2008年11月15日土曜日

またマンゴーの季節がやってきました


またマンゴーの季節がやってきました。前の作は今年の正月から収穫したのに今回は11月15日から。いつもより早く、この調子では正月には収穫し終わっているかも知れません。昨日かなり強い雨が降りました。テレビのニュースではヴィトリアでは30センチほど浸かったところもあったようです。最近強い雨の度に必ず浸かっています。ヴィトリア(Vitória)は島の上に発展していった町で人が多く住んでいるところは標高も低く埋立地の上に建てられたものもあり少しの雨でも満潮時すでに浸かっている道路もあります。今後地球温暖化で潮位があがるとどうなるのだろうかと心配です。大ヴィトリア圏内の私たちが住んでいるセーハ(Serra) は高台になっているのでその心配はないのですが。
いまエスピリト・サント州は産業活動が盛んで2006年のGDP(PIB)の伸び率は7,7パーセントで、ブラジル平均では4パーセントでした。なんでも来年の末までにエスピリト・サント州の沖合いでペトロブラス(石油公社)が30本の試験掘削を行うと発表しており、ヴィトリア、セーハともに多くのマンションの建設ラッシュが続いています。ブラジルの国旗には「秩序と進歩」とかいてありまたエスピリト・サント州の州旗には「労働と信頼」とかいてあります。「労働と信頼による秩序ある進歩」、ブラジルのとるべき道はこれですね。

えっ、私が父兄会の会長?


これは私の息子二人がブラジルではロビニョ(lobinho 直訳で「狼のこども」)と呼ばれているボーイスカウト(escoteiro エスコテイロ)のジュニア版に入っていた頃の話です。子供たちが通っていた学校の体育の先生がボーイスカウトの指導員の資格を持ち、それに3人の近所のロビニョの指導員の資格を持っている女性の方たちが助手となり地域の子供たちを集めて毎週土曜日近くの広場で訓練(遊び?)が行われていました。その助手たちはキップリングの「ジャングル・ブック」に出てくる動物の名前で呼ばれていました。 あたかも「ジャングル・ブック」にでてくる狼に育てられた狼少年モーグルを守る動物たちというところでしょうか。狼の長たる『アケラー』、黒豹の「バギラ」、クマの「バル」,三人の子供好きの彼女たち。ロビニョは6歳から10歳までの少年、少女達。隊員は約30名ほど。年に三度くらいほかの町の隊との交流やピクニック等も催されていました。
そんなある日、今度の日曜日に2年に一度の父兄会がありそこで新しい役員の選挙も行われるのでご出席下さいとの通知が回ってきた。久し振りのゆっくりした日曜のはずだったが普段から子供たちが世話になっている「アケラー」のたっての頼みということもあって出席することにした。場所は近くの学校の教室。ここ2年間の活動および会計報告。そして休憩のあと新役員の選出が始まった。まずは書記、会計係などから始まり、段々と表の下のほうから埋まっていった。私の隣には会社の顔見知りが座っていてボーナスの話などを時たまかわした。副会長の選出が終わりいよいよ会長。皆なんらかの役員に選ばれていてまだ選ばれてないのはどうやら私と隣の彼らしいと気がついた。「さて会長ですが・・・」その時、隣の彼が私の腕を取り、上に! 「あっ、それでは会長は佐伯さんということで」「えっ、私が父兄会の会長?」すると隣の彼「いや、あまり仕事しなくていいんだ、大丈夫だよ」「何を言ってるおまえ」などとやりとりしている間に選挙は終わってしまった。「隣の彼にしてやられたけど仕方ない、やるか」ということでそれから会の招集がかかるたびに行かなければならないはめになった。隊の倉庫には旗とか棒とかはあったがまだテントはなかった。あるときキャンピング用品の店で安い小型テントを見つけこれは隊の皆が活用できそうだなと私の小切手で買った。倉庫係に手渡して毎月の会費のなかから差し引くということにした。しかしその後ボーイスカウトの指導員が結婚して学校も変わったりでボーイスカウトおよびロビニョの活動は立ち消えた。テント代、全額払い戻してもらったかどうかはよく覚えていない。
私の二人の息子たちは無事ロビニョを終えてボーイスカウトとなりそれまでのロビニョの青い制服から新しいカーキ色の制服で第一回目の訓練を受けたところで隊が解散となった。ロビニョの終業式の時二人の息子は最高の章でなかなかとれない「南十字星章」をもらった。ここの隊ではうちの息子たちともう一人で全部で三人。なにか嬉しいような申し訳ないような気がしたことをおぼえている。
上の写真は当時使っていたロビニョの制服。二枚目の制服で毎週洗濯したのでかなり色はあせてしまっているが息子たちの宝として大事にしまってある。左肩には「南十字星章」が縫い付けてある(写真をクリックして頂くと大きくなるのでよくわかります)。

2008年11月7日金曜日

アメリカンドリーム X ブラジリアンドリーム

今週アメリカの大統領選挙で民主党のBarack Obama上院議員が第44代目の大統領に選ばれた。彼の父親はアフリカのケニア生まれ。今も祖母や一族はケニアに住んでいる。父親はハワイでアメリカ人女性と結婚、彼が生まれた。彼の生い立ちはマスコミを通して世界中に知れ渡った。彼はその後ハーバード大学を卒業、弁護士となり政界に身を投じ上院議員、そして今回圧倒的な勝利で大統領に。まさしくアメリカンドリームを身をもって演じた。さすがアメリカは民主主義の鑑とも言える国、自分たちの国に今誰が必要か民衆の判断の結果である。4年毎に必ず選挙が行われるというこの確固たる民主主義の体制がこれを可能にする。もし自分たちの判断が間違っていれば4年後にその修正をすればいい。今回の選挙戦の終盤に起きたアメリカ発の世界大恐慌の再来ともみなされている金融経済界の大混乱。将来への不安が渦巻いている。新大統領の舵取りの腕前に世界の命運がかかっているといっても過言ではない。
ここブラジルでもブラジリアンドリームとも言うべき現象が起こった。6年前の大統領選挙の時である。数名の大統領候補が一次選では誰も過半数の票を獲得することが出来ず上位二者の決選投票。ブラジル社会民主党のアウキミン候補と労働者党のルラ候補との戦いはルラ候補が制した。その就任式の時の演説で「自分は証書(大学卒業)を今まで貰うことが出来ず人生で初めての証書がこの大統領の証書となった」と声を詰まらせた。彼は自動車工場で工員として働き軍政から民政へ移行した1980年代前半組合活動に身を投じ労働者党を結成それ以来党首を務め三度目の正直の六年前の大統領選で当選した。下層階級に厚い政策で高い人気をほこり一昨年は再選を果たした。今でもまだ高い支持率を保っている。今年の日本移民百周年祭にも出席その時彼が最初に働いた所は日本人の洗濯屋でそこでよくしてもらったと若い日の日本人との出会いのエピソードを披露した。一下級労働者から大統領へと上り詰めた彼の経歴はまさにブラジリアンドリーム。彼はアメリカのマネーゲームが引き起こした今回の世界的な混乱についてお金は生産を向上させるためにのみ使うべきだとアメリカに対し労働者出身の彼らしい苦言を呈した。

2008年11月2日日曜日

私を見殺しにしないで!

先週妻の友人の誕生日のパーテイに招かれた。パーテイといっても簡単な内輪だけのもので親戚以外は私達だけ。行ってみると夫婦そろって同じ誕生日だということで、そういうカップルに出会ったのは初めての経験? 私達のあとで仕事用のブーツを履いた女の人が入ってきた。服装もなにやら制服らしい、だが見当がつかない。妻は顔見知りらしく挨拶していた。彼女はここの奥さんの妹で市警さん。今日は仕事からまっすぐ来たので服を着替える暇がなかったと言っていたと妻があとで説明してくれた。ブラジルも数年前から市でも自分の警察を持つようになり主に交通整理および違反の取締りをしていたようだったが最近は拳銃の所持も許されているので活動範囲も広くなっているのではないかと思われる。この話はその市警さんが話してくれたものだ。
ヴィトリアに本格的なショッピング・センターができたのは1993年。地下および屋外に2200台を収容できる駐車場がある。駐車場に入れるには2ドル程の料金を払わなければならないので料金をケチって駐車違反区域にとめる人もいる。そこを見回っていた市警さん早速違反車を見つけ手持ちの伝票に書き付けた。赤ら顔の30代の男の人があわただしく駆け寄ってきた。『中で働いている人に用があってほんのちょっとの間ここに置いていたんだ。その駐車違反の罰金を取り消してくれ』「違反は違反ですからもう取り消せません」『何、取り消せないだと、もう殺してやる』。興奮してズボンのポケットからナイフを取り出した。市警さんも面子がある。「殺せるものなら殺してみな』と走り出した。男もナイフをかざして後を追う。この市警さん、足には自信がありいつもマラソン大会に出場している超ベテラン。男も追いつけそうでなかなか追いつかない。市警さんそのうち携帯を取り出して本部に連絡。『今ショッピング・センターの周りで、ナイフを持った男から追いかけられている至急救援たのむ』「了解」。そのうち男が迫ってくる。もうちょっとピッチを上げないと。いつもはすぐ来る救援が今日に限ってなかなか来ない。もうショッピングの周りを2周してしまった。あまりピッチを上げて男にあきらめさせては救援が来たときに『何だお前、うそを言って俺たちをかついだのか』と笑いものにされる。しかしピッチを落としては自分の身が危ない。うしろをみながら男にあきらめさせない程度の距離を保って3周目。やがて仲間たちの車が見えてきた。サイレンも鳴らさずのろのろと来て道の脇に車を止めにやにやしながらこちらを見ている。『普段はてきぱきとやるのに、本当に腹の立つ連中だわ』。彼ら、男が近づくと現行犯として取り押さえ警察の車におしこんだ。「いやあ大変だったな、それじゃあ」と帰りはサイレンを鳴らして疾風のごとく去って行った。それを見た彼女「ちくしょう、私を殺すつもりだったの!」。

2008年9月2日火曜日

旅を終えて


イタリア旅行から帰ってきて一週間。それでももう何年も前の話のような気がする。本当に行ってきたのだろうか? 沢山撮ってきたデジタル写真の整理などをしている。帰ってすぐいつもの土曜日の朝市に行った。今時期なのかリンゴが安い。小さいリンゴだけど1キロ1,5レアル、0,5ユーロ。なんという安さ。ヨーロッパに旅行した時は最初の2,3日はなかなか買い物ができない。すぐブラジルの通貨レアルに換算してしまう。ブラジルの3倍はする。しかしそれでは何も買えない。そのうち頭を切り替える。ユーロ表示してある値段をレアルと考える。段々買い物をするうちに慣れてくる。「あっ、マクドナルドの店がある、ブラジルで10レアイス(レアルの複数形)だから10ユーロかな?」近くへ行ってのぞいてみると当たっている。ゆっくり見る暇はなかったがコンピュータや家電関係はそんなに高くないような気がした。
汽車の窓から目についたのはオリーブ、ブドウ、とうもろこし、ひまわり。濃い緑のブラジル南東部の植物に慣れている私達にはなにか迫力に欠けた。(上の写真は我が家の庭の緑)
イタリアはどこに行っても遺跡が多い。特にローマは街中どこにでもそれらしきものが散らばっており観光カタログにも載っていない。イタリアは観光客が多い。東洋系では韓国からの人達が多く見受けられた。移動手段にはユーロスターの一等車を使ったが値段は高いのにトイレなど出発前からロックされており使えない。となりの車両まで皆行っていた。 通りがかった車掌に聞いてみると清掃されてなく汚れたままなので使えないとのことだった。せめて出発前にはかなりの時間止まっているのでトイレの清掃ぐらいはしていてもらいたいものだ。FS(イタリア国鉄)さんお願いします。
帰ってきて6日目昨日ギックリ腰になって一日動けなくなってしまった。旅行中でなくて良かった。今日はどうにかコンピュータには向かえるのでこのブログとなった。

2008年8月22日金曜日

リスボン  Lisboa


最後の日いよいよイタリアともお別れだなとコンピューターを整理していたらポルトガルのリスボンで書いていたのが見つかったのでここに載せることにした。

今ポルトガルのリスボン飛行場のなか、ローマ行き乗換えの待合ロビーで書いている。アナウンスがポルトガル語なので何かブラジルの飛行場にいるような錯覚を覚える。もっともブラジルのポルトガル語の発音とはちょっと違うが。空から見たリスボンはテジョ河の河口とは知っていたが湖のように広がっていた。飛行機でリオから約9時間、8000キロ弱。これを15世紀の大航海時代ポルトガルは当時の最先端の航海技術で世界の海へ飛び出していった。南米、アフリカ、アジア、そしてマゼラン(ポルトガル語でマガリャンエス)は世界一周を成し遂げた。私もブラジルに来てからはポルトガルの歴史とはなじみが深い。入国手続きをする時はポルトガル語圏国の列に入った。今また世界で話されているポルトガル語の標準化が進められている。
出来るだけ筆記上のアクセントの記号を無くしていくような傾向にある。時々変わるのでそのたび戸惑う。
次はローマで。

再びローマ   Roma_Parte 2


帰りもローマからなので再びローマに戻ってきた。初めてローマに着いた翌日サンピエトロ大聖堂を見学してエレベーターで数階昇った後、 約370段の狭い階段を上りドームの高い所まで登ったので疲れてあとは大聖堂の下の方を見るのがやっとで帰ってきて、しまった!ミケランジェロのシスチーンチャペルを見なかったと気が付いた。それで今日ヴァチカン博物館とその中にあるシスチーンチャペルを見に行った。100mほどのすごい列。ようやくたどりつき中に入る。早速日本語のAudio Guide を借りる。展示はまずエジプト館から。そのあとも彫刻が多い。ラファエルの描いた数部屋、其の他当時の画家達が腕を競っての傑作。シスチーンチャペルへ行き着くまで3時間ほどかかったか。とにかく見るものが多い。シスチーンチャペルには人が一杯。ミケランジェロが全身全霊で描いた絵の宗教的、芸術的な素晴らしさは見る人を圧倒する。博物館の装飾も当代随一の物を揃えローマ法王の権力の偉大さを感じさせる。
明日はローマ発リオへと。思ったよりも収穫の多い旅だった。