2012年12月31日月曜日

猛暑の紅白歌合戦

12月31日は紅白歌合戦から始まる。日本は夜の7時15分からだが時差12時間のブラジルでは朝の7時15分(夏時間で8時15分)。我が家では録画機能のあるプレーヤーのあるところでは時計は夏時間に合わせてない。毎年録画していて今年も予約録画に昨日仕掛けておいた。しかし時間通りにかかるか、途中問題ないかと心配なのでやはり初めから終わりまで見る。年を締めくくる歌と踊りの祭典というNHKのふれこみ。今年はいつもより洗練されていて楽しめた。若い人たちの歌はその場で楽しむだけだが、知っている馴染みの歌手が出てきて歌うとああこの歌は誰とどこで聞いたなどとその時の情景が浮かび上がってきたりする。白組の司会「嵐」が昨年と一昨年歌い、今年も特別企画で歌った「ふるさと」。「あなたにとってふるさととは?」。さて、私にとってふるさととは? 16歳までいた日本では考えることもなかった。ブラジルに来てからはふるさとは日本であった。しかしこちらに長く住んでいるとそれはブラジルになり、それも最初はサンパウロのモジ・ダス・クルーゼスそして今は35年住むここエスピリトサント州の大ヴィトリア圏内のセーハ市。なんだこれでは「住めば都」ではなく「住めばふるさと」ではないか。そうか、都とはふるさとのことだったのか。不覚を取った。
紅白歌合戦はコロニアでも人気のある番組でサンパウロのモジにいたころは町で週に二日、日本映画を通していた映画館で紅白歌合戦の何か月後にスクリーンの映像で見ていた。80年代は日本からこちらに仕事で来ていた人から日本に帰国後録画テープを送ってもらっていた。いつもありがとうございました。NHKがこちらで見れるようになってからはテープに録画、そして今はHD内臓のプレーヤーで編集してDVDに録画。我が家の紅白歌合戦の歴史を懐かしく思い出す。
朝7時10分、日が照っていたので外に温度計を持って出て直射日光で測ってみると34度あった。ここ1週間雨も降らず暑さが続いていて昨日は真昼に測ってみると46度あった。夜はエアコンかけてこれから寝ようと思っていたら停電。2時間ほどの停電はもう何年も経験してない。日焼け止めをつける習慣のない私もここ数日出かける時はスプレーをかけている。今日も暑くなると覚悟していたら昼から曇ってきたので温度計で測るのはやめにした。
日本は記録的な猛寒(?)。地球は狂ってきているのか。

2012年12月24日月曜日

コリンチャンス クラブ選手権その2

家に住んでいると、時々リフォームや水、電気関係のトラブル解決に左官屋を呼ぶことがよくある。家ではここ10年以上使っている左官屋がいる。2ヶ月前に家の外壁を塗らした時に仕事シャツを忘れていったので妻が洗濯して今年中に返しておこうと電話で昨日連絡して今日の朝取りに来てもらうようにした。門から入ってきた彼の顔が少し赤い、どうやら昨日のよるから仲間で飲んでいたようだ。今日はクリスマスイブでもあるのでケーキとシャンパンに似た飲み物を一本妻がシャツと一緒に渡していたので私が「ドナ・イウダ(彼の母親)におこしをもたしたらよろこぶんじゃないか」と言ったら、「そうね、ビンにいっぱいあるからすぐ出来る、ちょっと待たしといて」と言って妻は台所に向かった。私が「おこし」と言ったのは正式には「干し飯(ご飯を水であらって天日で干したもの)を油であげカラメルでかためて四角く切った物」である。ここエスピリト・サント州では日差しが強いので天気のいい日、ご飯は1日で干しあがる。この「おこし」、意外とブラジル人に大人気。古いつきあいの知人「誕生日、クリスマス、イースター祭、すべてプレゼントはこれで良い」との通達(?)を受けている程である。さて妻が作っている間私達はサッカー談義。コリンチャンスのクラブ世界一の話しに当然なる。何でも彼らのところは町内で賭けをしたそうだ。しかしなんと彼はコリンチャンスが3対1で負けると賭けたそうだ。ブラジル中がコリンチャンスに応援していたのにどうしてと聞くと「弟がコリンチャンスの熱狂フアンでいつもうんざりしていたのでこれで負けたらあれも大きな顔は出来ないしこっちの気分も良くなる」とのこと???
20分ほどで妻が大きな箱に「おこし」をいっぱい入れて持ってきた。彼は「これでお母さんへのクリスマスプレゼントができた」と意気揚々と自転車を飛ばして帰った。

発展への雄たけび


昨日スーパーからの帰り、新しい近道ができているのに気づきこれを使えばかなり距離、時間的にも短縮できると思い入ってみた。道幅も広く舗装はされているがまだ照明もなく交通標識もない。この辺の地理に詳しい人しか使っていないようだ。道に入ってすぐに迫力のある光景が目に入ったきた。パワーシャベルの群れである。巨大な鳥たちがより高く競うように雄たけびをあげているような。このブログでも何回か書いているがこれ皆韓国のHUNDAI製。スマートテレビ、スマートフォン、乗用車以外でも韓国企業は激しく攻勢をかけてきているようだ。

2012年12月16日日曜日

コリンチャンス、おめでとう!!!


今、横浜で行われていたクラブW杯が終わりコリンチャンスが1対0でチェルシーを破りクラブ世界一となった。始まって2,3分、コリンチャンスの動きが準決勝戦の時より良い。しかしチェルシーの攻めはすばやく再三ゴールのチャンスをうかがうがゴールキーパーのCassioが防ぐ。ゴールへのシュート数ではコリンチャンスはチェルシーの半分。今回の最優秀選手にCassioが選ばれたのは当然のことである。
試合中、絶えなかった4万人以上の観衆の大部分を占めたコリンチャンス・サポーターの応援。地球の裏まで高い旅費および宿泊費などの諸々の経費にも関わらず応援に駆け付けた熱烈なサポーター達、アナウンサーもまるでブラジルのホームで戦っているようだと言っていた。彼らのことだからおそらく借金までして行っているサポーターも中にはいるのではないか。
時差の関係でこちらでは午前中に試合は終わった。暑いので冷やしておいたビールを開けた。今夜は友人の孫の一歳の誕生祝に招かれている。またコリンチャンスの話が出るだろうからこのポストを閉めるのはそれからにしようとノートブックを閉じた。

「不思議な国のアリス」の挿絵が入った招待状には午後6時からと書いてあった。7時頃出かけようと思っていたら息子夫婦が子供のパーティはあまり遅れないよと言ったのでそれでは6時頃出るかと決めた。着くまでには30分ほどかかる。ブラジルでは時間どおりに始まる集まりはない。ところが行く先に着いたと思っていたらそこは彼らが昨年まで住んでいた所で新しい住所は招待状に書いてあったと妻は言う。彼らこの4年で4回引っ越ししている。息子のケータイに電話して聞くと3つ先の通りだという。それでもまだ迷ってそれやこれやで着いたのは7時。ブラジルのマンションでは共同で使用できるサロン・デ・フェスタと称する大広間がある。そこで家族のお祝いや気の合った友達で集まりバーベキューパーティーを開いたりすることが出来る。事前に予約が必要である。場所はそこと書いてあったがまだ人はあまり集まっていない。小さい子供たちが集まるというので小型トランポリンや滑り台なども用意してある。友人は孫と写真をとってもらっていた。だんだん人が集まってきてそれぞれ4-6人用のテーブルに着く。あちこちで話がはずんでいる。やがて私も友人のいるテーブルの輪の中にはいる。なんとコリンチアノが二人いてその一人が友人自身。何万人のサポーターが行って、どのくらい金を使ったの、日本の領事館はビザを出すのに苦労したろうとか、しかし最後は英雄、キーパーのCassioの話になる。
やがて皆が広間の隅のケーキが置いてある所に集まるとハッピー・バースデイの合唱。曲はアメリカと同じだがブラジルでは誕生日という歌詞は入らず「おめでとう、あなた,この素晴らしい日…」という歌詞から始まる。二度みんなで歌い終わった時友人の奥さんがまた始めようと歌いだしたがだれもあとに続かなかった。みんなは「不思議な国のアリス」の絵が入っているお菓子などに飛びついて行ったが私のそばを友人の奥さんがぶつぶつ言って通っている、よく聞いていると「私は‘おめでとう、コリンチャンス‘と替え歌で皆で祝おうと思っていたのに誰もついてこないんだから…」
妻の話だと彼女も熱烈なコリンチャンスのサポーターとのこと。

火曜日は凱旋帰国(?)、さぞサンパウロではすごいお祭り騒ぎになるだろう。
コリンチャンス、おめでとう!!!

2012年12月12日水曜日

クラブW杯準決勝、コリンチャンス 1対0で勝つ


今ハラハラのセカンドハーフが終わった。南米チャンピオン、ブラジルのコリンチャンスとアフリカ代表のアルアハリ(エジプト)とのサッカー世界選手権大会の準決勝戦でコリンチャンスがかろうじて前半の1点を守りきり日曜日16日の決勝戦に進んだ。後半はアルアハリの見事なパス回しと再三のゴールを狙ってのシュートでコリンチャンスのサポーターのみならずブラジル中が手に汗を握った。実況していたブラジルのテレビグローボ社のアナウンサーも試合後視聴者に落ち着いてまずは上がった血圧を下げましょうと言う始末。こんな調子で明日のもう一つの準決勝戦ヨーロッパ代表イギリスのチェルシーと中北米代表のメキシコのモンテレイとの勝者との決勝戦は大丈夫かなと不安が残った。しかしカチカチのサポーターは「なーに、これも監督の作戦さ、ここで手の内を見せたらまずいものな」とコメントしていた。
今日の豊田スタジアム、ほとんどがコリンチャンスのサポーターだったように見えた。コリンチャンスのサポータの数はフラメンゴのサポーターの数とどちらがブラジルで一番多いかと問われるとそれぞれ自分の方だと後に引かない。コリンチャンスのサポーターのチームへの忠誠は堅い。ただのサポーターとは言わずに「忠実なコリンチャンスのサポーター」あるいはそれを略しての「忠実(Fiel)」といえば彼らを意味する。また彼らの応援も息が合って高まりたまには暴力的なまでに発展したりする。こちら発行ののニッケイ新聞も彼らが日本で問題を起こさなければよいがと心配していた。また日系人のサポーターも多い、サンパウロの三人の甥たちもたしか「Corintiano(コリンチャンスのサポータ)
Corinthians, 日曜日は美味しいビールを飲まさせてくれ!!

2012年12月11日火曜日

日本よ、どこへ行く


最近こちらの新聞に私が前から思っていたことをコラムニストが書いていたので下に訳してみた。新聞といってもエスピリトサント州発行の地方紙で土・日だけ購読している。ブラジルに日本のような全国紙はなく紙数の多いのはサンパウロとかリオとかの大都会の新聞である。そこから地方の系列会社に記事を廻しているところもあるようだ。

"日本は何十年という長い間エレクトロニクス王国として知られてきた。良いエレクトロニクス製品は日本製だと聞いて私たちは育ってきた。‘日本製(メイド・イン・ジャパン)‘、これが誰もがお気に入りの登録商標でそれだけで十分、他になにもいう必要もなかった。しかしこれがスイッチを入れるか入れないかのタイミングで一変した。
シャープ、ソニー、パナソニック、富士通などは4年も前から赤字に陥っていて2012年は今までで最悪の結果となるかもしれない。日本製は良い製品ではなくなったのだろうか? いや、違う、相変わらず最高の製品だ。しかし日本の会社はマーケットの焦点を見失ってしまい、もうすでに消費者の関心が薄れてしまっている分野の革新に力を入れるようになってしまった。
新しいテレビの代わりにマーケットはスマートフォンに向かった。日本の会社はそれに速く気づかなかった。ケータイについては日本の会社は90年代の初めから積極的に参加してきた。ソニーはEricsson と組んで成功しシャープはカメラ付きのケータイを最初に出した。しかしそれも2000年代の初めまででそこで止まってしまった。
もうこれ以上あまり新しいものは出ないだろうと思っていた。しかし2007年アメリカ、アップル社からiPhoneが出て革命が始まった。韓国のSamsungも参入し2社でマーケットシェアー54%,日本はわずか8%。日本国内でさえアップルとSamsungに負けてしまった。これはかの有名な熟社ともいうべき現象なのだろうか。即ち、居心地のいいゾーンに居座り、バックミラーに眼を向けなかったため追い抜かれてしまったということなのか。"

PS: 実は家でも3台ある薄型LEDテレビはSamsung と LG、スマートフォン然り。トヨタのETIOS(インドで売られていたのを改良)がこちらで発売された時はデザインが悪いとインターネットで批評されていた。ブラジル人は自分の車を自慢しあってデザインにはうるさい。こういうことをマーケティングの時点でつかんでいなかったのだろうか。その点、韓国車はアグレッシブなデザインでせまってくるしCost-Benefit も良いので街でよく見かける。

2012年12月7日金曜日

さようなら、オスカール ニーマイヤー

一昨日5日ブラジルが世界に誇る建築界の巨匠オスカール ニーマイヤーが104歳の生涯を閉じた。つい最近までニュースなどにも元気な姿で事務所で打ち合わせをしている様子が写しだされていたのでそのバイタリティに感嘆したものだった。

彼は曲線の魔術師として知られている。下は彼の言葉である。                          
私を引き付けるのは硬く曲がらない人間によって作られた直角や直線ではなく、自由で魅惑的な曲線であり、それらは私の国の山々に見られるような、まがりくねった川れ流れのような、海の波のようなそして好きな女性の体のような曲線である。
宇宙全てのものは曲線でできている、アインシュタインの曲がった宇宙も。」

私も彼の建造物をいくつか訪れた。このブログを書き出してからは娘の住むクリチーバにありその形から「目」の愛称で知られている「オスカール ニーマイヤー博物館」。息子の住むリオの隣ニテロイにある「近代美術館」と海から望んだ「ニーマイヤーの道」と呼ばれるたたずまい。

そしてずっと昔にさかのぼるが仕事で首都ブラジリアに行ったときに見た彼が設計した種々の官庁や大聖堂。それらの建造物でブラジリアは世界遺産に登録されている。

これも出張先ミナス州の州都ベロ・オリゾンテで見たパンプーリャ湖畔にひっそりとたたずむ「サンフランシスコ礼拝堂」。

最初によく見ていて当時は彼が設計したのだとは知らなかったサンパウロの曲がりくねった「コパンビル」、サンパウロの象徴でもある。

オスカール ニーマイヤー、ありがとう!