2015年11月20日金曜日

親戚巡り

今回の訪日は日本の親戚との絆をつないでおきたいという気持ちからはじまった。このままだと私たちの世代で絆は切れてしまう。そうい意味で娘が同行したことは大きな意義があった。彼女と同世代そしてその下の世代までつながる可能性がでてきた。

私の母は宮崎生まれで昔は飯野町今は合併してえびの市となってる所の出でいくつかの電話を34年前の手帳に書き留めてあった。日本に行く前から連絡しようと電話をかけてみるが通じない。日本に行けば何とか連絡が取れるだろうと思っていた。しかしいざ着いて市役所に何か聞こうとしても個人情報は渡せませんと受けあってくれない。前回訪ねた岐阜に住んでいた母の弟の所も「この電話は使われていません」という返事しか帰ってこない。母は一昨年91歳でなくなったから弟といっても生きておられれば85歳以上。亡くなっておられるかも知れないと考えだした。

宮崎というと私はすぐ「まき」を思い出す。もち米をタケノコの皮に包みあくに漬け蒸して作るのだそうだ。そうだというのは私は食べたことしかなく母がブラジルに来る前に里帰りした時に「お土産は何がいい?」と聞かれ「まき」と答えたのを覚えている。あくで表面がかすかな黄色を帯びて素朴な味がする。「グルメ」なんて言葉もなかった時代、私には美味しく感じられた。
何回か買って食べる機会はあったがうっかりして逃がしてしまった。

ブラジルに来る前は母の姉の家族が近くにいてよく行き来していた。34年前は叔父さん,叔母さんも元気でそこのいとこ達、千葉、埼玉に住んでいたみんなとも会った。
しかし今回はいとこは一人しか会えなかった。叔父さん、叔母さんは亡くなっておられ、私より年上のいとこ四人のうち二人は亡くなり、一人は消息知れずそしてもう一人は重い病気だという。
私より三歳年下の従弟が直方で畳店をやっているので訪ねた。34年前に訪ねた時と同じ場所だと言ったが周りはきれいになっていた。
結局ここでも宮崎の親戚の消息はわからなかった。母の姉さんの所の子供は亡くなったらしいとのことだった。

私たちに色々な素材で作ったサンプルを作ってくれた

妻はお土産に数枚もらった

                従弟の横は奥さんそして息子さんの家族、息子さんは中学校の先生



故郷巡りツアー

いとこの友達で私が昔住んでいた所の近所で店をしていた人を知っているからどこか行きたいところがあったら彼に案内してもらうよ、といわば故郷巡りツアーガイドさんを紹介してくれた。

彼は同じ学校に通った一年下の人で当時は会っていた可能性はあるがなにしろ56年も前の話である。しかし案内してもらって話しているうちに確かに同じ時代に同じ所にいたことがわかりものすごく親しみがわいてきた。そして私が小、中学生頃によく一緒に遊んだ人が彼の友人でよく知っていて、その場で名古屋にいる昔の友達と携帯で話すことができた。

小さい時に走り回った故郷も数十年後ではまるっきり見当がつかない。それでも彼が昔ここには映画館があったとかここには病院があったとか言えば「あー、その横は幼稚園だったな」と言うと「そうだったね」とあいづちをうつ。そして私が遊んだところは彼が遊んだところでもあった。
娘も父親が子供の頃遊んだところを巡り感激した様子だった。

平山の堤、夏休みにはよく泳ぎに来ていた


堤から見た景色

面白い遊び




堤のすぐ横の八幡さん(こう呼んでいた)に上る階段、昔は桜の木が両側にあった。
今は竹林で周りが見えない。
八幡さん


私が昔はこの辺の山には「アケビ」や「ウベ」がなっていたと話したら栽培している人を知っているからと山のふもとの家へ連れて行ってくれた。


アケビ、熟れると割れて中の白い種のところを食べる(?)
ウベは皮が緑で割れないがやはり種のところを食べる(?)

彼岸花が咲いている

私が通った高校、今は閉校となっている

嘉麻市の山田市役所で獅子舞のDVDをいただく

大分八幡宮のくすの木、天然記念物

夜はブラジル式バーベキュー

自見さんのお宅で朝のコーヒーをいただく

2015年11月19日木曜日

いとこ会




今回の訪日、飯塚での4日間はいとこの所に世話になることになった。住んでいる家の横にもう一軒あるからそこに泊まったらいいよということで遠慮なく使わせてもらった。

34年前に日本に来たときはブラジルの会社の駐在員としてきたので時間的にも余裕がなく、いとこたちともあまり会うことが出来なかった。それで今回は飯塚のいとこが「いとこ会」なるものを催してほかのいとこ達を呼んで集めるからあんたは訪ねていかなくてもいいとすごい案を出してくれた。
前回全然あえなかった従姉妹たちも呼んでくれるという。仙台、明石、博多、成田など遠いところからも来てくれた。

料理は飯塚の従弟が料理人なので全部彼が調理してすごいご馳走が並んだのを娘が感激して写真を撮った。


2015年11月16日月曜日

平山の獅子舞と大分(だいぶ)の獅子舞


                                                  嘉麻市碓井、平山の獅子舞い

                                                             飯塚市筑穂, 大分八幡宮の獅子舞い

碓井町の明治鉱業平山炭鉱に住んでいた私は小学生の頃から平山の獅子舞いを見ていた。毎年9月に行われていたのを覚えている。ブラジルでもNHKで各地の獅子舞いを見るのだが2頭(?)の獅子で踊るのは見たことはないし、またここブラジルの日系の祭りでも獅子舞いはあるが私が日本で見ていた平山の獅子舞いみたいなのは見たことがなかった。

出来たらもう一度平山の獅子舞いを見たいと思って嘉麻市の市役所のサイトを通して尋ねてみた。返事が来た。いつも9月の始め頃なので私が訪日する20日には間に合わないが去年の映像が撮ってあるからDVDに録画して渡すことはできますとのことだった。私が訪日の際市役所で渡してもらえるようにしてもらった。

このポストにある平山の獅子舞いは私が行けないのならと、いとこが代わりに撮ってくれたものである。

昔は青年と中学生以上だったような気がする。同級生も太鼓廻しに参加していて子供心に勇壮な獅子舞いだなあーという記憶が残っている。それが自分の頭の中でますます美化されていってどうしても見たいという思いをつのらせたのかも知れない。今は後継者不足で伝統を引き継いでいこうと女子そして子供も参加している。いつまでも平山の獅子舞いが続いていくことを祈っている。






そして私がまだ飯塚にいた9月27日は運よく大分八幡宮に奉納される獅子舞いを見ることが出来た。







2015年11月15日日曜日

中学の同窓会

                                                          中学卒業写真、私は上段左から4人目

                                      前列の白い縞模様のポロシャツ、他のクラスも参加

上の二つ写真の間には56年と8か月の年月が流れている。

今回私が日本を訪問するにあたり飯塚に住むいとこに同じ町に住む同級生に私が帰ることを伝えてほしいと頼んでいた。彼女からは去年古希同窓会の写真を送ってもらっていてその時に住所と電話番号はわかっていたのでお礼に訪ねようと思っていた。
それから数日後いとこから「あんたがこっちに来る時にミニ同窓会を開くそうだよ」というメールが入ってきた。思いがけない知らせに私の期待は高まった。

このブログに過去3回同窓会のことを書いている(2007年5月20日、2011年11月6日、2014年4月26日)、2回はブラジルの大学の同窓会、そして参加はしなかったが写真を送ってもらった日本の中学の古希学友会。その全部に日本の同窓会にいつか参加したいものだと書いたと思う。書いた時には「実現はおそらく難しいだろうが」という心の中のつぶやきが入っていた。それが実現する!! 私にそういう機会を与えてくれてありがとう。
やがていとこから同窓会の日にちと場所が知らされてきた。飯塚の茶寮「このみ」とあった。インターネットで調べてみると懐石料理を出すしゃれた所だ。

いよいよその日が来た。妻と娘の参加も伝えてあった。会場にはもう大分集まっていて挨拶を交わすがなかなか昔の顔が出てこない。無理もない56年以上の年月が経っている。遠くから来てくれている級友もいる。
皆席に座ると料理が出てくる。挨拶が始まる。私は皆に自己紹介をしてもらうように頼んだ。だんだん昔の面影が出てきてなつかしくなる。みんな「君付け」で呼び合う。時空を超え昔の自分に帰れる。いろいろ珍しい料理が出てくるが話が一番のご馳走で食べる暇がない。何を食べたかわからないし全然食べなかったような気もする。

無情にも時は経つ、最後にみんなで碓井中学校の校歌を高らかに合唱、そして記念写真。私は娘が撮ってくれたのがあったが実は11月4日にブラジルの家に帰ってきた翌日、今回の同窓会の写真が郵便で届いたので早速このポストに使わさせてもらった。
参加してくれたみんなありがとう。一生の素晴らしい思い出をもらったよ。

下は校歌合唱の様子。見ているとついほおえんでしまう。
校歌の歌詞も配られたが実は今まで2番3番は知らなかった。それに1番の出だし、皆が歌ってるように「木々の緑のさわやかに」と思って歌っていた。歌われているうちにそう変わっていったのだろうか?





同窓会解散後、同じ飯塚に住んでおられる担任だった西園先生(上写真の4人目)を挨拶に訪ねた。
他にも手紙をいただいたり電話でも連絡をもらったりしました。ありがとう。日本滞在後半の10日間は日本で買った携帯用のSimカードが繋がらなくなり連絡が取れなくなりました。

懐かしい顔がある。

右は妻の清子


                                         卒業の時取り交わしたサインブックを見せている

            
一人一人自己紹介してもらった

現中学校校舎、昔は木造で山のふもとに一階x3校舎だった。

2015年11月12日木曜日

南国の春 (?)


一か月の日本旅行を終えブラジルに帰ってきたのが10月20日。それからサンパウロ市近郊に住む親せきを訪ねて周り、姪の結婚式に出席して、我が家に帰ってきたのが11月4日。ブラジルを発った9月19日にはようやく新芽が出始めたばかりのブドウが帰ってきた時には葉が茂り、かなり大きなブドウの実までなっていた。聞くところによるとエスピリト・サント州は雨も少なく暑い日が続いているという。飛行場に降り立った時は一片の雲もない青空であった。いい天気はまだ今も続いている。これからますます暑くなっていくのに先が思いやられる。

ここエスピリト・サント州ではわずかに果物の木が芽を出し花が咲き実がなるサイクルを通して季節の変化(?)を感じ取ろうとするのだがブドウなどは一年に2回か3回くらい収穫できるので情緒も何もあったものではない。

私たちが日本を発つころは紅葉が始まろうという頃で日光ではその前触れを見ることができた。若い頃は「日本は四季があるからいいでしょう」と言われると「それが春と過ごし安い夏ばかりだったらもっと良いのでは」などと馬鹿げた強がりを言っていたことを思い出します。今や故郷になったブラジルびいきだったのかも知れません。しかしこの歳になって日本にいくとやはり四季の移り変わりと共に移り変わる人の感性もいいものだと思うようになりました。甲を破った功のおかげですかね。

長いことこのブログをサボってしまった。日本での楽しかった思い出を少しずつ載せていこうと思っている。

2015年9月14日月曜日

南国の冬(?)


これは8月の末にとった写真でブドウの葉が枯れて落ち剪定した後で、我が家で冬(?)を感じさせてくれる時である。後ろに青々としたヤシの木やピタンガ(赤い小さな果物)の木が写っていては風情はでないが朝早く涼しい時に真下にいるとちょっぴりはそんな気になる。もちろんここエスピリト・サント州の海辺では海水浴もできる。8月の初めクリチーバの理奈のところにDobrando Alegriaのボランティアに来ていたイタリアと中国からの娘さんがうちに泊まった時、彼女らは海に入って遊んでいった。冬に海に入ったのは初めてだと言っていた。家から一歩外に出ても木々は緑、みんな半袖半ズボンなので冬は感じれない。これは我が家の特権か。
このブドウ、クリスマス・正月頃熟れ、そのあと剪定すると4月ごろまた獲れる。年によるが3回獲れることもある。