前列の白い縞模様のポロシャツ、他のクラスも参加
上の二つ写真の間には56年と8か月の年月が流れている。
今回私が日本を訪問するにあたり飯塚に住むいとこに同じ町に住む同級生に私が帰ることを伝えてほしいと頼んでいた。彼女からは去年古希同窓会の写真を送ってもらっていてその時に住所と電話番号はわかっていたのでお礼に訪ねようと思っていた。
それから数日後いとこから「あんたがこっちに来る時にミニ同窓会を開くそうだよ」というメールが入ってきた。思いがけない知らせに私の期待は高まった。
このブログに過去3回同窓会のことを書いている(2007年5月20日、2011年11月6日、2014年4月26日)、2回はブラジルの大学の同窓会、そして参加はしなかったが写真を送ってもらった日本の中学の古希学友会。その全部に日本の同窓会にいつか参加したいものだと書いたと思う。書いた時には「実現はおそらく難しいだろうが」という心の中のつぶやきが入っていた。それが実現する!! 私にそういう機会を与えてくれてありがとう。
やがていとこから同窓会の日にちと場所が知らされてきた。飯塚の茶寮「このみ」とあった。インターネットで調べてみると懐石料理を出すしゃれた所だ。
いよいよその日が来た。妻と娘の参加も伝えてあった。会場にはもう大分集まっていて挨拶を交わすがなかなか昔の顔が出てこない。無理もない56年以上の年月が経っている。遠くから来てくれている級友もいる。
皆席に座ると料理が出てくる。挨拶が始まる。私は皆に自己紹介をしてもらうように頼んだ。だんだん昔の面影が出てきてなつかしくなる。みんな「君付け」で呼び合う。時空を超え昔の自分に帰れる。いろいろ珍しい料理が出てくるが話が一番のご馳走で食べる暇がない。何を食べたかわからないし全然食べなかったような気もする。
無情にも時は経つ、最後にみんなで碓井中学校の校歌を高らかに合唱、そして記念写真。私は娘が撮ってくれたのがあったが実は11月4日にブラジルの家に帰ってきた翌日、今回の同窓会の写真が郵便で届いたので早速このポストに使わさせてもらった。
参加してくれたみんなありがとう。一生の素晴らしい思い出をもらったよ。
下は校歌合唱の様子。見ているとついほおえんでしまう。
校歌の歌詞も配られたが実は今まで2番3番は知らなかった。それに1番の出だし、皆が歌ってるように「木々の緑のさわやかに」と思って歌っていた。歌われているうちにそう変わっていったのだろうか?
同窓会解散後、同じ飯塚に住んでおられる担任だった西園先生(上写真の4人目)を挨拶に訪ねた。
他にも手紙をいただいたり電話でも連絡をもらったりしました。ありがとう。日本滞在後半の10日間は日本で買った携帯用のSimカードが繋がらなくなり連絡が取れなくなりました。
懐かしい顔がある。
右は妻の清子
卒業の時取り交わしたサインブックを見せている
一人一人自己紹介してもらった
現中学校校舎、昔は木造で山のふもとに一階x3校舎だった。
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