2008年8月21日木曜日

ナポリ(Napoli)    Napoles


フローレンスからナポリへ。Eurostar で約三時間40分。トスカーナ地方はまだひまわりの畑が広がっていた。ローマを過ぎナポリに近づくにつれ農地の割合が多くなってきた。そしてナポリの近郊に入ってくるとアパート郡が多くなり駅に近くなると高いビルが見えてきた。今まで見てきたローマ、ヴェニスそしてフローレンスとは様子が違う。中世がなくなってしまった。ホテルはさいわい駅に近い。リュックを背負い小さいスーツケースを引いてホテルに向かう。駅前の広場には露天商人たちが所狭しとかばん、靴、めがね、シャツ等を売っている。
ホテルに落ち着くとさっそく近辺の探検に出かけた。交通量はけっこうあるのに交差点に信号がない。車の流れは切れないしなかなか渡れない。こちらの人は慣れたもので構わず渡っている。車も適当にスピードを落としたり止まったりしている。おじいさんなどは車がすれすれで通ったりすると車をたたいて文句を言ったりしている。さすがにこれには慣れることができない。駅に戻って明日行く予定のポンペイの時間を確認した。夏なので午後7時といえどもまだ明るいし暑い。おまけにここは湿気が多いらしく今まで通ってきた所より暑く感じる。駅前の広場からは噴火により山頂が大分欠けたVesuvio を望むことが出来る。
翌朝早く起きCircumvesuviana線でポンペイに向かう。駅から2分たらずで遺跡の入り口に着く。入場料11ユーロを払う。家々のれんが作りの土台が1mほどの高さで残っている。所々屋根の部分が残っている家もある。屋根の瓦は大きく壁が厚い。昔は壁や床は色々な色の小さい石からなるモザイクで飾られていたらしく贅沢な生活振りがうかがわれた。大きな円形劇場それに中と小の半円形劇場などありけっこう今の私達より優雅な暮らしをしていたのではないかと思わせる。後でナポリの国立考古学博物館に行った時にポンペイ出土の鍋や其の他の台所用品など見たが現在とあまり変わらない生活のような気がした。陽に照らされて暑く、持ってきた1リットルの水では間に合わなくなり所々に設けられている飲料用の水飲み場の世話になった。見学が終わり歩きまわって喉が渇くわ腹はすくわで駅に行く道の脇のレストランでピッザポンペイを頼んだはいいが硬くていただけなかった。ブラジルのおいしいピッザがなつかしかった。さて駅に着いたがナポリに帰るのは止め反対方向の終点駅ソレントへ向かうことにした。日本で中学時代に習った「帰れソレントへ」のあの哀愁漂う歌は僕のよく口ずさむ歌の一つである。非常に興味がある。駅に着くとソレントのメインポイントを一回りする観光バスが待っていた。一人15ユーロ早速乗り込んだ。カメラを片手に2階の一番前の席をとった。落ち着いた町で風光明媚。多くの作家、詩人、俳優などが家を構え愛した町だと日本語のAudio Guideが説明していた。ソレントの岬に近づくとカプリ島がかなり近くに見えてくる。上り詰めたところで小休憩。水の青さが快い。ここからはナポリ湾とサレルノ湾が見渡せる。この二つの湾は二人の神が作ったと言われている。一人の神は穏やかでもう一人の神はとても激しい気質だったと地元の人々は信じているそうである。美しい自然のなかに高級ホテルなどが立ち並びプール脇でゆっくり休養している人達を見かけた。約1時間40分の旅を満喫してソレントに別れをつげた。いつかまた再び訪れる日を夢見て。「さらばソレントよ」。

ナポリの国立考古学博物館を見学した。ポンペイから出土された多くの美しいモザイクが目をひいた。特にFauno家より発掘された数々の作品には目を見はるばかりであった。其の他数多い素晴らしい彫刻の展示のなかに幼年のFaunoの全身像を見つけた。Vesuvio火山噴火のやく40年前の姿であった。
最後に世界三大美港の一つと言われるナポリ湾を訪ねた。湾内1周のツアーを探したが見つからなかった。ちょうど目の前に城があったので見学することにした。けっこう宗教画などが展示されており、その他現代の画家のもありイタリア統一に貢献のあったGaribaldiのナポリへの凱旋図もあった。彼はまたブラジルで南部が独立しようとした時のFarroupilhaの戦いでも有名である。この城の屋上からVesuvioを背にしたナポリ湾、そして昨日訪れたソレントおよびその前に位置するカプリ島。眺めは素晴らしい。
さてナポリはなんの都だろう? 今回は陽に焼かれたから太陽の都? 色々な人種が混じってきている交錯の都? 考えているのだがこれっといった決まり文句が出てこない。この次の機会までおあづけということで、、、

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