2016年7月28日木曜日

リオ・オリンピックまであと7日

                    31のビルからなるオリンピック選手村

リオ・オリンピック開始まであと7日。

選手村の不備が伝えられている。オ-ストラリアの選手団は2日前に到着したが、いざ選手村のアパートに入ってみると水が出ないやら、漏っているやら、おまけに電気がつかないやらで選手村に入らずホテルに移動した。これを知ったリオ市長慌てて清掃係や修理係を緊急に雇いいれどうにか住めるようになり今日オーストラリア選手団再び選手村に戻ってきた。
その間にリオ市長はテレビに出た時「こんな大きな工事にはどこかにミスが出るものですぐに修理し今度オーストラリア選手団が入るときは自国にいるような気分を味わえるようにカンガルーを用意しておこう」なんて変なジョークまで飛ばしたが今日のニュースでは選手団長からカンガルーの小さなぬいぐるみを記念品でもらい一本取られた形となった。イタリア選手団は清掃や修理する人たちを連れて選手村に入ったそうだ。

テレビカメラが毎日空港での選手団の到着を映しているが日本の選手団を映していて大きなダンボール箱の山ができていたので聞いたところお米だということだったと報じていた。勿論のこと、日本米がないと力が出ないよな。体操の内村選手の練習を映し世界トップの選手だと紹介していた。
1年前位に体操の個人総合と種目別の決勝戦の入場券抽選に応募したのだが外れてしまった。
テレビでの観戦となるが案外そこが一等席かも知れない。

2014年のワールドカップと2016年のオリンピックとの国民の期待度の比較アンケートが今日のニュースに出ていた。
                      ワールドカップ          オリンピック
一番期待していることは?      優勝すること 51%     無事におえること  59%
                     (無事に終えること 25%)   (順位 31%)

ブラジルに利益を与えるか損か?   利益  43%          損失  60%
                        (損失  40%)         (利益  32%)

外国人観光客が落とす金はワールドカップの方がオリンピックの約4倍と言っていた。






2016年7月24日日曜日

エスピリトサント州の桜

州立公園Pedra Azulに咲いた桜の花

上の写真は知人からメールで送られてきたもので2008年の移民百年祭の一環として州立公園Pedra Azulに植えた桜の花が今見事に咲いているので花見大会を催しますとの知らせが来た

2008年7月21日のポストに桜の苗が植えられることを書いた。あれから8年、花見ができるほどに大きく育った。ブラジルでは7月に咲く。気候でいうと冬だがここエスピリトサント州の標高1000mの山岳地帯(?)ではちょうど日本の春くらいの気候かもしれない。

あの時Pedra Azulに行く途中に立ち寄ったブラジル人の所で苗をもらって帰ってきたが私たちの住む海岸地帯では咲かないと知っていたのでSanta Teresaという標高約700mの町に親戚がいるという近所の親しくしている知人に桜の苗木だと言って渡し植えてもらうことにした。そこでは咲くかもしてないと期待していたらやはり2,3年前だったか桜を初めて見たと妻の友達の奥さんから知らせがあった。

ブラジルでもあちこちで桜の木が植えられているのを見る。やがては7月はブラジルの桜の花が咲く季節として覚えられるようになるかもしれない。

2016年7月22日金曜日

あおいくま

NHKの番組を見ていたら新日本風土記「サンパウロ」なるものが目に入った。この番組、時々見ているが日本の景色、祭り、伝統工芸など自分がそこに行ったような気分にさせてくれる。
日本紹介の番組なので「サンパウロ」とは何だろう? まさか、ブラジルの「サンパウロ」ではないだろうな?と思ってチャンネルをまわしてみた。日本のテーマ以外は初めてだという。

やはりブラジルに移民として来た日本人とその血を受け継ぐ日系人の生活を追っていた。今ブラジルの日本人・日系人の数はおよそ160万人でサンパウロ州には約100万人が住んでいるという。
ちなみに、私はエスピリトサント州、長女は日系人が二番目に多いパラナ州、長男はリオ州そして次男はサンタカタリナ州に住んでいて、サンパウロ州には誰も住んでいない。しかし親戚はほとんどサンパウロだ。
ブラジルに蟻と日本人のいない所はないという言葉も聞かれたが農業を離れてきている今はどうだろう。最初の移民が始まったのが1908年の6月18日だから今年で108年になる。
日本移民100年祭の時はこのブログにも色々な思いや思い出を書いた。
私たちもブラジルに来た初めの頃はサンパウロ州に住んでいたが私は大学を出た後は仕事の都合で今のところに引っ越してきた。その時娘は生後11か月、あれからもう39年になる。

見知らぬ国での、言葉、文化、習慣の違う中での苦労話、今では面白く聞ける余裕も出てきた。「サンパウロ」を見ていてもなぜか昔がなつかしい。

番組の中で日本語学校に通っていたブラジル人の青年が日本語の先生が引退して日本に帰った後学校を引き継ぎ日系人やブラジル人に日本語を教えているストーリーがあった。
その中で先生が彼に与えた「人生訓」ともいえる言葉があると言ってそれは「あおいくま」だという。
すぐ私は「青い熊」だと思ったがそれにしてはちょっとおかしいなあと思っていたら

あ は あせるな
お は おこるな
い は いばるな
  は くさるな
ま は まけるな

だと説明した。

この次の新日本風土記はブラジル日系人が多く住む群馬県の「大泉町」だと言っていた。

ブラジルに来て56年。今は故郷となった異国での生活、何の悔いもない。

2016年7月18日月曜日

テロの脅威

フランス革命の発端となった1789年7月14日のバスティーユ襲撃を記念して世界的に有名な観光地であるフランスのニースで行われた花火大会に思いがけない大惨事が起こった。花火を見ようと家族で集まった群衆に大型トラックが突進し84名の死者と約200名の負傷者がでた。
テロ行為かどうかは今取り調べ中らしいが驚いたのは今までのテロによる大量殺人が銃器や爆薬などの火器を使っての行為だったのが今回は大型運搬車を使ってのことだったので複雑な気持ちになった。これではテロを防ぐための取り調べや警戒態勢が取れないではないか。と同時にほかの手を使う可能性も否定できない。世界を震撼させた2001年の9月11日は途中から会社の事務所で実況を見ていたがそれが実際に起こっているなんて信じられなかった。ハリウッドでも思いつかないアタックではないかと思った。

今世界各地でテロが起こっている。私もこれから知らない土地への旅行は二の足を踏む。バングラデシュでは日本人がテロの対象となり7人が犠牲になった。ヨーロッパでもフランスを始め各地でテロが起こっている。アメリカでは銃器規制が出来ず最新の銃器を一般の人が買うことができるという。アメリカ独立以来の国民の権利で憲法にも謳われている。しかしそれによって時々無差別殺人が起きる。
銃器についてはブラジルは一応登録などの規制はあるが徹底しておらず闇の取引が絶えない状態で完全取り締まりは難しい。ブラジルでは「宗教とサッカーの議論は禁物」という経験に基づくことわざがある。特に知らない人とは気を付けないと喧嘩のもとになるし果ては殺人事件にまで発展する可能性がある。サッカーの場合、熱狂的なサポーター達が多く、負けると自分のチームにまで野次をとばす。サンパウロやリオの大都市のライバルチーム同士の試合だと熱狂サポーター同士の喧嘩が起きる。それに巻き込まれないためには応援チームのシャツは着ていかないほうが賢明。

8月5日開催のリオ・オリンピック、今テロ対策に力を入れている。軍隊まで動員しての総勢8万5千人でのオリンピックセキュリティー。速やかなゲームの進行と選手及び国内・国外からの観客の安全を守るための万全の警戒態勢を敷くと言っている。すでにテロ対策のシムレーションまで行われているのをテレビで観る。
待ちに待ったスポーツの祭典ブラジルでのリオ・オリンピック、運行の無事と成功を祈っている。

2016年7月14日木曜日

ポルトガル、欧州サッカー選手権初優勝おめでとう!!!

10日の日曜日、ポルトガルが念願のEurocopa (欧州サッカー選手権)初優勝を飾った。
今回もポルトガル躍進の原動力はやはりCristiano Ronaldo、だが開催国フランスとの決勝戦前半25分で涙の負傷退場となった。彼は常に相手チームからマークされラフプレーの対象とされなかなか実力を発揮できない。そういう状況でもわずかなチャンスをものにしポルトガルを2回目の決勝戦へと持ち込んだ。

彼の最初のEurocopa 参加は2004年、ポルトガルが開催国となった年。その時の監督は2002年の日本・韓国共催のワールドカップでブラジルに優勝をもたらしたLuiz Felipe Scolari (通称 Felipão フェリポン)。そのときは決勝戦でEurocopa 2回目出場で優勝候補にものぼっていなかったギリシャに敗れた。

4年に一度のEurocopa ,このフランス大会のチャンスをのがすとロナルドが優勝カップを手にするのは非常に難しい。これまでポルトガルのために尽くしてくれたロナルドのために戦おうと全選手の意気が固まった。
フランスの猛攻撃にゴールキーパーが耐えてチームにも攻めの態勢が出来てきた。そして延長戦, Éder が素早いミドルシュートで勝利を決めた。

ちょっと見慣れない光景が目に入った。普段はベンチでおとなしくしているロナルドがあたかも監督のようにラインの近くで選手たちに大きな声で指図しているように見えた。優勝が決まるとキャプテンマークがロナルドの腕へと戻され彼は念願の優勝カップを手にすることができた。

彼は2004年から連続出場、今回も3ゴールを決めEurocopaの得点数が9となりフランスのMichel Platiniと並ぶ得点王となった。出場数は21試合でこれは単独トップ。

ポルトガルの国を挙げての大喜びの様子がテレビで流れていた。ブラジルに縁の深いポルトガル、優勝おめでとう!

優勝監督はFernando Santos、勤めていた会社の同僚も同じ名前。彼は今頃どうしているかなー?。






2016年7月10日日曜日

えっ、そんなミキサーあるの?

私たちが親しくしている近くの海辺に住むご婦人から昨日の夜電話がかかってきた。
「前にお宅に行って饅頭の作り方を習ったのだけど、昨日作ったらうまく出来なかったの。明日そちらに行って又一緒に作らせてもらっていいでしょうか?」「はい、いいですよ。材料はこちらに揃っていますから」

今日の朝早くドアベル(?)が鳴った。妻はよく庭の手入れをして家の中にはいないし、私も2階の部屋にいるとベルが聞こえないので家の門の外にオートバイのクラクションを取り付けてある。庭の端っこにいても聞こえる。私たちの家の横にある救急車を市役所などに供給している会社に勤めている孫娘の車で彼女は降り立った。右手に買い物袋を持っている。「来るとき海の横の魚市場に寄ってカワハギがあったので持ってきました」と妻に手渡された。海辺の魚市場は漁師が獲ってきたものをその場で売っているので全てが新鮮だ。「一週間前にお宅に教えてもらったカワハギの刺身、居ても立っても居られず早速買って刺身にしたらおいしかったわ。寿司にしてもおいしいし、これからはいつでもできるので助かるわ。今まではまず魚屋に行って刺身にできる魚があるかどうかを見て寿司を作っていたの。カワハギで刺身、寿司なんて今まで思ってもみなかったわ。娘や孫たちも気に入って合格点をくれたの」。彼女は長い間ヴィトリアに日本食レストランを開けていてブラジル人にも「Mamasan」の愛称で親しまれている。数年前にレストランは年齢を理由に閉めている。

この話、実は5月8日のポストにさかのぼらなければならない。実はあの時、鯛やハマチやEnchovaのほかに4キロの「カワハギ」を買っていたのだ。カワハギはこの辺では最も身近な魚で海辺のキオスクなどで油で揚げビールの友としてブラジル人に人気がある。値段も安いし私たちも今までバカにしてきて家でもいつも揚げて食べるものとなっていた。

話はまた30年ほど前にさかのぼらなければならない。
当時私と同じ会社に勤めていた同年代の二世の家族が近所に住んでいた。子供たちも同じ学校に通っていて時々誕生日などお互いに行き来していた。
ある日こんなことを旦那が妻に話した。
「奥さん、ここで一番おいしい刺身はなんだか知ってますか?」
「この辺だと、まぐろがあるし、鯛やスズキやハマチとか・・・」
「いや違いますよ、カワハギですよ。一年中手に入るし、おいしいし、おまけに安いし。それにわさびはいらないですよ。一番おいしい食べ方はしょうがのすりおろしを使うんですよ」
それから数日して町の朝市でカワハギを買ってきてしょうがをすって食べたがあまりおいしくなかった。「やっぱり、カワハギは油であげて食べるものだな」ということとなった。

妻が5月8日に買ったカワハギ、あまりにも新鮮なので、30年前の話を思い出した。「そうだ、海に行って魚を買っていたといったな。そういえば漁師市には何度も行ったが刺身目当てでカワハギは買ったことはない。試してみるか」ということとなった。
おずおずとはしに取って口に入れる。「アッ、これはいける。あの人の言っていたのは本当だ」と30年後に気が付いた。お粗末さまでした。

アレッ、今日のタイトルをすっかり忘れていた。
台所で妻とママさん、饅頭を作っている。妻があんこになる豆をミキサーにかけているとママさん 「お宅のミキサー調子よく回っているわね。豆腐もそれで作っているんでしょう。うちのは一週間のうちに3台も駄目になって、また買わなくちゃいけないのだけどあなたそれどのくらい使っているの?」「もうかれこれ15年かな」
「えっ、そんなミキサーあるの」
「ええ、ARNOです」
(ARNO, アルノとはブラジルのミキサーや電動泡立て器などの有名メーカーのひとつ)

またもやタイトルとは関係ない話に脱線してしまった。





2016年7月7日木曜日

大西宇宙飛行士国際宇宙ステーションへ旅立つ

今日7日カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から現地時間午前7時36分(日本時間午前10時36分、ブラジル時間6日の午後10時36分)にロシアのソユーズ宇宙船で日本の大西宇宙飛行士がロシアとアメリカの飛行士とともに国際宇宙ステーション(ISS)へと無事旅立った。約4か月の滞在で色々な科学実験が予定されていているようで、人類の老化についてという項目が目についた。何か新しい手がかりがつかめたらと楽しみにしている。

現在、ブラジル訪問には日本からの旅行者にはビザが免除されているからこちらに来られたらどうですかと日本の従弟家族とブラジルに昔来たことがあり今はANAのパイロットの長男家族に打診したところ今回は皆でカザフスタンのバイコヌールに行くから残念ながらいけませんという返事が来た。

従弟の長男と大西飛行士とはANAで飛行機操縦訓練の際ペアで習った仲で大西さんが宇宙飛行士に採用された時、宇宙船打ち上げの際は必ず行くと約束をしてあるのでブラジルは次の機会にという内容で大西飛行士と二人で撮った写真が添付されていた。 


それを覆すのはとても不可能なので私も渋々降りざるを得なかった。
ということで私も昨日の夜はNASAからの実況を待っていたがつかめれなかった。しかし日本のニュースにアクセスして打ち上げが成功し3人が船内で喜んでいる姿を見ることができた。

宇宙ステーションへのドッキングは約50時間後、そして約4か月の滞在。訓練されているとはいえ宇宙空間での生活、大変だとはわかっているが想像するだけでわくわくする。

こんな明るいニュースの中にブラジルのことを載せていいのか戸惑っている。考えるだけでつい情けなくなる、数年前までは先進国への仲間入りを目指しBRICSの一員として羽ばたこうとしていたが、今は急降下でしかもめくら飛行。どこに行きつくかさっぱり分からない状態だ。