2016年1月31日日曜日

ヴィトリアのカーニバル

日本からのダンサー

今年もカーニバルの季節がやってきた。例年より少し早い。さらに、ここヴィトリアのカーニバル・パレードはリオのカーニバルより一週間早いし、しかも週末だけなので1月29日と30日にあり、一月中に終わってしまった。こんなに早く終わるのは珍しい。 これには大ヴィトリア都市圏内の隣接する市も加わるので私たちが住んでいるSerra市のサンバ・スクールも出、今年も日本から三人のサンバ・ダンサーの参加があった。
1週間の前倒しになったのはヴィトリアとリオとの二つのカーニバルに参加する人がいるからである。 上の写真はインターネットから拝借した。

来週は世界最大のショーと称されるリオのカーニバル・パレードがある。このパレード、実はリオのもヴィトリアのもテレビで見るだけでまだ実際に見たことはない。リオのは夜の9時ごろから始まって翌日の朝の7-8時ごろまでやっている。 騒がしいのは苦手なのでテレビの世話になっている。

2016年1月30日土曜日

白内障手術を終えて

今月12日に右の眼をそして26日に左の眼の白内障手術をした。普通は一週間後に他方の眼の手術をするのだが私は2週間後にしてもらった。手術の経過を自分で確かめるにはそれくらいいると思ったからだ。場合によっては左の眼の手術をするかどうかの判断期間にもなる。経過は良好だった。

手術はレーザーのあと多焦点眼内レンズを入れ保護眼鏡をつけ家路につく。2回とも痛みなしで簡単に終わってこのブログを今眼鏡なしで書いている。私は52歳ごろから老眼鏡を使いだしたので眼鏡なしで書いたり読んだりするのは20年ぶりか。

手術の翌日診療所に行って医者が経過をチェックし何も問題なければ目薬を処方し一か月後の経過診察となる。翌日の経過チェックの時何人かの手術仲間に会う。手術の前に瞳孔が開く目薬をさされるが個人差があって瞳孔の開いたものからの手術となる。 その間4,5人同じ部屋となるので話がはずみ顔見知りとなる。 私は幸い(?)早く開いたので着いた順の3人飛び越しの手術となった。

翌日診療室で手術仲間と挨拶。「よく見えるようになったかい?」 「うん、今までは目の前に白いベールがかかっていてそのこちらから見ていたようだったのだが今はベールが取れよく見えるようになって、さて隣に座っているうちの母ちゃんはと見ると、今まで金髪の白人だと思っていたらなんと肌も髪も褐色がかっているじゃないか驚いたよ!」 彼は相当ひどかったらしい。
隣で奥さんにやにやしながら聞いている。 

私も経過は良く一か月後の経過診察日を決め家路についた。










2016年1月21日木曜日

きんらんどんす!

今日の朝のサエキサンドは無事トマト付きでOK.

しかしなぜか今トマトが高い。スーパーでも近所の八百屋でもキロ10Reaisで売っている。為替が今1ドル4.15へアイスなので10へアイスで約2.4ドル。この地方で今までこんなに高くなったことはない。インフレは年に11パーセントでここ何年かで最高、ブラジルの通貨は弱くなる一方、全世界でガソリンが下がったというのに石油産出国のブラジルでは上がる一方。
これでは国民の暮らしは苦しくなる一方。
ブラジルよどこへ行く?? 泥沼に向かっているのは確か。

さて今日も妻の一言が私の耳に引っかかった。

私は今白内障の手術をしている。先週は右目、来週の火曜日は左目となっている。
日本に行く前に左の眼鏡が合っていないようなので眼科医に行って度を測ってもらい眼鏡を買い替えようと思っていた。ところが良いと思っていた右に白内障が出ていますと言われて左は度を修正すれば良く見れるようになりますとのことだった。どうせ歳とともに悪くなる一方だから右も左も手術はしますが日本に旅行をするので帰ってからにしますと伝えた。眼鏡はマルチフォーカスなので何とかしのげる。

目の手術だったらこの医者と決めてた医者がいたのでそこに頼もうと診察を予約。彼は家の次男が1999年に近眼の手術をした時の担当医でその当時はエスピリトサント州ではレーシックの手術はしていなかったので彼がミナス州の州都ベロ・オリゾンテ市で共同でやっている診療所で手術することになった。レーザーでの手術で数分だったような気がする。当日は透明の穴の開いた保護眼鏡(?)をかけてホテルで休息。翌日経過検査に診療所に行くことになっていた。

ホテルは診療所のすぐ横だったので息子と歩いて行き待合室のドアを開けた。ばかに騒々しい保護眼鏡をかけているものといないもの。しかし表情は皆同じ、大きな笑い声が部屋いっぱいに満ちている。今までこんなに陽気な医者の待合室を見たことがない。
「よく見えるようになったぞ、あんたはどうだ」 「手術があんなに簡単とは知らなかったよ」
「よかったな、これからは眼鏡なしで生活できるぞ、何年ぶりだろう」、etc. etc. etc...

午後、空港でVitóriaに帰るべく待っていると手術をした医者が近寄ってきた。いろいろ話しているうちに彼が来月からはVitóriaで手術を始めると言った。時間があればそれでもよかったが息子は軍警大学に入りたいので眼鏡をかけていては不利なのでそれまでに手術をしたいと言ったので願いを聞いてやった。しかし彼は入試直前になって今度はジャーナリストになりたいと言い出し踵を返してしまった。

しかし彼はよく悪友たちと出かけてはカーニバルでは夜じゅう騒いでつい一週間前に買った輸入物のドイツ製の眼鏡を踏んづけて壊してしまったりで金がかかった。だからこの手術は少しは高くついたがコスト・利益の面では大いに黒字になったような気がする。
あれから17年、結婚し娘までいる彼はいまだに眼鏡なしで暮らしている。

ヴィトリアでもレーシックの手術ができるようになったので長男にも手術を勧めたが彼は「眼鏡は小さい時からの僕のステータス・シンボルでこれなしの自分は考えられない」と難しいことを言ってきたので「ああ、そうか」で終わってしまった。

診察を予約した日医者と昔の話などして手術はあなたにしてもらいたいと申し出ると知り合いの白内障専門医を紹介しますとインターネットでコンタクトしそこで診察日まで決めてくれた。どうやら彼は近眼や老眼のレーシックを専門にしているようだ。

12月の始め手術の打ち合わせに医者の所に行った。いろいろ検査して手術には何も問題ありませんが12月の中旬から1月の初めまでは休んで手術はしませんので初めの手術は来年の1月12日となりますとのこと。承知した。これはブラジルでは習慣なのか年末年始に医者とアポを取るのは難しい。

彼は火曜日しか手術をしないので12日の朝9時が私の番となっていたが何か行くと前に4人いる。瞳孔が開く目薬を何回か刺されて手術室に行く。麻酔は飲みも打たれもせず医者の説明を聞きながら手術が進む。どこも痛くもかゆくもない。私はマルチフォーカスのレンズを入れてもらうようにした。 終わった後右目に保護眼鏡をかけられ処方箋をもらって出る。抗生物質が入った目薬を一週間さす。そして今日からはほかの目薬をさしている。

今朝、私が「ようやく眼鏡なしに違和感がなくなったよ」と妻に言うと「あら、あなたきんらんどんすではなくなったの?」 「なんだそれは?」

ここからは妻の話。
私が小さかった頃、おひなまつりの日になるとおばあちゃんが箪笥の奥から日本から持ってきた日本人形やこちらで私が買ってもらった人形などを集めてトマト箱(サンパウロの中央青果市場に野菜を出荷するための箱で寸法が規格されていたもの)を壁の下の方から積み重ねてその上に赤い毛布を敷き一番上に日本人形そして他のを下の方に並べていたの。

いろいろ置いているうちに揺れるのでおばあちゃんがお父さんに頼むの。
「この一番上の箱をしっかり止めればグラグラしないから釘で打ち付けておくれ」
「ちょっと、眼鏡をとってくるよ」
「お前いつも眼鏡探しに手間取って困ったものだね。ほんのちょっとのことだからこちらに来れないかね」
「駄目だよお母さん、だって僕きんらんどんす。」
父親はひどい近視と乱視だったの。それで近乱どんすなわけ











2016年1月20日水曜日

ぬれがみをきせられる?


 去年の末までに収穫が終わっていた庭のブドウの枝に新しい小さい房が付いている。3月の末には2度目の収穫ができる。その後剪定すると7月ごろまた収穫となり一年に3回ブドウが食べれる。

今日は久し振りのしとしと雨。こんな雨は何か月いや何年ぶりだろう。去年はすごい干ばつでこの辺は沼まで干上がり地下に堆積された泥炭に火が付き、かなりの雨が降り地中の土地まで湿るまで何か月も燃え続いた。ブラジル各地でも飲料水、発電用のダムまで干上がってしまった。

しかし今は南部、南東部は去年の末から今年の始めにかけ雨が降り、南部の町などは既に10回くらい浸水したところがあるようだ。サンパウロ市の飲料用貯水池も順調に水位が上がってきている。

しかしここエスピリトサント州は降らない。テレビの天気予報では降るとか言っているが今年もこれまで雨らしい雨は降っていない。天気予報といっても日本の23倍もある国土に簡単にこの地方は雨でほかの地方は天気などと説明している。スマートフォンなどを開けると住んでいる町の天気予報が出てくるがこれもなかなか当たらない。そこで思い出すのが日本にいたとき中学校の先生が言った言葉 「みそ汁と天気予報はあたらない」。まあ当時は気象衛星などなかった時代なのでこれは無理もないが今時当たらないのはおかしい。

私たちがこの州に移ってきた時に近所の人が中遠(漢字に変換を押すとこれが出てきた)に見える山を指してあの山に雲がかかると雨が降ると教えてくれた。これが案外よく当たり今もあてにしている。昨日もスーパーで買い物して外に出ると山に灰色の雲がかかっている。「あとの店はやめて帰ろう」そして家に帰って2,3分で雨が降り出した。これ実話。

今日の朝、コーヒーの時間(朝食)に私が冷蔵庫を開いて「サエキサンド」を作ろうと一番下からトマトの袋を取り出して中を見ると黄色い斑点が全部のトマトに入っている。「あれっ、これ何か病気にかかっていたトマトを買ってきてしまったぞ」と7,8個あったトマトを全部ゴミ箱に捨ててしまった。今日のサエキサンドにトマトが入っていないのに気付いた妻 「トマトはどうしたの?」
「うん、全部黄色の点が入る病気にかかっていたので袋のまま捨てたよ」それを聞いて 「私ちょっと見れ来るわ。」と出て行ったが袋を抱えて戻ってきた。「濡れ紙を着せられるなんて、かわいそうなトマトたち。 あなたこれトマトの上に薄い黄色い紙が貼ってあったのよ。それが湿って溶けてトマトに付いていただけなの。」
私はギャフン。



2016年1月1日金曜日

明けましておめでとうございます


明けましておめでとうございます!
Happy New Year !
Feliz Ano Novo !
Feliz Año Nuevo !
Buon Anno ! (Felice Anno Nuovo !)
Bonne Année !

このビデオ、ブラジルの知り合いとスペインの親しい家族とに送るようにポルトガル語とスペイン語であいさつしていて私は日本の親戚にもと日本語で言ったのだが誰もついてこなかった。

上に書いたのはラテン語の流れをくむ国々の新年の挨拶を書いたものである。初めの日本語と英語は除いて、ポルトガル語、スペイン語、イタリア語、フランス語の順になっている。イタリア語とフランス語を見るとこれはポルトガル語で言えば Bom Ano (良い年)だな、と分かるしまたそう挨拶する人もいる。ポルトガル語、スペイン語、イタリア語は大体そのままローマ字式に発音すればわかってくれる。ということで西洋人が数カ国語を話すと言ってもそんなに天才とも思わないし、とにかくアルファベットを使う国の人達は東洋人よりずっと少ない努力でお互いの国の言葉を理解できる。

12時のテレビでのカウントダウンが終わり、各地で新年を祝う花火が打ち上げられている。ブラジルではリオのコパカバナ海岸が有名で海外からのお客さんも多い。今年はリオは特にオリンピック開催地でもあり人出が例年より多かったようだ。

私も数年前に行ったことがあるがテレビで見るのとは全然迫力が違う。何か自分の上に降って来そうな感じがした。初めは砂浜に座って見ていたが途中からは寝転んで見た。空いっぱいに染まる壮大な花火ショーに気を奪われた。


これは今年の花火ショーの様子だが約2百万人の人出だったそうだ。

                                           
そのあとは私の72歳の誕生パーテイー(?)
妻が作ってくれたケーキが正月の料理のなかでちょっとはにかんでいる。