2020年5月31日日曜日

鯉のぼり



このおもちゃの鯉のぼりは4月の末尚人の姉理奈が「5月は男の子の月だからね」と言って家の前に飾り付けたものである。その時尚人はすでにコロナウイルス重症にかかっていた。家のみんなを元気づけるために飾ったのだとは誰もが知っていた。
どんな結果でも良い、ただ生きてさえいてくれればとみんな祈っていただろう。

ブラジルはまだまだコロナウイルスが衰えそうもない。今日理奈がクリチーバから帰ってきてマンションの近くの焼肉の食堂がお客さん一杯で誰もマスクをしてなかったとがっかりした様子で私たちに知らせてくれた。政治家たちの間でも意見がちがっていてまとまりがない。果たしていつになったら希望の灯が見えるのだろうか。
明日からは6月、尚人が私たちが平常の生活に戻るよう励ましていてくれているような気がする。

そうだ、尚に負けないように明日は鯉のぼりを取って、明るい顔を見せよう。



2020年5月29日金曜日

2通の手紙

昨日久しぶりにクリチーバに帰ってみるとマンションの管理人から「手紙が来ていたから受け取っておきましたよ」と2通の日本総領事館からの手紙を渡された。




2020年5月27日水曜日

医師マウリシオ(Maurício) 先生の追憶


医師マウリシオ(Maurício) 先生の追憶 


2017年が2018年に変わろうとしていた時、もしあの優しいマウリシオ先生とお会いできなかったら私はもっと悪くなっていたでしょう。
その時私は髪が多く頭皮に感染症Cellulite を患っていました。あっちこっちの公共病院を当たりましたがちょうどその日は大晦日でどこからもOKはもらえませんでした。
そこで私の友達であるDr. Marcos Davi 先生に頼み彼の友人であるDr, マウリシオ 先生を紹介してもらいそして治療をしてもらえるようになりました。彼はその時夜勤でした。私を救うために使われた道具は素晴らしい友としての取り扱いでした、人間性があり、冷静で、控え目で、注意深く、責任と倫理にかなう、これがマウリシオ先生でした。
年末の祭り時期でしたが彼の良識に従い慎重に安全に私が入院したことで私は助かりました。

今、私は人生の重要な時期にさしかかっています。例えば姪がもうすぐ生まれてきます。そして修士号取得にも結末をつけなければなりません。
私の個人的な信仰ですが、私が無力で、脆く、傷つきやすく、臆病者であった非常に困難な時にマウリシオ先生に出会えたことを神様に感謝します。喜ばしい時を私は過ごしています、それは自分の使命を全うした人たち、忠実であって、命の保持の使命を怠りなく、そして障害に立ち向かう、そういう人たちと出会うことが出来たこと。これが マウリシオ先生の私の記憶です。
尊敬して感謝してそして信じる、これが彼の全ての患者さんたちの記憶に残っているのは確かです、それがたとえ短い時間であったにしろ。
彼は多くの診察や夜勤などで多分、私のことなど覚えていないでしょう。世話された多くの患者さんたちのことも。
しかし、その記憶は彼に世話になった多くの私たちの中に生き続けることは間違いありません。

マウリシオ先生が残された大きな穴に対し家族の皆様に深いお悔やみの気持ちを捧げます。損失の痛みのつらさと意義ある生活に満ちた存在の感謝とが混ざり合うことを望んでいます。一つの生命が多くの人に重要であった、それが職務にせよ、友情にせよ、あるいは倫理にせよ、能力にしろ。
一つの生命への感謝、それが短いにせよ、一つの美しい使命が成し遂げられました。。

敬具 

Priciliana Jesus de Oliveira
(プリシリアナ ジュズス デ オリヴェイラ)

Paciente - INI - Fiocruz - 2017/2018
(患者)

 

2020年5月18日月曜日

尚人の上司 SR. VITOR からのメッセージ



尚人の上司であり友達でもあるリオデジャネイロ州立(IEISS)伝染病部のVitor 氏からメッセージをいただいた。
(日本語に翻訳して見ようと思いますがこの頃慣れない上、アルツハイマー型認知症ぎみの私ですので、、、、、)

ドクター佐伯マウリシオ尚人氏(41歳)はコロナウイルス重症の患者さんたちを治そうと夜もずーっと横につきそい多くの人たちを救いましたが彼の患者さんたちのような同じ運はついていませんでした。取り返しのつかない損失です。ブラジル熱帯医学協会はご家族の方々がお力をおとされないようにと願っております。

皆さんこんにちは、私の名はVitor, IEISS(リオ州立伝染病サンセバスチャン病院)のTecnical Director です。マウリシオは仕事の多くをここで働きました。。マウリシオは2012年に私がIEISSに来た時から知っています。

その頃から彼の完全無欠な性格、彼の知性とその鋭さ、時間厳守そして独特なユーモアなどを学びました。

彼の性格で私が一番尊敬するのは彼が謙遜することでした。彼は自分の限界を知っていてそれを確実に立派にやり通すことでした。

私にとってマウリシオは偉大な人に見えました。

私はマウリシオの状態が難しい時に付き添い最後に息を引き取るまで彼の世話ができたことを誇りに思っています。10年以上のマウリシオの大親友Rafaelも一緒でした。

私は彼が自分の伝染病医師としての使命、緊急病棟医として、兄弟として、友達として、同僚としての使命をまっとうしたと信じています。

安らかに眠れ私のマウリっそん(マウリシオの愛称)これからさみしくなるなー、

そしてこれからはIEISS の緊急病棟は Doctor Mauricio Naoto Saheki と命名 されます。

2020年5月17日日曜日

猫の魂になって帰ってきた息子

家の長男尚人(なおと)がコロナウイルスにかかり、亡くなって、今日で12日目。彼の死に付き添うこともできず今もって実感が湧かず心が放浪している毎日です。
お葬式は初七日、ここパラナ州の州都クリチーバで日本の浄土宗のお寺でお坊さんにお経をあげてもらいました。

病院に入った前までは自分がコロナウイルスにかかった人たちを助けていた医者だったのですが運命の皮肉で自分がかかってしまい帰らぬ人となりました。41歳でした。

毎日欠かさずに二人交代で付き添いで見てもらっていた同僚達、一緒に学んだ友達、一緒に働いた看護婦達、親戚達、去年まで住んでいた近所のみんな、等々、多くの人たちからお悔やみと同時に励ましの言葉をいただきました。尚人(Maurício (マウリシオ))は良い人たちにかこまれていたんだなーと分かりました。250以上のメッセージが届きました。

コロナウイルスにかかっていたので火葬にし、やがて落ち着いたら彼が大好きで数回行ったハンスクリスチャン アンデルセンの生誕祭があるデンマークのOdenseに私達も行ってみようと思っています。



一つ不思議とも言えることが起きたのです。尚人が亡くなったのが5月4日。
その前日、リオの病院から知らせが入って尚(家ではなおと呼んでいました)がこん睡状態に入ったという知らせが入りました。私は外から家に入るところでした。その時頭上に音がして見上げると今まで見たことのない大きな鳥が飛んできました。尾の長いこんな大きな鳥は今まで見たことがないので家の中にいた妻と娘にも見せようと思って大声で
呼びました。3人で見ていると娘婿のRodrigoも駆けつけてきて「Alma-de-'gato(ねこの魂)だ」と叫びました。「えっ、ねこの魂、尚じゃないか。」みんなもはっとした様子。尚はふざけているときはニャオ、ニャオと言っていたので尚の魂が飛んできたのかと思いました。そしてみんなで『尚、頑張れまだまだこれからだぞ」、とそこで拝みました。この鳥、しばらく経ってもなかなか飛んで行かない、そこで娘に写真を撮ってと頼んでもあちこちと枝の陰に隠れて動かずなかなか写真を撮らせない。なんだかこれ尚にそっくりなのでますますこの鳥に尚の魂が乗ってきたのだと確信しました。

しかし私の顔にはもう涙が流れていました。今晩、私はねむれないぞーと思っていました。やはり眠れそうもない。すると妻が突然横から「尚は幸せ者よ」と言いました。頭がおかしくなってきたなーと思いました。「両親より早く死んで何が幸せなんだ」
「だってさ、尚は自分がやりたかったことは全部やりとおしたのよ。リオのFiocruz(国立伝染病の病院に入って、伝染病病院の医師になって、貧しい人たちには自分の財布から薬を買ってやったり、そして自分が行ってみたいと言っていたデンマークには何度も言ったり尚ほど幸せだった人はいないわ」「よく考えればそうだな」と同意して私は寝床にはいりました。
以外にもそれからは寝れました。

翌日午前9時35分、病院から「ご臨終です」という知らせがはいった。
私たちは線香とろうそくを持って外の木の枝が四方に又がった板にろうそくとお線香を置きそこで冥福を祈りその後みんなで「尚よくやったなー」と彼に涙の代わりに拍手を送りました

尚人!!! 人生を無駄なく使って悔いはなかったなー