2008年5月17日土曜日
日本人は信用できる!
Cotia の先のVargem Grande に引っ越した弟の所に母を送って行っての帰りSão Paulo 市内で地下鉄に乗ろうとクリニカス駅に入った時改札口まで続く通路の壁に描かれている大きなパネルが目に入りました。日本移民百周年行事の一環としての日本移民の百年の歴史が紹介してありました。
笠戸丸から出稼ぎまで当時の写真を含めて六つの時代に分けて説明してありました。話に聞いていたのとは違う慣れない土地での、しかも外国での厳しい現実。黄熱病やマラリアに倒れていった幾多の同胞、第二次世界大戦中に受けた迫害、コロニア内での勝ち組と負け組の争いなど, ここまでの道は遠かった。今それらをかえりみて祝う余裕がでてきたコロニア。
『日本人は信用できる!』。これが今まで日本人がブラジルに刻み込んできた言葉です。ブラジルでは小切手の不渡りがよくあるので見知らぬ人には現金払いということになります。エスピリトサント州に来て間もない頃となり町に知人を訪ねての帰りきれいな牛肉をみかけたので店に入り3キロほどもとめました。いざ払おうとポケットに手を突っ込んでも金はない。小切手帳しかない。そこでおそるおそる「あの今小切手しか持っていないんですが」というと「ああ、いいよ、日本人の小切手を断るなんてそんな馬鹿はいないよ」。先人たちよありがとう!これからはどんな代名詞が日系人につくのか? ブラジルの一部として溶け込んでいく コロニア、これから先だんだん変わっていくでしょう。希望をもって見守りたい。
パネルを読んでいて少し書きとめました。世界大恐慌と関東大震災のあおりで1932年から34年の3年間で6万人以上の移民がブラジルの土地を踏んだこと、1937年の調査では85%の移民がここは永住地ではなく日本にやがて帰ることを希望していたこと、1958年には57%が農業に従事していたのが1978年には19%に減っていたこと、などなど。
日系の農村人口が減ったのはブラジルで夢をかなえるには教育しかないと悟り、自分たちの苦しい生活の中から子供たちを大学までやった結果ということが書かれていました。賢い決断だったといえるでしょう。
いま日本に約30万人のブラジルからの日系人が生活し最近は永住者も増えているようです。ブラジルが差別なく私達を暖かく迎え入れてくれたように日本も暖かく迎え入れてほしい。日本に来てよかったと思えるようになってほしい。これからの移り変わる時代に経済的に大人になった日本が社会的にどう大人としての対応ができるのか日本の力量が試される時でしょう。
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