2014年11月30日日曜日

Castrolanda カストロランダ

Castrolanda, 場内はきれいに手入れされゴミ一つ落ちていなかった。

クリチーバに帰って翌日は娘夫婦とメキシコ料理レストランで昼食。娘がこれからCastrolanda に行こうと言ったので軽く承諾したがクリチーバの町を抜けていく「遠いんだなー」と聞くと160キロあるという。

カストロランダとは町の名前カストロとオランダを組み合わせたものでそこのオランダ移民の集団地の名だ。ゆっくり昼食をとって発ったので着いた時は6時前、風車見学は入館6時までとのことで慌てて入口へ向かう。それでも夏時間なのでまだ陽は高い。

ここでカストロでのオランダ移民の歴史の説明を受ける。1951年から54年にかけて55家族のオランダ移民がこの地に着き酪農や穀物栽培に従事し、結束かたく組合を組織した。当時の農作業の写真なども掲示されてあった。今は近くに大きな穀物用のサイロが並び、乳製品もブラジル全土に発送されている

ラテンアメリカ最大の組合を誇っていたかってのコチア産業組合および他の大小の日系の組合は今は強者どもの夢の跡と化した。どこが間違っていたのか?

この風車は2001年11月30日に植民50年祭の一環としてオランダから技師を呼び作られたもので高さ37m羽根の上下の長さは26m、世界でも大きい風車の一つだそうだ。





大きな木を組み合わせて出来ている本物の風車の中で色々な穀物を挽いた粉をみたり木靴を見たりすると本当にオランダにいるような錯覚を覚えた。ここもこういう宣伝幕を張ったらどうだろう。

Castrolanda,、Holanda sem passaporte! (カストロランダ、パスポートの要らないオランダ!)


Pomerode ポメローデ

Poderode の町の入口

ここもドイツ様式の建物がある

ブルメナウのドイツ村パークを昼食後発ちサンタカタリーナ州の町々を街道脇に見ながら行く。初めにPomerode (ポメローデ)の町に立ち寄る。町の入口のアーチの横に観光案内所がある。そしてプラカードには "A cidade mais alemã do Brasil" (ブラジルで一番のドイツ町)と書いてある。人口の約90%がドイツ系それもPomerania 出身。

ポメラニアとは第二次世界大戦前はバルト海に面したドイツとポーランドに国境を接した小さい国で戦後はポーランドと東ドイツに分けられポメラニアは無くなった。そういう一般的なことは私も知っていた。と言うのはエスピリトサント州にもそこ出身の子孫のPomeranos達がSanta Maria de Jetibáに住みそこの人達とは身近に接しているからである。私たちが行く火曜の有機野菜市と土曜の青空市の野菜や果物売り場に彼らがいて、お客さんがいるときはブラジル語だが彼らだけになると何か分からない言葉で話している。「ポメラノ語?」と聞くと「そうだよ、さっきあなたたちが話していたのは日本語だろう、同じだよ。」と返ってきた。何が同じなのかちょっと疑問だが、私たちが見るところ日系よりドイツ系の方が言語や文化を継承しようと努力しているようにおもえる。

ブラジルにもう一か所ポメラノの集団地が南大河州のSão Lourenço do Sul にある。インターネットで調べているうちに分かったことだが、あともう一州ポメラノをよく見かける州があるという。それはもと直轄地 で1981年に州に昇格したRondonia (ホンドニア)州で2013年にはポメラノ祭りがあったという。そしてそのポメラノ達はエスピリトサント州から移った人達だと。そこで思い出すのがよく近所の知人の何人かがホンドニアの親戚に会いに行くというのを聞いていたからである。ホンドニア? とんでもない遠い所に親戚があるものだと思っていたのがこれで説明がつく。

ここポメローデではポメラノ語は町の公式の第二言語と指定され学校ではポメラノ語の授業もあるらしい。そこでまた思い出したのがエスピリトサント州のサンタ・マリア・デ・ジェチバーの学校でのポメラノ語の授業の様子がテレビで映し出されていたことだ。
このポメラノ語、現ドイツの昔ポメラノ語を話していた地方ではポメラノ語を話す人が少なくなりブラジルの方が話せる人が多いそうだ。

Pomerode を過ぎ娘婿の母親が生まれたというJaraguá do Sul を抜ける。この町にはMalweeブランドの衣類工場がある。そういえばサンタカタリーナ州は織物でも有名でBlumenau ではHering がある。

Parana州に入る前にサンタカタリーナ州で人口が一番多い(約55万5千人)Joinvilleの有名な町の入口の風車を右に見る。ブラジルで州都が他の町に人口で抜かれているのはサンタカタリーナ州のフロリアノポリスとエスピリトサント州のヴィトリアだそうだ。


サンタカタリーナ州とパラナ州の州境で最後の休息、クリチーバまであと79キロ

2014年11月28日金曜日

Blumenau  ブルメナウ


バスでフロリアノポリスから海沿いにサンタ・カタリーナ州を北上する。途中Floripa と並んで夏のレジャー地として有名なCamboriúを通る。高いビルが立ち並んでいる、30階以上はある。夏はサンタカタリーナ州の海辺の町はさぞ賑わうことだろう。




イタジャイー川を過ぎるころバスは左に入りこの川の上流にあるブルメナウに向かう。途中大きなプラカードが目に入った。Blumenau, Alemanha sem passaporte ! (ブルメナウ、パスポートの要らないドイツ ! ) なるほど!

ブルメナウは1850年にブルメナウ薬剤師および17人のドイツ移民により開かれたところである。現在の人口は約30万人、サンタカタリーナ州で3番目の人口を誇る。


ブルメナウの街にはドイツ様式の建物が並ぶ。


クリチーバからブルメナウのホテルまでの251キロを車で迎えに来てくれた
娘夫婦と色々なイベント会場となるVila Germânica (ドイツ村)に行く。
娘の旦那はイタリア・ドイツ系人、大学の先生でカンフーの先生でもある。
彼の母親はサンタカタリーナ州生まれのドイツ系。またここブルメナウの周りは
イタリア系が多い。
色々なドイツモチーフのお土産店が並ぶ。ここのレストランで昼食をとる。

ブルメナウが大きくマスコミに載るのは10月にあるビール祭りOktoberfestの時である。
ブラジル全土からビール好きが集まる。今年は10月8日から26日まであり、来年は
10月7日から25日まである。
下は今年のOktoberfest会場の様子(インターネットから借用)。
このブルメナウのOktoberfestは本場ドイツのミュンヘンのOktoberfestに次ぐ
世界第二の規模だとブラジルのマスコミは報じている。
Público lotou setor do Parque Vila Germânica na quarta (8) (Foto: Jaime Batista da Silva/Divulgação)




Oktoberfestが終われば会場はクリスマスの催し物の準備。私たちが訪れたのが
11月15日、その夜サンタクロースがこの会場に降り立ちクリスマスイベントの
始まりを告げるのだそうだ。




















2014年11月27日木曜日

フロリアノポリス Florianópolis


上の写真はWikipediaからとった

娘の住むCuritibaに年に1度か2度行っている。いつもリオ、サンパウロ経由だが今回はパラナ州の南、サンタカタリーナ州の州都Florianopolis まで行き、そこからはバスでドイツ人が開いた町Blumenau で娘夫婦が車で待ち受け一緒にドイツ村を見学し帰りは婿の運転でクリチーバに向かうとプログラムを組んでいた。

ある日航空券を調べているとマイレージを使うと遠いフロリアノポリスがクリチーバより少なくてすむ便を見つけた。これはめったにあることではないので早速予約した。

フロリアノポリスは面積の約97%が島でブラジルで島が州都になっているのは私たちが住んでいるエスピリトサント州のヴィトリア、マラニョン州のサンルイースそしてここFlorianopolis (親しみをこめてFloripa (フロりパ)と呼ばれている)。

ここの島はヴィトリアと違って大きく、大陸に沿って細長く南北平均55キロ東西平均18キロでここは観光地としても知られ住民は約47万人だが夏のレジャーシーズンには国内、国外、特にアルゼンチンからの観光客で島の人口は約2百万に膨れ上がるとはツアーガイドの話である。ブエノスアイレスからは毎日直行便が着く。

宿はいつものようにダウンタウン地区のホテルにとったので旧市街の観光スポットは歩いて行けた。
                               
               ブラジルどの町にもある旧市街のシンボルともいえる大聖堂

                                                           大聖堂前の公園、中央に大きな木があった。

昔この辺は海で、後ろの建物は当時は船荷の税関所、今は土地の民芸品店
になっていてお土産用の貝細工レースの編み物など多数置いてある。妻の頭の後ろに
見えるのは手でレースを編むときに使う用具の拡大版でツアー仲間の一人は自分は
ボーリングのピンの拡大版かと思ったと言っていた。





        フロリアノポリスはカキの養殖でも有名でブラジルが輸出する80%から90%は
        ここ産だと言っていた。なんでも海水の温度が高いのでここでは数か月で市場に
        出せるのだとはツアーガイドの説明。養殖場の前にあるバール(軽飲食店)で大き 
        なカキと店自慢のPinga(サトウキビ蒸留酒)でランチ。
島の周囲には100の浜辺がありほとんどが観光客がレジャーを過ごす所でホテルなども整っている。しかしまだ島の南の方は昔ながらの漁師村がありエビや魚がとれる。昼食にエビのフルコースを頼んだがあまりに多くて食べきれなかった。

フロリアノポリスは国内、近隣国のほかにヨーロッパの国からも観光客が来て、
不動産を買求めているそうだ。島の北の方は砂浜海岸でその中でもイギリス人ビーチは有名でその名を冠したコンドミニアムがあったので写真に収めた。多くのアルゼンチン観光客を見かけた。通りにはアイスクリームを売る店が多く私たちもPistacheを試したが美味しかった。
Praia do Forte, きれいな浜辺が広がる
大聖堂前公園の傍にこの地が生んだ有名な画家Victor Meirellesの生家
がこじんまりとした美術館となっていて無料で一般公開されている。
1850年代ヨーロッパで約10年間国費奨学生として絵を学んだ彼の作品が
並べてありおまけに詳しいAudio Guideまで無料。ヨーロッパでは高く取られる。
下は彼の作品、Primeira Missa no Brasil (ブラジル最初のミサ)。
1500年4月22日のポルトガルによるブラジル発見後の26日に挙げられた
ミサの様子を描いている。1860年の作品。


この絵はWikipediaからとったものである。


                     さらば、フロリアノポリス