2016年2月25日木曜日

"やぶ"三昧



夏の間は冷やしたビールの小瓶を毎日一本飲むようにしている。微量(?)のアルコールだと身体に良いとか、どこかで読んだような気がする。

昼食時、昨日買ってきたビールを横の小屋の冷蔵庫に入れたのを思い出し家のドアを開けて外に出た。暖かい風がほほを撫でていった。ロマンチックな感情なんて少しも湧いてこない。というのは周りは屋根がかかっているので風が暖かいのはおかしい。ガレージの方に目を通すとすごい日差しだ。夏時間は終わったというのに暑さは一向に弱まらない。家の中の温度計は30度、外はどれくらいだろう、測ってみよう。

温度計を外の直射日光の当たる所に置いたが熱いので日陰に戻った。2,3分して見に行った。45度! スマートホンで写真を撮って家に入るとスマートホンまで少し熱くなっている。ここは南緯約20度で海辺の町、1年に2度は太陽が真上を通る。しかもずっと雨が降っていない。
ブラジルのほかの地方は結構雨が降っていてサンパウロでは洪水もよく起こっている。昨日はリオに住む息子の嫁がアパートの横の通りが浸かったとか言ってスマートホンで撮った写真を送ってきた。 リオでも交通量の多い通りでメトロの駅が100m先にある。

テレビの天気予報でもなぜかこの狭いエスピリトサント州だけはいつも黄色だ。ぼやいたって仕方がないが幸い(?)定年退職の身、暑いときは休める。
困るのがなかなか外の仕事が出来ないこと。以前切りかけたグアバの木を切って整理しなければならないし、家の塀の所はすでにやぶみたいになっている。
「何とかなるだろう」主義で焦らないようにしている今日この頃だ。

今日の朝起きると妻が「私、少しぼけてきたみたい」と言う。 「どうして、僕はずっと昔からだよ」「だって、よく昔のことを思い出すのよ、今まで一度も思い出したことがないのまで」と言って語ってくれたのが今日のタイトルの話。そういえば最近妻の口から面白い昔の話がよく出てくる。

妻が13,4の頃というからまだブラジルの日本人の多くが(私たちも)農業に従事していた時代だ。サンパウロ市近郊のモジ・ダス・クルーゼス(Mogi das Cruzes 以下略してモジ)には多くの日本人が住んでいた。モジの日本人たちはサンパウロに野菜や果物を出荷して生計を立てていた。モジの町には自由業に携わる日系人も多くなり日本語ですべての用事をすますことができた。日本人の集団地には日本人会が結成され会館ができ、娯楽、スポーツや親交の場としていろいろな催し物が行われたりした。これはそのころの話である。

ある日、夜遅くおじいちゃんが急に苦しみだして父親が親しく付き合っているモジの町に住んでいる森先生に診てもらうことにしたの。「こんな時間はもう森先生の病院は閉まっているよ、しかし家を知っているから行ってみよう。車をすぐ出すから、清子お前はおじいちゃんの支度をして外で待っていなさい」と車で三人で出かけたの。町までは15キロ。夜で車も少なくわりと早く着いたの。

「私は森で、決してやぶではありませんのでご安心下さい」
やぶより森のほうがこわそうですね、大蛇が出そうで」
「おとうさん、それやぶへびだよ」
やぶからぼうに、なんで今日私がやぶさめのように打たれなければならないんです」

日本から遠く離れた地球の反対側のブラジルでこんなしゃれた日本語の会話が交わされていたなんて想像するだけでも楽しい。





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