2009年9月12日土曜日

カリカリ・ドーナツ

このレシピは以前近所に住んでいた日系の人の親戚がサンパウロでバールを経営していてこれが一番人気があり稼ぎ頭の商品なのだと自慢してくれたもので確かに金はかからなくておいしいのが出来るのでそれからは子供のおやつに妻がよく作っていて私はカリカリ・ドーナツと呼んでいる。
材料1:
バター:大さじ一杯(やまもり)
卵:一個
砂糖:大さじ四杯
ミルク:大さじ四杯
重曹またはベーキングパウダー:ひとつまみ
(ごま、ナッツ、またはErva doceの種:大さじ一杯、これは好みにあわせてで、なくてもよし)
材料2:
小麦粉:かるくコップ3杯

作り方:
1. 材料1を混ぜる
2. それに材料2を入れ、手にべたつかない程度の固さに練る(固すぎれば牛乳を少し加え、柔らかすぎれば小麦粉を少し加える)
3. 少しちぎって手のひらで径約一センチの棒状にのばし両端を合わせドーナツ形に作る。
4. 中温の油にドーナツを数個入れじっくり中までカリカリになるように揚げる。周りがきつね色になったらひっくり返し反対側を揚げたら引き上げる。油が高温になって外が焦げ中が生という状態にならないようにたっぷりの油の中に常に数個のドーナツがあるようにし温度が上がらないように気をつける。次に入れるドーナツは揚げている間に準備すればよい。

コメント:
1. 固く練ることにより油を吸わない。
2. 冷蔵庫に入れなくても2週間位平気
3. 感覚的に言えばクッキーの一種。

2009年6月21日日曜日

椎間板ヘルニア - Hérnia de disco

3月の初めの或る日足に激痛が走った。足を地につけれないほど。始め足の親指と人差指(手の場合はこう呼ぶのですが足の場合はどう呼ぶのでしょう?)の間から痛み出しそれが足の外側に沿って登ってきた。これはいつもの足のくるぶしから足の裏を腰まで上っていく坐骨神経痛とは違うなと思って医者の診断をうけレントゲン写真やCTスキャンなどから椎間板ヘルニアと言い渡された。少し痛みが取れ始めた頃からリハビリを始めて今は痛みは取れたがまだまっすぐに歩けない。ほとんど良くなったと自分では思ってみても時々ある動きをする時にまだまだだなあと思い知らされる。足のかかとをつけてつま先をあげるときとか横に寝て足を上げる時とか右足の方が良くあがらない。一応リハビリが終わってまた医者の診断を受けるようにしている。リハビリに行くと腰、膝が悪い人がかなりいる。そして今までは気が付かなかったのだが街を歩いていてもかすかにびっこを引いてる人たちもかなりいる。自分がなってその微妙な差に気が付くようになった。今は毎日Wii Fitに付き合ってもらっている。この任天堂のWii Fit とWii Sports、アメリカでは爆発的に売れブラジルでも徐々に売れてきているが値段が高いので普及はなかなか難しい。家庭で気軽にゲーム感覚で身体を動かせるのでまだ外でウオーキングが出来ない私にはもってこいの品物で重宝している。あまりにも治るのに時間(月日)がかかるのでこのまま一生少しびっこをひいて歩かなければならないのかという思いが時々頭をよぎるこの頃である。

2009年3月24日火曜日

海から見たニテロイ現代美術館


海から見たオスカール・ニーマイヤー設計のニテロイ現代美術館

2009年3月23日月曜日

グアナバラ湾観光


リオにまた用事で来ている。今日はひまが取れたので前回来た時に調べておいたリオ・ニテロイ両市に囲まれたグアナバラ湾一周の観光船に乗り込んだ。35人の客の大部分が外国人。韓国から9人、アメリカから3人、その他はわからない。普段歩いたり乗り物にのってまわっている所を今日は海から眺める。360度陸が見渡せるグアナバラ湾は波がほとんど立たず静かだ。観光名所を海から眺めるのは知られない裏の面を見るような気持ちだ。湾の中ほどの小さな島の上に以前政治犯の収容所として使われていた所があった。一目でここに連れてこられた人達は絶望に陥っただろうなという気がした。ニテロイ市側にまわると去年の6月23日のブログのオスカール・ニーマイヤーの現代美術館を海から望むことができた。20年ほど前は何度も通ったリオ・ニテロイ橋を今日は下から眺めた。海の上を13キロ以上、両市を結ぶこの橋は今見ても当時は大変な工事だっただろうなと思わせる。約2時間の湾内一周観光を終え無事グロリアのマリーナに着いた。この遊覧船毎日9時半、グロリアのマリーナから出ている、予約必要なし料金は35レアイス(1ドル約2.5レアイス)。
写真は政治犯収容島。

2009年2月14日土曜日

Abricó


リオに来て異国情緒を味わわせてくれるのがこのアブリコーの木である。一目で不思議な感じのする木で今の時期は木の幹に濃いピンクの花が咲き丸い実がぶらさがっている。原産地はどこだろう? アフリカだろうか? まだよく調べていない。リオではこのフラメンゴ遊歩道、植物園や他の場所でもよく見かける。気候が合ってるのだろう。ここのフラメンゴ海岸は数キロに渡り埋め立てされ公園が造られ浜辺に沿った遊歩道は朝早くからランニングやウオーキングの人達でにぎわう。グロリアヨットハーバーからはリオと対岸のニテロイ市の観光名所を海から望む湾内一周の遊覧船がでる。そしてここからは世界に知られる観光名所のポン・デ・アスーカルのケーブルカーと遠く岩山の上コルコバードのキリスト像がかすかに見える。端には美術館もある。その中庭で中国系と思われる若者が太極拳を舞っていた。ここも新しいリオの顔の一つである。海辺の町は開放的でここでもヴィトリアと変わらずポロシャツと短パンで街を歩けるのがいい。
写真はリオ近代美術館前のアブリコーの林。写真をクリックすると大きく見れます。

2009年2月12日木曜日

リオの猛暑

今息子の住むリオに来ているがここ数日の暑さには参る。ヴィトリアに比べると同じ海辺の町でも風が少ないせいか蒸し暑い。朝、裏の通りの青空市場で買い物をしていてこんな会話を耳にした。
「地球の温暖化で北極熊が絶滅の危機にあるというがこう暑くちゃ人間だって絶滅に近いぜ」「そうだよ、昨日の夜は暑くて全然眠れないまま仕入れの時間がきてしまってよ、今もうろうとしているんだ」「結局生き残れるのはエアコンを持ってるやつだけかよ!」

2009年2月8日日曜日

皆さん、未来へようこそ!

二月九日から大ヴィトリア都市圏でも地上デジタル放送が始まる。サンパウロやリオなど大都市では以前から放送されている。デジタル放送を導入するにあたり通信省は色々調査した結果日本の技術を採用した。一般庶民誰でも無料でみれるというのが魅力だ。新聞でもどういうタイプのテレビを買うと100%機能を活用できるとか詳しく載せている。また今回のデジタル化はテレビが発明されて以来の大革命だとも述べている。テレビ放送(放映?)が始まって五十数年だと思うが以来大衆娯楽の王様の座を占めてきた。多くの人にとってテレビのない生活など考えられないのではないか。日本にいた頃は近くの伯母の家で見る力道山のプロレスの試合が楽しみだった。こちらに来てからは数年電気のない生活を送ったのでテレビとは縁がなかった。その後テレビを買ってからはブラジルのテレビ番組を観るのだが午後6時頃から10時頃まで中にニュースを挟んでの三本のドラマは皆の楽しみで日常会話でも持ちきりの時がある。テレビドラマの俳優たちの演技のうまさは言うまでもなくカメラマンたちのアングルの撮りかたなど感心する。以前外国の電子機器やコンピュータ機器の輸入制限があったが私は当時よく人に機器の輸入を自由にし良い機器を使わせればブラジル人は創造力を十分に発揮しその製品を輸出できると言っていた。実際ブラジルのドラマは世界中に輸出されている。よく知られているがサーカー王国ブラジルのワールドカップ時の熱狂はすさまじい。一億数千万のブラジル国民がナショナルチームの監督にはやがわりする。これもテレビなしでは語れない。
今日の大ヴィトリア都市圏の地上デジタル放送の開始を知らせる記事の終わりはこう結んであった 「皆さん、未来へようこそ!」