私達もエスピリト・サント州の自宅に帰ってきたのでここらでクリチーバシリーズを終わりたいと思います。最後にクリチーバ観光を振興するONG が出していたパンフレットがあったので日本語に訳してみました。
なぜ皆クリチーバに魅了されるのでしょう?
タングアー公園
アラメ劇場
オスカール・ニーマイヤー美術館
パノラミック・タワー
クリチーバ大聖堂
ザニネリ森林公園
クリチーバではどこでも新しいものに出会うことに驚かされることでしょう。
この町が世界的に知られているのは単なる偶然ではありません。都市計画に携わる人たちの優れた才能そして市民の生活向上に対する熱意がモダンで整った魅力ある町を誕生させたのです。市が市民のために企画した交通システム、環境管理、社会問題への対応などの都市問題への解決策がここを訪れる人たちを感嘆させるのです。
この町の広大な公園、近代的な記念碑そしてここに住む数多い民族の特性は観光客の目を見はらさせることでしょう。文化はこの町の中心をなすものです。そのプログラムは常に豊富で種々の劇場、映画館、展示館、それぞれの民族センター、記念館そして博物館などで催されています。
青空市から高級レストランまでクリチーバは全ての人の味覚を満たします。また夜のクリチーバは色々な選択肢を提供します。市の中心部から町外れに至るまで詩と現実が交錯しあい現在と未来との出会いを創りだすのです。
クリチーバを訪れてみませんか?
そしてなぜ皆この町を好きになるのかを発見しましょう。
観光路線
日本広場
バリグ公園
チンギ公園―ウクラニア記念碑
クリチーバ観光二十の魅力
1. ブラジル観光都市ランク:4位
2. ブラジル南部の最良の文化都市
3. 生活の質の高さ
4. 一人当たり52平方メートルの緑地、30以上の公園や森
5. ホテル数150以上、室数一万以上、ベッド数一万八千以上
6. 歴史の古い町や島、浜などがあるパラナ州の海岸線から100キロ以内
7. ビジネスの新基点
8. インフラ整備―ブラジル3位
9. 最良の経費―恩恵比率
10. ビジネス最良都市:ラテンアメリカ5位以内
11. 飛行場 - ダウンタウンより20分
12. 直行便でリオ・デ・ジャネイロより1時間30分、サンパウロより50分
13. メルコスール経済圏の戦略的な位置
14. 都市計画のモデル
15. 国際的に評価されている公共交通システム
16. 優れた道路網
17. イベント会場100以上
18. ここに住む数多くの民族の影響を受けた料理の多様性
19.買い物は30以上のショッピングセンター、手芸品・料理フェアー、テーマ別のショッピング通りなど
20. 2003年アメリカ文化都市に選出される
クリチーバ観光の最良のコースをご紹介しましょう
グルメコース
多様な味覚、香りそして香辛料。クリチーバ料理とは種々の習慣と文化の合成といっても良いでしょう。イタリア、アラブ、ポーランド、ドイツ、ポルトガル、日本などそれぞれの国の習慣と伝統が受け継がれています。またブラジル各地の郷土料理もメニュを豊かにしています。
観光ライン
ジャルジネイラと呼ばれる観光バスが25の観光名所を回ります。バスは30分毎に出、44キロを2時間半で一周します。
観光列車
汽車で海岸山脈を通り抜け歴史的にも古い海辺の町モヘッテス、パラナグアヘ下りパラナ州海岸線の名物料理バヘアドで昼食でもいかがでしょうか。
船で湾内一周をし帰りはグラシオザ街道を一気に上れば素晴らしい展望が楽しめます。
文化コース
種々豊富なプログラムが用意されております。クリチーバ記念碑、男爵邸などの博物館や文化ギャラリーが歴史地区の美しさをひきたてています。
特に3月に催されるクリチーバ劇場フェスチバルそして14万4千平方メートルを占めその中で目の形のデザインが人目を引くオスカール・ニーマイヤー美術館は必見でしょう。
宗教観光
巡礼や宗教祭などクリチーバは精神的な探求そして宗教的な儀式においても豊富です。イースター期間中に法王の森で行われる食料祝福はその一例です。ちなみにクリチーバの宗教観光ルートは信仰の道と名付けられています。
民族観光
クリチーバに根付く諸民族がここを世界都市化しています。市内にある森、広場、公園や記念碑は民族の多様性を反映しています。6月の移民祭りそして9月の春祭りにはクリチーバ市民ばかりでなく訪問客も一緒に日本の文化に接しブラジルへの日本移民百周年(1908-2008)への敬意を表します。
最良の年齢
クリチーバは観光省がシニア層、年金受給者達の社会参加を促すことを目的としたプロジェクト「もっと旅をー最良の年齢」の対象都市の一つにもなっています。この観光パッケージは誰もが手が届く値段で観光代理店で買うことが出来、年金からの差し引きで分割払いも利用できます。
買い物ツアー
クリチーバでは色々な地区で民芸品、骨董品そして料理フェアーなどが行われています。それぞれ決まった品物を売っている通り、例えばテフェー通りでは30以上の店が服、靴およびアクセサリーを売っています。歩行者天国のキンゼ・デ・ノベンブロ通りでは庶民向けの品々、市営市場では豊富な品が揃い、またサンタ・フェリシダデではインテリア用の民芸品、装飾品の店が数多くあります。
冒険ツアー
クリチーバは多くの冒険ツアーの入り口とも言えるでしょう。マルンビ州立公園がその良い例です。その他にもグアケサバ、グアルテラーのキャニオン、セーホ・アズル、カンポ・ラルゴ、カンピーナ・グランデ・ド・スール、ラッパ、モヘテス、ポンタ・グロッサ、ピラクアラ、パラナグア湾などがあります。体験できる種類としては山登り、木登り、ラペル、ラフティング、モーターボートでの探検などでしょう。
農村観光
農村観光の選択肢は数多くあり、クリチーバ市周辺ではピニョン(松の実)・ルートがあります。訪問する人達は田舎の環境のなかで生産や日常生活に触れる機会を得そこのコミュニティの自然、文化の維持に貢献します。
ビジネスおよびイベント観光
この件に関してクリチーバは最良の都市インフラおよびアクセス、優れたサービス業、様々な供給業者そしてイベントに必要なスペースを提供することが出来ます。2007年には国際イベントが開かれた都市としてブラジル第8位にランクされました。
多様性。文化面での種々の選択肢、高級レストラン、にぎあうカフェー、会話が弾むバー、パーティや娯楽で盛り上がるナイトクラブ。
簡単な物から高級品までを提供する色々店やブティクでの買い物の選択肢をチェックしましょう。
2009年1月28日水曜日
2009年1月27日火曜日
Ópera de Arame
クリチーバで感心したのは石切り場の跡を上手に公園に仕立て上げている事である。ちょっとでも気を緩めるとゴミ捨て場になりかねない所を池のある市民の憩いの場の公園、森の中の環境大学そして上の写真のオペラ・デ・アラメのようにオペラ劇場にもなっている。アラメとは針金のことだが遠くから見ると確かに鉄パイプが針金のように見える。ここで去年の日本移民百年祭の催しもあったとのこと。クリチーバは土地の低いところは池のある公園となって大水の時は水を貯める役割もしているそうだ。歴代の市長が都市計画のエキスパートで環境対策のモデル都市となっているのだとクリチーバ人の鼻が高い。もうちょっと暖かければ私もクリチーバに住むことも考えないでもないが。
2009年1月24日土曜日
オスカール・ニーマイヤー美術館 - Museu Oscar Niemeyer
去年はリオの対岸のまちニテロイでオスカール・ニーマイヤー設計の現代美術館を訪ねたが今回はクリチーバのオスカール・ニーマイヤー美術館。官庁が並んでいる一角にあり道路わきの大きな目の形をした建物なのですぐわかる。パラナ松の上部の枝が水に映った姿からデザインされたそうだが、一般的には『目』として知られている。それとその後ろの地下1階地上2階の広々とした柱の少ない空間の多い建物とで美術館となっている。下部を水で囲まれている『目」の部分とは地下道でつながっている。スペースがあるのでなかはゆったりと展示されている。独創的なデザインの建物だが新鮮さをかもし出ししかもまわりの景観をそこなわずマッチしている。くわしいことは知らないが一素人の印象である。オスカール・ニーマイヤーは今百歳。NHKの番組ではないが『百歳バンザイ!」。これからも独創的なデザインで世界を魅了してほしい。
ヘンゼルとグレーテル
2009年1月23日金曜日
Vila Velha 州立公園
Vila Velha (「古い町」という意味)というとエスピリト・サント州にながい私たちはすぐ大ヴィトリア圏のVila Velha市を思いつくが、ここパラナ州ではクリチーバから100キロ程のVila Velha 州立公園のことである。ここは奇岩群で有名で説明によると三億年前の氷河時期にできたらしい。公園内はきれいに整備されており見学は奇岩群までは専用のバスにのって行きその後は歩いて廻るようになっていた。特にカップの形をした岩が有名で私の記憶では以前はワールド・カップと呼ばれていたように覚えている。亡くなった末の弟がクリチーバで働いていた頃、最初に送ってきたのがここの岩のカップを背景にした写真であった。もう30年前の話である。この奇岩群、雨風にさらされ侵食されて毎日形を変えているということである。写真は公園内のカップ岩の前にて。
クリチーバはヨーロッパ?ー その2
クリチーバの旧市街を歩いているとまだ私の記憶に新しいイタリアの街を歩いているような錯覚を覚える。昨日はウクラニア公園を訪ねそしてポーランド公園の横のポーランド料理店で遅い昼食をした。なんでもクリチーバを中心にこのパラナ州にはウクラニア系人口の90%以上が住んでいるとのことだ。ポーランド公園には前のローマ法王ジョン・ポール二世の訪問があった。今日はドイツ公園を訪ねドイツ系の娘の姑の案内でドイツ料理店で昼食。街を散策していると時々ヨーロッパの観光地で見かける二階がオープン・デッキになっている観光バスに出会う。とにかくクリチーバはヨーロッパが凝縮されているまちである。
写真はウクラニア公園内の教会、後ろにパラナ松の林が見える。
2009年1月21日水曜日
クリチーバはヨーロッパ?
2009年1月19日月曜日
クリチーバでの日本若者文化
今娘の住んでいるパラナ州の州都クリチーバに来ている。一年八ヶ月振りだが何も違和感を感じさせない町だ。落ち着いたヨーロッパ的な雰囲気がそうさせるのか。娘はこの町の花時計のある広場の横で「日本文化センターともだち」と名付けた日本を含めた東洋文化入門の教室を開いている(www.tomodachi.com.br)。生徒はほとんどが非日系の若い人達だそうだ。今ブラジルでも日本のマンガ(漢字に変換すると正確に言い表せないような気がする)、アニメ, CosplayそしてJpopなどに興味を持つ若者達が増えている。特にここクリチーバではClaudio Seto氏等が早くからまつり と称した催し物をとおしてこうした新しい日本の若者達の文化を紹介し浸透させていったということを知った。去年の暮れの彼の急死、惜しい人が亡くなった。娘のセンターで家族、親交のあった方たちの出席のもとカクテルパーティがあり一室がSala Claudio Seto と命名された。そこで彼自身が描いた日本神話、民話を題材にしたイラスト、出版されたマンガ等が紹介されその一つ一つに彼のすばらしい才能がうかがわれた。
今週は毎日夜七時から九時まで「ともだち」で日本の若者文化についてのセミナーが催されている.当の日本人がとまどうような勢いで海外に広がっていった若者文化。これが一時的なブームなのかそれとも根付くのか当分目が離せなくなってきた。
上の絵は展示された彼の作品の一つで右の絵の左端の男の子は彼の息子さんがモデルだとちょうどその時横に居合わせた彼の娘さんが教えてくれた。
2009年1月9日金曜日
明けましておめでとうございます
新年明けましておめでとうございます。いつも正月には今年は去年より良くなるような気がします。振り返ってみると実際年々良くなってきているようです。危ないのは今年で、今年さえ切り抜ければこの説実証ずみのハンコを押せるかとおもいます。
今年の正月はサンパウロのソロカバから妻の叔父夫婦が二十数年振りに一緒に来てくれて楽しい時を過ごすことが出来ました。叔母は腸のがんを患い手術、そして約二年間の闘病生活。それを克服しての今回の旅行。前より元気になったのではないかと思うほど精力的に私達の組んだスケジュールをこなしてくれました。その姿に妻も私も大喜び。医学の進歩がありがたい。以前「がん」という字を漢字に変換した時 なにかこわいような気がして「癌」とでたのをあわてて「がん」と元にもどしてしまったのを覚えている。漢字というものは字に色々な感情が染み付いてしまっているようです。『戦争』という漢字はそれぞれの頭の中で無数の忌まわしい感情で染まっているに違いない。今またガザ地区での紛争。人間はいったい賢いのか、そうでないのかわからなくなってくる。
上の写真はエスピリト・サント州の郷土料理ムケッカ(Moqueca)を堪能した海辺のレストランにて。あいにく食後に撮ってもらったので土鍋の中の料理はたいらげた後で写っていないのが残念。
登録:
投稿 (Atom)