私の母は宮崎生まれで昔は飯野町今は合併してえびの市となってる所の出でいくつかの電話を34年前の手帳に書き留めてあった。日本に行く前から連絡しようと電話をかけてみるが通じない。日本に行けば何とか連絡が取れるだろうと思っていた。しかしいざ着いて市役所に何か聞こうとしても個人情報は渡せませんと受けあってくれない。前回訪ねた岐阜に住んでいた母の弟の所も「この電話は使われていません」という返事しか帰ってこない。母は一昨年91歳でなくなったから弟といっても生きておられれば85歳以上。亡くなっておられるかも知れないと考えだした。
宮崎というと私はすぐ「まき」を思い出す。もち米をタケノコの皮に包みあくに漬け蒸して作るのだそうだ。そうだというのは私は食べたことしかなく母がブラジルに来る前に里帰りした時に「お土産は何がいい?」と聞かれ「まき」と答えたのを覚えている。あくで表面がかすかな黄色を帯びて素朴な味がする。「グルメ」なんて言葉もなかった時代、私には美味しく感じられた。
何回か買って食べる機会はあったがうっかりして逃がしてしまった。
ブラジルに来る前は母の姉の家族が近くにいてよく行き来していた。34年前は叔父さん,叔母さんも元気でそこのいとこ達、千葉、埼玉に住んでいたみんなとも会った。
しかし今回はいとこは一人しか会えなかった。叔父さん、叔母さんは亡くなっておられ、私より年上のいとこ四人のうち二人は亡くなり、一人は消息知れずそしてもう一人は重い病気だという。
私より三歳年下の従弟が直方で畳店をやっているので訪ねた。34年前に訪ねた時と同じ場所だと言ったが周りはきれいになっていた。
結局ここでも宮崎の親戚の消息はわからなかった。母の姉さんの所の子供は亡くなったらしいとのことだった。
私たちに色々な素材で作ったサンプルを作ってくれた
妻はお土産に数枚もらった
従弟の横は奥さんそして息子さんの家族、息子さんは中学校の先生
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