お葬式は初七日、ここパラナ州の州都クリチーバで日本の浄土宗のお寺でお坊さんにお経をあげてもらいました。
病院に入った前までは自分がコロナウイルスにかかった人たちを助けていた医者だったのですが運命の皮肉で自分がかかってしまい帰らぬ人となりました。41歳でした。
毎日欠かさずに二人交代で付き添いで見てもらっていた同僚達、一緒に学んだ友達、一緒に働いた看護婦達、親戚達、去年まで住んでいた近所のみんな、等々、多くの人たちからお悔やみと同時に励ましの言葉をいただきました。尚人(Maurício (マウリシオ))は良い人たちにかこまれていたんだなーと分かりました。250以上のメッセージが届きました。
コロナウイルスにかかっていたので火葬にし、やがて落ち着いたら彼が大好きで数回行ったハンスクリスチャン アンデルセンの生誕祭があるデンマークのOdenseに私達も行ってみようと思っています。
その前日、リオの病院から知らせが入って尚(家ではなおと呼んでいました)がこん睡状態に入ったという知らせが入りました。私は外から家に入るところでした。その時頭上に音がして見上げると今まで見たことのない大きな鳥が飛んできました。尾の長いこんな大きな鳥は今まで見たことがないので家の中にいた妻と娘にも見せようと思って大声で
呼びました。3人で見ていると娘婿のRodrigoも駆けつけてきて「Alma-de-'gato(ねこの魂)だ」と叫びました。「えっ、ねこの魂、尚じゃないか。」みんなもはっとした様子。尚はふざけているときはニャオ、ニャオと言っていたので尚の魂が飛んできたのかと思いました。そしてみんなで『尚、頑張れまだまだこれからだぞ」、とそこで拝みました。この鳥、しばらく経ってもなかなか飛んで行かない、そこで娘に写真を撮ってと頼んでもあちこちと枝の陰に隠れて動かずなかなか写真を撮らせない。なんだかこれ尚にそっくりなのでますますこの鳥に尚の魂が乗ってきたのだと確信しました。
しかし私の顔にはもう涙が流れていました。今晩、私はねむれないぞーと思っていました。やはり眠れそうもない。すると妻が突然横から「尚は幸せ者よ」と言いました。頭がおかしくなってきたなーと思いました。「両親より早く死んで何が幸せなんだ」
「だってさ、尚は自分がやりたかったことは全部やりとおしたのよ。リオのFiocruz(国立伝染病の病院に入って、伝染病病院の医師になって、貧しい人たちには自分の財布から薬を買ってやったり、そして自分が行ってみたいと言っていたデンマークには何度も言ったり尚ほど幸せだった人はいないわ」「よく考えればそうだな」と同意して私は寝床にはいりました。
以外にもそれからは寝れました。
翌日午前9時35分、病院から「ご臨終です」という知らせがはいった。
私たちは線香とろうそくを持って外の木の枝が四方に又がった板にろうそくとお線香を置きそこで冥福を祈りその後みんなで「尚よくやったなー」と彼に涙の代わりに拍手を送りました
尚人!!! 人生を無駄なく使って悔いはなかったなー
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