2011年11月14日月曜日

三日目 ウルグアイの 世界遺産―Colonia de Sacramento


三日目は対岸ウルグアイの町Colonia de Sacramento へ。ブエノスアイレスの波止場から大型フェリーBuquebusがでる。朝7時にはもう迎えの車が来た。朝食がまだ終わっていなかったのでヴァンの運転手に少し待ってもらって波止場へと。外国へ出るので出国そして入国手続きを済ます。パスポートにウルグアイのはんこが押される。切符は来た日に旅行社に頼んだのでツーリストクラスは売り切れていてなく一等席にしたがそんなに料金は変わらなかったと思う。しかしそれ以上のサービスの差はあったのではないか。席はゆったりして外の景色はゆっくり見れる。まず入るときにコーヒーとミニケーキ,各種のクッキーなどを取る。しかもがらあきだ。座りたい所にすわれて新聞も読める。やがて船はブエノスアイレスの海岸(河岸)沿いの高いビルを後にラプラタ川を横断して70キロ先のColonia de Sacramentoへと。快速船で約1時間。やはり海だ。波もかなりある。やがてColonia de Sactamentoの町が見えてきた。わりと小さい。着いてすぐ誰か迎えに来ているのかと探したがそれらしい人はいない。ツアーのVaucherを案内の人に見せるとこれは一応外に出てツアーバスのバスストップ2番に行ってそこでまっていればバスが来るからそれに乗って町を回ってくださいとのこと。それではと歩き出すとかなりの人が同じ道を歩いている、それぞれぶつぶつ文句を言っている。スペイン語の会話が多い。バスストップ2で待っているとブラジル語が耳に入る。かなり年配のカップル。私たちもブラジル語で話していると親しく話しかけてきた。「この中でブラジル人はいないかと思ったよ。ところでどこから来られました。」「私たちはヴィトリアからです。」「やあ奇遇だ、私たちもですよ。ここで始めて会ったブラジル人がヴィトリアからだなんて嬉しいね。」それからの道中ずっと彼らと一緒だった。彼は陸軍を定年退職、各地を転々としたがヴィトリアが気に入って退職後はずっとヴィトリアだと。そうしているうちにバスが来た。いっぱいだ。空いた席はたったの2つ。始発はこの先300メートルの所でどうせ待つならそこだと確実に乗れますとのこと。さらに皆で300mほど歩く。先ほどのカップルと話しながら歩く。奥さんは75歳。ずっと若く見える。「私の名前はToraというのよ。珍しいでしょう、まだ同じ名前の人と出会ったことがないの」妻が「本当にトラなの、なにかの略とか?」「いや、ただそれだけよ」「それ日本語でTigre (Tiger)という意味だと知ってた」「いや、知らなかったわ。」横にいた旦那「えっ、それじゃ、私は毎晩タイガーと一緒に寝ていたのか。私はてっきり攻撃という意味だと思っていた。日本軍が真珠湾攻撃の時、トラ・トラ・トラの指令がでたんだろう。」「あれは暗号ですよ」。
バスの始発からは皆乗れて市内(外)を一回り。静かな保養地のたたずまい。となりとの境にはさくも何もない。治安の良い町なんだ。ちょっと羨ましくなった。一回りして予約してあったレストランへと。ここでもブラジル語が通じる。支払いはアルゼンチンペソで。ドルでもOKらしい。ここではとうとうウルグアイの紙幣は手にすることはなかった。昼食後は世界遺産になっている旧市街へと。そういっても4か5ブロックの狭い範囲。修道院の跡らしい壁が少し残っている。後はここの道が舗装されていない昔ながらの石を並べただけのもの。私たちが住んでいる町のまだポルトガルの大航海時代の名残のある修道院を思い出した。あそこをもうちょっと宣伝すれば観光名所になるのではとひらめいた。このブログで近々紹介したい。
小さな町なので帰りは歩いて船着場へ。また出国、入国の手続きをして午後5時頃のフェリーに乗る。一等席に入るときにシャンパンとチーズカナペなどを取って席に着く。ゆっくりくつろいでいる間に船はブエノスアイレスに戻ってきた。
なんといっても最大の思い出はラプラタ川の水に触れたこと。残念ながらアマゾン川のときのように小瓶に持って帰ることは出来なかったが。

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