ブラジルサッカーの歴史上最大の屈辱から1年を迎えた
そしてワールドカップでドイツからさんざんに打ちのめされた教訓は
まだ体得されていない。
(街でもらった新聞のトップ記事ー誕生日おめでとうと皮肉ったタイトルとなっている)
そして昨日のニュースの時間、キャスターが「さてみなさん、今日は何の日か知っていますか?」と聞いた。すかさず「そうです、今日は去年のワールドカップの準決勝でブラジルがドイツに1対7で負けた日です」。そうみんなの傷を逆なでするようなことを言うなよ!
もう一つ今年、ミナス州の州都Belo HorizonteのCitytourでバスで回っているときガイドが「みなさん右に見えるのは去年のワールドカップでブラジルがドイツから屈辱の1対7で負けたMineirão スタジアムです」と、忘れようとしているのにあの時の屈辱を思い出させるな!
ブラジルはワールドカップの主催地に立候補すべきではない。1950年には隣国ウルグアイと決勝戦で競り合いで負けた。その責任をゴールキーパーに課した。長い間彼はマスコミの話題の的となった。そして去年のドイツとの1対7の惨敗。これで今は故人となったゴールキーパーの名がマスコミに挙がることはあまりあるまい。これで天国で安らかに眠れるだろう。
さて前のポストの続き。
なでしこジャパン準決勝ではイングランドと試合終了間際まで1対1、それぞれペナルティキックで得たもの。私は試合開始から見ていたが実はハラハラしていた。延長戦になるかと思っていた時、劇的な終末が。イングランドのオウゴールで日本が1点を得て勝利。試合内容に少し不安が残った。さて決勝戦私はまたうっかりして、テレビをかけた時はすでにアメリカが4点を入れていた。まさか?なんでも前半の15分で入ったようでゴールキーパーが前進していたのを見計らってのロングシュートの1点も映像を試合の間に通していた。サッカーの神様と言われたかのペレーでさえ成しえなかったのに。しかしその惜しくも入らなかった彼の当時としては意表をつくロングシュートは彼のベストシュートの一つとしてよく紹介される。
後半果敢に戦ったものの力尽き、2対5で負けてしまった。しかし1優勝を含む3大会連続決勝進出は私は大偉業だと思う。準優勝、そこから得るものが次の優勝に向けての大きな指針となる。
ブラジルとなでしこジャパンがんばれ!
さてCopa America、決勝戦は開催地チリとメッシを有するアルゼンチン。0たい0のままPK戦へ。ここでまたドラマが!アルゼンチンが次々と外し4対1で地元チリが初優勝。
この頃のサッカーの試合は予想不可能。
来年のリオ・オリンピックの入場券はインターネットで開会式、閉会式、全競技種目を受け付けていて、申し込んでおくと抽選で決まるということになっていた。私は体操の男子、女子の個人決勝戦を申し込んでいたが外れたと連絡があった。あとは完売しなかった種目を受け付けているがそれも抽選である。今考え中である。
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