2015年11月22日日曜日

五城物語 その3 悲劇の大阪城

秀吉が栄華を誇った大阪城がなぜ私には悲劇の城としてしか残っていないのだろうか。おそらく豊臣家滅亡へとつながった冬の陣と夏の陣のインパクトがあまりにも強いからだろう。 テレビの大河ドラマでもその辺が一番視聴率が高いのではないのだろうか。

姫路城の後、大阪に戻りまだ時間があったので大阪城まで足を延ばした。Aender にも大阪城は世界遺産ではないけど日本ではおそらく姫路城より知られている城だからと説明するといつも身につけている分厚い日本観光ガイドブックを取り出し「それは知っています、行きましょう」という。姫路城を一緒に歩いていても彼の方が勉強しているのでよく知っている。 重要ポイントが見つかると彼の方から説明したりする。

私もちょっと調べてみた。日本の三名城と呼ばれているのは大阪城、名古屋城と熊本城と出ていた。熊本城は小学校6年の時の修学旅行で行ったような気がするが確信はない。大阪城は34年前にも大阪に住んでいた母方のいとこと行った。今回名古屋のホテルにも泊まるようにしているので名古屋城には行くつもりだ。








大阪城の後は大阪駅近くの夜のアドベンチャーが待っていた。娘がガイドブックで見つけたもので梅田スカイビルの173mの高さの空中庭園から大阪の夜景が360度見渡せる。しばし(強い)夜風にあたる。













2015年11月21日土曜日

五城物語 その2― 世界遺産の姫路城

 関西をあちらこちら見て回るのに新幹線に便利な新大阪駅の横のホテルをベースホテルとした。
大阪から私ら家族3人のほかに娘の大学時代の友人で当時我が家に出入りするうちに日本に興味を持ち始め今はサンパウロ市で裁判官をしているAenderが同行することとなった。

彼は今世界遺産を訪ねることをライフワークとしてこれまで193の世界遺産を訪れてそれをブログに綴っている (www.aender.com.br )。私は彼を世界遺産ハンターというニックネームを付けているが彼なかなか日本に行かない。何年か前、家に来た時にそのことを話したら私たちがいつか日本に行く時があったらその時一緒に行きたいと言った。それで声をかけると早速航空券を買い15日の休暇を取って私たちの後から日本に行って世界遺産めぐりをすることとなった。

彼はイタリア系ブラジル人でイタリアのパスポートを持っているので日本に行くにもアメリカのビザも日本のビザも要らない。イタリアは人口が減り続けているので2世代前までがイタリア人であることを証明すればイタリアのパスポートを与えている。私はといえばブラジルに帰化して日本に本籍はないので日本のビザを取らなければならない。アメリカ経由なのでアメリカのビザもいる。ビザを取るにも私たちの州は小さいのでここから約500キロ離れたリオの総領事館まで行かなければならないしそれもそれぞれ一日では取れない。

それでもアメリカのは一回とると10年間有効だが日本のは一回きり。また行こうと思っても再び取らなければならない。不便だ。
昔は旅行社が手続きをしてくれていたがアメリカの2001年の9.11事件後は本人出頭となった。ヨーロッパへはブラジルはビザが要らないのでつい足はそちらに向いてしまう。

Aender に新大阪駅のすぐ横のホテルだから飛行機で成田に着いたらそこから成田エクスプレスで東京駅まで行きそこから新幹線の「ひかり」に乗り新大阪まで来るようにメールで指示していた。彼が「ひかり」に乗った時間を連絡してきたので私たちは到着時間前に行き新大阪で出迎えた。時間が計算できる日本だからできた芸当である。

もう一つ外国人短期旅行者に便利なのは本国出発前に買える「JRパス(Japan Rail Pass)」。Aenderも彼のブログの中にこの便利良さに触れている。このJRパス」は外国でしか買えず使用開始日から7日間、14日間、21日間有効の3種類のパスがあり、新幹線の「のぞみ」「みずほ」には乗れないがそれ以外の新幹線を含めたすべてのJRの乗り物にはこのパスで乗れるのですごく便利だ。日本に外国人観光客が増えているのにはこのパスが大きな役割を果たしているのだと感じた。

何か変な方向に話が脱線してしまった。ポストのタイトルに戻ろう。


世界遺産 姫路城、その美しさは白鷺にたとえられまたの名を白鷺城と呼ばれている。
観光客が多くこの日は暑かった。




いろんな所に敵から攻められた場合の工夫がなされている


 姫路城の横の庭園 好古園







五城(+1)物語  その1 岡山城

別にチャールズ・デッケンズの「二都物語」のタイトルを真似たわけではない、いやあるか。
今回の一か月の訪日の間五つの城を見ることが出来た。そして京都の二条城をプラス1とした。
平地に建てられた城はたいてい石垣を築いてその上に建てられているので城と名前は付くが二条城は外した。そしてこのうち三つの城が徳川家康に関係があり、どこも400年と書いた旗がひるがえっていた。日光でもそうだった。今年は家康没後400年ということで色々な催し物で観光客を呼び寄せようということらしい。

岡山には亡くなった父とは一回り歳下の叔父さんが住んでいる。そして叔父さんと私の間も一回り違う。小さい頃は近くに住んでおられたので「あんちゃん」と呼んでいた。残念なことに父方の叔父、叔母ではこの叔父さんしかいない。二人の従弟とも会ってきた。

岡山城そして隣接する日本三大名園の一つ「後楽園」(あと二つは水戸の偕楽園と金沢の兼六園)を叔父さんと長男が小雨のなか案内してくれた。しかし降ったりやんだりで暑くなく、歩くのには良かった。
岡山城はなにか品がある、別名「金烏城」と呼ばれ天守閣があるのは珍しいらしい。



屋根の上には金のしゃちほこ

昔の殿様になった気分

後楽園は広い緑が広がる。

後楽園の中の高い所で




叔父さんとホテルのロビーで話していると横で妻と娘がじっと叔父さんを見ているのに気が付いた。「どうしたのだ?」と聞くと娘が「おじいちゃんだ!」と叫ぶ。私もよく見ると確かに父によく似ている。「叔父さんが親父によく似ているのでびっくりしているんですよ」というと「当たり前だろう、兄弟だから」

近くのショッピングモールで秋のキノコ天ぷらそばをいただく

翌日の昼はこの地方の名物かに料理のフルコースを「甲羅」で皆そろってごちそうになった。
叔父さんはまだ自転車を乗り回して、歩くのも私より速いくらい。いつまでも元気でいて下さい。

鹿児島 2

翌日も小雨が降っていたので宮崎行きは断念した。ホテルのフロントでパンフレットを見ると一日乗り放題の市内ツアーバスがある。薩摩の誇りはやはり西郷隆盛、大久保利通を始めとする明治維新、明治時代に活躍した偉人たち。その中にキリスト教をアジアに広めて聖人となったフランシスコ・ザビエルの一角もあった。そしてどこからでも桜島が見える。明日はフェリーで行ってみよう。

西郷隆盛像

若き薩摩の群像


城山から鹿児島市と桜島を望む

フェリーで桜島に到着


バスで行ける一番高い展望台、私たちが日本に来るちょっと前に小規模の噴火が起きた。
桜島に来て心配になったことは火山と人家があまりにも近すぎるということ。

溶岩で製作された像


市内を回っていると、どこでも「黒豚料理」の看板が目につく。ホテルの近くの専門店で「黒豚のしゃぶしゃぶ」をいただく。妻は豚のこの部分は脂が多くてブラジルでは絶対に買わないところだけれど「しゃぶしゃぶ」にしたらいけるねと言う。早速ブラジルに着くとその肉を買い求めて「しゃぶしゃぶ」にして食べている。


ホテルの窓から見た新幹線車両、昔(?)から見るとずいぶんスマートになっている。

2015年11月20日金曜日

九州新幹線で鹿児島へ

ブラジルでもNHKのテレビは見ている。九州新幹線が開通したというニュースが出た時は日本に行ったら絶対乗るぞと思った。
始めの旅行プランでは鹿児島まで行ってそこから宮崎のえびの市に行く計画だった。親戚の消息は分からないけど一度行ってみようと思っていた。

新幹線で鹿児島に着くと雨が降り出した。駅のすぐ横のホテルに宿はとってある。観光パンフレットを見るとかなり大きな水族館がある。雨が降っていても差し支えないのでそこに行ってみよう。

さすが世界に誇る新幹線ゆったりとしていて気持ちがいい。時間は正確で速い。






https://youtu.be/pI5QoQgdMYw

https://youtu.be/Yq1mg4OLmUQ





親戚巡り

今回の訪日は日本の親戚との絆をつないでおきたいという気持ちからはじまった。このままだと私たちの世代で絆は切れてしまう。そうい意味で娘が同行したことは大きな意義があった。彼女と同世代そしてその下の世代までつながる可能性がでてきた。

私の母は宮崎生まれで昔は飯野町今は合併してえびの市となってる所の出でいくつかの電話を34年前の手帳に書き留めてあった。日本に行く前から連絡しようと電話をかけてみるが通じない。日本に行けば何とか連絡が取れるだろうと思っていた。しかしいざ着いて市役所に何か聞こうとしても個人情報は渡せませんと受けあってくれない。前回訪ねた岐阜に住んでいた母の弟の所も「この電話は使われていません」という返事しか帰ってこない。母は一昨年91歳でなくなったから弟といっても生きておられれば85歳以上。亡くなっておられるかも知れないと考えだした。

宮崎というと私はすぐ「まき」を思い出す。もち米をタケノコの皮に包みあくに漬け蒸して作るのだそうだ。そうだというのは私は食べたことしかなく母がブラジルに来る前に里帰りした時に「お土産は何がいい?」と聞かれ「まき」と答えたのを覚えている。あくで表面がかすかな黄色を帯びて素朴な味がする。「グルメ」なんて言葉もなかった時代、私には美味しく感じられた。
何回か買って食べる機会はあったがうっかりして逃がしてしまった。

ブラジルに来る前は母の姉の家族が近くにいてよく行き来していた。34年前は叔父さん,叔母さんも元気でそこのいとこ達、千葉、埼玉に住んでいたみんなとも会った。
しかし今回はいとこは一人しか会えなかった。叔父さん、叔母さんは亡くなっておられ、私より年上のいとこ四人のうち二人は亡くなり、一人は消息知れずそしてもう一人は重い病気だという。
私より三歳年下の従弟が直方で畳店をやっているので訪ねた。34年前に訪ねた時と同じ場所だと言ったが周りはきれいになっていた。
結局ここでも宮崎の親戚の消息はわからなかった。母の姉さんの所の子供は亡くなったらしいとのことだった。

私たちに色々な素材で作ったサンプルを作ってくれた

妻はお土産に数枚もらった

                従弟の横は奥さんそして息子さんの家族、息子さんは中学校の先生



故郷巡りツアー

いとこの友達で私が昔住んでいた所の近所で店をしていた人を知っているからどこか行きたいところがあったら彼に案内してもらうよ、といわば故郷巡りツアーガイドさんを紹介してくれた。

彼は同じ学校に通った一年下の人で当時は会っていた可能性はあるがなにしろ56年も前の話である。しかし案内してもらって話しているうちに確かに同じ時代に同じ所にいたことがわかりものすごく親しみがわいてきた。そして私が小、中学生頃によく一緒に遊んだ人が彼の友人でよく知っていて、その場で名古屋にいる昔の友達と携帯で話すことができた。

小さい時に走り回った故郷も数十年後ではまるっきり見当がつかない。それでも彼が昔ここには映画館があったとかここには病院があったとか言えば「あー、その横は幼稚園だったな」と言うと「そうだったね」とあいづちをうつ。そして私が遊んだところは彼が遊んだところでもあった。
娘も父親が子供の頃遊んだところを巡り感激した様子だった。

平山の堤、夏休みにはよく泳ぎに来ていた


堤から見た景色

面白い遊び




堤のすぐ横の八幡さん(こう呼んでいた)に上る階段、昔は桜の木が両側にあった。
今は竹林で周りが見えない。
、
八幡さん


私が昔はこの辺の山には「アケビ」や「ウベ」がなっていたと話したら栽培している人を知っているからと山のふもとの家へ連れて行ってくれた。


アケビ、熟れると割れて中の白い種のところを食べる(?)
ウベは皮が緑で割れないがやはり種のところを食べる(?)

彼岸花が咲いている

私が通った高校、今は閉校となっている

嘉麻市の山田市役所で獅子舞のDVDをいただく

大分八幡宮のくすの木、天然記念物

夜はブラジル式バーベキュー

自見さんのお宅で朝のコーヒーをいただく