2008年8月15日金曜日

ヴェニス(Venezia)   Veneza


ローマから空路ヴェニスへと。空港からバスでヴェニスの町に入る。早速降りてタクシーの運転手にホテルの住所を書いた紙を見せる。「いや、行かない」と首を横に振る。そしてサンマルコなら次の角を左にまがると乗り場があると言う。幸い今回の旅行は夏なので軽装。しかもこれから先の旅は汽車の切符をとってあるので運びやすいようにリュックと小さいケースに分けてある。すばやくかかえて乗り場に行ってみた。なんと船着場だった。そうだ、ヴェニスは水の都、船が交通機関なんだと気がついた。なにしろタクシーに断られたのは初めてだったのでショックだった。San Marco行きの切符を買って乗り込んだ。Grande Canalがヴェニスの大通りとなっている。水位が高い、波が立つと建物の戸口に水が入っている所もある。地球温暖化で南洋の島がなくなると言って騒いでいるがヴェニスは大丈夫なのだろうか? 心配になってくる。古い建物がGrande Canalにそって隙間なく建っている。船はみな波を立てないようゆっくり進んでいる。おそらく規制があるのだろう。San Marcoのターミナル(?)で降りホテルを訪ねるとすぐ近くだった。夜の8時位だったがまだ明るい。着るもの等の整理をして散歩がてら食事をしようとホテルをでた。San Marco広場はすぐだった。夜の10時なのにかなり賑わっている。広場の周りのレストランが4軒ほどそれぞれ舞台をもうけて5,6人からなる楽団で客引きの競争をやっている。ブラジルの曲が耳に入ったので私たちはそこに決め、まずビールとミネラルウォーターを頼んだ。ロシヤ民謡からNew York, New Yorkなどレパートリーも広い。スタイルのいい娘二人(ロシア系か?)がヴァイオリンの演奏。曲が終わる度拍手がわく。領収書には高い飲み物、食べ物のほかにミュージック代としてひとりあたり6ユーロつけてあった。まあ、いい気分になった代金か。
ヴェニスには世界中から観光客が集まりそのかず年間千四百万人とか。翌朝San Marco広場に行ってびっくりした。San Marco Basílica, 横のDucal Palace そして鐘楼、どれもものすごい列。待つのは時間の無駄と私たちはガラス細工で有名なMurano島へと向かった。島では実際に製法の実演を見せたり大中小色とりどりのガラス細工を売る店などありあちこち覗いているうちに気がついた時はもう5時をまわっていた。島ではスパゲッテイ とシーフッドの揚げ物で昼食。イタリアの味である。また夜San Marco 広場に出た。
翌日は少し陸を歩いて見物しようと出かけた。ヴェニスの路地は狭く迷路のよう。。Ponte Rialtoまでようやくたどり着いたがあまりにも人が多い。あきらめてSan Marco に引き返しまた船に乗って今度は1時間強かかるBurano島へと向かった。「ヴェニスの全ての道はSan Marcoに通じる」幸い私達のホテルはSan Marcoに近いので助かる。Burano島はレース編みで知られている。船が島に近づいてくると何か高いものが見える。「あっ、しゃとーだ!」私の声に妻が「えっ、どこ?」「ほら、あそこ」「なんだ、傾いている塔じゃない。私はてっきりきれいなお城かと思ったわ」。斜塔とシャトー違いでした。ここの島の教会の塔は傾いているので知られているそうだ。斜塔と言えば小さい時からPisaの斜塔しか知らなかったので大発見だった。島の家々はカラフルに塗ってありきれいに手入れされていた。行き帰り時間をかけての色々な島を眺めるゆっくりした時間だった。
帰ってホテル近くのレストランで食事をとった後、店を眺めながら歩いているとゴンドラの駐船場(?)で若い男に声をかけられた。「お客さん、今日は満月だしゴンドラで散歩でもいかがですか?」えっ、満月。そういえば旧婚旅行(?)とかけて 「フルムーン」という言葉が日本にあったなあ。「よっしゃ乗ろう」。昼は多くのゴンドラで渋滞気味の水路もすいている。狭い水路をたくみに操って長いゴンドラが進む。私はブラジルに来て田舎で百姓をやっていた若い頃ブラジルのラジオから流れてくるイタリアの歌を聞くのが苦しい生活の中の唯一の楽しみだった。1960から70年代イタリアの歌がブラジルのヒットパレードのトップになったことも数度あったと覚えている。当時16歳でデビューしたGigliola Cinquettiにイタリア語でファンレターを書いたこともあった。返事がサイン入りのブロマイドで来た。そういうわけで当時ヒットした歌を数曲まだイタリア語で覚えている。ゴンドラ漕ぎの若いのにどうだこういう昔の歌を知っているかと私が歌いだすと彼も歌いだし二人の声がヴェニスの月で照らされた薄明かい運河に響いた。「オーソレミオ」を彼が歌い始めると、それは 「オー私の太陽よ」という意味だから今日は「オールナミア(オー私の月よ)に変えないかと私が提案すると彼はにやりと笑い二人で「オールナミア」となった。
妻は隣で拍手。良き「フルムーン」となった。
さて次はフローレンス。なにが待ち受けているやら。

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