2018年1月1日月曜日

年をまたいで

あと50分ほどで今年も終わり。テレビでは既に新年を迎えたアジアやヨーロッパの国々のカウントダウンに続いての空を埋め尽くす花火ショーなどを映している。

今年は妻の院内感染のバクテリアとの戦いの年であった。そして今日が最後の抗生剤を飲む日だ。「おい、今日最後の薬を飲んでいるところを写真に撮るよ」と言ってスマートフォンを構えたが「惜しかったね今飲んだばかりで、もうないよ」との返事で撮りそこなった。嬉しい残念なのでまあいいか。

2017はこのブログでは一番ポスト数が少ない年となった。このブログは私の日記帳になってしまい気の向いたときにかってなことを書いている。思い出話も加え自分が生きた人生を自分で振り返ったり子供たちが見てくれたり親戚、友達や知人が私の消息を知ってくれればと思って書いている。私の日本語は私がブラジルに移住してきた1960年の11月、当時高校2年生の時のレベル。書くのが好きな私は自分のために勝手に書いている。しかしこのことが私の永遠のなやみでもある「自分は日本を出てから成長していないのではないか」という悩みに長い間とりつかれた。いまはそれも気にしていないし、かえって私の精神年齢の若さが身体的年齢に少しは影響が出てくれれば儲けものだと思っている。バカの考えることかな??

2017年の次に少ないのが2009年。この年は椎間板ヘルニアに悩まされブログを書くどころではなかった。それからポストが多い年は旅行したかワールドカップがあった年だ。その年のポスト数を見れば大体その年に何があったか見当がつく。

明けましておめでとうございます。いまテレビで新年のカウントダウンがありブラジル最大のリオの花火ショーが始まった。何年か前一度見に行ったのだがカメラを持って行かなかったので記録は残っていない。その時は小雨という天気予報のせいか例年より人が少なくてコパカバーナの砂浜の少し斜めになっている所に寝転んで見ることができた。花火が自分の頭の上に落ちてくるような錯覚を覚えて迫力があった。今はあまり観客が増え過ぎておまけに私も歳をとったので毎年テレビの花火ショーを見ることになったが生はやっぱり迫力が違う。

「あっ、これを録画してブログに載せよう」と思ったがレコーダーは壊れたまま、それではスマホで撮るか、と三脚で試してみたが小さくしか映らない、カウントダウンがすでに始まっている「エーイ、それでは、手に持って15分くらい我慢しよう」と画面に近づいて撮り始めた。
この花火ショーが終わると観客は近くに設けられた夜明けまで続く歌手たちのショーに向かう。







2017年12月27日水曜日

不死鳥シャペコエンセ(Chapecoense)

昨年の11月29日の飛行機墜落事故で19人の選手と25人のコーチやチーム運営陣などを失ったシャペコエンセ、立ち上がるのがむつかしのではないかと懸念されたが不死鳥のごとく空高く舞い上がった。

もちろんブラジル中からの援助があった。セリエAのチームからも選手補充の申し入れがあり17人があつめられた。登録サポーターの人数もそれまで8千人だったのが3万2千人に増えた。セリエAのチームからは金銭的な援助の申し入れもあったらしい。

かくして寄せ集めではあるが新しいシャペコエンセチームが形成された。
サンタカタリナ州選手権では6回目の優勝で昨年に続きの2連覇となった。今まで6回の優勝だが連覇はこれが初めて。

ブラジル選手権セリエAではここ4年間で最高の8位となり来年の南米選手権(Libertadores杯)参加の可能性も出てきた。南米選手権にはブラジル選手権6位までは直接参加だが7位と8位は他国の14チームとの16チームでのトーナメント方式となり勝ち残った4チームが直接参加の28チームと合流し総勢32チームを構成する。あとはワールドカップ方式と同じ。

これを書いていて情けなくなるのがここエスピリトサント州のサッカー、セリエA、セリエBに参加するチームがいないとは情けない。

2017年12月24日日曜日

男女平等



 クリチーバからの帰りサンパウロのGuarulhos空港で乗り換え。ヴィトリアとクリチーバを結ぶ直行便はない。サンパウロで降りてヴィトリア行のゲートに歩いているとちょっと気にかかるものが目に入った。
男性用トイレと書いてあるプラカードの下の方におしめ取り換えと書いてある。おしめ取り換えルームがあるらしい。





それでは女性用トイレの方はどうなっているのだろうと行ってみるとやはりプラカードの下の方にやはりおしめ取り換えとかいてある。ここだけかなと思ってほかのトイレも調べてみたがどれも同じように男性用にも女性用にも同じようにおしめ取り換えと書いてある。

周りを見ると男性たちが赤ちゃんたちをあやしている。

男女同権時代はすでにおわり今や男女同義務の時代に入っている。

久し振りのクリチーバ


リナの旦那の両親の家にて、


クリスマス飾り、Brigitte ville
リナが日本語を教えている大学の庭にて


リナの知り合いの家族の息子さんの初誕生日祝いにて

クリチーバを訪れるのは久し振りで親戚の絆を確かめる。リナの旦那の両親の家は昨年泥棒に入られそれ以来気がめいって急に食欲もなくなり痩せてきたとリナが言っていたので何とか励ましたいという気持ちがあった。歓談の後、少しは元気になられたような気がしたのはうぬぼれか。
リナが日本語を教えている大学はPUC(Pontifícia Universidade Catórica)といってブラジルの私立大学でもトップクラスで大都市には必ずある。案内してくれたが静かで大きな大学だ。
ドーム型の建物があったがプラネタリウムのようになっていて一般を対象とした授業もあり「パパイもこちらに引っ越して来たら一緒にいこう」なんて誘っていた。





















クリチーバのクリスマス



(インターネットから)


クリスマスが近づくとテレビでよくクリチーバの名物ショーである少女たちのコーラスと窓からの踊りが映し出される。12月1日から夜の8時15分から9時まで週の金曜、土曜、日曜日の3日間それが3週間繰り返される。今回は初めて出くわしたので見に行った。場所をとるとそこから身動きできないのでショーの全容は取れなかった。

ショーの終わりは花火。華やかな気分になって帰路につく。



以前はこの通りの数軒がクリスマス飾りを道行く人に公開していたが今はこの一軒だけになったそうだ。

聖しこの夜

今日はクリスマスイブ、朝早くからまぶしい日差しがさしこむ。
今年もあと一週間。思えば妻の膝の手術後の院内感染との戦いとの一年だった。一昨日医者から血液検査の結果がここ2か月安定しているので抗生剤の服用をやめようということになった。診察は3月、それまでに何か変わったことがあったらすぐ来るようにとのことで一応休止符(?)を打った。

これがきっかけで今までボヤーとしていたこれからの人生というものに真剣に向き合わないとという気持ちになった。体力・脳力の衰え、子供たちにも世話をかけるようになる、サラリーマンではなく時間に少し融通が利く娘が早くから自分の所に来るようにと言っていたが今は2018年12月31日と期限を切ってしまった。そうなるとこちらもスケジュールを練らないといけない。こちらからの蘭の花などを全部持って行けるように土地も用意したとか言って勝手に進めている。ちょっとこの頃焦ってきた。


この写真はバードウオッチングに使われる鳥笛でこの地方の伝統工芸品で木を彫りこんで作ってあるのだが一つだけ金属で作ってありこれだけがいろいろな鳥の鳴き声が出来るようになっている。するとこれ楽器として使えないのかなと思ってちょっと慣れてきたら簡単な歌をこれで吹いてみた。1年に数回、思いついた時にしか吹かないので上達しない。
いつだったか州の展示会にここの工房の作品が出ていたのでそこの若い主人と簡単な歌を吹きあったこともあった。
今日は『聖しこの夜」を吹いてみた。
これは鼻笛なので息は鼻から、そして口でおとの調節をする。



https://youtu.be/2Z0GVo1nO98

2017年9月30日土曜日

エスピリトサント州に40年


私達がエスピリトサント州に来て今日9月の末で早40年。過ぎた年月はアッというまだ。今日は二人で思い出話にふけることにした。

約17年間住んだ日本、ブラジルに来て日系人の多いサンパウロ州に約17年、そこを出て生後10か月の娘理奈をつれてここに移ってきた。同じブラジルの中、何も心配することはなかった。

ここエスピリトサント州は日本人が少ない。今でも日本人を初めて見たという人によく出あう。40年前理奈を抱いてヴィトリア(州都)を歩いていると「この赤ちゃん瀬戸物のように肌がすべすべだね。ちょっとさわってみてもいい?」などと立ち止まる人がいた。年に一度はサンパウロに帰っていたが誰も振り向いてくれる人はいなかった。

40年前ここに来た時、家族は三人。そして二人の男の子(カピシャーバと呼ばれる)がここで生まれ家族は五人となった。

今、三人の子供たちはそれぞれ家族を持ち他州に住んでいる。ということで今日は私と妻、二人での40年記念日を祝う。