ロンドンから帰ってきてクリチーバに住む娘のところへ電話した。「ロンドンは良かった?」「ああ、良かったよ」「しかしあのブログに書いていた地図と磁気コンパスって何かのジョーク?今はケータイとGPSの時代でしょう。新しいテクノロジーにすぐ飛びつくパパが?」「いや、あれ本当だよ。助かったよ。」「パパが?」娘はまだ疑っているようす。「あっ、それからロンドンの三越でお前に日本語の本を買ってきたよ。」「えっ、ロンドンで?」また疑っている。
実際にGPS機能が付いているケータイ(携帯)は持っているがまだ使ったことがない。考えてみるとここ2,3年車で遠出をしたことがない。自分の家から半径60km以内の所をうろうろしている。わからない所は行く前に確認すれば迷わずに着く。近所の知合いの家の息子、サンパウロで結婚し親の近くに引越してきた。息子の母親,身体の調子が悪く医者通い。家のものは忙しくて手が離せない。つい嫁さんに頼む。彼女軽く引き受けて「大丈夫、GPSがあるからまかせておいて」といって医者や病院へ迷わずに連れて行く。そこの娘たちより道は良く知っているようになった。便利なものをうまく使いこなすものだと感心していた。年を重ねると新しいものに順応する能力が徐々に減ってくる。ますます小さくなって多機能搭載、手先がいうことをきかない。そこで大きな地図と磁気コンパスとなるわけだ。しかし森で道に迷うとか通信パニックが起きたりすれば我々のほうが有利だなと自分を納得させている今日この頃である。
2011年6月26日日曜日
サントス・フットボール・クラブ 48年ぶりの快挙
22日の水曜日は南米クラブ選手権でサントスがウルグアイのペニャロルを2対1で破り48年ぶり南米のチャンピオンとして今年の12月に開かれる世界クラブ選手権に出場することとなった。これはサッカーの王様ペレーを中心に名選手をそろえた全盛期時代のサントスが1962年および1963年に南米チャンピオンそして世界チャンピオンとなって以来のことである。私個人の感覚ではサントスはいいところまで行った年が何回かあったような気がしたのでもっとチャンピオン回数があったと思っていて意外だった。ペレーは1969年に1000ゴールを達成し1974年までサントスの選手だった。
当日はペレーも顔を見せ、勝った瞬間には周りの者、そして選手たちと抱き合い、ついにはサントスの監督の手をとり二人で競技場の真ん中まで駆けて行きファンに感謝の手を振っていた。
今サントスは新しい黄金時代を迎えている。サンパウロ州選手権では去年と今年チャンピオン。この快進撃の原動力となっているのが19歳のNeymar。髪はモヒカン刈り。スピードそしてボールさばきで敵陣を突破してのゴール。サントスの3選手は南米選手権決勝戦のあと来月からアルゼンチンで始まるアメリカカップに参加すべくナショナルチームと合流するために発った。アルゼンチンのメッシとブラジルのネイマール。アメリカカップ、そして12月の世界クラブ選手権二人の対決に目が離せない。
当日はペレーも顔を見せ、勝った瞬間には周りの者、そして選手たちと抱き合い、ついにはサントスの監督の手をとり二人で競技場の真ん中まで駆けて行きファンに感謝の手を振っていた。
今サントスは新しい黄金時代を迎えている。サンパウロ州選手権では去年と今年チャンピオン。この快進撃の原動力となっているのが19歳のNeymar。髪はモヒカン刈り。スピードそしてボールさばきで敵陣を突破してのゴール。サントスの3選手は南米選手権決勝戦のあと来月からアルゼンチンで始まるアメリカカップに参加すべくナショナルチームと合流するために発った。アルゼンチンのメッシとブラジルのネイマール。アメリカカップ、そして12月の世界クラブ選手権二人の対決に目が離せない。
2011年6月24日金曜日
ロンドンーヴィトリア、11日目、6月20日、我が家
ロンドンを朝早くたちリスボン、リオと乗り継ぎ夜の8時過ぎ我が家に到着。やはりなんといっても我が家が一番いい。今回は期限切れ寸前のマイレージのただの切符を使っての旅行で体の調子との相談で無理のないスケジュールでロンドンだけに絞り十日の滞在となった。全部約三が月ほど前の予約だったが全てうまくいった。ブラジルで買ったEurostar のきっぷまで。
ヘルニアと相談しての休み休みの見て周り。明日は無理かなと思っていても翌日はまた元気がでる。困るのは急ぐのに少し小走りをしなくてはいけない時。特にリスボンでの乗り継ぎ、一時間しかなく飛行機が遅れて着く。しかもナガーイ廊下。小走りに行ってもう乗り込み中の列にはいる。無理せざるをえないがどうにか持ちこたえた。自分の体に感謝したい。この頃は医者の言うことより自分の体に相談して決めている。自分の体は自分が一番良く知っていると信じているところからきている。しかしこれも限度があろう。医者との診察の日を決めねばなるまい。
ロンドン旅行中の写真は www.saheki.com に載せてある。
ヘルニアと相談しての休み休みの見て周り。明日は無理かなと思っていても翌日はまた元気がでる。困るのは急ぐのに少し小走りをしなくてはいけない時。特にリスボンでの乗り継ぎ、一時間しかなく飛行機が遅れて着く。しかもナガーイ廊下。小走りに行ってもう乗り込み中の列にはいる。無理せざるをえないがどうにか持ちこたえた。自分の体に感謝したい。この頃は医者の言うことより自分の体に相談して決めている。自分の体は自分が一番良く知っていると信じているところからきている。しかしこれも限度があろう。医者との診察の日を決めねばなるまい。
ロンドン旅行中の写真は www.saheki.com に載せてある。
ロンドン、十日目、6月19日、バッキンガム宮殿
昨日の買い物コースはあまりゴタゴタして落ち着かなかったのでもう一つのスポット
Covert Garden に行くことにした。また人込みの中だがそれでも騒がしくない。ここはあちこちでパーフォーマンスもあって面白い。夫婦でレストランでオペラを演じているもの、野外で楽器を弾いているもの、コメディをやっているもの、楽しめる。
私の持ち歩いている青いバッグ、これはネットブックが入るというだけで持って来たのだがくたびれているのでここで良いのを見つけて買い求めた。孫恵美にちょうどいい服もあった。このあたりはRoyal Opera House が横にありミュージカル劇場も沢山見かけた。テームズ川をもう一度見ようと道を下っているとCharles Dickens の家を見つけた。さらに下ってテームズ川、ロンドン・アイが真横から見える。この辺はEmbarkment といって観光船や船バスなども沢山でている。やがて木々の緑のあいだからBig Ben あの喧騒の中から見たのとは別のおもむき。Westminster Abbey の前へ、そうだ、ここまで来たのならバッキンガム宮殿まで行こう。エリザベス女王の誕生パレードを見たから十分だと思っていたがやはりロンドンに来てバッキンガム宮殿に行かないてはない。公園を斜めに行くと宮殿前の大通りThe Mall にでる。道の真ん中を歩いて宮殿へ。宮殿前の噴水にも大勢の人。それでもゆっくりと見て回れた。
女王様、お別れの挨拶にきました。ロンドンよありがとう。
今回、ロンドンでは他の国と比べて(私たちの限られた経験からだが)人の温かさを感じた。こちらを信用してくれているので気持ちも安らぐ。これがロンドンの魅力なんだと納得した。
ロンドン、九日目、6月18日、Camden Town
今日は観光スポットめぐりは止めて買い物でもしようと決めた。以前調べておいたここから近いCamden Town に行こう。駅を降りるとまだ早いのか人通りも少なく店も今開けているところだ。とにかくマーケットのあるところまで行ってみることにした。川があり遊覧船が浮かんでいる。舟は十時半に出て1時間半で戻ってくるという。ちょうどいいタイミングだ乗ってみよう。かなり乗り込んできた。初めに水がせき止められている狭い舟一隻しかはいらないところに来て止まった。すると後ろの門が閉まり水かさが増してくる。うえの門の水位と同じになると門が開き舟は進む。なるほどパナマ運河形式か。しかしここは皆手動。ガイドの女性が降りて取っ手をつかんで開け閉め、大変だ。やがて舟は運河に入る。沢山の舟が運河沿いに止めてある。屋根に野菜を植えた鉢が置いてあったり自転車がのっていたりデッキ・チェアーが並んでいたり皆ここに住んでいるのだ。左はRegent Park 、動物園の入り口もある、こちらからでも入れるようになっている。途中に赤い色の中国レストランがある。やがてLittle Veniceに着きそこの池でUターン。運河の脇は大きな柳が多い。散歩したりジョッギングしたりそんな人達と手を振り合う。やがて戻ってきてさっきとは逆のプロセスで舟は下の水位へと推移し岸につながれた。行きは晴れていたが帰りは雨が降り出しまだ降っている。今まで我慢したが堪忍袋の緒が切れた仕方ない折りたたみ傘を一本買ってしまった。
マーケットに戻るとすごい人の波。一緒に流れて店の中に入ったりする。ここはヒッピー市か?サンパウロやリオにもこんな所はあるがもうすこしスペースがある。食べ物の屋台が並んでいるところに来た。色々な国の食べ物、結局スペインのValencia Paella と中国の焼きそば(?)にした。骨董品なども売っているがあまり気を引かれるものが無く他のところへ行こうということなりそこをでて買い物街のOxford Streetにいくことにした。ほかの人達も同じことを言ってメトロに乗り込んでいた。
ここも人が多い。いつもこうなのだろうか。名の知れたデパートが立ち並びユニクロもある。色々見て回っているうちにまた黒い雨雲が上空に、パラパラときだすと今まで道路一杯の人達が吸い込まれるようにメトロの駅へなだれこんだ。
2011年6月17日金曜日
ロンドン、八日目、City
今日は昨日と入れ替え、ロンドンの City を訪ねることにした。City といってもロンドン市のことではない。ロンドンの心臓部およそ一マイル平方の所で、ロンドン市が始まったところらしく現在はイングランド銀行などがある金融街となっている。
まず目指すはセントポール大聖堂。またオーディオ・ガイド。建設の歴史などが耳から流れてくる。上を見上げるとドームに描かれている絵がすごい。こういう所に入ると自分の小ささに気づき謙虚な気持ちになる。この大聖堂でCharles 皇太子とDiana妃の結婚式が執り行われた。鐘楼の近くまで登れるという。何百段あるかは忘れたがチャレンジしてみることにした。マイペースでとの妻の助言。ゆっくりと狭い階段を登る。最初にドームのところに着く。高さ30mそしてドームの直径は31m。ここはささやきの回廊と呼ばれている。反対側の人のささやきが聞こえるからだそうだ。妻がドームの反対側にまわってこちらに向かってなにか言っている。ちょっと場所をかえ正反対と思われるところで試すと妻の言っているのが聞き取れる。私の方からも言ってみた。手を上げた。聞こえたようだ。音が反射して聞こえるように設計してあるらしい。そこからはドームの外側を伝って登り高さ53mほどのところに出る。外に出ると目の前にテームズ川そしてロンドンがみわたせる。テームズ川をはさんで真正面にはこの後行く予定のTate Modern 美術館の威容が。それを結ぶMillennium橋。
大聖堂の階段を下りているうちに降り出したのか又雨だ。しかし先ほどは遠くまで見渡せたのに。まったくロンドンの天気はわからない。小走りに橋を渡ったが美術館に着いたときは少し濡れていたのでまずは体をあっためようと7階にあるレストランへと向かう。テームズ川側は全部ガラスになっていて見晴らしがいい。ここは美術館のレストランにしては雰囲気がいい。サーモンの燻製と野菜のクリームあえの前菜と羊の肉を頼んだ、柔らかくとてもよかった。飲み物はばらのつぼみのお茶とリストにGooseberryなるものをみつけたのでそれを頼んだ。妻はTamarindo の味に似ているといった。食後は上から下に階を降りながら絵を鑑賞。
美術館を出るとすぐ横にShakuspeare劇場が。一応中をのぞいてまた雨が降りそうでそれに遅くなりそうなので家路につく。
2011年6月16日木曜日
ロンドン、七日目、大英博物館
朝目をさますと雨が降っている。少し風もあるようで窓を開けると外は寒い。そのうち止むだろう。しかし朝食を終わって少し待っていてもまだ同じ。明日に予定していた大英博物館の見学を今日にするか。雨が降っていてちょうどいいあのタクシーをつかもう。黒い特徴のあるモデルのタクシーがどんどん通る。手をあげても止まらない。さすが今日はロンドンっ子もタクシーということか。やっと止まって乗り込む。中は思ったより広い。座席が後ろのほう。運転席の後ろのほうに補助席が二つ倒せるようになっていて向き合って5人は座れる。それでもゆっくり荷物が載せれそうだ。
イギリスの誇る大英博物館へ。なにか入り口のほうがごったがえしている。全ての観光客どうやら私と同じ考えを持ったらしい。正面ホールは広くて高い。受付、ショップ、軽食もとれる。やはりオーディオ・ガイド、これなしでは過ごせない。まず指示に従って古代、それも石器時代から。やがてエジプト、アッシリアとすごい歴史の勉強だ。ナポレオンがエジプト遠征の際持ち帰ったロゼット・ストーンがあった。エジプト語とギリシャ語で書かれてあったためそれを解読することによってそれまで謎だったエジプト文明が解き明かされた。上の写真はギリシャのパルテノン神殿の上部の方に飾られていたもので後ろは壁であったため当時の人さえこの後ろの詳細は見ていない。ギリシャ神話に基づく彫像もかなりあった。大英帝国の影響力を思い知らされるいろいろな国からの収集物。歴史の中を歩く。
軽い昼食をして時計と館内地図とを見合わせる。まだ半分も見ていないし時間もそんなにない。二階のエジプトのミイラは時間をかけたが後の近代までの装飾品の展示などは見て通るだけとなった。それからまた下の方に行くと日本、韓国、中国のコーナーもあった。
今回の旅行の目的の一つでもあり一度は見ておきたいと思っていた大英博物館。古代文明は素晴らしかった。
館を出た時は雨も止んでいたので歩いて帰ることにした。地図と磁気コンパス、一度も迷わずに一番近いルートで帰り着くことができた。所要時間約20分。
ロンドン、六日目、ブラッセル(ベルギー)
今回の旅の楽しみの一つはベルギー、ブラッセルへの日帰り旅行。ロンドンからはパリとブラッセルへドーバー海峡のトンネルを抜けて行ける。パリは以前行った事があるのでブラッセルにした。
実はこの切符、旅行を計画した3ヶ月ほど前にインターネットでブラジルの代理店を通じて買っていたのではたして有効なのか心配だったのでホテルに近いEurostarの切符売り場で確認してもらったらOKということで安心した。早く買ったので安く一人往復120ドルほどだった。これはヴィトリアからリオまでのバスの切符の値段だ。
18両編成で私たちは2等席。それでも十分なスペース、静かで早く快適だ。ブラジルも2016年のオリンピックに焦点を合わせてカンピーナス、サンパウロ、リオをつなぐ高速鉄道の国際入札をしていたが今どうなっているのかわからない。時々持ち上がっては立ち消えになっているプロジェクトで今回は大丈夫だと思っていたのだが。
7時34分にロンドンをでて9時20分にブラッセルに着いた。2時間弱、しかし時差の関係で10時20分とアナウンスしていた。タクシーに乗り“Grand Place” (グラン・プラス:大きな広場という意味)へ。駅から近く7.5 Euro. 周りを高い歴史を感じさせる建物で囲まれた広場。上の写真は市庁舎、お城のようだ。この広場は世界遺産に指定されておりかってあのヴィクトル。ユーゴーが世界一美しい広場といったそうだ。広場には花屋が屋台の店をだしており、レストランも広場に席を設け花で飾っている。そのレストランでベルギービールを頼み昼食。ロンドンより日差しが強い。隣の席に座ろうとしたフランス人夫婦が間にある傘を広げて良いかと私たちに聞いたが、陽の方向が反対だと悟り他の席に移っていった。心地よい陽だ。食後周りを歩いてみることにした。ワッフル、チョコレート、クッキーなどでも有名だ。通りにも甘い香りがしている。ちょっと立ち止まると、小さく切ったのを試食しないかと差し出す。ちょっと私には甘すぎる。
王家のご用達もしているというじゅうたん専門の店で小さな座布団カバーを買った。その近くにかの有名な小便小僧の像があった。高さは約30センチほど。後で彼が世界中から送られた豪華な服が博物館に飾られてあったがなぜか今日は裸だった。日本からのが二組あった。そのあとは観光コースをたどり、伝統的な店が並ぶGaleria Hubert, サンミシェル大聖堂、それから芸術の丘を登り王立美術館へと。なんと王立美術館の名前は日本語でも書いてあり人に聞かなくても間違う心配はない。すごい建物でスペースがぜいたくに使ってある。
帰りにのどが渇いたので小さなにぎわっている広場でコカコーラとアイスを頼んでひとまず着席。素人楽団がなつかしのメロディを弾いている。ポケットにはじゃらじゃらの硬貨が入っている。彼らにお礼として置いて来た。イギリスはポンド、ここはユーロ。時々出し違えて断られた。イギリスもなかなかしぶとい、たいていでユーロにしてくれないかなー。
帰りは早く切り上げたので駅に6時頃着いた。切符は8時。前のに取り替えてもらえないかと聞いたら満席だという。しかしこの広い駅に座るところはない。あるのはカフェやレストランのだけ。こうなるとヘルニアが怒り出す。仕方ない、座り心地のよさそうなソファがある店を探す。そこでよく賞味しなかったワッフルとクッキーを頼む。やはり甘いが時間をかけて完食。8時のEurostar で発ち帰りはフランスのLille に止まったので2時間要したが着いたのは時差もあり9時。まだあたりは明るかった。
2011年6月14日火曜日
ロンドン、五日目、シャーロック・ホームズ
ロンドンの天気はわからない。晴れていてもいつ雨が降るかわからない。それでロンドンの紳士というと傘を持っている絵になっているのが納得できる。今朝空を見上げるとなんだか天気が良くなるような気がした。歩いてみようかなと近所を一回りして足と相談したがまだだというのでやはり地下鉄にした。
Baker Streetで降りた。聞き覚えのあるところ。そうだ、シャーロック・ホームズが住んでいるところだ。ベカー街221aに彼の家があった。小説と同じ作りとなっている。メイドもいて上の写真をとってくれた。今彼は出かけているという。彼のコレクションの数々をみる。不思議なものだここにフィクションの世界が再現されている。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズ。私にはなつかしい。もちろん、日本にいた頃の中学、高校時代に読んだことはあるがこちらに来てある日、本屋に入るとシャーロック・ホームズの本がある。知っているのもあるし読んでないタイトルもある。二冊買ってきて辞書を横に、わからない単語の訳をページの上、下に書き込んでいった。もちろん農作業に追われている毎日なので暇があるわけがない。一冊訳すのに相当な時間を費やしたような気がする。しかし物語が展開するので面白く私のポルトガル語の語彙の範囲を広げていってくれた。そんなことも思い出しながら興味深く見て回った。
近くに有名なマダム・タッソーのロウ人形館がある。バスが横付けになっていて制服を着た若い子たちがどんどん降りている。日本の高校の修学旅行らしかった。私が日本にいた頃に比べると時代も変わったなーという思い。彼らもなかで楽しんでいた。最近の有名人たちのがかなりあったがやはり私たちには若い頃の思い出の顔がいい。いくつかはwww.saheki.com にも載せてある。
外に出るとまだ天気がいい。近くのRegent Park に行くことにした。これも日本語のロンドン紹介のサイトにRose Gardenのバラがすばらしいと書いてあったからだ。ロンドンに来て驚いたのは公園の多さ。それも広い。このリーゼント・パークの一角には動物園もある。池のほとりのベンチで一休みしてからまわる。6月、色々な花が咲いている。バラが多くなってきた。種類も多い。甘い香りがする。心が和む。
日が照ってポカポカしてきた。公園の寝椅子でくつろいでいると公園の見回りの制服を着た人が来た。なにやらメーターらしきものを首から下げている。「これは公園の貸し椅子で一時間当たり1.5ポンドとなっています」という。もうすこしいることにして3ポンド払う。妻は久しぶりの陽気の中うとうとと眠り始めた。
ロンドン、四日目 6月13日, 世界遺産
ロンドンには四つの世界遺産がある。先に訪ねたウエストミンスター寺院、今日いく予定のグリニッジ天文台周辺およびロンドン・タワーそして王立植物園キュー・ガーデン。
幸い地下鉄の駅がすぐなので全て地下鉄の乗り継ぎで目的地に着く。ロンドンに着いてすぐ飛行場の地下鉄の駅で Oyster Cardを買い求めた。改札でカードを置くと自動的に読み取り降りるときにそこまでの料金を差し引くようになっている。リオの地下鉄も同じようにカードで乗っているが料金はどこまで乗っても一律なので,ある金額を入れると何回乗れると計算できる。リオのはカードはただだがここのはカード代5ポンドそして30ポンドを入れたので合計35ポンドとなった。この5ポンドはカードを返す時に受け取れるそうだ。
朝食を済ますといつものように地図を片手に出かける。今回は初めて磁気コンパスを持ってきた。道に迷った時はこれが意外と役に立ちあまり人に道を聞かずにすんだ。
グリニッジに着くと小高い丘の上に建つ旧天文台を目指す。ヘルニアが気になるがなんとか登れた。丘の上に東と西を分ける子午線ゼロがある。皆列に入り自分の番がくるとそれぞれのポーズで写真を撮る。上の写真は子午線をはさんで東に私そして西に妻、「東に生まれる男、西に生まれる女と結ばれる」とした。
グリニッジからロンドンタワーまではクリッパー船に乗ってテームズ川を伝う。これは日本語のサイトに紹介されてあったので使わせてもらった。確かにロンドンタワーの入り口に着いた。ここは入場料を払ってオーディオ・ガイドを借りた。ポルトガル語はなかなか無いのでいつも日本語となる。これがあるのとないのでは知識の吸収に大きな差ができるのでいつも使うようにしている。イギリス王朝の愛と憎しみの歴史が詰まっているところだ。エリザベス二世女王の戴冠式に使われた王冠もあった。
ここからタワー・ブリッジはすぐそこ。ブリッジを上方でつないでいる歩道橋は橋の建設に関わる歴史とエピソードや世界の有名な橋などが展示してあり見晴らしもいい。さいごに機関室の見学を終え橋を渡っていたら。サイレンが鳴り響き橋の両側で係員が早く渡れとせかしている。これは橋が上がるのだなと急いで橋を渡る。やがてゆっくりと橋が上りはじめた。その下をマストだけは高いスクナー船が通って今度は橋がゆっくりと閉まっていく。それをビデオに収めたのでブログに載せようとしたがあまりにも容量が大きくてだめだった。
まだ明るかったので川べりを散歩していたらさきほどの船がまた通り、橋がまた跳ねた。機関室の見学の時の説明では一日三回開くということだが今日は三回見た。
私達が運が良いのか、それとも先ほどの説明は間違っていたのか分からなくなってきた。
2011年6月12日日曜日
ロンドン、三日目-雨で寒い夏の日曜日
まず昨日のブログが(つづく)で終わってしまっていたのは家からノートブックを持ってきているのだが調子がおかしくなり、日本語を書くときに画面が動かなくなってしまいそれが2度もおこり、その2度目は全部書き終えたときにおきたので、頭にきて何もする気がなくなり寝てしまったからである(色々切り貼りしていたらこんなに長い文になってしまった)。今それを書き終え今日のブログにはいるところだ。
ロンドン、これで夏なのだろうか。朝、目をさますと小雨が降っている。おまけに寒い。風も吹いている。私達常夏のヴィトリアから来た者にはこたえる。来る前、インターネットで天気予報をみていたのだが最高23度くらいで最低は16度くらいだったと思う。しかし今日インターネットにはいって見るとここ当分最高は20度をこす日はない。今日などは風も加わって12度くらいの感じだ。ヴィトリアの年の最低気温が14.5度なので経験したことのない寒さ(?)となる。
そこで今日のプログラムは外に出ることはあきらめ家の中、すなわち博物館めぐりとなった。ハイドパーク近くのVictoria & Albert 博物館、自然史博物館、科学博物館を渡り歩くことにした。幸い3博物館はお互い30mと離れていないし地下鉄を降りてすぐ。地下鉄を降りるとあちこちにFreeと大きなのぼりが立っている。ここロンドンはほとんどの博物館・美術館の入場料は無料である。まずV&A博物館から始めることにした。コレクションの数も豊富で全部見たなと思いきや又新しいテーマの回廊が見つかったりで思ったより時間を要した。ロンドンの博物館・美術館は軽食がとれるようになっておりあっというまに一日が過ぎた。あまりの寒さに外食はあきらめ、近くの店でハム、チーズ、ワイン、果物を帰りの途中で買いホテルで過ごすことにした。ホテルでは電気ポットがありコーヒーとお茶が飲めるようになっているので家にいる気分でこのブログを書いている。
2011年6月11日土曜日
ロンドン、二日目 、Lucky day
昨日は疲れていて計画していたスケジュールをこなせなかったので今日は昨日のスケジュールでまわることにした。なんとそれが幸運にもエリザベス女王の誕生パレードにばったり出会ってしまった。地下鉄のピカデリー・サーカス駅で降りエロスの像の写真を皆撮っていたので私も仲間入り。そのあと皆ぞろぞろ下に向かっていくので私たちもついて行くことにした。急に警官の数が増えた。そのままちょっと先に行くと道の両側に人だかり。何事かと聞くと今日はエリザベス女王の誕生パレードがあるという。思ってもみなかった幸運。このチャンスを逃すわけにはいかない。入り込もうとしても人垣のすきまを見つけることができない。やっとのこと一人分開いている所を見つけて割り込む。しばらくしているうちに二人分を確保。バッキンガム宮殿からまっすぐの道、つい最近テレビでウイリアム王子とケイト・ミドルトンさんとの結婚式のとき実況でみた道だ。じっと待っていると寒い。しかしあきらめるわけにはいかない。やがて赤い制服のおなじみの王宮護衛の兵たちの行進が始まった。沿道では皆写真撮影。私も負けずとシャッターを押す。ビデオモードで撮っていたので女王が通られる前に電池がなくなってしまった。スペアーを持ってきているので差し替え。節約しようと写真モードだけにしていると突然女王の乗られている馬車がきた。もうビデオモードに切り替えるひまはない。写真モードだ。パチパチ。それで幸いこのブログにのせることができた。人生なにが幸いするかわからない。またその逆もしかり。
パレードの後はNational Galleryに行くことにした。突然見知らぬ人が話しかけてきた。にこにこして「女王様を見ましたか?」「はい、もちろん、写真も沢山」ちょうどいい「National Galleryへはどう行きますか?」「この道をまっすぐすぐそこですよ。私も行きますから一緒にいきましょう」どうやら私たちが女王様のパレードを見に行ったので気にいられたらしい。「ここがTrafalgar SquareでこちらがNational Gallery」
「そしてこの広場には無料のトイレもありますよ」これは役に立つ情報だ。「しかし 今日はまだこの後女王様が顔を見せられるのでもう一度女王様をみてそのあとNational Galleryを見られるほうがいいと思いますよ」「ありがとうございます」私はトイレへと彼と別れた。しかし私たちもそんなに時間がない。もう女王様はあきらめてNational Gallery へと足を向ける。
National Gallery、巨匠たちの絵のコレクションがあるが入場料無料。他の国なら高い入場料を取られるはず。国民に均等の機会を与えようということなのか。他の国もまねするべきだ。日本からの入場者も多い。3時間ほど見て周りGalleryないのコーヒーショップで熱いカプチノをたのむ。外は寒いだろうからまずは体を温めないと。外はちょうど陽がさしてきた。Big Benが見える。歩いていこう。ヘルニアを患っていらいこんなに歩いたことはない。少し心配だ。Big Ben 横を通りWestminster寺院へと。
(つづく)
しかしここは後でゆっくり来た時にして今日はテームズ川を見たいとの妻の申し入れで国会議事堂の横をとおりまたBig BenにもどりWestminster橋へと出た。今日は土曜日、観光客でいっぱい歩くのも困難。色々な言葉が耳にはいる。テームズ川思ったより広い。対岸左手にロンドンの新名所ロンドン・アイが見える。幸い陽が照っている。
今日は遠くまで見えるはず、このまたとないチャンスを逃すわけにはいかない。これは前もって予約あるいは計画しようとしても天気ばかりはどうにもならない。おまけにロンドンでは。近くに行くとかなりの列。それでも当日券の列に入る。切符売り場の係員に聞くと30分ぐらいの列で観覧車一回りが30分ですとのこと。すこし安心した。ロンドン・アイの説明が4Dでありますから見てくださいとのこと。3分ほどで建設当時の映像などのコマーシャル映画が始まった。水しぶきの映像の時は本物の霧がふってき、雪の時は本当に舞い降りてきた。数分で終わったと思うが出るとき下を見たらまだ雪が残っていた。3Dは視覚で立体で見れることで、4Dとはプラス肌で感じるということなのか。凝ったしかけをしたものだ。なるほど列に入るとかなり速く進むので30分ほどでゴンドラの中へ。体はゆっくりと宙へ。130mまで上がるのでロンドンのまちが段々小さくなっていく。360度の景色を満喫してゴンドラを降りる。とたんに曇ってきて小雨が降りだした。今までの天気はなんだったのだろう。とにかく今日はついている。早足で地下鉄の駅へ向かう途中Obentoの字が目にとまった。屋台で西洋人がやきそばと弁当を売っている。台の上には一個しかない。その最後の一個を買い求めた。またついていた。ホテルに帰りワインと日本食(春巻き、ギョウザのほかに肉が沢山はいっていた)という変な組み合わせだがなかなかよかった
2011年6月10日金曜日
ロンドン、 初日
今回ヨーロッパ行きの二人分のマイレージがたまり7月からは50%増しのマイレージが必要となるので長年行ってみ(見)たいと願っていたロンドン行きに利用することにした。イギリスは近代文明を牽引しかってはその帝国に陽の沈むことはないと言われたほど領土を拡大した。いまでもそのかっての領土だった国々は、今でもイギリス連邦を形成し最近だったと思うがオーストラリアでイギリスから独立するか否かの国民投票があったがやはり連邦の一員に留まったように記憶している。なにか不思議な魅力を持った国のようだ。学校では歴史、地理と色々なところで出てきて当時は皆の夢をふくらましたものである。
ロンドンに着くまではヴィトリアを発ち、リオとリスボンでの乗り換えだったが今回は全ての便が小一時間遅れおまけにリスボンでの乗り換えは時間が間に合わなかったので一時間先の切符に書き換えてくれいったん税関通過という指示だったので長い列に入りパスポートとエアーチケットを見せたらこのまままっすぐ飛行機に乗るのだったら後ろの階段を上り廊下をまっすぐに行きなさいと言われて結局パスポートにはんこなし。ながーい廊下、おまけに誰もいないのでちょっと不安になってきたころようやく手荷物検査の係員たちが見えてきた。ロンドン行きに乗り無事到着、そこでパスポートにヒースロー空港着のハンコ。そこでパスポートをめくってみた。以前イタリアに行ったときのハンコはリスボンのハンコだけである。ヨーロッパ連合圏に入ると最初の国のハンコだけで他の国へ行っても全てフリーパス。今回も危うくリスボンになるところだった。ヒースローの係員はさすがイギリス、好意的で紳士だった。旅の目的を聞き観光だというと最後に日本語で「ありがとう」との言葉をかけてくれた。「Obrigado」ではなく。機内のアナウンスでは13度のこと、もう夏だと思うがVitoria の冬より寒い。
今ではインターネットで情報を手に入れることが出来るので一応準備はしてきている。
飛行場からは地下鉄にのりホテルの近くの駅へ。ホテルは駅から約50メートルほど。これもインターネットで2ヶ月ほど前に予約していたもの。
いったん荷物を整理し近所の探索に出かけた。今回はEurostarでベルギーのブラッセルまでの日帰り旅行も計画しているので早速 St.Pancras駅を見に行った。地下鉄の駅と並んでいるので近い。何枚かの写真を撮った。それらは www.saheki.com にのせてある。ロンドンは落ち着いたまちというのが第一印象。これからどんな顔を見せてくれるのか楽しみだ。
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