2012年8月11日土曜日

ブラジル、今日は曇り後晴れ !!


今朝いつものように朝市に買い物に出かけようとしたら雨雲が近くの山Mestre Alvaroにかかっていた。雨が降るかなと思っていたら急に降りだして朝市に着く頃はもう止んでいた。この山に雲が7合目くらいまでかかると雨が降るとはVitoria大都市圏に住む人達が一番信用している天気予報である。ブラジルのテレビでの天気予報は大雑把である。NHK で日本の天気予報を見ていると羨ましい。時間ごとの雲の進み具合が示されわかりやすい。朝市に着き買い物を始める頃はもう熱い陽が照っていた。
いつものように魚を買った後、横にたこのいいのが1キロ20レアイス(10ドル)で売っていたので1キロ半買い求めた。家の庭で取れたサトウキビが3,4本あったので適当な長さに切り、よく洗って布に包んだのを持って来ていたのでサトウキビの絞り汁を売っている所で絞ってくれと頼むと快く引き受けてくれた。いつもここで恵美を連れて絞り汁を買っているので今はお得意さん。これまでも数回絞ってもらっている。今日は約4リットルほどの汁が採れた。売っている絞り汁のサトウキビは細くて白いが家のは太くて緑色。植えてあるサトウキビに水をやって大きくしては駄目だと言っていた。乾燥している土地のは甘いのだそうだ。
朝市から帰るとオリンピック・サッカー男子の決勝戦があっていた。ちょうどハーフタイムが終わったところで試合が再開した。スコアーを見ると0対1でブラジルが負けている。ブラジルは良いところなく1対2で負け。オリンピックでの念願の金メダルはまたお預けになった。オリンピック以外のサッカー男子の全てのタイトルを取っているブラジル、なぜかしらオリンピックは取れない。実況後のコメントでブラジルは攻めるほうにあまりに重きを置き相手をマークすることを忘れていると言っていた。2016年はリオ、これでとらないと暴動が起きるかも知れないと今から心配している。暗い雲がブラジルの上にかかっている。
その後女子バレーボールの実況があり途中から見た。第4セッが始まっていた。スコアーを見ると2対1でブラジルがリードしている。あと1セット取ると金メダル。ブラジルはのびのびとプレーしている。あれ、違うなと思った。一次リーグでアメリカ、韓国から負けた試合を見た。ブラジルは縮こまっていた。ミディアからもどうしたのだと疑問視されていた。ところが決勝リーグでの対ロシア戦、タイブレークで接戦、15で終わるところがブラジルがロシアのセットポイントを20までしのぎ初めての自チームのセットポイントで勝ち準々決勝をものにした。これにはブラジルサポーター達(応援団?)の功績があったともいえる。ブラジルが盛り返す度に「チャンピオンが帰って来たぞ」との声援、選手たちもこの勝利をサポーター達(応援団)に捧げていた。今まで散々ロシアに泣かされて度々準優勝に終わったブラジル。これで自分のペースを取り戻した。準決勝で日本、そして決勝でアメリカ有利を覆し第一セットは大差で取られたものの2,3,4セットと取り優勝。オリンピック2連覇は過去ソビエトとキューバしかなく歴史に残る結果となった。終わったとたん喜びが爆発した。コート上でみんなで抱き合いそして揃っての一回転、監督もこれは応援してくれたブラジル国民そして神のおかげとみんなで輪になって祈りを捧げた。カトリック国ブラジルではよく見かける光景である。表彰式もブラジル選手は儀式なんてなんのその自分たちの喜びを精一杯発散していた。ブラジルに住む我々は慣れっこでかえってほほえましい。これでさっきまでの暗い空は晴れて見慣れた青い青い気持ちの良い空に変わった。

2012年8月9日木曜日

Touro Moreno – 褐色の闘牛  Yamaguchi その2


前回ポストのYamaguchi Falcão Florentino の名前のいきさつが意外な所でわかった。椎間板ヘルニアのリハビリに今一週間に3回通っている。私のことではなく今回は妻がMRI でヘルニアとわかりその治療に以前私が通ったところに連れて行っている。彼女が治療している間私はいつもは待合室でタブレットでメールのチェックをするのだが今日入ったときテレビでブラジルの旗を掲げた消防車でのパレードが映されていた。見ているうちに体操個人種目別の吊り輪で金メダルを取ったArthur Zanetti 選手が彼の住んでいる町に帰ってきて彼の栄誉を讃えての市役所および市民をあげての歓迎パレードであった。待合室にいた70歳代の男の人が言った。「彼は不可能を可能にした男だよ」さらに「ブラジルのように政府のサポートがない所で全然誰も見向きもしないスポーツで金メダルなんてまさに奇跡だよ」私も相づちをうった。そこに若い女性の理学療法士が通りがかりテレビを見て何事かと聞いたので「金メダルのパレードだよ」と私が答えると彼女「メダルと言えばカピシャーバが二人ボクシングで少なくとも銅メダルが約束されているわね。」「Yamaguchi Esquiva兄弟だろう」と男の人「彼らの父親はTouro Moreno(本名Adegard Camara Florentino)といってボクサーで彼が息子たちをボクサーに仕立て上げたのさ。彼が家の庭に植えているバナナの幹を打たせて鍛えたそうだ。彼は今75歳だが先年彼より32歳若いボクサーと戦って勝ったのだ私も見に行ったよ」「ところでどうしてYamaguchiと子供に名をつけたのですか?」と聞くと横に居た理学療法士がすかさず「Touro Moreno と同じヴィトリアで柔道を教えていた山口さんとは仲がよかったのよ。」
私の推察が当たっていた。
先ほど男子ビーチバレーの決勝戦があった。ドイツとブラジル。タイブレークで惜しくもブラジルは銀。ブラジルの選手の一人Alisonは2mを越す長身。あだ名は「マンモス」なんでも彼のコーチが彼の動きの鈍さにかんしゃくを起こし『お前はマンモス以外何者でもない』と言われてそのマンモスとはどんなものかと「アニメ映画」を見に行って何か共感するものがあると感じそれからは自分から広めているといるとインタビューで見たと妻が教えてくれた。彼もカピシャーバ。ビーチバレーの応援席を見ているとブラジルの旗のほかに大きなエスピリト・サント州の旗も振られていた。小さな州ゆえに思いがなお強いのかも知れない。妻も他の州に行くといつも自分はカピシャーバだと言いふらしている。

2012年8月5日日曜日

Yamaguchi Falcão Florentino


昨日オリンピックのボクシングを見ていたらブラジルの選手が81キロまでのクラスで勝ち準々決勝に進んだ。実況で盛んにヤマグチ、ヤマグチと言っている。日系人かと見ていたらどうも違うみたいだ。名前を見るとYamaguchi Falcão Florentino と出ている。どういういきさつでこういう名前がついたのか興味深いので今日の新聞に何か載っていないかと思って開けたら何と彼はCapixaba(カピシャーバ=エスピリト・サント州出身)で今はサンパウロ州に住んでいるという。ヴィトリアに山口という人が柔道を教えていると聞いていたが何か関係があるとすればここらあたりしかない。後でよく調べてみよう。
このことで思い出したのが家の近くの建築材料店の若い従業員。最近家のリフォームをしたので度々寄って顔見知りになった。いつも伝票を見ながら何か口の中で、もぞもぞ言っている。ある日私に聞いた。私の名前はどう発音するのかと。「ヒサヨシ・サエキ」だと言ったら、初めのは4シラブルで難しいが後のほうは3シラブルで簡単で気に入ったと言う。何を言っているのかとわけを聞いたら自分の子供にはありきたりの名前は付けたくない、あんたのその「サエキ」は気に入った自分の子供の名前につけると言ったので、もしお前がその名前をつけるなら出産祝いに良いプレゼントを持って行くよと冗談に笑いながら言った。それから何回か彼に会うたびに「おい、サエキは生まれたか?」と呼びかけている。しかし聞くところによると彼はまだ独身、いい加減な冗談は言うなと馬鹿にしていた。
しかしである、今日のこのことからひょっとしたらいつかどこかで「サエキ」と言う名のぜんぜん日本人とは関係のないブラジル人が現れないこともないなという気がしてきた。

2012年8月3日金曜日

体操の内村選手と佐々木選手


28年ぶりに内村航平選手が体操の個人総合で日本に金メダルをもたらした。これは世界選手権で3連覇していたことから予想されていたことであり賭け好きのロンドンっ子の間でも最も確率が高いほうに入っていたようだ。
個人総合でブラジルからは日系の佐々木選手が10位に入った。体操の伝統のないブラジルとしては個人総合のタイトル戦に出れるだけでも快挙なのに10位とはブラジル体操界の歴史に刻まれる結果を残すこととなった。
今日はなでしこジャパンとブラジルとの試合があった。妻が椎間板ヘルニアを患い今、週に三回ヴィトリアにリハビリに通っている。今日は午後一時頃早めに家を出て息子の所に寄ったのでリハビリに着いたときは後半戦が始まっていた。2対0で日本が勝っている。なでしこのマークは厳しくブラジルも思ったような試合運びができない。実況していたアナウンサーもブラジルはもっと組織だった戦いをしなければならない、名のある選手をそろえても全員サッカーにはかなわない、4年後のリオ・オリンピックまでの課題だとコメントしていた。
ブラジルでのオリンピックの放映権はRede Recordがとりチャンネルをまわすとブラジルの試合はいつも実況で見れるのでありがたい。ブラジルとイギリスとの時差は通常3時間、イギリスがサマータイムの時は4時間となるのであまり問題なくテレビでの観戦を楽しめる。

2012年7月28日土曜日

女子柔道でブラジル金メダル


競技第一日目の今日女子柔道でSarah Menezes がブラジル女子柔道初の金メダルを取った。今日は男子柔道もFelipe Kitadaiの銅メダルそして競泳400メートル個人メドレーでThiago Pereiraが念願の銀メダルを取った。彼は2007年私も見に行ったリオで開催された第15回パンアメリカン競技大会(2007年8月26日のポスト)の競泳で6個の金それに銀と銅それぞれ1個でトータル8個さらにそれと同じ成績を昨年のメキシコのグアダラハラで行われたパンアメリカン大会であげたが世界選手権やオリンピックでは4位どまり、インタビューしたアナウンサーが「金の価値がある銀でしたね」と喜んでいた。2位に入った時私も思わず手をたたいていた。
柔道はこれでブラジルが今までオリンピックでとったメダル数で種目別1位となった。この結果をもたらしたブラジルでの柔道普及には少なからず日本移民の貢献があったといえる。ブラジル国民が期待するサッカーでは残念ながらまだ金メダルをとっていない。今回やってくれそうな気がするのだが。

ロンドン・オリンピック


昨日ロンドン・オリンピックが開幕した。開幕ショーは近代史の主役はイギリスだという誇りがうかがえた。奇抜な発想もなく大人の雰囲気をかもし出していた。3D で放映されるといっていたので今年買ったSamsungの3D対応のテレビで見ようとしたがどうもうまくいかないので普通のに切り替えた。我が家のテレビで最近買ったのは皆LGSamsungだ。新しい技術が搭載され価格設定もよい。ブラジルにおいてのPCモニター、ノートブック、テレビ、スマートフォンなどの市場では韓国企業の占める割合は高い。以前はエレクトロニクス分野では日本企業の製品がほとんどだったのだが最近は韓国のに取って代わられている。
参加国の入場行進ではカラフルな民族衣装をまとっての行進は見ていても楽しいしまたそれぞれの国民性もうかがえる。ブラジル選手団の行進は明るくてにぎやか(?)だ。そして思うのは確かにこれは平和の祭典だということ。テロや内戦はあるものの世界規模の戦争はここ数十年起こっていない。平和な時代に生まれたありがたさをかみしめる。
開会式を待たずにサッカーの試合はもう始まっている。ブラジルと日本どちらとも男女初戦は勝ち点3。今日からいよいよ本番,楽しみだ。

2012年7月1日日曜日

リオ、世界遺産に登録される




先ほどテレビを見ていたらリオデジャネイロ市が世界遺産に登録されたとニュースを流していた。文化および都市遺産という格付けでこれは初めてらしい。息子がリオに住むようになってもう10回以上行っているが確かに風光明媚、国際都市の雰囲気を備えている。気候も似ている隣の州に住んでいる私たちにはどちらも海に面している街ということもありどこへでもポロシャツと短パンで行けるので非常に親しみやすい。以前、新世界の七不思議のひとつにコルコヴァド岩山の上のキリスト像が選ばれたがこれはインターネットの投票で選ばれたものだった。

今回は正式のユネスコの世界遺産の登録を受けたことでこれはリオ市民の誇りとなろう。しかしこれからが問題だ。これを保存し訪れる観光客を快く迎えることが出来るのか。よくミディアで報じられる治安の悪さをどう解決するのか。それは2014年のブラジルでのワールドカップ開催さらに2016年のリオのオリンピックにも当てはまる。官民を挙げての努力が求められる。

上の写真は世界三大美港のひとつとされるリオのGuanabara湾に船で入る時すぐに目に付く小高い岩山のポン・デ・アスーカル(砂糖パン)にロープウエーで上りコパカバナ海岸を望んだもの。下はリオ市内の中ほどのコルコヴァド岩山からリオを祝福するキリスト像。色々な記念日、祝祭日にはライトアップされる。母の日の夜には赤いライトの心臓が動悸を打っていた。記念写真を撮っている人混みの中にうちの Chasconaがいます、わかりますか?