2011年11月12日土曜日

ブエノス・アイレス紀行 その4


次の日はCity Tour, 朝8時に観光バスが迎えに来るようになっていたので7時半頃ロビーの横でCafé da manhã (朝食)をとった。テレビがかかっていたので見ていると昨日あった大統領選挙でCristina Kirchnerが過半数を獲得して大統領に再選されたと報じていた。それにしても昨日は選挙日とは思えないほど静かだった。これがブラジルだったらすごい喧騒のはずだ。バスは遅れて着きホテルを出たときは8時半をまわっていた。ガイドが今日のルートを紹介。そしてブラジルから来られたひとのためにゆっくりスペイン語を話しますのでそれでも分からないことがありましたら手をあげて下さいブラジル語で説明しますから、ということだったが途中誰も手を上げなかった。Buenos Airesのシンボルでもあるオベリスクは市内を回っていると何回もみる。世界一幅の広い通りと言われる7月九日通りを通ってまず大統領府のある五月広場(Plaza de Mayo)へと。大統領府はその色からCasa Rosasa(ピンク色の家)とも呼ばれている。そして大統領がここで執務中の時はアルゼンチンの旗が掲げられるとのこと、ちょうど旗が大統領府の上にはためいていた。ここからもオベリスクが見える。広場の斜め横には大聖堂、正面の12本の大きな柱はキリストの12使徒を表しているのだとか。またこの広場は軍事政権時代の弾圧の犠牲になった息子たちを返せと母親たちが立ち上がった所としても有名。町の中を通り今度はBoca に向かう。アルゼンチンにはイタリア移民が多い。ここは彼らが港湾施設などで働いてた頃の苦しい時代の面影が残されている。レストランの前では客引きにタンゴを踊っている。そしてもうひとつここにはアルゼンチンの現代の英雄とも称されるマラドナがプレーしたあの世界的にも有名なサッカーチーム「Boca Junior」のサッカー場がある。マラドナの像はBocaのいたる所にある。ブラジルでは世界一のサッカープレイヤーはペレーだがここではマラドナ。サッカーの両国のライバル意識は強い。バスはBuenos Airesのまちを横切り公園地帯を抜けRecoleta墓地へと。バスはこのまま始発点に戻るので私たちは下車。アルゼンチンの有名人たちが眠る墓地へと。ここには国民から愛されEvita の名で慕われ若くしてなくなったペロン元大統領夫人Eva Peronの墓もある。ブラジルでもこの程度の規模の墓地はあるので特に珍しいとも思わなかった。カトリックでは原則的に火葬はないのでどうしても墓は広い場所をとる。入るときに墓地の地図を買い有名人の墓を巡る。 きれいに手入れしてあるがこういう観光はあまり好きではない。軽い昼食をとり、娘から頼まれていた本を買うために少し歩いた。アルゼンチンは以前南米のヨーロッパといわれていたそうだが今までそれを感じることは出来なかった。今日は歩いてダウンタウンに向かった。有名な店やホテルに出会う。通りも広い。静かで確かにヨーロッパを思わせるところもある。しかし本はとうとう見つからなかった。
上の写真はBocaにて。

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