2011年7月31日日曜日

NHKのど自慢

海外で日本のテレビ番組が見れるのはありがたい。ここブラジルでは今のところNHKだけだが。NHKのサイトで番組表を確認して良さそうなのは録画する。今朝、番組表をみていたら昼一時から、のど自慢となっていて場所は福岡県嘉麻市と書いてある。何年前だったか私達の住んでいた碓井町のサイトに入ったことがありその時もうすぐ隣接の市、町と合併して嘉麻市となるとかいてあったのを思い出した。そのときはどうして嘉麻市となったのだろうとちょっと不思議な気がしたことまで。嘉と言う字は当然嘉穂郡の嘉だろうが麻という字は合併するという山田市、嘉穂町、稲築町、碓井町にはない。
今回は調べてみた。明治29年(1896年)今回合併した四つの市、町が属していた嘉麻郡(かまぐん)と穂波郡(ほなみぐん)が合併されて嘉穂郡となったとしてある。そして合併して嘉麻市となったのが2006年。実に110年ぶりに嘉麻という呼び名が復活したことになる。
ブラジルの場合、自然人口増加に加え移民での増加もあり新しい町があちこちに開け次々と分割、独立していった。
去年の国勢調査の報告では1960年から2010年までの50年間でブラジルの郡の数は2766から5565と約2倍となっている。
さて、のど自慢、ふるさとのなまりも聞け一緒に会場にいるような錯覚をおぼえた。

2011年7月30日土曜日

2014年W杯ブラジル大会、今日第一歩

今日リオのグロリア・マリーナでサッカーの2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会の大陸別予選の組み合わせ抽選会が行われた。
日本は3次予選でアジアのC組、ウズベキスタン、シリア、北朝鮮と一緒だ。その後最終予選で4カ国が決まり5位は南米の5位チームと最後の出場枠を争う。ブラジルは開催国で予選に入らない、それがまた心配だとも言っていた。
2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会の期間は6月12日開幕、7月13日決勝。W杯本大会参加は32チーム。これから172カ国での832試合の熱い戦いが始まる。
2013年のコンフェデレーション・カップ、そして2014年のW杯、歴史に残る最高のW杯開催をブラジル中が願っている。
ブラジルのW杯に関するサイトで秒読みが始まっていた、大会まであと1078日22時間27分56秒。

2011年7月24日日曜日

コパ・アメリカ、ウルグァイ優勝

今日、午後4時より第43回コパ・アメリカの決勝戦がアルゼンチンのブエノス・アイレスで行われウルグァイがパラグァイを3対0で破りコパ・アメリカ最多となる15回目の優勝を決めた。アルゼンチンがこれに続き14回、ブラジルは8回となっている。
ウルグァイはブラジルの南、ラプラタ河に面した面積は日本の約半分弱、人口約350万の南米では小さな国ではあるがなかなかのサッカー大国、世界のサッカー史に輝かしい足跡を残す。ワールドカップ2回、オリンピック2回、コパ・アメリカ15回の優勝。ブラジルはまだオリンピックで優勝したことがない。
1950年ブラジルであった第四回ワールドカップの決勝戦でブラジルはウルグァイに破れるという苦い経験を持ち、今でも悪夢の決勝戦として語り継がれている。
しかしこのウルグァイの栄光も過去のことであり最近は優勝から遠のいておりコパ・アメリカ最後の優勝は1995年、そのあとはブラジル四回、コロンビア1回、そして今回となっている。
最近では若い力の台頭で去年のワールドカップではベスト4に入りMVPも出している。今回のコパ・アメリカもほとんど同じ選手たち、MVPは去年のワールドカップではガーナとの準々決勝戦で手でゴールを阻み退場となりそれが結果的に準決勝への進出をもたらしたというエピソードの持ち主のソアレス選手。今回は素晴らしい活躍でウルグァイに勝利をもたらした。
次回は2015年ブラジルで。ブラジルの優勝は義務付けられているのだが.....

2011年7月17日日曜日

なでしこジャパン 、おめでとう そして感動をありがとう!! Japão é o campeão da 6ª Copa do mundo feminina

朝、今日の新聞でテレビでのサッカーの試合の時間を調べた。午後三時半は女子W杯、日本対米国の決勝戦, 4時はアメリカカップ、ブラジル対パラグアイの準々決勝戦。
息子家族が昼食に来るというので一緒にブラジルの試合を見ようと女子W杯を録画しブラジルの試合を実況で見ることにした。
昨日はアルゼンチンがウルグアイから1対1の延長戦の末、PK戦にもつれ込み負けた。最大のライバルがいなくなったのでこれでブラジルが優勝する確率が高くなった。アルゼンチン代表、自国のメディアからも大分たたかれたらしい。
三時半にドイツ、フランクフルトからの放映が始まった。国歌の演奏のあとキックオフ,日本の動きも軽快だ。20分ほど見てブラジルの試合に切り替える。こちらも国歌演奏が始まっていた。キックオフ、ブラジルの動きも今までの試合よりは良さそうだ。しかし何度もチャンスはあるが肝心のゴールがでない。90分が終わっても0対0.延長戦も点は取れない。いよいよPK戦。ブラジルの最初の選手、ゴールのバーのはるか上方、アナウンサーもあきれてボールは観客席に飛び込んだので帰ってもこないとコメント。しかしはずしたのは彼だけではなかった。4人にうち3人ははずし一人は阻まれ。パラグアイは2人決めてパラグアイの勝利となった。PK戦で一点も取れなかったのはブラジル代表、史上初らしい。ミディアも恥辱の敗退とコメント。ブラジルのPK戦はいつもはらはら。そして選手のコメントはいつもこれはあたりはずれのくじを引くようなものだと言う。つい苦笑い。これはある言葉がふっと頭に浮かんだからだ。もう10年以上前と思うが世界中の金融不況だったか南米に限られていたのか思い出せないがアルゼンチンで起きていたことがその後必ずブラジルに起きていた時によく聞いた「Eu sou você amanhã」(明日はわが身)という言葉である。このアメリカカップを振り返ってみると予選リーグ最初の2戦は引き分けそのあと一勝して予選通過。決勝トーナメントでは最初の試合で延長戦までの引き分けでPK戦で敗退。ブラジルはまったく同じ道をたどってきた、しかも最後は文字通り翌日。
がっかり、がっくりの気持ちから逃れるように録画していた女子W杯を見ることにした。前半0対0、後半アメリカが一点、ブラジルのアナウンサーはこれで試合は決まったようなものだとコメントした。しかし日本は粘り強く一点を返して延長戦へ。ここでもまた一点取られそして終了間際一点返してPK戦へ。肩を組んでいる日本選手たちには笑顔さえ見える。
いよいよ開始、アメリカの選手ははずしたり又は日本のゴールキーパーが阻んだり、日本は着実に決めてそして優勝。思わず私も歓声と拍手。さきほど観戦していたブラジルの試合とは大違い。ブラジルのアナウンサーもそんなことをコメントしていた。
なでしこ達の喜びそしてこれが日本全国へと広がって行き爆発する。目にみえるようだ。私も先ほどの失望感から幸福感へ。
なでしこジャパン、おめでとうそして感動をありがとう!!

2011年7月15日金曜日

Copa América - アメリカ・カップ

7月1日からアルゼンチンで12カ国参加でアメリカカップが開かれており決勝は7月24日 となっている。日本も招待されていたのだが東日本大震災で辞退したといういきさつがある。今,結果からは順当ともいえる8強が出揃ったところで、明日は注目のアルゼンチン対ウルグアイの試合がある。ブラジルは明後日予選リーグで引き分けたパラグアイとの試合。しかしここまでくるにはアルゼンチン、ブラジルともに苦しい試合運びで自国のミディアにもたたかれたりしていた。両国とも始めの2試合は引き分けようやく3試合目にかっての予選リーグ突破となった。注目のアルゼンチンのメッシ、ブラジルのネイマール共に始めの2試合は期待はずれ、ようやく3試合目にメッシは絶妙なパスでネイマールは2ゴールで自国の勝利に貢献した。
明日からは決勝トーナメント、前評判どおりアルゼンチンとブラジルが勝ち上がるのかそれとも...。

2011年7月1日金曜日

こんにゃく



今朝裏庭を回っていた妻が大きなこんにゃくいもを掘って持ってきた。計ってみると1.8キロ。さっそく写真に収める。妻のところはサンパウロにいた時から作っていたのでこちらに移って来てからもいつも植えている。種になる芽の出ている芋はサンパウロに行ったときに買ってくる。一年でより大きな芋になりそれを植えると更に大きな芋になる。そこで掘って台所でのプロセスの後あのこんにゃくが出来上がる。サンパウロにいた時、家ではこんにゃくは植えていなかったのであのこんにゃくが芋からできたのだとは思いもしなかった。妻の家に遊びに行った時に知った。よく考え付いたものだと感心する。
ここVitoriaでは日本人が少ないせいでこんにゃくは売っていない。近くの大きなスーパーでは日本米、みそ、しょうゆ、とうふなどは手に入るがこんにゃくは無理だ。もちろん日本人の多いサンパウロとかパラナでは手に入るが。
移民も最初のころは自家用にみそ、しょうゆ、とうふ等は自分のところで作っていたものである。妻はおばあちゃん仕込の味噌を一年に一度一年分作る。豆腐は以前大豆を冷やしミキサーで作っていたが今は近くに豆腐屋さんをやっていた伊藤さんがおられるのでできたての豆腐をいただく。まだ温かくて柔らかい豆腐をいただくと幸せな気分になる。ありがたい。しょうゆは今はどんなスーパーでも売っている。大根、白菜もたやすく手に入るようになった。子供たちがいたころはブラジル食6日本食4くらいの割合だったが今はそれが2対8くらいだ。
昔は年に一度の休暇の帰りにはサンパウロから車一杯の日本食を積んできていたものだ。ある時警察に止められ開けたとき商売をしているのかと聞かれ一年分の日本食だと言ったら無事通してくれたのを思い出す。

去年あたりからこんにゃくを作るときのこんにゃくいもの芽は少し大きめに切り抜きその芽が少し大きくなったのを畑に植えている。以前は芋に包丁を入れる度に「ごめんね」と念仏を唱え涙を流していたが、これで芋は永遠の命をつなぐことになり芽出度し!芽出度し!