2011年9月19日月曜日

魔法の言葉!? A Palavra Mágica !?

土曜日の朝いつものように朝市に出かけた。最近この辺にも新しいビルがどんどん建ち始め交通渋滞がすでに起こり始めている。これが三年後とかに新しい住民が入り今の人口の倍とかに増えるとどうなるのだろうかと心配になってくる。土曜の朝は海岸に抜ける道が近くに通っているので週末でもかなり込むことがある。さらに下水の整備で毎日のように道が掘られ通行止めの通りがあちこちでまるで迷路のようだ。これも発展の代価で我慢せねばならないのかとあきらめるしかない。朝市があっている通りも通行止めのシグナル。ここから引き返すとなるとすごい遠回りになるなと止まって道筋を考えていた時工事をしていた一人がこちらに気づき通ってよいと合図をした。道路は半分ずつ掘っているので朝市に行くものには特に便宜を図っているらしい。ここ数週間孫の恵美が週末は家で過ごしている。後ろの座席に取り付けたチャイルド・シートに座っていた恵美のシートベルトをはずして降ろす。妻が恵美を抱えて朝市に行こうとした時ばったり男の人と出会うと恵美が「Esse」と叫んでその男の人の持っているものを指差した。彼は手に持ったアイスクリームをなめ始めていた。彼は恵美の言った意味がわかったのか「 おや,お嬢ちゃん、あんたにあげたいのだけど、おじさんはもうこのアイスなめてしまったのだよ、その代わりこれを売っているところを教えてあげるよ」と言って妻をうながすように先にたって歩き出した。彼は10mほど先のアイスを売っているところへ連れて行きアイスが入っている箱を開け自分が持っているのと同じアイスを取り出し恵美の手に持たした。彼女、この「それ」という意味のブラジル語「esse」という言葉は自分の欲しいもの全て手に入る魔法の言葉と自覚しているようだ。スーパーに入ってもうっかりおもちゃコーナーの近くを通るとすぐ目当たり次第(?)この言葉を連発して目新しいものを見つけて持って帰ってくる。レジで計算を終わって出ようとするとまた「エッセ」。指差す先を見るとなんとガラス越しに喫茶店が見えケースの中にさまざまなパンやケーキが置いてある。あっ、もうおやつの時間かと気がつき、彼女の好物のチーズパンで一休みして帰路についた。おにぎりが欲しい時は炊飯器を指差し「Esse」、オレンジジュースの時はみかんを抱えてきて「Esse」, 散歩のときはくつを持ってきて「Esse」・・・・この言葉で全て用が足りるから他の言葉はあまり使わない。困ったものだ。上の写真は赤ずきんちゃんならぬ白ずきんちゃん衣装の恵美。一日中妻のあとを追っかけて掃除、洗濯、料理とがんばっているつもりらしい。 

2011年9月11日日曜日

World Trade Center の思い出





2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件から今日で10年経つ。こちらのメデイアでもニューヨーク特派員を通じて一週間の特集番組を組んで報じている。約3千人の命が奪われたWorld Trade Center ビル。夢にも思っていなかったことが実際に起きた。あの日起きたことは誰の頭にも鮮明に刻まれている。私は会社でお客さんあてのファックスを書いていた。誰かが「ニューヨークのワールド・トレード・センターのビルが飛行機に突っ込まれて燃えているぞ」と駆け込んできた。そのとき部屋にいたもの10人ほど、皆半信半疑でテレビが置いてある会議室へ。そこにはあの110階建ての威容を誇るワールド・トレード・センタービルの上方が煙をはいて燃えている。まるで映画のシーンのようで信じられない。一時すると横から飛行機がもう一つのビルに突っ込んできてそのビルも炎上し始めた。これが現実に起こっているなんて信じられない。結果的には二つのビルは焼け落ちてしまった。これも信じられなかった。飛行機が二機突っ込んであのワールド・トレード・センタービルが焼け落ちるなんて。事務所をかまえていた日本の会社の駐在員が日本でテレビを見ていた奥さんからの電話でことの重大さを知り避難して助かったという話もあった。
それからのアメリカのテロとの戦いは今なお続いている。
私はワールド・トレード・センタービルの110階の上に2度立ったことがある。1995年十一月一人でニューヨークに行った時と1997年八月妻、娘リナと一緒に行った時だ。ニューヨークに行けばワールド・トレード・センタービルには登ってみたい。コースとしては自由の女神像見学の後となる。海から見るワールド・トレード・センタービルの威容と登ってからのマンハッタンを一望できる見晴らしはすばらしい。大きなエレベーターは最新式で地階から110階まであっという間。それから屋上へと。360度見渡せる。マンハッタン、ブルックリン、さっき見た自由の女神、、、これもいつまでも脳裏に焼きついている。

2011年9月10日土曜日

Rogério Ceni 1000試合出場達成

今週サンパウロ・フットボール・クラブのゴール・キーパーRogério Ceniがこのクラブでの1000試合出場を達成した。彼は3月28日のブログにも書いたようにゴール・キーパーとしては得点王でこれまで103点をあげている。
今週の彼の歴史的な1000試合目を見ようとサポーターをはじめ6万人以上の観客がつめかけた。これは今期のブラジル選手権の記録らしい。試合のほうもチームメイトのがんばりで2対1と彼に勝利をプレゼント、歴史的な記録に花を添えた。
一つのチームに1000試合以上出場したのはブラジルのサーカー史上これまで二人しかいない。サントスで1115試合出場のサッカーの神様と呼ばれるPeléとリオの伝統チームヴァスコで1110試合出場のRoberto Dinamite。Rogério Ceniは今38歳、サンパウロとの契約は来年の末まで。どこまで記録を伸ばすやら。
彼はサンパウロとしては2005年の世界クラブ選手権での決勝戦で最優秀選手に選ばれるなど数々の栄誉に輝いているのだがワールド・カップには縁が無く代表としての試合では良い成績は残せずいつも選考からはずされている。不思議に思っていたものである。
さて2014年ワールドカップブラジル大会、競技場が期日まで果たして出来上がるのか当分やきもきが続きそうだ。どうやら開会式とキックオフはサンパウロ市郊外のこれから造るItaquerão に決まったようだ。