦で今年はなんでも去年の売り上げ約20億Reais の34%増しが見込まれているという。
このBlack Fridayはアメリカの商習慣をコピーしたものでThanksgiving day の翌日をこう呼ぶ。今は一年中で一番売り上げが高い日になっていてアメリカでは去年の売り上げは約590億ドルだったという。そして今は買物の日となってしまって、他の時期でも安売りの日をBlack Fridayと呼び客を引き込もうとしている。商人の力は強い、昔から歴史を動かしてきている。

2016年11月17日木曜日

我が家の天気予報



今週はようやく雨らしい雨が降った。しかし大したことはない。この前、屋根裏の貯水槽が干上がったので屋根のといから落ちる雨水をためて外用に雨水を使ってみようと倉庫にあった樽を取り出してそれに入れてみた。以前は電気代の方が水代をはるかに超えていたのだが日照りでの上水不足に大ヴィトリア都市圏の下水設備の完成が加わり今度は水代が電気代を越してしまった。こういうことは考えてもみなかった。水の大切さを認識した。

たらいに落ちた水を樽に移した

ブラジルの天気予報も大分当たるようになってきたがなぜかエスピリトサント州に関してはいつも外れている。テレビを見て、明日雨だ!と喜んでも朝起きると陽が照っている。ブラジルの南部、南東部ではよく雨が降っているのになぜエスピリトサント州だけのけ者にと叫びたくなる。エスピリトサント(聖霊)、アーメン! とキリスト教の祈りの言葉でも願いはかなわない。牧畜を営んでいる農家の映像で牛にサボテンの葉(?)を食べさせていた。 なにこれ!ブラジル北東部の干ばつの時の映像と同じではないか。近所の友人がこの前来た時にこんな話が出て「やがてエスピリトサント州は北東部に組み込まれるのではないか」という意見で一致した。

テレビの天気予報で天気の移り変わりを見ているとブラジル南部、南東部と天気は南から北へと移っていくがリオまで来ると東に曲がり大西洋へと向きを変えエスピリトサント州までは上がってこない。私はいつも北東部の強い熱気に押されて東に曲がるのだと思っていたがこの頃は海流など別の見方があるかもしれないと思ってきた。

さて我が家の天気予報だが私は朝起きると窓から近くの標高880mの山Mestre Álvaroを望み雲のかかり具合を見て当日の予想をする。このブログでも何度か出しているがテレビの予報より当たっていると自負している。一昨日も買い物途中、山が灰色の雲に覆われていたので急いで帰ってきたがパラパラで終わってしまった。雨量の予測までは難しい。

さてトップの写真は裏庭の"にらの葉"に登るカタツムリの赤ちゃんたち。これは妻の翌日の天気予報に使われる。夕方日暮れ前、妻は裏庭、横庭(?)を一回りしてくる。
「カタツムリの赤ちゃんたちがにらの葉に登っているから明日は小雨が降るんじゃないかしら」。確かに少し雨が降る。「今日は大きなカタツムリまで大きな葉っぱや木に登っているからかなりの雨が降るかもよ」。確かにまあまあの雨量だ。
「彼らは気圧の変化を感じているのかしら!?」とは彼女の理論。
今の所軍配は向こうに上がっている。


 

2016年10月31日月曜日

選挙は水物

10月30日はブラジル57の市で市長選の決選投票が行われた。57のうち18は州都、26州都のうち一回で決まったのはわずか8州都となり、かなりの混戦だった。
ここエスピリトサント州でも州都のヴィトリア市は1回目は得票数1位と2位は43.8%対35.3%だったのが51.2%対48.8%の接戦となった。

私たちの住むセーハ市は48.3%対43.7%が逆転して48.8%対51.2%。これには3位と4位の票が2位の候補に集まったらしい。人のうわさでは1位の候補者の奥さんの汚職が響いたようだ。一回目の投票を調べているうちに5位の候補者の得票数をみたらゼロとなっていた。これは理解に苦しむ。何かが起こったのだろうが調べるのが面倒なのでこのままにしておく。

カリアシッカ市では41.9%対35.0%だったのがこれは大逆転、47.5%対52.5%となった。35%から52.5%の大躍進。どんな戦略があったのだろう。

もう一つのヴィラ・ヴェリャ市は37.8%対31%が58.9%対41.1%と約7%の差が18%弱の差となった。

選挙は水物というが、どう変わるかわからないというのは本当だ。








2016年10月29日土曜日

エリッキ、ようこそわが家へ


22日の土曜日、サンパウロから亡くなった弟道夫の家族がヴィトリアに遊びに来てくれた。左から長女エリカ、座っているのがエリカの夫のEricで右は弟の奥さんの真由美さん。
3人とは今年の3月、弟行雄の3男の結婚式のときに出会い、ヴィトリアにも来てくださいと話をした。その時エリッキが興味を見せていたのを思い出し、この訪問は新しい家族の一員となったエリッキのおかげか。
次女ユカは二人目の赤ちゃんが生まれるので来れず、テレビ局に努めているアスカは仕事が忙しいとのことだった。

エリッキが仕事で休みが取れないとのことで週末の訪問となった。近くの海やConvento da Penhaなどといった慣れたルートを案内し、私たちも久しぶりに楽しんだ。

唯一の心配はなんと「水」だった。エスピリトサント州の水不足で1週間に1日の断水が2日となり、木曜日と金曜日の午後には水が来なくなった。そして今回、金曜日の午後にはとうとう屋根裏の貯水槽の水が干上がってしまった。こんなことはこの家に引っ越してきて初めてだ。お客さんが来るのにどうしようと思っていたらようやく夜中に水の音が聞こえてきたのでほっとした。

エリカは三井ブラジルに勤めているとのことで日本語もしっかりしている。エリッキは日本食が好きで家で出した日本料理やエスピリトサント州の郷土料理を喜んでくれた。

2016年10月16日日曜日

海の幸

毎年天候が許せば10月の中旬は近くの車で20分くらいで着く海岸でウニや海藻を取りに出かける。 一年に一度だが行く度に景色や海の動植物の生態が変化しているのに気付く。


この海岸は私たちが初めて来た40年前は砂浜がほとんどない海岸だった。確実に海は大きくなってきている。今年は特に大きな木があちこちで倒れている。車を置いた近くの、海辺のキオスクの主人とその話をするとこんなことを言っていた 「私は長くここに住んでいるが昔はこの辺まで海だったんですよ。ここを住宅街にするとかいう話が出て埋め立てが始まり、この辺はにぎやかになりました。しかし最近は急速に海の浸食がひどくなり浜辺の家は軒並み自然災害で壊されています。ほら、向こうに見える家は裏の菜園から直接浜辺に出れるよう塀にドアを付けましたが壊れかけているでしょう。あちこちでそういうことが起こっています。あと何年かで昔の景色に戻るのじゃないでしょうかね」。 そうだ、あの塀のそばを通る度にうらやましかったことを思い出す。
地球温暖化が急速に進みつつある今日、海辺の景色はどんどん変わっていくのではないだろう
か。

年の初めにインターネットで海軍省が出すブラジルの港湾の潮の干満表を見て10月の一番潮の引いている日をカレンダに記す。今年は今日10月16日が満月、潮の干満の差が大きな日だ。干潮は朝の9時8分と午後21時21分で何が基準になっているのか知らないが0.0m、海抜なのだろうか。満潮は午前2時 53分と午後15時9分で1,6m。これは各港で違うのでこの数字はこの近くのリオ・ドーセ社の鉄鉱石の積出港ツバロン港のものである。 一昨年5月に訪れたブラジル北東部のマラニョン州の州都サン・ルイースにあるイタキ港の干満の差は6.6m。ここからもリオ・ドーセ社は鉄鉱石を輸出している。

さてなんの話をしているのだろう? そうだ、ウニと海藻をとるには浜辺から水にちょっと入らなければ取れないので潮の引いた時には濡れずにそこまで行けしかも取りやすいという利点がある。
ウニは上の写真の岩の間にいて岩に穴を(溶かして)掘り住み家とする。住宅事情が厳しいところがあり、あぶれて家には入れないウニがおりそのうちの大きなのをとってくる。穴に入っているのは取るのが難しい。
NHKの朝ドラの「あまちゃん」では海の中に潜ってとるが、うちではアマチュアの妻が陸上で獲るので「アマちゃん」である。下の写真は獲ったウニを家でさばいたところだ。


さて私はひじきと海藻をとる。海藻はウニの食べ物で岩の間に生えているが年々少なくなってきている。海水の温度の変化か海流が変わったのかそれともほかの理由か車窓から今年はどこも緑が見えなかった。案の定海藻がものすごく減っている。私も間引きをするように残してとる。また来年も育ってくれと願いながら。
獲ったひじきと海藻を家で乾かす。今日は久しぶりに日差しが強く一日で乾いた。


2016年10月7日金曜日

野生のパパイア


今エスピリトサント州は未曾有の干ばつに見舞われている。人口約150万の大ヴィトリア都市圏では週に1日か2日の断水がある。

昨日は近くの知り合いの日本人の家を訪ねた。そこの旦那さんは農業技師でここから約78キロの小高い町に農地を持っていてコーヒーを栽培している。
「今年は雨が少なくて小さい大豆しか取れなくて豆腐はできないかもしれないが味噌には使えるかも知れないから取りに来て」と連絡があって出かけた。

「今年は雨が少なくて隣のコーヒー園はコーヒーの木が枯れかかっていたのでこのままおいていても来年の収穫も難しいからと言って全部切ってしまったよ。家のは少し程度がいいので残しているがコーヒー豆は小さいし収穫量も大したことはないだろう。」とぼやいていた。

「今年は近くの川から水をポンプで引いていいものを作ろうと新しい器具を買ったのだが使用禁止令が出ているので使えないし今年は苦しいよ」とのことだった。エスピリトサント州が位置するブラジル南東部は今年はよく雨が降っているがどうしてここだけ降らないのだろう。

「自家用に植えている果物も弱って実が付かないがこのパパイアだけは大きくなっておまけにおいしいんだよ」と言ってくれたのが上の写真のパパイア。日照りのせいか(成果)、確かにあまい。
「いつもだとハワイパパイア、とか台湾パパイアが取れるのでこの格好の悪い野生のパパイアは果物としては相手にされず、まだ青いうちに取られて砂糖と一緒に煮られお菓子の材料としてしか使われないけど、今年、実をつけているのはこの野生のパパイアだけなんだよ。今の農業と言えば交配されたり、改良されたりで経済的な面が強調されてそれらの栽培面積だけが大きくなっていくけど、地球規模の災難がきたらいったいどうなるのだろう?」