2012年9月28日金曜日

南風が吹くと寒い


もうすぐ夏時間が始まるというのに、ここ2,3日朝晩冷たい風が吹き寒い(?)日が続いている。今朝はエスピリト・サント州の山間の町でドイツ人が開いたDomingos Martins では霜が降ったそうで土地の人がテレビ局に送った写真が映しだされていた。家の次男の嫁さんはここ出身である。一昨日の夜は南のサンタ・カタリナ州とリオ・グランデ・ド・スール州の山間の町に雪が降って偶然当地を旅行していた観光客が雪が見れたと大喜びしている様子が夜のニュースに入ったので早速娘に電話した。娘の住むパラナ州のクリチーバは標高900mを越す。今朝は9度で寒かったが「だからクリチーバが好きなんだ」というツイッターに多くの人が賛同していたと言っていた。家の温度計を今外に置いてみた、18度、寒く感じるはずだ。ここヴィトリア大都市圏では冬(?)一番寒くても15度くらい。それでも日中は25度以上になるので7月の冬休みには海に接していない隣のミナス州からの家族連れでけっこうここらの海辺の町は賑わう。


南からの寒冷前線が上がってくると気温が下がり天気が悪くなる。家の上を飛行機が通ると寒くなるなと分かる。というのは飛行機は風に向け離陸・着陸し家は飛行場のすぐ北に位置するからである。離陸はすぐ高度が上がるが着陸はゆっくりと低いので電話をしていて上を飛行機が通るときは聞き取りにくくなる。ブラジルの公共事業は賄賂や水増し勘定問題等で工事がストップされる。ヴィトリア空港もその一つで、もう数年ストップしている。増える利用客に対処するため建屋を少し拡張したりして一時しのぎをしているが一日も早くプロジェクトどおりの大きく立派な空港が完成してほしい。ブラジルが一等国の仲間入りをするにはただ経済的に成長するだけではなくもっとモラルの向上が要求されるだろう。

2012年9月5日水曜日

処女神話

今ここの深夜テレビドラマでブラジル北東部バイーア州の作家Jorge Amado(ジョルジェ・アマード 1912-2001)が書いた「Gabriela (ガブリエラ)」が放映されている。バイーア州の奥地から当時(1920年代)カカオの生産が盛んだったIlheusの町に出てきて自由(自然?)奔放に生きる主人公「Gabriela」の話である。1920年代の生活様式、慣習なども知ることができる。1958年に出版されたこの本はベストセラーになり1999年まで版を重ね第80版を数えるにいたった。テレビドラマ化は1960年にJanette Vollu 主演、 そして1975年にはSonia Braga主演で大人気を博した。1983年には同じくSonia Braga主演で映画化され、さらに今回Juliana Paes 主演で再テレビドラマ化となった。


さて昨夜は不義の妻とそしてベッドに一緒にいた愛人を射殺したCoronel (当時の有力者は名前の前に大佐を意味するこの尊称を付けて呼ばれていた)が若い娘と再婚し最初の夜を迎えるシーンから始まった。彼は結婚前に彼女に確かめていた「お前は確かに処女だろうな?、もしそうでなかったらお前を殺す」彼女の顔は一瞬青ざめたが、気を取り直しCoronelに向かい平気を装い「もちろんですとも、私は処女ですよ。」しかし彼女は経済的な理由で父親がこの結婚を決めた時、恋人と思い出を作ろうと一夜を共にしていた。彼女は母親にこのことを相談した。二人で花嫁衣裳を作ってもらっているおばさんに何かいい知恵はないかと相談すると「自分がなんとかしてあげるよ。」という返事。

やがて当夜、彼女が小さな箱を手に持っているのにCoronelが気がついた。「お祈りをするのです」と小さい十字架の首飾りを取り出した。しかし彼がむこうを向いた時その下から小さな赤い色の子袋を取り出し手の中に隠した。翌朝Coronelが目をさましシーツを見ると赤いしみがついていた。それに気がついた彼女「すぐ洗いますわ」「いや、洗わなくて良い、2階の窓からその血痕が見えるようにしてたらしておけ」これを聞いた彼女ほくそ笑んでシーツをベッドからはいで道を通る人が見えるように窓にかけた。

そのシーンが終わった時、突然妻が「思い出したわ、もう30年前くらいになるかしら、ほら家の前に住んでいたジョンとマリルダ夫婦。これと似た話を私にしたのよ。彼女はミナス州出身で、あの州は古い伝統を守ることで知られているからあの頃まであったのね。彼女が結婚式をあげて初夜を過ごした翌日の朝、ジョンのおばあちゃんが「コツコツ」とドアをたたいて言ったそうよ「後でシーツをドアのノブに掛けておきなさい窓に掛けるから」と。それを聞いたジョン、シーツをめくってみたの、真っ白。彼の顔はそれより真っ白になっていたそうよ。「おい、お前、用意はしてきたのだろうな」「用意ってなに?」「ほら、あの鶏の血を入れた小さい風船の袋だよ」「私たちはずっと付き合っていたからみんな知っているものと思ってあれ家に置いてきたわ。」花嫁衣裳を頼むと、衣裳のほかに花束とその鶏の血が入った小袋がセットとして届けられていたそうよ。「どうしよう、シーツに血のしみをつけなくてはいけない」妻の実家まで取りにいくわけにはいかない。ジョンは机の引き出しをあけ中からナイフを取り出して「これでちょっと指を切って血でこのシーツにシミをつけるか」「それしかないわね」ジョンはおそるおそる指にナイフを当て顔をそむけて切った。「イタッ」と彼が大きな声をあげると、傷から血が流れてシーツを染めていく。しかしなかなか血がとまらない。「ジョン、しっかり指を押さえていなさい。私は下に行って包帯をもらってくるから」と彼女はあわただしく階段を降りてテーブルを囲んでいたジョンの家族たちに言った「ジョンがけがをしたので包帯をください。」それを聞いてみんな心配顔になった。治療をして二人で下に降りると包帯をした指を見て、みんなニヤニヤした。ただひとりおばあちゃんだけはため息をつきシュンとなった。

こちらの日本語新聞で、私はインターネット版で購読している ニッケイ新聞( http://www.nikkeyshimbun.com.br ) でも今「ガブリエラ」の連載があっている。佐東三枝 訳で今339回目である。


 

2012年9月2日日曜日

勝ち組、負け組 その2


戦中および戦後の初めにブラジルの日系人の間に何かあったのではないかということはブラジルに関心をもつ日本人や一般ブラジル人の間でもわかっていたのではないかと思う。私が見た範囲でもノンフィクション作家の角田房子が書き毎日新聞社から1966年に発行された『アマゾンの歌』(こちらの日本語新聞に連載され毎日、新聞が来るのが待ち遠しかったのを思い出す)が同名の映画「アマゾンの歌」(仲代達也主演でアマゾンのパラー州に入植した日本移民の話)として製作され後にNHKで見たように記憶しているがその中でも出ていたように思う。
そしてNHKが「放送80周年記念」として豪華キャスト(森光子、野際陽子、米倉涼子、仲間由紀恵、等々)で製作しここブラジルでは2008年に日本移民百周年記念の一環としてNHKから放映された「ハルとナツ  届かなかった手紙」の中でも日本人同士の抗争を垣間見ることができた。
ブラジルのテレビ業界NO1で特にドラマ制作では世界中に販売網を広げているグローボ社が製作したドラマにも戦後のイタリア移民の話の中にも適性国移民の苦悩のエピソードの一つとして日本人移民同士の争いが扱われていた。
戦中、戦後の日本移民を語るには避けて通れない事件ではあるが日系コロニアとしては腫れ物を触るように取り扱ってきたように思う。今回のブラジル映画のCorações sujos (汚れた心)はそれを真正面から見すえた映画としてみんなの心に残るのではないかと思う。
先週の日本語新聞にはドイツ移民の多いブラジルの南部の州に海外最大のナチスの結社があったと伝えていた。
クリチーバの娘婿の両親の家に挨拶に行った時、私が映画を見てきたと話をし戦中戦後の日本移民の話をすると自分たちもだと当時の苦労話を語りだした。クリチーバのイタリア会館は没収され戦後もかなり経って返還されたとか、「私たちはナチス、ナチスと言われたけどナチスじゃなかったのよ」とか当時のエピソードが随分出てきて話に花が咲いた。ちなみに婿の父親はイタリア系、母親はドイツ系私は帰化ブラジル人で日本生まれ。最後に婿の父親が「まるでこれでは「枢軸国間の密談」のようだな」と言ったのでみんなで大笑いとなった。

2012年8月30日木曜日

とうふ


最近近くのスーパーに火曜の夕方日本食品それもごぼう、しいたけ、とうふが並んでいると聞いて早速火曜日の午後出かけることにした。しかしどこにもそれらしきものは見当たらない。近くに商品を整理していた店員に妻が聞いた。「ここにQueijo de soja (豆腐の色、形がチーズに似ているところからここブラジルでは豆腐は大豆のチーズと呼ばれている)があると聞いたのですがどこですか?」「奥さん、Queijo de soja ではありません、それはトウフというものです」と彼女得意げに答えた。分かりやすいようにわざわざQueijo de sojaと言ってやったのにとちょっと頭にきた妻、日本語で「わかりました、ありますか?」と言った、とたんに彼女バツが悪そうに肩をすくめ下向きになり「今トラックが着く時間なので確かめてきます」と小走りに走り去ろうとした時、ちょうど横に居た食品コーナーの責任者、皮肉をこめて「みろ、誰がえらそうな口をきけといった」

このスーパー、最近こちらに進出してきたばかりなのだがお客さんの対応が良いと評判で上のような妻の皮肉も通る。以前大きな楕円形の6キロはあろうかというMortadela(モルタデラハム)を見かけたのでそれを2キロくれと頼んだとき、店員は端から2キロ見当切って私に渡そうとした。これじゃ端っこを少し犬にでもやるかと思って受け取ろうとしたとき傍にいた恰幅のいい責任者私に向って「お客さん少々お待ちいただけますか」といって私が持っているものを取り上げた。そして店員に「真ん中から切って、そこから2キロ取りなさい」と指図した。「しかしそれでは最後に両端が残りますが。私は店のことを思ってお客さんに端から切って売っているのです」「そうか、そしてあんたが自分のために買う時はどうして貰いたいかね?」「それはもちろん真ん中のほうがいいに決まっています」「それじゃそのようにお客さんにしてあげなさい、ここにある全ての物、もし自分が買う時にして貰いたいようにしてお客さんに渡しなさい。」「わかりました」これを聞いて感心した。一般にブラジルでは「売ってやる」という態度が感じられる時が多い。私たちはすっかりこのスーパーのファンになった。特に金曜の夕方から土曜の夕方まではお客さんで一杯で入ろうと思うと車の列ができている。仕方がないからやりすごすこともある。最近開けたばかりだがなんでも今度は家の近くにもう一店開けるとのうわさがたっている。このチェーン、アラブ系の家族がやっている。

2012年8月27日月曜日

勝ち組、負け組



先週クリチーバに居たときCorações Sujos ( www.coracoessujos.com.br )(汚れた心)という映画を観た。第二次世界大戦直後ブラジルの日系コロニア(社会)で起きた悲しい出来事を取り上げておりコロニアの恥部としてその後はあまり公には語られてこなかったような気がする。日本においてでさえ国民には神国日本の敗北を受け入れるのは難しかったのではないか。当時の大本営発表の「敵の被害は甚大で我が方の被害は軽微」(父からよく聞いていた)のニュースを聞かされていた人達にとっては。しかし敵機の襲来、爆撃、そしてそれを迎え撃つすべが無いことを思い知らされた人達には日本が敗北に向かっていたことは分かっていただろう, 口に出さずとも。しかし情報が閉ざされ、しかも当時は多くが農業に従事していたブラジルに住む日本人にとっては日本は神国であり絶対に不滅であると教えられてきた。そこで日本は戦争に勝ったのだと説く「勝ち組」の狂走(この言葉は自作語で広辞苑には載っていませんでした)に巻き込まれてしまい、ブラジルの社会との接触があり日本は負けたのだと思うようになった「負け組」との間で抗争があった。勝ち組の組織「臣道連盟」による暗殺が横行しこれにはブラジル官憲も関与するところとなった。映画の題名のCorações Sujosというのは勝ち組の人が負け組の人に「お前は汚れた心を持った国賊だ」というところから来ている。勝ち組の組織「臣道連盟」(この漢字でGoogleで検索するとWikipidiaで上に書いたようなことが書いてあるので私の説明はここらで止めておく)の話は私が来た1960年ごろはまだ当時の事件に詳しい人達もおられたので時々聞いていた。
しかしこの映画に注目すべきはこれはブラジルのジャーナリストFernando Moraisによって書かれた本を基にしてブラジル人のプロデューサーJoão Daniel,  監督Vicente Amorim によって製作されたということである。配役も日本とブラジルの第一線で活躍し世界的な賞を受けた俳優たちが出演している豪華キャスト。日本では7月に公開されブラジルは8月となった。
日系コロニアでタブーとされてきたこのテーマにあえて取り組んできたことについての監督のコメント「映画で描いたテーマは普遍的なものであり、ブラジルの日系コロニアで起きた話ではあるが世界中で問題になっていることでもある。」
我々も教訓としてこの話を風化させてはならない。映画に携わった人達、ありがとう!
東洋文化センター「トモダチ」を営む娘は関係者から招待券を貰っていたので私もそのおこぼれにあずかった。娘に原作の本のことを聞くと彼女「何言ってるのパパイ、私が読んで良かったのでパパイにも買って送ったじゃない」「えっ、いつのこと?まだ着いてないのかな?」「いつって?もう、何年も前のことよ」「覚えない」。
今本棚をあちこち探している最中である。

2012年8月20日月曜日

冬のクリチーバ


昨日まで5日間娘理奈の住むクリチーバにいた。一週間後にスペインに用事で旅行する娘に手渡すものもあってのことだ。時々ブラジルで1、2を競う航空会社が格安航空券を出す。今回は帰りの券は39レアイス(約20ドル)ということでサイトに入って探したがいつでもというわけにはいかない。20日ほど先の往復切符で320レアイスであったので買い求めていた。ヴィトリアークリチーバ間直線距離で1082キロある、途中サンパウロで乗り換える。娘はクリチーバでトモダチ文化センター ( www.tomodachi.com.br )を開いている。そこでは日本語、韓国語、中国語、マンガのコースの他に生け花、折り紙などのワークショップなどもある、最近は韓国語を学ぶ人たちが増え他の場所でもう一教室開けたのでそこに置くプリンターの据付などの手伝いをした。先生は韓国系の人ではなく韓国に仕事で8年ほど住んだエンジニアで2011年12月のトモダチの発表会では「冬のソナタ」をキーボードで弾き歌った。中国企業の進出などで中国語を今では個人ではなく会社で教えて欲しいとのことで今までの中国人の先生はそちら専門でトモダチではその一番弟子だった若いブラジル人が教えていてビデオなどの補助教材を駆使し中国語を教え人気があるようだ。日本の夏休みを利用しての日本の会話学校との短期交換ホームステイプログラムを組みちょうど日本から来ていた生徒さんともあった。そして今やクリチーバの観光コースの一つでクリチーバが全貌できる高さ110mのコンクリート製の電話会社のタワーで偶然昨年のホームステイで日本に行った若い生徒が日本からホームステイに来た人を案内しているところにでくわした。どんどん交流が広まり日本でブラジル通が増えることを願ってやまない。


タワーから眺めたクリチーバは大きなビルが周囲に広がったような気がした。以前来た時と同じ場所が撮れているか確認して比べてみようと思っている。

さてここクリチーバでは2014年のワールドカップの予選リーグ4試合が行われる(7月16日、20日、23日、26日)。期待していたのに予選リーグだけとはと当地の新聞はぼやいていた。
昨日帰ってきたのだがクリチーバを出たときは15度、サンパウロは17度そしてヴィトリアは27度。迎えに来ているはずの息子の顔が見えない。何でも10キロレースに夫婦で参加して暑さにやられ脱水状態で、ばてているので行けないとの連絡があったそうで妻と孫娘が迎えに来ていた。

2012年8月12日日曜日

ロンドンからリオへ


今日ロンドンオリンピックが終わった。

最終日の今日、期待の男子バレーは惜しくも銀。第3セットで2回もゴールデン・ポイントを逃がし、結局は2対2、そしてタイブレイクで負けてしまい、金メダルはロシアにさらわれてしまった。女子バレーの仇をとられた。最終日恒例の男子マラソンは、やはりアフリカ勢にメダルをもっていかれた。金メダルはケニアでもエチオピアでもなくウガンダ、層が厚い。長距離は当分この傾向が続くのではないだろうか。ずっと4位で走っていたブラジルは最後にアメリカに抜かれ5位そしてその後に日本の選手が入ったのを見た。
ブラジルは金3、銀5、銅9の合計17個で22位という成績だった。
閉会式で選手たちは緊張から解かれショーを楽しんでいた。最後にリオのサンバスクールが登場、2016年のリオ・オリンピックの開会式の雰囲気を伝えた。そしてオリンピック旗はロンドンからリオへと手渡され1453日のカウントダウンが始まった。リオ・オリンピックは2016年8月5日から21日まで。