2011年11月18日金曜日

伊藤周三氏 (1)


長年近所で親しく付きあっていた伊藤さんが先月亡くなられた。享年83歳。彼は私の人生に一番大きな影響を与えた人である。というのは彼の紹介で妻と知り合いそして結婚式の仲人になってもらった。結婚して八ヵ月後私達は仕事の関係でサンパウロからエスピリトサント州に引っ越してきた。その3年後に彼もこちらに引っ越してきた(面倒なので失礼して以下敬語略)。サンパウロ州にいた時から数えるとかれこれ四十数年彼を知っている。彼はここエスピリトサント州には1960年代の初めに住んでいたことがありいわばパイオニア的存在でよくヴィトリアの昔話をしていた。今の飛行場の近くの上り道、今は4車線の舗装道路(私達が来たときは2車線)だが当時は舗装されてなく雨の後、野菜を荷台に載せて馬車で上るのは大変だったとかヴィトリアの町にはまだ電車が通っていたとか当時をしのびながらの昔話を私は興味深く聞いていたものだがそれがもう聞けないのは残念である。それに日本に居た頃の人情刑事物語など面白おかしく聞かせてもらっていた。彼は日本語教師としてブラジルに来た女性と結婚しエスピリトサント州で3人の子に恵まれ野菜つくりをしていたが子供の教育を考えサンパウロ州に引っ越すことを決意した。当時は多くの日本人が子供の将来を考え同じような決断をして日本語教育およびブラジル学校の進学の機会が多いサンパウロ市近郊へと移っていった。妻の家族も彼女が4歳のときリオ州のテレゾポリスからサンパウロ市近郊のモジダスクルーゼス(以下略してモジ)に引っ越した。妻のおじはその時受験生、サンパウロの軍警の士官学校に合格していた。
伊藤さんがブラジルへ移民として日本を発つ時に当時市役所に勤めていたおじいさんの甥が「私のおじさんもブラジルに行っています」と話したそうだ。ある日、日本人会の回覧板が回ってきて、伊藤さんはその中に自分が日本で聞いた名前があることに気がつき調べて猪又家をおとずれた。それはもう二人がモジに住むようになって何年も後のことである。ブラジルでは同郷人といえば親戚も同じそれからの付き合いである。
うえの写真は80歳の誕生日を私達と祝った時

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