2014年3月18日火曜日

2º dia em Paris 16/10/2004

Olá, meus queridos filhos e Vilma,
Hoje foi a romaria de visitas  aos museus.
Só de gastar solas e andamos quase 10 km.
Museu dePicasso, Carvalet, Victor Hugo, Notre Dame, Hotel de
Vile, Complexo Pompideau e na volta “coma quilo de
comida japonesa”  pagamos 17 euros para 2 pessoas e ainda
repetindo “missoshiru”.e estamos de volta ao hotel.
Passamos a loja de internet para fazer este relatório. 15
minutos a 1,5 euros e 30 minutos a 2,5 euros.
Ontem fizemos  lanches na Torre de Montparnasse e
tomamos vinhos porque era o mesmo preço de Cocacola de
mesma quantidade. Aqui o teclado de computador é
diferente do Brasil "a" está no lugar de "q" e os números
na caixa alta. Toda hora erro quando bato os números.
E o ponto também na caixa alta e tem outras diferenças.
Imagina o tamanho trabalho para escrever este relatório.

Já ficamos craques de pinturas e chegamos à conclusão
de que talvez tenhamos muitos talentos principalmente depois de
visitar o museu de arte moderna. Amanhã iremos ao
Louvre, outra aula de artes. Aguardem nossa evolução e
os comentários melhores.
Andando na chuva em Paris ! Hoje também choveu um
pouco, mas menos frio do que ontem. Estou adiando a
visita à Tôrre Eifel para o dia claro. Mas ainda não
sabemos quando podemos subir.
Mandem as notícias. 
Au revoir!
Desbravadores de Paris


パリには地下鉄網が張り巡らされている。駅に入ってすぐ綺麗な音楽が流れてきた。「あっ、知っている曲だ、ロシア民謡のカリンカではないか。音をたどって行くと男女5,6人で楽器を演奏している。曲が終わって休憩している時に彼らのリーダーらしき人に近寄って少し話す。若いころ好きだったロシア民謡の曲の名前を言うと彼が口づさむ。CDを出しているというので数枚のうちから2枚買った。後で知ったのだが地下鉄内で演奏するにはそれなりの選抜があって市役所からの許可証が必要とのことだ。
芸術の都と言われるパリには美術館が多い。道を尋ねたりは当時習っていたフランス語で大体用は足りた。フランスびいきだった息子は実際に行ってフランス熱が冷めたが私は好きになりそうだ。

2014年3月17日月曜日

1º dia em Paris 15/10/2004

Olá, Pessoal,
Chegamos em Paris sãos e salvos. Aqui está chovendo e
frio com temperatura de 8 graus e mamãe está sofrendo
muito, a salvação é as luvas que ela achou no quarto da
Lina por acaso. Já pegamos Metrô e fomos até Tour
Monparnass que tem 60 andares com a vista de 360 graus
da cidade de Paris. Qualquer coisa manda por e-mail
que leremos toda noite.
Desbravadores de Paris


ヨーロッパを旅行するのに10月半ばから末にかけて 行こうと計画したのは日本の気候ではその頃が一番いいと思っていたからだ。知人で日本へ行きたいという人にはそう薦めてきた。しかしパリは寒かった。機内放送で「パリのただいまの気温は8度です」とアナウンスがあった時「しまった!」と思った。そういえば地図で見るとローマと札幌の緯度はあまり変わらない。するとパリはだいぶ北となる。うっかりしていた。
今回の旅行で私たちは「Desbravadores da Europa (ヨーロッパ探検隊)」と名乗ることとして、詳しくは滞留地の名前を付け初日は「パリ探検隊」となった。15世紀後半にポルトガルとスペインが北・南米大陸を切り開いていったのと反対方向に今度は南米からヨーロッパを切り開こうとの意気込みからであった。

パリの第一日目はホテルで一服すると地下鉄を乗り継いでパリで一番高い60階建て高さ210メートルのモンパルナス・タワーに行くことにした。市内は高い建物はほとんどなくパリが一望できる。レストランで軽食をとった。。飲み物リストを見るとテーブルワインの方が水よりやすい。さすがワイン王国フランスだ。しかしここで失敗した。ブラジルでは飲み物はml(ミリリットル)で表示してある。そこでワインを頼んだらちょっと量が多い。メニューをよく見ると10dl(10デシリットル)、すなわち1リットルだった。仕方がない、ゆっくり時間をかけて夕食を取りながら飲むことにした。

日本語の部分は今書いているコメントで始めのポルトガル語の訳ではない。

2014年3月16日日曜日

メール騒動

先週、メールで裁判所からの最終呼び出しの通知を受け取った。
最初の通知さえ受け取ってないのに最後の通知だって?何も裁判沙汰になるようなことには覚えがない。どうもおかしいとインターネットで調べたらそういうケースはよくあることで、たまにはおもむく人もいて困っているとも書いてあった。

だれがこういういたずらをするのだろう。そして次の日は今は使っていないヤフーの私のメールアドレスからGmailに全然覚えのない所から私の銀行の口座に入金したというメールを受け取った。
銀行口座をチェックしても何も入ってない。しかも私のメールアドレスからくるので気持ちが悪い。そこでITの会社に勤めている次男にチェックしてもらってパスワードを変えた。
「パスワードは時々変えないといけないよ」と忠告も受けた。そしてパスワードは私の携帯に許可番号が入りそれを入れなければメールを使えないようにした。思えば10年以上同じパスワードを使っている。これではだめだが、誰かが私のメールアドレスに入るなんて考えたこともなかった。これから気を付けよう
そこで何か他の場所に移すものはないかとメールを調べていたら2004年私たちがパリ・バルセロナ・マドリッドと旅行した時に子供たちに毎日レポート(?)を書いていたメールを見つけた。それを明日から載せてみよう。

旅行レポートはその4か月前に長男が我が家の金髪の息子と称しているAenderとスペイン・フランス・デンマークに旅行した時に私が費用を出してやるから毎日旅行レポートを私に送るように長男に義務づけたことの経験から来ている。

彼らの旅行はAenderが高校に行っていた時のデンマークのペンパル(懐かしい言葉だ)に手紙をだしてみるとヨーロッパに来るのだったら家にも寄ってくれとの返事が来てのデンマーク行きとなった。当時娘の理奈は博士課程の勉強でマドリッドに住んでいたので、スペインではサッカーのReal Madrid の試合や闘牛などを観た報告もはいっていた。残念ながらこのメールは残っていなかった。
パリでは暑さにやられたそうだ。フランス好きでヴィトリアのフランス学院で数年勉強した彼はこの旅行で失望し熱がさめた。何か気に入らないことがあったらしい。

デンマークではAenderの友達は政治の道を志し大臣補佐か何かになっていたように記憶する。彼の家族から歓待されたそうだ。 

2014年3月11日火曜日

Arroz negro – 黒米


去年の9月にベレンで世話になったMarildaが実家のあるミナス州のOuro Preto(歴史のある古い町で世界遺産に登録されている)にカーニバル期間中帰ってきているのでこちらにはいつ来るのだと妻が電話で催促して今日我が家に来ることとなった。彼女は20年ほど前まではこちらに住んでいたので我が家をベースにして2,3日この辺の知人を回るスケジュールとなった。午前中は前いた所を見て回ったりして、午後は近所の有機栽培野菜の市場に私たちと一緒に出かけた。それからスーパーでものぞこうかと最近できたスーパーで買い物をしていた時彼女が米を売っているコーナーで立ち止まり「あっ、黒い米がある」と言ったのを耳にした。そして妻に「この米おいしいのよ、レストランで食べると高いの」と言った時に、妻がそれに手をかけようとした。「やめたほうがいい、高いから」「でもどんな味か試してみたい」ということで1キロの黒米を買い求めた。作り方などが書いてありイタリアからの輸入米だ。

家に帰ると早速妻が説明を読み読み作り始めた。50分くらい炊いてその間中おいしそうなにおいが家に漂う。エビとムール貝を買っていたのでそれを入れ最後にトマト。それが上の写真。食べてみるとおいしいし米も普通の米よりよく膨らむので何回も作れる。これからは時々我が家の食卓に載りそうだ。

2014年2月9日日曜日

ブラジルの猛暑

今ブラジルは猛暑。エスピリトサント州は記録的な水害の後は記録的な猛暑。毎日の最高温度は34度, リオの最高温度は天気予報によると毎日39度、40度、そして昨日は41.2度.暑くてたまらず海辺に行くとココナツ水、清涼飲料水、ビール、軽食などはスーパーで買う値段の4,5倍は取られるとぼやいている。サンパウロの1月の気温は70年ぶりの暑さだったそうだ。一番南の南大河州では70年ぶりの暑さで、州都ポルトアレグレの昨日の気温は40.5度。雨も降らず雨季にも関わらず各地で貯水池は干上がってきている。
今日のニュースで中年の女性が暑さで指が腫れ指輪が取れなくなり消防署員からとってもらっている映像が目に入った。
一方北半球では寒い日が続いて北米での大雪がニュースになっている。今日は東京でも雪で、積もるほど降ったのは何年ぶりかだと報じている。
これらは人類が今まで環境を破壊してきたことが原因なのだろうか。天体の現象も関係しているのだろうか。これを逆転する方法はあるのだろうか。とにかくもっと住みやすい地球にならないのか。あまりにも「か」が多すぎる。
昨日近所の知り合いから近くの竹林にタケノコ狩りに行かないかと電話があった。妻の返事が聞こえてきた「日中は暑いので夕方の5時過ぎにうかがいます。」、
今日、着いた時はそれでもまだ暑いので世間話で時間を稼ぎそれから日の落ちかけにタケノコをとりに出かけた。
家にいても午前中は何とか動けるが午後は5時頃までは何もする気になれない。スーパーに行くにしても5時過ぎに出かける。近所のスーパーは皆エアコンが効いているがそこに行くまでの暑い中を動きたくない。何ということだ今までこんなことを経験したことがない。年を取って暑さに耐える体力がなくなってきているのがその理由か。
家では昼からエアコンに世話になっている。それで思い出すのはリオに何年か前に行っていた時の青空市でふと耳にした会話。ブログのどこかにある。
「こう暑くちゃ、生き残れるのはエアコンを持ってるやつらかよ」

2014年1月19日日曜日

キリストは身をもって救う

                    

16日リオのCorcovadoの岩山の上に立つキリスト像に雷が落ちた。その映像がインターネットに出ていたので借用した。しかしよくその瞬間を撮ったものだ。このキリスト像には年に3回から5回くらい雷が落ちているらしい。いかに避雷針で守られてはいても100%ではない、それはその他の建造物にもいえるとコメントしてあった。この日リオには雷が4万回起きた(落ちた?)そうだ。ブラジルには「雷は二度と同じ所には落ちない」ということわざがあるが、ここを管理する神父が「いや、キリストには落ちていますね」と冗談めかして言い「しかしここを訪れる人たちの安全には万全の態勢で応じていますからご心配なく」と結ばれた。
キリスト像の右手の指先が少し削られたが去年も指に落ちその修復予算をまだ使っていないので今回のにまわすと書いてあった。


2014年1月1日水曜日

あけましておめでとうございます


あけましておめでとうございます!!!
新しい年の初めに久しぶりに家族全員の写真を撮ることができた。
私の70歳の誕生日でもある。
今年もみんなが元気で過ごせればそれに越したことはない。
待ちに待ったブラジルでのワールドカップ。いつもW杯の年が明ければ毎日いろいろなニュースや過去の試合の解説などあっていた。今年はそれに輪をかけた熱のこもった放送が聴けるのではないかと期待している。