2011年6月16日木曜日

ロンドン、六日目、ブラッセル(ベルギー) 



今回の旅の楽しみの一つはベルギー、ブラッセルへの日帰り旅行。ロンドンからはパリとブラッセルへドーバー海峡のトンネルを抜けて行ける。パリは以前行った事があるのでブラッセルにした。
実はこの切符、旅行を計画した3ヶ月ほど前にインターネットでブラジルの代理店を通じて買っていたのではたして有効なのか心配だったのでホテルに近いEurostarの切符売り場で確認してもらったらOKということで安心した。早く買ったので安く一人往復120ドルほどだった。これはヴィトリアからリオまでのバスの切符の値段だ。
18両編成で私たちは2等席。それでも十分なスペース、静かで早く快適だ。ブラジルも2016年のオリンピックに焦点を合わせてカンピーナス、サンパウロ、リオをつなぐ高速鉄道の国際入札をしていたが今どうなっているのかわからない。時々持ち上がっては立ち消えになっているプロジェクトで今回は大丈夫だと思っていたのだが。
7時34分にロンドンをでて9時20分にブラッセルに着いた。2時間弱、しかし時差の関係で10時20分とアナウンスしていた。タクシーに乗り“Grand Place” (グラン・プラス:大きな広場という意味)へ。駅から近く7.5 Euro.  周りを高い歴史を感じさせる建物で囲まれた広場。上の写真は市庁舎、お城のようだ。この広場は世界遺産に指定されておりかってあのヴィクトル。ユーゴーが世界一美しい広場といったそうだ。広場には花屋が屋台の店をだしており、レストランも広場に席を設け花で飾っている。そのレストランでベルギービールを頼み昼食。ロンドンより日差しが強い。隣の席に座ろうとしたフランス人夫婦が間にある傘を広げて良いかと私たちに聞いたが、陽の方向が反対だと悟り他の席に移っていった。心地よい陽だ。食後周りを歩いてみることにした。ワッフル、チョコレート、クッキーなどでも有名だ。通りにも甘い香りがしている。ちょっと立ち止まると、小さく切ったのを試食しないかと差し出す。ちょっと私には甘すぎる。
王家のご用達もしているというじゅうたん専門の店で小さな座布団カバーを買った。その近くにかの有名な小便小僧の像があった。高さは約30センチほど。後で彼が世界中から送られた豪華な服が博物館に飾られてあったがなぜか今日は裸だった。日本からのが二組あった。そのあとは観光コースをたどり、伝統的な店が並ぶGaleria Hubert, サンミシェル大聖堂、それから芸術の丘を登り王立美術館へと。なんと王立美術館の名前は日本語でも書いてあり人に聞かなくても間違う心配はない。すごい建物でスペースがぜいたくに使ってある。
帰りにのどが渇いたので小さなにぎわっている広場でコカコーラとアイスを頼んでひとまず着席。素人楽団がなつかしのメロディを弾いている。ポケットにはじゃらじゃらの硬貨が入っている。彼らにお礼として置いて来た。イギリスはポンド、ここはユーロ。時々出し違えて断られた。イギリスもなかなかしぶとい、たいていでユーロにしてくれないかなー。
帰りは早く切り上げたので駅に6時頃着いた。切符は8時。前のに取り替えてもらえないかと聞いたら満席だという。しかしこの広い駅に座るところはない。あるのはカフェやレストランのだけ。こうなるとヘルニアが怒り出す。仕方ない、座り心地のよさそうなソファがある店を探す。そこでよく賞味しなかったワッフルとクッキーを頼む。やはり甘いが時間をかけて完食。8時のEurostar で発ち帰りはフランスのLille に止まったので2時間要したが着いたのは時差もあり9時。まだあたりは明るかった。

2011年6月14日火曜日

ロンドン、五日目、シャーロック・ホームズ



ロンドンの天気はわからない。晴れていてもいつ雨が降るかわからない。それでロンドンの紳士というと傘を持っている絵になっているのが納得できる。今朝空を見上げるとなんだか天気が良くなるような気がした。歩いてみようかなと近所を一回りして足と相談したがまだだというのでやはり地下鉄にした。
Baker Streetで降りた。聞き覚えのあるところ。そうだ、シャーロック・ホームズが住んでいるところだ。ベカー街221aに彼の家があった。小説と同じ作りとなっている。メイドもいて上の写真をとってくれた。今彼は出かけているという。彼のコレクションの数々をみる。不思議なものだここにフィクションの世界が再現されている。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズ。私にはなつかしい。もちろん、日本にいた頃の中学、高校時代に読んだことはあるがこちらに来てある日、本屋に入るとシャーロック・ホームズの本がある。知っているのもあるし読んでないタイトルもある。二冊買ってきて辞書を横に、わからない単語の訳をページの上、下に書き込んでいった。もちろん農作業に追われている毎日なので暇があるわけがない。一冊訳すのに相当な時間を費やしたような気がする。しかし物語が展開するので面白く私のポルトガル語の語彙の範囲を広げていってくれた。そんなことも思い出しながら興味深く見て回った。
近くに有名なマダム・タッソーのロウ人形館がある。バスが横付けになっていて制服を着た若い子たちがどんどん降りている。日本の高校の修学旅行らしかった。私が日本にいた頃に比べると時代も変わったなーという思い。彼らもなかで楽しんでいた。最近の有名人たちのがかなりあったがやはり私たちには若い頃の思い出の顔がいい。いくつかはwww.saheki.com にも載せてある。
外に出るとまだ天気がいい。近くのRegent Park に行くことにした。これも日本語のロンドン紹介のサイトにRose Gardenのバラがすばらしいと書いてあったからだ。ロンドンに来て驚いたのは公園の多さ。それも広い。このリーゼント・パークの一角には動物園もある。池のほとりのベンチで一休みしてからまわる。6月、色々な花が咲いている。バラが多くなってきた。種類も多い。甘い香りがする。心が和む。
日が照ってポカポカしてきた。公園の寝椅子でくつろいでいると公園の見回りの制服を着た人が来た。なにやらメーターらしきものを首から下げている。「これは公園の貸し椅子で一時間当たり1.5ポンドとなっています」という。もうすこしいることにして3ポンド払う。妻は久しぶりの陽気の中うとうとと眠り始めた。

ロンドン、四日目 6月13日, 世界遺産



ロンドンには四つの世界遺産がある。先に訪ねたウエストミンスター寺院、今日いく予定のグリニッジ天文台周辺およびロンドン・タワーそして王立植物園キュー・ガーデン。
幸い地下鉄の駅がすぐなので全て地下鉄の乗り継ぎで目的地に着く。ロンドンに着いてすぐ飛行場の地下鉄の駅で Oyster Cardを買い求めた。改札でカードを置くと自動的に読み取り降りるときにそこまでの料金を差し引くようになっている。リオの地下鉄も同じようにカードで乗っているが料金はどこまで乗っても一律なので,ある金額を入れると何回乗れると計算できる。リオのはカードはただだがここのはカード代5ポンドそして30ポンドを入れたので合計35ポンドとなった。この5ポンドはカードを返す時に受け取れるそうだ。
朝食を済ますといつものように地図を片手に出かける。今回は初めて磁気コンパスを持ってきた。道に迷った時はこれが意外と役に立ちあまり人に道を聞かずにすんだ。
グリニッジに着くと小高い丘の上に建つ旧天文台を目指す。ヘルニアが気になるがなんとか登れた。丘の上に東と西を分ける子午線ゼロがある。皆列に入り自分の番がくるとそれぞれのポーズで写真を撮る。上の写真は子午線をはさんで東に私そして西に妻、「東に生まれる男、西に生まれる女と結ばれる」とした。
グリニッジからロンドンタワーまではクリッパー船に乗ってテームズ川を伝う。これは日本語のサイトに紹介されてあったので使わせてもらった。確かにロンドンタワーの入り口に着いた。ここは入場料を払ってオーディオ・ガイドを借りた。ポルトガル語はなかなか無いのでいつも日本語となる。これがあるのとないのでは知識の吸収に大きな差ができるのでいつも使うようにしている。イギリス王朝の愛と憎しみの歴史が詰まっているところだ。エリザベス二世女王の戴冠式に使われた王冠もあった。
ここからタワー・ブリッジはすぐそこ。ブリッジを上方でつないでいる歩道橋は橋の建設に関わる歴史とエピソードや世界の有名な橋などが展示してあり見晴らしもいい。さいごに機関室の見学を終え橋を渡っていたら。サイレンが鳴り響き橋の両側で係員が早く渡れとせかしている。これは橋が上がるのだなと急いで橋を渡る。やがてゆっくりと橋が上りはじめた。その下をマストだけは高いスクナー船が通って今度は橋がゆっくりと閉まっていく。それをビデオに収めたのでブログに載せようとしたがあまりにも容量が大きくてだめだった。
まだ明るかったので川べりを散歩していたらさきほどの船がまた通り、橋がまた跳ねた。機関室の見学の時の説明では一日三回開くということだが今日は三回見た。
私達が運が良いのか、それとも先ほどの説明は間違っていたのか分からなくなってきた。

2011年6月12日日曜日

ロンドン、三日目-雨で寒い夏の日曜日


まず昨日のブログが(つづく)で終わってしまっていたのは家からノートブックを持ってきているのだが調子がおかしくなり、日本語を書くときに画面が動かなくなってしまいそれが2度もおこり、その2度目は全部書き終えたときにおきたので、頭にきて何もする気がなくなり寝てしまったからである(色々切り貼りしていたらこんなに長い文になってしまった)。今それを書き終え今日のブログにはいるところだ。
ロンドン、これで夏なのだろうか。朝、目をさますと小雨が降っている。おまけに寒い。風も吹いている。私達常夏のヴィトリアから来た者にはこたえる。来る前、インターネットで天気予報をみていたのだが最高23度くらいで最低は16度くらいだったと思う。しかし今日インターネットにはいって見るとここ当分最高は20度をこす日はない。今日などは風も加わって12度くらいの感じだ。ヴィトリアの年の最低気温が14.5度なので経験したことのない寒さ(?)となる。
そこで今日のプログラムは外に出ることはあきらめ家の中、すなわち博物館めぐりとなった。ハイドパーク近くのVictoria & Albert 博物館、自然史博物館、科学博物館を渡り歩くことにした。幸い3博物館はお互い30mと離れていないし地下鉄を降りてすぐ。地下鉄を降りるとあちこちにFreeと大きなのぼりが立っている。ここロンドンはほとんどの博物館・美術館の入場料は無料である。まずV&A博物館から始めることにした。コレクションの数も豊富で全部見たなと思いきや又新しいテーマの回廊が見つかったりで思ったより時間を要した。ロンドンの博物館・美術館は軽食がとれるようになっておりあっというまに一日が過ぎた。あまりの寒さに外食はあきらめ、近くの店でハム、チーズ、ワイン、果物を帰りの途中で買いホテルで過ごすことにした。ホテルでは電気ポットがありコーヒーとお茶が飲めるようになっているので家にいる気分でこのブログを書いている。

2011年6月11日土曜日

ロンドン、二日目 、Lucky day


昨日は疲れていて計画していたスケジュールをこなせなかったので今日は昨日のスケジュールでまわることにした。なんとそれが幸運にもエリザベス女王の誕生パレードにばったり出会ってしまった。地下鉄のピカデリー・サーカス駅で降りエロスの像の写真を皆撮っていたので私も仲間入り。そのあと皆ぞろぞろ下に向かっていくので私たちもついて行くことにした。急に警官の数が増えた。そのままちょっと先に行くと道の両側に人だかり。何事かと聞くと今日はエリザベス女王の誕生パレードがあるという。思ってもみなかった幸運。このチャンスを逃すわけにはいかない。入り込もうとしても人垣のすきまを見つけることができない。やっとのこと一人分開いている所を見つけて割り込む。しばらくしているうちに二人分を確保。バッキンガム宮殿からまっすぐの道、つい最近テレビでウイリアム王子とケイト・ミドルトンさんとの結婚式のとき実況でみた道だ。じっと待っていると寒い。しかしあきらめるわけにはいかない。やがて赤い制服のおなじみの王宮護衛の兵たちの行進が始まった。沿道では皆写真撮影。私も負けずとシャッターを押す。ビデオモードで撮っていたので女王が通られる前に電池がなくなってしまった。スペアーを持ってきているので差し替え。節約しようと写真モードだけにしていると突然女王の乗られている馬車がきた。もうビデオモードに切り替えるひまはない。写真モードだ。パチパチ。それで幸いこのブログにのせることができた。人生なにが幸いするかわからない。またその逆もしかり。
パレードの後はNational Galleryに行くことにした。突然見知らぬ人が話しかけてきた。にこにこして「女王様を見ましたか?」「はい、もちろん、写真も沢山」ちょうどいい「National Galleryへはどう行きますか?」「この道をまっすぐすぐそこですよ。私も行きますから一緒にいきましょう」どうやら私たちが女王様のパレードを見に行ったので気にいられたらしい。「ここがTrafalgar SquareでこちらがNational  Gallery」
「そしてこの広場には無料のトイレもありますよ」これは役に立つ情報だ。「しかし 今日はまだこの後女王様が顔を見せられるのでもう一度女王様をみてそのあとNational Galleryを見られるほうがいいと思いますよ」「ありがとうございます」私はトイレへと彼と別れた。しかし私たちもそんなに時間がない。もう女王様はあきらめてNational Gallery へと足を向ける。
National Gallery、巨匠たちの絵のコレクションがあるが入場料無料。他の国なら高い入場料を取られるはず。国民に均等の機会を与えようということなのか。他の国もまねするべきだ。日本からの入場者も多い。3時間ほど見て周りGalleryないのコーヒーショップで熱いカプチノをたのむ。外は寒いだろうからまずは体を温めないと。外はちょうど陽がさしてきた。Big Benが見える。歩いていこう。ヘルニアを患っていらいこんなに歩いたことはない。少し心配だ。Big Ben 横を通りWestminster寺院へと。
(つづく)
しかしここは後でゆっくり来た時にして今日はテームズ川を見たいとの妻の申し入れで国会議事堂の横をとおりまたBig BenにもどりWestminster橋へと出た。今日は土曜日、観光客でいっぱい歩くのも困難。色々な言葉が耳にはいる。テームズ川思ったより広い。対岸左手にロンドンの新名所ロンドン・アイが見える。幸い陽が照っている。
今日は遠くまで見えるはず、このまたとないチャンスを逃すわけにはいかない。これは前もって予約あるいは計画しようとしても天気ばかりはどうにもならない。おまけにロンドンでは。近くに行くとかなりの列。それでも当日券の列に入る。切符売り場の係員に聞くと30分ぐらいの列で観覧車一回りが30分ですとのこと。すこし安心した。ロンドン・アイの説明が4Dでありますから見てくださいとのこと。3分ほどで建設当時の映像などのコマーシャル映画が始まった。水しぶきの映像の時は本物の霧がふってき、雪の時は本当に舞い降りてきた。数分で終わったと思うが出るとき下を見たらまだ雪が残っていた。3Dは視覚で立体で見れることで、4Dとはプラス肌で感じるということなのか。凝ったしかけをしたものだ。なるほど列に入るとかなり速く進むので30分ほどでゴンドラの中へ。体はゆっくりと宙へ。130mまで上がるのでロンドンのまちが段々小さくなっていく。360度の景色を満喫してゴンドラを降りる。とたんに曇ってきて小雨が降りだした。今までの天気はなんだったのだろう。とにかく今日はついている。早足で地下鉄の駅へ向かう途中Obentoの字が目にとまった。屋台で西洋人がやきそばと弁当を売っている。台の上には一個しかない。その最後の一個を買い求めた。またついていた。ホテルに帰りワインと日本食(春巻き、ギョウザのほかに肉が沢山はいっていた)という変な組み合わせだがなかなかよかった

2011年6月10日金曜日

ロンドン、 初日


今回ヨーロッパ行きの二人分のマイレージがたまり7月からは50%増しのマイレージが必要となるので長年行ってみ(見)たいと願っていたロンドン行きに利用することにした。イギリスは近代文明を牽引しかってはその帝国に陽の沈むことはないと言われたほど領土を拡大した。いまでもそのかっての領土だった国々は、今でもイギリス連邦を形成し最近だったと思うがオーストラリアでイギリスから独立するか否かの国民投票があったがやはり連邦の一員に留まったように記憶している。なにか不思議な魅力を持った国のようだ。学校では歴史、地理と色々なところで出てきて当時は皆の夢をふくらましたものである。
ロンドンに着くまではヴィトリアを発ち、リオとリスボンでの乗り換えだったが今回は全ての便が小一時間遅れおまけにリスボンでの乗り換えは時間が間に合わなかったので一時間先の切符に書き換えてくれいったん税関通過という指示だったので長い列に入りパスポートとエアーチケットを見せたらこのまままっすぐ飛行機に乗るのだったら後ろの階段を上り廊下をまっすぐに行きなさいと言われて結局パスポートにはんこなし。ながーい廊下、おまけに誰もいないのでちょっと不安になってきたころようやく手荷物検査の係員たちが見えてきた。ロンドン行きに乗り無事到着、そこでパスポートにヒースロー空港着のハンコ。そこでパスポートをめくってみた。以前イタリアに行ったときのハンコはリスボンのハンコだけである。ヨーロッパ連合圏に入ると最初の国のハンコだけで他の国へ行っても全てフリーパス。今回も危うくリスボンになるところだった。ヒースローの係員はさすがイギリス、好意的で紳士だった。旅の目的を聞き観光だというと最後に日本語で「ありがとう」との言葉をかけてくれた。「Obrigado」ではなく。機内のアナウンスでは13度のこと、もう夏だと思うがVitoria の冬より寒い。
今ではインターネットで情報を手に入れることが出来るので一応準備はしてきている。
飛行場からは地下鉄にのりホテルの近くの駅へ。ホテルは駅から約50メートルほど。これもインターネットで2ヶ月ほど前に予約していたもの。
いったん荷物を整理し近所の探索に出かけた。今回はEurostarでベルギーのブラッセルまでの日帰り旅行も計画しているので早速 St.Pancras駅を見に行った。地下鉄の駅と並んでいるので近い。何枚かの写真を撮った。それらは www.saheki.com にのせてある。ロンドンは落ち着いたまちというのが第一印象。これからどんな顔を見せてくれるのか楽しみだ。

2011年5月24日火曜日

命を大事にしよう・レース


エスピリト・サント州で最大の人口を誇るVila Velha 市の創立476年祭の一環として22日「第二回Corrida pela Vida(命を大事にしようレース)」と称する10キロレースが行われた。市長やスポーツ局長も参加したお祭り雰囲気のレースだった。下の息子がこういうスポーツの催しに参加するのは初めてなので応援に出かけた。なにしろ肥満解消の一策として最近始めたのでタイムは一時間。まあ完走したので「おめでとう」と努力をねぎらった。このレース、一般の参加者を呼び込もうと男女5番までの表彰のほか完走者全員参加のオートバイ2台のくじ引きもあった。命を大事にしようというテーマで「麻薬にノーと言おう」、「暴力にノーと言おう」「スポーツに励もう」とかの旗を掲げて走っている人たちもいた。Vila Velha市はエスピリト・サント州で最初にポルトガル人によって開拓されたところで「古い町」という意味でこれはその後ヴィトリア市に政治や経済の中心が移ったためこういう名になったという次第だ。ヴィトリアとは勝利という意味でこの地方に住んでいた原住民との戦いに勝ってこの地に住みだしたことからつけられたものである。ちなみにヴィトリア市は今年の9月8日が創立460年の年にあたる。この両市ポルトガルによるブラジル発見が西暦1500年、今年で510年目にあたるのでブラジルでも歴史の古い町のうちである。
今回初めて参加した我が家の末息子、若いときは運動神経がほとんどゼロ。それというのも中学生時代からそのころはめずらしいコンピュータを扱っていたので大人のサークルに参加し一ヶ月に一度の集まりには周りから酒やタバコを勧められるままに深みに陥っていったという経歴がある。大学受験の時には軍警の士官学校に行くと言い出しそれには体力テストもあるので水泳教室に入れたがどうせ連れて行くのならと私達夫婦も一緒に習った。しかし走るのはタバコを吸っていたりしたのですぐ息がきれてテストに課されている最低タイムにも届かないことがわかりあきらめたというエピソードもあった。
結婚してから健康に気をつけなければと酒もタバコも断ち今度は運動とようやく最近重い腰をあげることとなった。食事にもうるさくなり孫の恵美が我が家に泊まりに来るときは色々禁止事項をのたまわる。それにしてもこういう日が来るとは思ってもいなかったので完走を祝って私も酒の熱燗で鶏をつついてご機嫌となった。
上の息子は2,3年前まではリオで行われるレースにはほとんど参加しマラソンまで走ったこともある。ヴィトリアからVila Velhaの第三の橋を渡ってチョコレート会社のGaroto社までの10マイルレースにも何回も来たし、サンパウロで12月31日にケニアからの参加もあるサン・シルベストレ・レースにはホテルを予約しての参加となっていた。しかし彼女ができてからは怠けて今は全然走っていない。体重が増えてきたので心配だ。
かくいう私は走るのが大の苦手でジョッギングは一時やったことはあるがいまだかってレースなるものに参加したことはない。今は椎間板ヘルニアでその可能性はほとんどゼロとなった。しかし無理をしなければ毎日が痛みなしで過ごせることに感謝している。