2008年6月21日土曜日

ブラジルに第一歩を刻む

毎日テレビではサンパウロのSambodromo (カーニバルのサンバスクールパレード用に作られた会場)で行われている百周年の様子がテレビニュースで映しだされている。パラナ州のロンドリーナで盛大に行われているのも流していた。今日リオから帰ってきて予約録画していたNHKの『その時歴史が動いた』の水野龍の第一回ブラジル移民にまつわる話を観た。その番組のはじめに「Japonês Garantido」と書いた紙がでてきてそれが『日本人は信用できる』という意味だと説明していた。あれっ、私のブログのタイトルと同じだ! NHKの明日の番組表をみると『地球アゴラ』で午前3時10分から6時まで南米特集と書いてある。こんなに早くからは起きれない。またタイマーで録画しよう。

1960年11月19日 曇り時々雷雨
僕達は目的港のサントスに11月18日の午後4時頃着いた。それから色々な入港手続や入国手続と荷物の陸揚げでその日は終了。翌19日の朝早く僕達は50日近く乗ったアフリカ丸を降りてサントス税関所に入った。僕の家は4人中に入って仕事をした。沢山積んである荷物の中から自分の荷を見つけてポーターを呼んで運んでもらう。やがて一箇所に荷物を集めると税関吏を呼んで検査をうける。ポーターも税関吏も通訳も皆良くて僕の家の荷は無税で通った。荷はトラックに積み僕達は自動車に乗って一路サンパウロ市近郊のイタケーラに向かった。サントス・サンパウロ間の道路は非常に整備されていた。途中吉岡さんの所で一寸止まって僕達のパトロン(雇用主)斉藤さんの所に着いたのは夜も遅く11時近くだった。バナナや桃をいただいた。そして奥さんはご飯を作って下さったが腹がいっぱいであまりいけなかった。一時する内にトラックが来て僕達にあてられた家に荷を降ろし風呂に入って寝た時はもう時計の針は午前2時を指していた。

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