2015年12月1日火曜日

蕨の思い出

当時蕨市は日本で人口密度が一番高い市だった。東京にもすぐ行けて通勤にはもってこいの場所だ。日本に着いたすぐは赤羽に住んでおられた妻の祖母の妹さんの所で世話になった。貸家の専門誌を見たり街角の不動産屋を訪ねて探したりで4日目くらいに西川口駅の横の不動産屋で駅から歩いて近いマンションを借りた。住所は蕨市だが川口市との境だ。

着いたのは3月で新学期が始まる。とりあえず理奈を幼稚園に入れる手続きをとった。入園式の日、妻が並んでいると横で「今年は外国からの生徒が来るそうよ」と話してあたりをきょろきょろ見回している。外国人=金髪の西洋人となっているのだろう。謎は解けたのだろうか?

理奈は毎日弁当を持って楽しそうに通っていた。3か月ほど経った頃幼稚園から妻に電話が入った。「佐伯さん、おめでとうございます。今日理奈ちゃんが初めて"はい"と返事されましたよ」と。なんでも出席を取るときに初めて返事をしたらしい。それまでは幼稚園に行っても遊んではいたが何も話さなかったと言う。私達は日本語の生活をしていたので理奈が日本語を話せないというのを忘れていた。しかしそれからは日本語を覚えるのは速かった。その年の8月私の両親が来た時は日本の子供のように話していたので両親もびっくりしていた。

それからは友達も出来、子供を通して私達の近所づきあいも広くなっていった。幼稚園での色々な催し物、誕生日会に呼ばれたり呼んだり。理奈はすっかり溶け込んで日本での生活を満喫(?)した。その時近所の親しくしていた友達を今回の訪日で訪ねた。事前にブラジルを発つ前から連絡は取っていた。

駅を降りると周りはずいぶん変わっていて2年間毎日通った道さえわからない。とにかく線路に沿って行けば何か思い出すだろうと歩くうちに見慣れたところに出てマンションを見つけた。私たちが住んでいたマンションは健在だった。

それから理奈の友達の家、近かったはずだけどわからない。探しているうちに「セブンイレブン」から出てきた女の人が「あら、佐伯さん!」と叫んだ。理奈の友達の妹さんで一緒に遊んだ仲間だ。「皆待っているよ」と家に連れて行ってもらった。わからなかったはずだ。前は一軒家だったのが2階建てのマンション式になっている。

昔の写真を持ち出したりお互いの現況を取り交わしたりで時間があっという間に去ってしまった。
理奈は年月を超え友達がまた友達になった。
昔通った幼稚園は無くなっていた。

3階の2軒目に住んでいた

昔のアルバムが仲をとりもつ

妹さんの子と童心に戻って







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