2010年12月24日金曜日

Brigiteville ブリジッテヴィレ


「ともだち」の発表会の次の夜は娘婿ロドリゴの両親の所へあいさつにでかけた。家には隅々にまでクリスマスの飾りつけがなされてある。応接間の隅のほうにある緑豊かな小さな町にはあちらこちらと灯がともりサンタのおじさんが喜んで降りて行きそうな雰囲気がかもし出されている。この家の主婦ブリジッテはドイツ系。ヨーロッパの伝統がそのまま受けつがれている。「この町は私の町よ」とブリジッテ。彼女の町は娘たちがなにか珍しいものを見つけるたびにプレゼントとして持ってくるので年々大きなってきている。もう一方の隅にはチャペルと家が二つ三つ、見ていたら主人のカルロスが来てこれが私の町だそうだと。ちょっと寂しい。どうやら彼の町はぜんぜん大きくなってないらしい。なにはともあれ年の終わりクリスマスには全員集まって和やかな雰囲気で家族の絆を確かめ合う。古き良き伝統だ。

2010年12月23日木曜日

「東洋文化センターともだち」の発表会

クリチーバに住む娘の「東洋文化センターともだち」の発表会はショッピング・センター内の300人強収容の劇場で行われたが満席となった。これは「ともだち」とカンフーアカデミー「SENDA」との共催でそれぞれの父兄や友達などでショッピング内には早くから列ができたので早めに開場となったそうだ。
「SENDA」の生徒たちは日頃の練習の成果を規律正しくしかも迫力ある動きで観客を魅了。あるときは棒、そして剣、またあるときは扇子を使っての舞、女の子も男子に負けてはいない。ペアでの中国の獅子舞も披露された。「SENDA」を経営するジョルジェ氏もほとんどの番組に出演、さすが先生、若い者をしのぐ滑らかな動作には感心した。確認を要するがなんでも60歳くらいだろうとのことだ。「SENDA」の番組の紹介と説明は娘婿のロドリゴで、彼のカンフー歴も長く今は先生代理を務めているらしい。
「ともだち」の招待でクリチーバ民謡会から三人来られて歌われたが皆さんとても上手でその内の一人佐藤さんは今年の全伯民謡大会で優勝され最近日本に行かれて帰ってこられたばかりとのことだった。民謡の伴奏の尺八を吹いたのが娘婿のロドリゴ。そして三味線は「ともだち」の若い先生のヴィニシウス。彼は音感がよく、尺八でも一度きいたらそのあとすぐ再奏(?)できるそうだ(娘の説)。
クリチーバ日系協会の太鼓グループ「若葉」の特別参加。整ったしかも力強い太鼓の響きが場内一杯に広がった。ブラジルでトップクラスの太鼓グループだそうだ。
すばらしいショーを見せてくれたのが韓国POPグループの「Brisque」。十数人の若さあふれる男女混合のグループ。軽快でしかも迫力あるおどり。つい観客もリズムをとる。終わるとあちこちから「きゃー、きゃー」と歓声、熱烈なファンがいるらしい。
「ともだち」からは生徒と先生で東洋哲学、仏教、中国の故事などから成る四つのコントが演じられた。惜しいかなマイクを使わずに演じたので後ろの席までは声が届かなかっただろう。しかし前のほうの席にいた人達は微妙な解釈の劇に笑ったりしていたので私の方がそれに感心。
私はといえば、発表会の前日にクリチーバに着き、早速娘が明日の打ち合わせや生徒のリハーサルがあるので「ともだち」に行くというので付き合わされる。そこで明日劇場でビデオをとる人と会う。娘がこの人は明日は重要な用事があるのでパパイ代わりに撮ってくれということになった。一応どのボタンを押せばどうなるとの説明をうける。さて当日ビデオカメラを三脚につけ横の通路に設置。テープは一時間半、発表会は2時間。テープを交換しなければならない。さてどうやって取り替えるのだろう。全部調べたがさっぱりわからない。どうせテープをもう一本買わなければならないのでテープを売っている所へ行けば教えてくれるだろう。若い女の子に聞くと、ビデオカメラは扱ったことがないが、ショッピング内にビデオカメラを売ってる店があると言う。さっそく飛んでいく。ソニーから派遣されて来ているというかわいい金髪の女の子。「三脚に取り付けるこの台座を取らないとテープを取り替えることはできません。」ドライバーか何かいるなと思っていたところ、彼女ポケットに手を入れ50セント硬貨を取り出しそれでクルリッとねじを回して台座を取りはずした。 「ねっ、金髪といってもばかではないでしょう。」 ブラジルではやっかみからか金髪の女の子は馬鹿だという題の笑い話がよく作られる。「いやー、あなたはとてもインテリですよ」と私。これだと90分以上のビデオは途中で三脚から取りはずしてテープを交換しなければならない。その間のシーンは撮りそこなうということか。私はてっきり横か上から取り外すものとばかり思っていたので下からなんて考えもしなかった。それをさっしたのか彼女「いまのはHD搭載で、連続で何時間も撮れるようになっていますからこういうことはおこりません。」
さてその魔の90分目、暗い中での取替えでもたついてしまった。そして三脚にも取り付けることもできずそれからは手で持ってでの撮影となった。韓国語を教えているブラジル人の先生がキーボードをたたきながら「冬のソナタ」を歌った。さいごは「とだち」のミレナが日本語訳まじりのブラジルの歌を披露そして彼女の歌う「となりのトトロ」で「ともだち」の出演者皆が輪になっての行進でしめくくった。
観衆からもすごい拍手。私もすごいショーを観たような気に浸された。

2010年12月21日火曜日

クリチーバは真夏でも冬?

クリチーバに住む娘から「東洋文化センターともだち」の今年度の総仕上げとして父兄および関係者に集まってもらって発表会を催すと先週連絡がありどんなものをやるのか気になるのであわただしく飛行機の切符を手配しての来クリチーバとなった。最近は小さな航空会社も参入し選択肢が増えている。幸いその中の一社にタイミングおよび値段でこちらの希望にマッチするのがあり早速チケットを購入。
いままでクリチーバ行きはサンパウロかベロ・オリゾンテの飛行場に寄っていたので今回はどこかなと思っていたら直行便だった。一時間四十分、早いものだ。ヴィトリアを発ったときは気温は約30度。皆半そでシャツの軽装。機が巡航態勢に入ると機長のアナウンス「ただいまクリチーバは小雨が降っており気温は10度台です。」はっきりわからないので幅をもたせて十何度か。まあ、18度位だろう。そして、そろそろクリチーバかなと思っていた頃またアナウンス「クリチーバの気温はただいま11度」えっ、するとさきほどの10度台というのは10点何度ということだったのか。私の頭はいまどきそんな気温がブラジルにあるなんて受け付けないので10度台というのは十がつく19までの気温と思っていた。今年の6月12日のブログにも書いたがヴィトリアは今年最低気温を更新したばかりで、14,2度しかも58何年ぶりに。機内にざわめきが広まりあちこちで鼻をすすったりせきをするのが聞こえる。私は手に持っていたジャンパーをはおった。私がいらないといったのを妻が強引に押し付けたものだ。妻は先月こちらに来ている。飛行機から降りて荷物を待つ間も誰も上着をかけていない。この人達トランクの中にはちゃんと厚い上着が入っているのだろうかと心配になってきた。
到着ロビーで待っていた娘もコートを着ている。そして夏にこんなに寒いのはめったにないのだと言っていた。夜、家に電話をいれると、なんでもニュースでクリチーバは7年ぶりの夏の寒さになったと報じていたそうだ。

2010年12月2日木曜日

2018年サッカーW杯はロシアそして2022年はカタール

今日スイスの国際サッカー連盟(FIFA)本部で2018年と2022年のワールドカップ開催地を決める理事会の投票があり、18年大会はロシア、22年大会はカタールで行われることになった。日本は22年大会に立候補したが落選した。ロシアとカタールは,いずれも初めてのW杯開催で東欧と中東で開かれるのも初めてとなる。日本の理事も今まで開催されたことのない所は強いとのコメントをだしていた。ブラジルの理事は18年に関してはポルトガル・スペイン共催に投票すると言っていたが22年については何も言ってなかった。この投票に先立ち英紙『サンデー・タイムズ』が、ワールドカップ本大会開催国決定の投票権を持つ二名のFIFA役員に関するスキャンダルを報じたがこの報道自体も批判の対象となり前評判の高かった英国での開催に不利に働いたようだ。カタール招致の大使としてアピールしてきた元フランス代表のジダン氏はこれはカタールだけにとどまらないアラブ世界の勝利であるとインタビューで答えていた。
このFIFA、加盟国は208ヶ国で国際的な組織としては国連、国際オリンピック連盟より多い。ブラジルでは4年に一回のワールドカップは国民総参加型のお祭りでオリンピックよりはるかににぎわう。FIFAの前会長はブラジルのジョン・アベランジ氏で1974年から1998年までの24年間FIFAのトップにありサーカーの普及に努めた。彼が後任として推したのがスイスのブラッター現会長である。
実は何もこんなことを書きたくて今日ノートブックに向かっているわけではない。私の心配はここブラジルで2014年に開催されるワールドカップ。スタジアムは順調に建設されているのだろうか、交通、宿泊施設は?? 先週、開幕はどのスタジアムでやるのかまだ決まってないという新聞記事を見かけたような気がした。
世界に誇れるようなワールドカップ、お願いします。