ブラジルからこれまで3人のF1チャンピオンが出ている、Emerson Fittipaldi、Nelson Piquet そしてAyrton Senna.
田舎に住んでいた時は忙しくてゆっくりする暇がなくスポーツ番組といえばサンパウロのサッカーを時々見ていたくらいだ。ある時弟が近所から借りてきた日本の少年雑誌でブラジルからF1チャンピオンが出たことを知った。1972年のことである。このときエメルソン・フィッチパルジは25歳でそれまでのチャンピオンとしては一番若く、この記録は30年以上破られなくて2005年スペインのFernando Alonsoがこれを破った。
エメルソンは2年後の1974年にもチャンピオンになった。そのころからテレビでF1レースを見るようになった。1975年ブラジルで初めてのF1チームが結成された。Copersucar-Fittipaldi である。エメルソンは兄のWilson と一緒にこのチームに移ったがその後チャンピオンになることはなく1980年アメリカのロングビーチレースの3位を最後に引退した。Copersucar-Fittipaldiは資金面、技術面などでほかのチームに追いつかなかった。
そしてこの時のレースに優勝したのがネルソン・ピケで彼は翌年のチャンピオンになり、その後1985年と87年も制した。
そしてブラジルを始め世界を熱狂させたのがアイルトン・セナ。彼が初めてチャンピオンになったのが1988年。この頃ブラジルのサッカーは不振で国民の期待はセナに託された。彼はみんなの希望の星だった。セナもそれを感じ国民の士気を上げようと勝てば国旗をひるがえして観客に応えた。セナは国民のヒーロー的存在になった。
ブラジルのサッカーは1970年にワールドカップ3回目の優勝を決め当時のトロフィー、Jules Romet 杯の永遠の所持者になった。しかしそれからは優勝から遠ざかりようやく1994年のアメリカ大会で優勝。この間に人気が出てきたのがF1 レース。老若男女を問わずテレビに見入った。
そのころから私たちの住んでいる所は土地開発が進み、毎日曜日必ずF1レースの日に停電していた。何とかF1レースを見ようと車のバッテリーを使って見れる小さいテレビを買った。白黒だったのでなかなか車の色の識別が難しく、よくわからないうちにレースは終わってしまう。
次の日曜日、工事をやってない所に住んでいる友達に電話をかけた「家は停電でF1レースが見れないんで、そちらに見に行っていいかい?」OKの返事がでた。昼食後、車で繰り出した。
セナのハンドルさばきにはいつもハラハラさせられた。時々テレビに向かって指示を出すが言うことを聞かない、最後は投げ出す。
彼は1988年、90年、91年と3回チャンピオンになった。
1994年5月、イタリアのサンマリノのレースを見ていた。セナがカーブを切り損ねて車がコンクリートの壁に当たって跳ね返ってきた。セナは車の中。私は「これくらいだと大丈夫だろう。もうすぐ車から出てくるだろう」と待っていても出てこない。「えっ、まさか?」。彼は帰らぬ人となった。
彼の葬儀は国葬というよりも国民葬となった。消防車を先頭に墓地に行く街道の両側に別れを惜しむ人々の波が揺れていた。「アイルトン、ありがとう」と。
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