ブラジルへの日本移民が始まって百年ということで各地で色々な記念式典が催されているようです。ここヴィトリアでは4月10日エスピリトサント州の日本移民の先駆者や州の政財界で日系人の州への導入に貢献のあった人達が表彰されました。それと同時に州内の72歳以上の日系人も表彰状と花束を受け取りました。86歳の私の母そして75歳の姑も頂きました。州議会の発案ということで会議場は多くの日系人および関係者で埋まりました。州内の日系人は約千人ということでした。エスピリトサント州ありがとう。私達を暖かく迎えてくれて。
私たちがサンパウロ州からこちらに越してきたのは31年前。当時日系人は数えるほど。街を歩いていても、一歳になったばかりの娘を抱いているとちょっと触らせてくれと人が立ち止まり瀬戸物の人形のようだと珍しがられました。こちらに来てから10年ほどは毎年のように休暇にはサンパウロに行っていましたが子供を連れていても誰も振りかえってくれず妻と二人でここは張り合いがないなと愚痴って早くヴィトリアに帰ろうといっていたものです。
サンパウロではブラジル人も日系人に慣れていますがこちらでは今もってよく”あなたは日本人ですか”と聞かれます。私は”日本で生まれたけど帰化したからブラジル人だよ” と返事をしますが、自称日本人でリオ生まれの妻は時々虫の居所が悪いと”ここで生まれた私が日本人ならいったい誰がブラジル人なの? インヂオだけ?" と反論するとバツの悪そうな顔をします。なにしろブラジルは混血の国。西暦1500年ポルトガル人によって発見され、それ以来色々な人種、国籍の人たちが混じっています。日本人はまだ百年と移民の歴史も浅く人種、言葉、宗教、習慣の違いなどでブラジルに同化したのも遅くそしてこの顔ですからいつまでもこういうことが起きるのだと思います。
日系人たちはブラジルでは日本人かと言われ、日本へ行けばブラジル人という意識で生活します。私達がそうでした。二十数年前私たちが日本でブラジルからの駐在員として住んでいた時、周りにブラジル人はいなく妻はいつもブラジルの旗を掲げて生活していたと言っています。ブラジルの悪口を言われると憤慨しブラジルの国歌を聞くと涙ぐんでいました。それを見て近所の奥さんたちは”ブラジルはきっと素晴らしい国に違いない、なぜならば日本国中探してもあなたのような愛国者はどこにもいないから”と言われたそうです。逆に彼女ここブラジルで日本の悪口を言われると憤慨して 君が代 を聞くと感激します。州議会での式典では両国歌が歌われました。
今はグロバリゼーションの時代。品物や人が国籍を問わず新しい市場、職、生活の場を求めて移動しています。将来、国籍など関係なく地球人として通る日が来るでしょうか?
定年退職して指の運動にと今ギターを習っています。よく指が脳の指令を無視します。ジョンレノンのIMAGINE、良い曲ですね。
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