2016年12月2日金曜日

ブラジルサッカー最大の悲劇



11月29日の午前1時ブラジルのサッカーチームChapecoenseを乗せた飛行機がコロンビ
アのMedellínの飛行場近くの森に墜落、71人の犠牲者を出した。生存者は6人(選手3人、乗組員2人、新聞記者一人)
Chapecoense の選手19人、コーチ・サポート陣14人、チーム運営及び招待陣11人、ジャーナリスト20人、乗組員7人が亡くなった。

彼らはメデリンで行われるCopa Sul-Americana (南米カップ)の決勝戦に参加すべくボリビアのLaMia社95人乗りの飛行機をチャーターしてボリビアのSanta Cruz de la SierraからMedellínに向かった、その距離約3千キロ。墜落の原因は燃料不足と言われている。パイロットと管制塔との最後のやり取りで燃料が枯渇し電気系統も動かなくなったという声が残されている。そして当時は4機が飛行場に接近しており他の飛行機も燃料不足で緊急着陸を要請していて先に許可されたという。燃料がなかったので爆発,燃焼は起こらず機体はバラバラになった。

この惨事が世界中のニュースとなりサッカーの試合開始前に1分間の黙とうが捧げられ、エッフェル塔など世界各地の有名建造物がチームの色である緑のライトアップに照らし出された。暗い中の緑、何とも言えないさみしさだ。

なんとこの飛行機の飛行可能距離は約3千キロだという。よくもこんな危険な冒険をしたものだ。この会社は燃料をいつもぎりぎりで飛行するので以前注意を受けたことがあるとか。乗り物の中でも燃料がなければ即墜落,運が良くて緊急着陸しかない飛行機、大きな危険、犠牲を伴う。

この事故を知ったコロンビア側は山の上の墜落現場に着き早急、適切な処置、救助活動でブラジル側からも感謝の表意がなされた。コロンビアの対戦相手だったAtlético Nacionalチーム(南米最高のLibertadores杯の覇者)のスタジアムは白衣の サポーター達が埋め尽くしで点灯したスマホを振りながら相手チームChapecoenseの名を叫びチャンピオン、チャンピオンと讃えていた。見ていて涙が止まらなかった。ブラジルからは外務大臣がスペイン語で世話になったお礼を述べた。

Chapecoenseというチームの名前はブラジル南部のサンタカタリナ州のChapecó市からきている。サンタカタリナ州の西の方に位置し標高約700m、養豚、養鶏や七面鳥を養いこの方面ではブラジル最高の生産を誇る。この辺はイタリア、ドイツなどのヨーロッパ移民によって開拓された。
現在の市の人口は約21万人、近くの経済圏を入れれば40万人に達する。

サンタカタリナ州はサッカーが強い。人口はブラジルで11番目の約681万人でトップのセリエAに2チームが参加そしてセリエBで3チームが戦っている。エスピリトサント州はといえば人口約393万人で15番目だがAにもBにも1チームも入ってない。なんと情けない。だからこの州ではほとんどが隣の州のリオのチームとかミナスのチームを応援している。これも情けない。
エスピリトサントもっとがんばれ!!

Chapecoenseの名を耳にし始めたのは2,3年前頃から。おそらくスーパーでもよく買うハムや鶏の肉の生産地であるサンタカタリナ州の西の町のチームだなと見当をつけた。時々スポーツニュースを見ていると大都市の有名チームを負かしている。小さいチームだと思うがすごいなーと感心した。

創立1973年でセリエA20チームの中では一番若いチームだ。ブラジルでは創立100年を超すチームがいくつかある。特に2009年からのChape(愛称)の躍進はすさまじい。
2009年 セリエDで3位となり
2010年 セリエCに昇格
2012年 セリエBに昇格
2014年 セリエAに昇格 15位
2015年 セリエA 14位
2016年 現在 セリエA 9位 
この間1回も降格なし。
大都市の強豪揃いのセリエAで引けを取らずに上って行くのは素晴らしい。そしてこの中にブラジル代表の選手はいない。

明日ブラジルの空軍機3機がアマゾン川流域のマナウス市からコロンビアに飛び遺体をChapecóに運びChapecoenseのスタジアムで共同ミサが執り行われる。その後それぞれの家族が引き取り埋葬される。サポーター達、市民は観客席からと周囲に配置される4つの巨大スクリーンで選手たちを見送ることとなる。ブラジル国民もテレビを通して別れを惜しむだろう。

ブラジルサッカー界に旋風を巻き起こした君たちの栄光は永遠に残るだろう。安らかな眠りを。




2016年11月25日金曜日

11月のトピックス

1週間に一度は野菜や果物、干し肉などを求める為に立ち寄る近くのなんでも売ってる八百屋さんにブラジルインディオが現れた。聞くとバイア州の歴史及び観光で有名なPorto Seguroで原住民の民芸品を売っていて、今回はエスピリトサント州の知り合いに呼ばれて様子を見に来たという。めったに会うことはないと思って一緒に写真をとらしてもらった。彼が店を出たとたん「なーに、目立つようにあんな格好をしているだけでインディオとは何の関係もないのだよ」と冷めたコメントが感動の余韻が冷めない私の後ろから聞こえてきた。   


毎日同じような生活なので冗談交じりに朝のコーヒーの後、妻に「何かパーと気分が変わるようなものはないかなあ」とぼやいていたら一時して妻が「裏にこんなきれいな花が咲いていたわ」とカトレアの株を抱えてきた。写真ではうまく色が出なかったが実物はピンクの華やかな花で確かに気分まで華やかになった。ありがとう。


家のブドウが今年は例年より早く熟れそうだ。いつもは子供たちが戻ってくるクリスマス、正月まであるのだが今年はそれまでもてそうもない。おまけに小鳥たちが上からつついているのでスーパーのレジ袋で房を覆ってこちらの分も確保しなければならない、家の後ろにもぶどう棚はあるのだがこちらは棚の下を私たちがよく通るので被害はすくなく今のところ袋もかけていない。今年はブドウの皮までかんでポリフェノールを絞り出している。


上の写真は今日郵便屋さんが届けてくれた私の運転免許証。70歳を過ぎると免許証更新は3年毎となる。頭の回転や運動神経が鈍るので私自身としては75歳までだと思っていたが、今はその時が来れば自分の脳力、体力と相談して決めようと思っている。
この運転免許証にはいろいろな情報がのっている。免許証番号の他にID番号、納税番号、自分の名前、生年月日、両親の名前、血液型、死亡した場合臓器提供者か否か(最終的にはやはり家族の同意が必要らしいですが)、有効期限、免許証初発行日。
身分証明に今まではIDカードを持ち歩いていたが今では運転免許証の方が小さいのでこちらを重宝している。外国旅行でホテルをでて観光に出かける時はパスポートはコピーにし写真付きの原本はこれを持ち歩いている。運転免許証は再発行が早い。


トランプ氏がアメリカの新しい大統領に!
トランプ氏が大方の予想を裏切ってヒラリークリントン氏を破り新しいアメリカの大統領に選出された。アメリカは4年に一回必ず大統領選挙があるのでその時の国民の意思を反映した大統領が選ばれる?と思っていた。大統領の選挙は過半数を取った方が勝つ。これが民主主義のルールだと思っていた。民主主義のリーダーたるアメリカの選挙にこれが適用されないのは理解に苦しむ。どうやら選挙ルールが歴史的な選挙人制度で決まりそれは各候補が得票した比例に沿ったものとは言えない時があるということである。ブラジルのニュースでもアメリカではまだ開票が行われているという。国民一人一人の票の積み重ねだとヒラリークリントン氏の方がトランプ氏の票を上回っているという。これと同じことが過去のゴア氏とブッシュ氏の間にも起こったという。民主主義とITのリーダーたるアメリカにこんなことが起きるなんて理解できない。

Black Friday
今日はBlack Fridayだ。朝ちょっとノートブックをのぞきインターネットでスマートホンを買った。以前から目を付けていたもので20%は安かったか。
ブラジルにBlack Fridayが入ってきたのは約10年前。始めはほとんどの人がしらなかったし売り上げも少なかったが3年前位からテレビやインターネットを通じての客引き合戦で今年はなんでも去年の売り上げ約20億Reais の34%増しが見込まれているという。
このBlack Fridayはアメリカの商習慣をコピーしたものでThanksgiving day の翌日をこう呼ぶ。今は一年中で一番売り上げが高い日になっていてアメリカでは去年の売り上げは約590億ドルだったという。そして今は買物の日となってしまって、他の時期でも安売りの日をBlack Fridayと呼び客を引き込もうとしている。商人の力は強い、昔から歴史を動かしてきている。

2016年11月17日木曜日

我が家の天気予報



今週はようやく雨らしい雨が降った。しかし大したことはない。この前、屋根裏の貯水槽が干上がったので屋根のといから落ちる雨水をためて外用に雨水を使ってみようと倉庫にあった樽を取り出してそれに入れてみた。以前は電気代の方が水代をはるかに超えていたのだが日照りでの上水不足に大ヴィトリア都市圏の下水設備の完成が加わり今度は水代が電気代を越してしまった。こういうことは考えてもみなかった。水の大切さを認識した。

たらいに落ちた水を樽に移した

ブラジルの天気予報も大分当たるようになってきたがなぜかエスピリトサント州に関してはいつも外れている。テレビを見て、明日雨だ!と喜んでも朝起きると陽が照っている。ブラジルの南部、南東部ではよく雨が降っているのになぜエスピリトサント州だけのけ者にと叫びたくなる。エスピリトサント(聖霊)、アーメン! とキリスト教の祈りの言葉でも願いはかなわない。牧畜を営んでいる農家の映像で牛にサボテンの葉(?)を食べさせていた。 なにこれ!ブラジル北東部の干ばつの時の映像と同じではないか。近所の友人がこの前来た時にこんな話が出て「やがてエスピリトサント州は北東部に組み込まれるのではないか」という意見で一致した。

テレビの天気予報で天気の移り変わりを見ているとブラジル南部、南東部と天気は南から北へと移っていくがリオまで来ると東に曲がり大西洋へと向きを変えエスピリトサント州までは上がってこない。私はいつも北東部の強い熱気に押されて東に曲がるのだと思っていたがこの頃は海流など別の見方があるかもしれないと思ってきた。

さて我が家の天気予報だが私は朝起きると窓から近くの標高880mの山Mestre Álvaroを望み雲のかかり具合を見て当日の予想をする。このブログでも何度か出しているがテレビの予報より当たっていると自負している。一昨日も買い物途中、山が灰色の雲に覆われていたので急いで帰ってきたがパラパラで終わってしまった。雨量の予測までは難しい。

さてトップの写真は裏庭の"にらの葉"に登るカタツムリの赤ちゃんたち。これは妻の翌日の天気予報に使われる。夕方日暮れ前、妻は裏庭、横庭(?)を一回りしてくる。
「カタツムリの赤ちゃんたちがにらの葉に登っているから明日は小雨が降るんじゃないかしら」。確かに少し雨が降る。「今日は大きなカタツムリまで大きな葉っぱや木に登っているからかなりの雨が降るかもよ」。確かにまあまあの雨量だ。
「彼らは気圧の変化を感じているのかしら!?」とは彼女の理論。
今の所軍配は向こうに上がっている。


 

2016年10月31日月曜日

選挙は水物

10月30日はブラジル57の市で市長選の決選投票が行われた。57のうち18は州都、26州都のうち一回で決まったのはわずか8州都となり、かなりの混戦だった。
ここエスピリトサント州でも州都のヴィトリア市は1回目は得票数1位と2位は43.8%対35.3%だったのが51.2%対48.8%の接戦となった。

私たちの住むセーハ市は48.3%対43.7%が逆転して48.8%対51.2%。これには3位と4位の票が2位の候補に集まったらしい。人のうわさでは1位の候補者の奥さんの汚職が響いたようだ。一回目の投票を調べているうちに5位の候補者の得票数をみたらゼロとなっていた。これは理解に苦しむ。何かが起こったのだろうが調べるのが面倒なのでこのままにしておく。

カリアシッカ市では41.9%対35.0%だったのがこれは大逆転、47.5%対52.5%となった。35%から52.5%の大躍進。どんな戦略があったのだろう。

もう一つのヴィラ・ヴェリャ市は37.8%対31%が58.9%対41.1%と約7%の差が18%弱の差となった。

選挙は水物というが、どう変わるかわからないというのは本当だ。








2016年10月29日土曜日

エリッキ、ようこそわが家へ


22日の土曜日、サンパウロから亡くなった弟道夫の家族がヴィトリアに遊びに来てくれた。左から長女エリカ、座っているのがエリカの夫のEricで右は弟の奥さんの真由美さん。
3人とは今年の3月、弟行雄の3男の結婚式のときに出会い、ヴィトリアにも来てくださいと話をした。その時エリッキが興味を見せていたのを思い出し、この訪問は新しい家族の一員となったエリッキのおかげか。
次女ユカは二人目の赤ちゃんが生まれるので来れず、テレビ局に努めているアスカは仕事が忙しいとのことだった。

エリッキが仕事で休みが取れないとのことで週末の訪問となった。近くの海やConvento da Penhaなどといった慣れたルートを案内し、私たちも久しぶりに楽しんだ。

唯一の心配はなんと「水」だった。エスピリトサント州の水不足で1週間に1日の断水が2日となり、木曜日と金曜日の午後には水が来なくなった。そして今回、金曜日の午後にはとうとう屋根裏の貯水槽の水が干上がってしまった。こんなことはこの家に引っ越してきて初めてだ。お客さんが来るのにどうしようと思っていたらようやく夜中に水の音が聞こえてきたのでほっとした。

エリカは三井ブラジルに勤めているとのことで日本語もしっかりしている。エリッキは日本食が好きで家で出した日本料理やエスピリトサント州の郷土料理を喜んでくれた。

2016年10月16日日曜日

海の幸

毎年天候が許せば10月の中旬は近くの車で20分くらいで着く海岸でウニや海藻を取りに出かける。 一年に一度だが行く度に景色や海の動植物の生態が変化しているのに気付く。


この海岸は私たちが初めて来た40年前は砂浜がほとんどない海岸だった。確実に海は大きくなってきている。今年は特に大きな木があちこちで倒れている。車を置いた近くの、海辺のキオスクの主人とその話をするとこんなことを言っていた 「私は長くここに住んでいるが昔はこの辺まで海だったんですよ。ここを住宅街にするとかいう話が出て埋め立てが始まり、この辺はにぎやかになりました。しかし最近は急速に海の浸食がひどくなり浜辺の家は軒並み自然災害で壊されています。ほら、向こうに見える家は裏の菜園から直接浜辺に出れるよう塀にドアを付けましたが壊れかけているでしょう。あちこちでそういうことが起こっています。あと何年かで昔の景色に戻るのじゃないでしょうかね」。 そうだ、あの塀のそばを通る度にうらやましかったことを思い出す。
地球温暖化が急速に進みつつある今日、海辺の景色はどんどん変わっていくのではないだろう
か。

年の初めにインターネットで海軍省が出すブラジルの港湾の潮の干満表を見て10月の一番潮の引いている日をカレンダに記す。今年は今日10月16日が満月、潮の干満の差が大きな日だ。干潮は朝の9時8分と午後21時21分で何が基準になっているのか知らないが0.0m、海抜なのだろうか。満潮は午前2時 53分と午後15時9分で1,6m。これは各港で違うのでこの数字はこの近くのリオ・ドーセ社の鉄鉱石の積出港ツバロン港のものである。 一昨年5月に訪れたブラジル北東部のマラニョン州の州都サン・ルイースにあるイタキ港の干満の差は6.6m。ここからもリオ・ドーセ社は鉄鉱石を輸出している。

さてなんの話をしているのだろう? そうだ、ウニと海藻をとるには浜辺から水にちょっと入らなければ取れないので潮の引いた時には濡れずにそこまで行けしかも取りやすいという利点がある。
ウニは上の写真の岩の間にいて岩に穴を(溶かして)掘り住み家とする。住宅事情が厳しいところがあり、あぶれて家には入れないウニがおりそのうちの大きなのをとってくる。穴に入っているのは取るのが難しい。
NHKの朝ドラの「あまちゃん」では海の中に潜ってとるが、うちではアマチュアの妻が陸上で獲るので「アマちゃん」である。下の写真は獲ったウニを家でさばいたところだ。


さて私はひじきと海藻をとる。海藻はウニの食べ物で岩の間に生えているが年々少なくなってきている。海水の温度の変化か海流が変わったのかそれともほかの理由か車窓から今年はどこも緑が見えなかった。案の定海藻がものすごく減っている。私も間引きをするように残してとる。また来年も育ってくれと願いながら。
獲ったひじきと海藻を家で乾かす。今日は久しぶりに日差しが強く一日で乾いた。


2016年10月7日金曜日

野生のパパイア


今エスピリトサント州は未曾有の干ばつに見舞われている。人口約150万の大ヴィトリア都市圏では週に1日か2日の断水がある。

昨日は近くの知り合いの日本人の家を訪ねた。そこの旦那さんは農業技師でここから約78キロの小高い町に農地を持っていてコーヒーを栽培している。
「今年は雨が少なくて小さい大豆しか取れなくて豆腐はできないかもしれないが味噌には使えるかも知れないから取りに来て」と連絡があって出かけた。

「今年は雨が少なくて隣のコーヒー園はコーヒーの木が枯れかかっていたのでこのままおいていても来年の収穫も難しいからと言って全部切ってしまったよ。家のは少し程度がいいので残しているがコーヒー豆は小さいし収穫量も大したことはないだろう。」とぼやいていた。

「今年は近くの川から水をポンプで引いていいものを作ろうと新しい器具を買ったのだが使用禁止令が出ているので使えないし今年は苦しいよ」とのことだった。エスピリトサント州が位置するブラジル南東部は今年はよく雨が降っているがどうしてここだけ降らないのだろう。

「自家用に植えている果物も弱って実が付かないがこのパパイアだけは大きくなっておまけにおいしいんだよ」と言ってくれたのが上の写真のパパイア。日照りのせいか(成果)、確かにあまい。
「いつもだとハワイパパイア、とか台湾パパイアが取れるのでこの格好の悪い野生のパパイアは果物としては相手にされず、まだ青いうちに取られて砂糖と一緒に煮られお菓子の材料としてしか使われないけど、今年、実をつけているのはこの野生のパパイアだけなんだよ。今の農業と言えば交配されたり、改良されたりで経済的な面が強調されてそれらの栽培面積だけが大きくなっていくけど、地球規模の災難がきたらいったいどうなるのだろう?」 

2016年10月3日月曜日

ブラジルの地方選挙

昨日の日曜日はブラジル全土の市長及び市会議員の選挙があった。日本式に言うと市町村長と市町村議会議員選挙というのが正しいかもしてない。ブラジルは26の州と首都である連邦区のブラジリアからなる。各州内は行政単位のMunicípioに分けられる。
現在ブラジルは5570のムニシピオを有する。一番多いのはミナス州の853、次にサンパウロ州の645となる。私たちの住んでいるエスピリトサント州は小さいし人口も少ないので78のムニシピオに分けられている。アマゾン地域にあり以前の連邦直轄地域が州に昇格したところは人口が少ないので15、16,22などとムニシピオの数は少ない。ムニシピオの長がPrefeito(a) でそこの議会議員がVereador(a) である。

選挙の投票はたいてい近くの公立小中学校で朝8時から夕方の5時まで行われる。選挙は義務で権利ではない。私の最近の身近な経験ではパスポートの申請に投票証明券が要求された。公職に就くのにも必要だ。そういうことで投票率は非常に高く民意が反映されると思っている。
投票権利を持つものは16歳から18歳未満の人と70歳以上の人たちで自分の意志で投票するかしないかを決定することができる。私は72歳でその数少ない権利を持っている者の一人である。しかしやはり政治には関心があるので今年も投票に妻と一緒に出かけた。

学校の入り口にもあまり人は集まっておらず楽に中に入ることができた。教室の入り口にセクションの番号が書いてあるので自分の投票券と見比べて並ぶ。私の前には5人しかいない。妻のセクションはと見ると廊下の反対側の教室で列がなくすぐ入れるようだ。私の番が来て投票券とIDカードを渡し投票簿の自分の名前の所にサインして投票机に向かう。


投票机の上には上の写真の投票器が置いてある。市会議員は5ケタの番号、市長は2ケタの番号(政党の番号)なのでそれぞれの番号を押すと名前と写真がでるので確認して緑のConfirmのボタンを押す。1分もかからない。 そして出る前に投票証明券を自分が渡したIDと投票券と共にもらう。
この投票器の中には記録用のDiskが入っているので投票が終われば全てのDiskは選挙管理委員会の所へ持ち込まれすぐさま電子的に集計される。投票終了後2時間くらいでほとんど全ての結果が発表される。このシステムは1996年に始まったのでもう20年になる。それまでは投票箱に投票紙それを体育館などに持ち込んでの票読みだったので手間取った。

市会議員は今回の選挙で全員選出されるが選挙人口が20万人以上のムニシピオでの市長選では最高得票のほかに過半数獲得が要求される。誰もその条件を満たすものがいない場合は今回の一次選挙での最高得票獲得者と次点との間で10月30日に二次選挙が行われ決選投票となる。900万人近い選挙人口を持つサンパウロ市はこれまでほとんど決選投票があったのだが今回は最高得票53%だったので二次選挙はない。

ここエスピリトサント州では州都ヴィトリア市そしてそれを取り囲む三つの市で決選投票が行われる。また30日には投票に行かねばならない。

選挙日の学校の廊下はにぎやかだ。あちらこちらで話がはずんでいる。最近会ってない近所の人とか引っ越した昔の隣人とかに出会えるので、特に奥さん同士の話が長く続いている。妻も誰かと話している。「さっきの人は誰だい?」 「あの人は角のパン屋の女主人よ。住んでる家はほら私の友達のとなりよ」 「話は聞いていたが見たことはなかったので。」

2016年9月22日木曜日

Rio 2016 オリンピックとパラリンピックを終えて

オリンピックとパラリンピックを終えてリオは少し静かになっただろうか。Carioca (カリオカ=リオっ子)達と会場で会話を交わすとこれからが正念場でバブルがはじけて不景気が一気に押し寄せてこなければよいがと心配していた。他の地方ではすでにはじけている。
ブラジルは大統領の弾劾プロセスで副大統領が正式に大統領の座に着いたがいまだに政治、経済は不安定で見通し不可能の状態だ。

今までオリンピックの霧がかかっていて実像が見えなかったがこれから本性が見えてくる。アメリカ大統領選もブラジルに大きな影響をもたらす。アメリカは2017年は景気の回復を予想しているがブラジルとしたらそれにかけて今はいやなことは深く考えたくないだろう。

何を書いているのか? 実はオリンピック、パラインピックで感じたことを少しメモしていたのでそれで閉めくくろうとして書こうとしていたのだがつい愚痴が出て・・・

リオのパラリンピックは私一人で行ってきた。姑がほとんど動けないし食事やもろもろの世話もしなければならないので二人では出かけられなくなった。おまけに近くに住んでいた息子の家族が遠いところに引っ越してしまった。私がリオから帰ると今度は妻が一人で引っ越した息子の様子を見に行って今日帰ってくる。

ブラジルは来月、市長及び市会議員の選挙がある。近くの知り合いの所で議員候補の説明会があるので妻は呼ばれて行ってきたそうだ。そこで私がなぜ来なかったかと聞かれて彼女は「パラリンピックを見に行った」 と答えたところ 「オリンピックも行ったの?」 「いやオリンピックは行ってない」。
知り合いの彼、首をかしげて「どうしてパラリンピック?」

妻、「なんでもあっちに本当の英雄がいるのだとか言って見に行ったわ」 
それを横で聞いていた日系人の奥さんを持つ私たちが親しくしている友人
「そうだ。そうだ。」 と相づちを打ったそうだ。彼の長男はここエスピリトサント州の公立大学の機械科を優秀な成績で卒業したが入社時の健康診断で白血球の値に異常がありそれで引っかかって入れなかった。それからは色んな病気を引き起こし親はもう助からないとまで思ったことがあったと言っていた。、今ようやく落ち着いて少しは一人で歩けるようになっている。
彼は自分の息子とパラリンピックの選手たちとを重ねてみたに違いない。

「あなたがNHKで選手たちの紹介を見て病気や事故で障がい者になった人や生まれつきの障がい者の人たちが絶望のそこからその障害を乗り越えスポーツに新しい希望、生きがいを見出して人並み以上の努力の末このパラリンピックの代表を勝ち取ったのだと言ったでしょう。私にはそういう人は英雄よ。だからみんなにそう言ったの。みんな納得してたわ。

「へえー、大したもんだね、僕にだってとっさにそんな言葉はでないよ。確かにそうだね。僕たちもがんばらないといけないかなー」 「何言ってんのよ、足が痛い、腰が痛いとこぼしている人が。おとなしくしていなさい。」
オリンピック観戦最初の日、息子と行ったが、もちろん彼は私より歩くのが速い。私も一緒についていくが親指の付け根が痛い。ようく見ると少し(大股では出来なくて)中股で歩くと指の付け根を曲げなければならない。今までは小股でゆっくり歩いていたので負荷がかかっていなかったのだ。これは足なのか?、脊髄からきているのか? 運動で治るのか?課題がもう一つできた。

表彰台に上がってメダルをもらう選手たち、特に女子選手達ののうれしそうな表情、しぐさ、ついこちらまで、ほほえんでしまう。気が付くとレース中は一番遅い人に拍手や声援が多い。観客の励ましがきっと届いているに違いない。

ブラジルは60歳以上が老人で地下鉄や電車、バスなどに専用シートがあるがすでに若い人がいてスマホなんかやっていると誰も言う元気(?)はない。気が付いて譲ってくれる人もいる。しかしその席を空いたままにはなかなかしてくれてない。それでもその優先席に関係なく譲ってくれる人もいる。ブラジルもやがて老人社会になるだろう、その時は老人の規定を変えないといけないかも。もうすでにそれは役立っていないこともある。スーパーなどでも老人、妊婦、障がい者、2歳までの赤ちゃんを連れている人用の優先レジがあるがその列が時々一番長いので他の列の短いところに入る。
地下鉄をおりてオリンピック・パークまでのバスの道のりは長く、すし詰めですごいカーブもある。最初の日は立ちっぱなしで疲れた。2日目は年配のご婦人が譲ってくれた。それを断るほどの元気はない。お礼を言って座った。それで前の日より疲れが少なかった。ブラジルも昔(?)はよく譲ってくれた。

パラリンピックの柔道の試合を見て気に入った。なぜかというとお互いに初めから柔道着の襟と腕をとって組んでから試合開始となる。見ていて気持ちがいい。
見ていて気持ちが悪くなるのがオリンピックの柔道。特に日本人相手だと組ませまい、組ませまいと逃げ回る。つかめれないうちにうっかりすると闘う意志に欠けるとかで注意がはいる。そのまま勝負が決まらないと注意された方が負けとなる。
柔道はお互いに技を競うスポーツではないのか。パラリンピックの柔道のように見ていて気持ちの良い柔道にならないのか。

視覚障害のある人の5人サッカーはブラジル4連覇。ボールをゴール近くまでもっていって蹴るがよく入るもんだ。ちなみにゴールキーパーは健常者だが防げない。これは4大会前から始まったのでまだブラジル以外ではどこも金メダルをとっていない。

今回のメダル獲得数中国が断然トップだが、2位イギリス、3位ウクラニア、4位アメリカ。何ウクラニアがアメリカを抜いてメダル獲得数117!(43-37-39)。よく青と黄色のユニフォームが表彰台に上がっていたがあれがウクラニアだったのか。3人一緒に上がっているのも見た。
5位オーストラリア、6位ドイツ、7位オランダ、そして8位ブラジル 72(14-29-29)。

リオパラリンピックに200万枚のチケットが売れたと言っていた。これは前回のロンドン大会に次ぐ売り上げらしい。オリンピック・パークだけで一日最高16万7千人の人出があったとか。私もその中の一人になっているのだろうか。

まだわけのわからない数字がチケットの裏に書き付けてあるが今となっては何のことかさっぱりわからない。

限られた種目と短い時間だったが自分としては少しはパラリンピックの面白さが分かってきた。
構えなくて自分の目線で見れる、そして何か自然に感動を分かち合える。
また見たいものだが次は東京か。 東京での成功を祈っています。
 

2016年9月20日火曜日

陸上と車いすテニス

陸上競技場の前にはこんなパラリンピックのシンボルマークがあった。

 陸上競技があるオリンピック・スタジアムは地下鉄Botafogo駅から昨日までとは反対の方向に行く。そして通勤電車が乗り入れているCentral駅まで行きそこからは電車に乗り換える。

いかにも込み入った通勤地帯(こういう言葉があるかどうか知らないが)という雰囲気だ。やがてオリンピック・スタジアムが見えてきてEngenho de Dentro 駅で降りる。あー、それでここのスタジアムをみんながEngenhão(エンジェニョン)と呼ぶのか。ここはリオ市の所有する多目的スポーツセンターで4万5千人ほど収容でき普段はリオの名門サッカーチームBotafogo の本拠地として使われているので有名だ。

駅のすぐ正面にスタジアムの入り口と思われるところがあるので行こうとすると「あっ、そこは入場券売り場ですから、チケットをすでにお持ちの方は西口か東口から入って下さい」ということだった。チケットを買ったときに東口だと確認していたのでそちらの方に行くがスタジアムを回っているわけでもなく街並みを歩いている。機関銃を肩に懸けた軍人らしい警備係が二人づつ距離を置いてみはっている。そういえば今回なんの事件も起こらなかった。

東口からスタジアムに入り、割り当てられたブロックに行くがちょっと場所が気に入らない、観客側ではトラック競技があるが、フィールドでは砲丸投げや、やり投げがあっている。
あっ、走り幅跳びがあっちだから着地点の方に移動しよう。

自分の足で走れない人達はフォーミュラーワンみたいな車輪の付いた車にのり手で車輪を回していく。腕力をすごく鍛えなければならないだろうなと思った。視覚障害のある人は伴走者がつく。伴走者も相当のアスリートでないとついていけない。

目の前では走り幅跳び女子の決勝で中国の選手が金メダルをとった。観客もどこの国であろうとも一生懸命プレーしている人たちに歓声を上げて応援する。民族とかここにはないただ一人の人間の努力、才能をたたえる。

https://youtu.be/jvwQzgM2AQ4

今まで知らなかったが中国はいつこんなパラリンピック大国になったのだろう。239のメダル獲得で107の金メダル。
競技の途中に色々な種目の表彰式がある。国家が演奏されるときはスタジアム観客みんなが起立して旗が上がっていくのを見つめる。中国の国歌を何回か聞いた。ここオリンピック・スタジアムで行われる種目に金メダルを取ることは何万人という観客の祝福を受けるということなんだと気が付いた。

午後1時ごろオリンピック・スタジアムを出て朝来た道筋を逆方向に向かい今度はオリンピック・パークへと向かった。テニスのセンターコートは入口に一番近いところにあるから助かる。歩くのも結構疲れる。

センターコートに入って掲示板を見るとなんと昨日国枝選手を破ったGerard Joachin 選手とイギリスのHewett Alfie選手との試合が進行中でHewett 選手が7対5で第一セットを取って第2セットもリード中。昨日よりは暑くないがやはり日陰の方がいい。私のチケットのブロックは騒がしい。どうやらHewett選手の応援団らしい。昨日の席が気に入ったのでそちらに移った。
Hewett選手が点を入れるたびに応援団が騒ぐ。知らない所に来て試合をしてこんなに応援してもらえば自分の国にいるような気がしてずいぶん勇気づけられるだろうなと思った。そしてよく問題になるイギリスサッカーのプレミアリーグの熱狂的サポーター達で時々暴走するフーリガンを思い出した。しかし誰でもこうやって応援してもらったら元気がでるよな。

応援の後押しもあってか第2セットも6対3で勝った。試合時間1時間30分。
終わった後、彼は応援団の所に行ってお礼を言いテニスボールをラケットで投げ入れたが強かったのか上段の観客に渡ってしまった。
次は女の子が集まっているところに投げ込んだがそれも飛びすぎて掃除をしている人が取って喜んでいた。余興だから集中力が足りないか。

次は誰の試合だろうと待っていたら、なんとまたKamiji Yui と出、相手はNed de Groot オランダだ。
3位決定戦だという。ということは昨日は準決勝戦だったのか。しかし昨日の暑いさなかでの3時間にわたる試合で体のコンディションは大丈夫なのかなと心配になってきた。
今日は昨日よりは陽も弱いし陰もコートに届いている。昨日は暑さで心配したが今日は体力が心配、またもや、スポーツ選手というのは体力との勝負でもあるなと悟らされた。

そうだ試合が始まる前に何か食べよう。廊下にでて少し行くと売店がある。オリンピック競技場には食べ物、飲み物は持ち込み禁止で入口でチェックされる。ということですべてアレーナ内で買い求める。
昨日と一昨日はオレンジジュースとハンバーグだったので今日もそれにするかと思っていたら、何かお客さんが店員と話している。「大分集めましたね。ゴールボールは持っていますか」と聞いている。若い娘さんが黄色いプラスチックの大きなコップを手にしている。そういえば行きかう人が何人も持っていたなー。記念に買ってもいいな。
「これ売ってるの?」
「いえ、これはビールをお買い上げのお客様にこのコップについで差し上げています」。そうと分かっていれば昨日も一昨日もビールにしたのに。私は選手が一生懸命やっているのにこちらがビールなんか飲むわけにはいかないと思って遠慮していたのに。そうとわかればあと二つたまっていたのになー。

車いすテニスのデザインが入ったコップにビールを注いでもらった。「食べ物は?」
ビールの量とあう食べ物となると?? そうだ廊下に出たすぐ横で大袋のポップコーンを売っていたな、あれにしよう.そこは正直に 「いや、いいよ、向こうのポップコーンを買うから」

両手に抱えて廊下から会場に入るドアに来たとき、係員が「今試合の最中で選手の気を散らせたらいけないので一段落したらドアを開けますからちょっとお待ちください」 といって入れてくれない。もう試合が始まって長いラリーが続いているのか時々ドアを少し開けてのぞいてはなかなか入れてくれない。私の前に一人いたのはそういうことだったのか、私の後からも二人来て、ようやくドアが開いた。

ビールを飲んでポップコーンを食べての観戦となった。 
今日は上地選手落ち着いてプレーしている。ラリーもなく試合の進みも早い。点を取るべきところで取って第一セットを6対3、第2セットも6対3.試合時間1時間19分。

https://youtu.be/Mht-0j5pCOo

勝った瞬間の上地選手の喜ぶ姿。応援してくれた人たちにもあいさつ。そして日本の国旗を文字通り背にからって一時感激にふけっていたようだった。その後は国旗を両手で揚げ笑顔を観客に見せた。
上地選手、銅メダルおめでとう !!!!!!!!




2016年9月19日月曜日

競泳と車いすテニス

車いすテニスの観客はみんな日陰に陣取った

2日目、競泳は9時半開始なので昨日より30分遅く朝食をとった。競泳も午後見る車いすテニスも昨日と同じオリンピック・パーク内、勝手知った所なので安心だ。
地下鉄に乗ると同じ車両にオリンピックのロゴマークがついたシャツを着ている人たちが10人以上乗っている。ボランティアの人たちはロゴマークの入ったバッグもからっているのですぐわかる。なんでもリオ・オリンピックには多くの人がボランティアに申し込んだそうだ。彼らの協力があってこそ競技はスムースに執り行われる。

今日も天気は良い。競泳はOlympic Aquatics Stadiumで行われる。昨日のゴールボールの会場に近いオリンピック・パークの奥の方だ。
チケットを買った時、ここだけはシートが指定されていた。他の5つのチケットはブロックの指定だけでその中で勝手にどこでも座っていいということだった。プールの周りはすでに多くの人が入っていた。私の席は空いていたので、すぐ座れたが私の前の席に座っていた家族はあとから来た人が「ここは私の席だ」とチケットを見せると後ろの方に移っていった。他の競技場では一杯になっていなかったのでここでも空席が出るだろうと運に懸けたのだろうか。ブラジルではよくあることだ。みんな慣れているので当たり前の風景。日本では他人の席に座ることはないのでは。外国では遠慮なく自分の権利は主張すべき。

プログラムを見ると今日の午前中は予選だけだ。パラリンピックは障害の違いで競技数が別けられているのでオリンピックよりメダル数が多い。
400m、200m、100m、50m と次々にレースが進む。100m平泳ぎSB11第2組では日本の木村選手が1位となり総合2位で決勝進出となった。夜の部の決勝では銅メダルを取った。彼は5種目に出、銀メダル2個、銅メダル2個の成績をあげた。

https://youtu.be/VueSHohLuO8

この日の午前の部では見なかったがブラジルにはパラリンピック水泳で世界に誇るDaniel Dias というスーパースイマーがいる。今回は9個のメダル(金4-銀3-銅2)を獲得、そして北京、ロンドンで獲得した15個のメダルを足すと24個になり男子パラリンピックスイマーの最多メダル獲得の記録を打ち立てた。彼は今28歳東京ではこの記録を更新するだろう。これも一つの見どころかも。

彼の前にはClodoaldo Silva というやはりパラリンピックの度に名前を聞いていた競泳の選手がいた。彼は今37歳、実はロンドン大会で引退するはずだったが娘は当時生まれたばかりで今4歳、自分の泳ぐ姿を娘の記憶に留めておきたいと今回の出場を決めた。
彼は2004年のアテネ大会に出場、6個の金と1個の銀を獲得。それをテレビで観ていたDaniel Dias が自分も水泳をやりたくなったと語っていた。ブラジルのパラリンピックに大きな影響を与えた人だといえよう。彼は今回も4x50mで銀メダル、トータルメダル数は14個となった、

12時頃競泳スタジアムを出てオリンピックパークの入り口近くにあるテニスのセンターコートに向かった。行く途中周りの写真を撮ったりでゆっくり歩いてセンターコートに入った。途中、ブラジル北東部の伝統舞踊のMaracatuを踊っていた。アフリカのリズムでよく響き周りに人が集まった。
以前南米一周旅行をしていてアフリカで医療ボランティアの経験があるイタリア女性が「ブラジルにはアフリカで消えてしまったものが残っている」とコメントしていたことを思い出した。移民国ブラジルではアフリカ系だけでなく西洋系、東洋系、アラブ系を問わず昔の伝統の文化、食べ物などがどこかに残っている。
これも昔のことだが当時辛辣な評論家として知られていた大宅壮一氏がブラジル旅行の後「明治の日本を見たかったらブラジルに行け」と暴言を吐いたとブラジルの日系コロニアは怒ったが今考えると暴言と思える中に案外懐かしい郷愁の思いがあったのかもしれない。

https://youtu.be/srNPBHQWk4w

入ってみてびっくりした。なんと日本の国枝選手の試合だった。相手はベルギーのGerard Joachin..
国枝選手のことはNHKのパラリンピック特集の中でも特に印象に残っている。北京、ロンドンとシングルス2連覇中。日本にこんなすごい人がいるなんて知らなかった。しかしここまでゆっくり来たせいで試合は第一セットは終わっていた。しかも国枝選手は3対6で第一セットを取られている。第2セットが始まっているがこれも押され気味だ。

このチケットを買う時ちょっと考えた。テニスは別のコートでも試合がある。しかし国枝選手は勝ち上がって来るだろうからこの頃だとおそらくセンターコートで試合があるのではないかと考えチケットを買った。これが偶然にも当たった?

今日はバカに暑い。私に割り当てられたブロックに行って座ると。近くにほとんど人がいない。熱い陽が照りつけ座っていられない。陰になっているところにみんな集まっている。どうもおかしいと思った。ここはブロック割り当てでシート割り当てではないから日の当たるブロックの人たちは皆向こうに行ったなと察した。こんな日差しではたまらない、私も移動しよう。ブロック指定だから誰も私が座る席に文句はつけないだろう。しかし見渡すと陰になっているブロックは人でいっぱいだ。その手前の陽の当たるブロックの最上段に人が座っていて一つ席が空いてる。最上段は後ろが通路で少し高く仕切ってあるので陰になっている。よしあそこに行こう。座るとまだ膝に少し陽が当たるがじきに陰の中になるだろう。自分の場所が決まったので試合観戦だ。

コートにはまだ陰なんかない、暑い日差しの中、両選手が打ち合いをやっている。国枝選手もちょっとでも暇ができるとコートの端のタオルを持っている人の所へ行き汗をぬぐっている。これはテニスの試合と同時に体力との戦いでもあるなと思った。
車いすを押しながらボールを追いかけるのは確かに頭脳と体力がいる。この暑さではどちらとも消耗が早い。
国枝選手を応援するも、2セット目も6対3になり負けてしまった。
純試合時間1時間35分、暑い中大変でした。

https://youtu.be/zVRrWLpqPE4

次は誰の試合かなと掲示板を見ていたら KAMIJI Yui と出てきた。スマホのインターネットで調べてみた。上地結衣、22歳、車いすテニス女子ランキング現在2位、その前は1位だったと。
これはNHKで見過ごしていたな。全然知らなかった。相手はオランダのVan Koot Aniek.

このころになると私の座っているところもすっかり影になり前の席にも人が集まってきた。しかしコートまでは陰は届いていない。まだまだ陽が熱い。上地選手もよくタオルで汗をふいている。
この試合、予想もしない展開となった。実力伯仲の間での試合はこうなるのか知らないが数字の上だけでは表されない熱戦となった。二人の試合に対する執念というのか、暑い中すさまじいラリーの連続。第1セットは3対6で負けたが第2セットは6対4で勝ち、勝負は第3セットに持ち越された。 このころになるとコートも陰になる。またもや長いラリーが続いて5対5、どちらにも勝つチャンスはある。上地選手粘りに粘ったが5対6、そして5対7となり惜しくも負けてしまった。戦っているだけで2時間46分。すると試合時間トータルは3時間以上だ。

https://youtu.be/bhjyzIVc9DE


2016年9月18日日曜日

ゴールボール と 車いすバスケットボール

車いすバスケットボールがあった Arena Carioca 1 この後ろに2と3がある。

パラリンピックのシンボルマーク 後ろの灰色の建物は競泳スタジアム

11日は遅い飛行機だったのでリオに住む息子の所に着いた時は夜の10時を過ぎていた。明日は息子が一緒に行ってくれるという。

「ゴールボールは朝9時だから6時ごろ起きた方がいいよ」
「地下鉄で会場の近くまで行けるのではないのか?」
「地下鉄はここから乗ってイパネマで乗り換え、それからオリンピックのチケットを持っている人だけが乗れる新しい地下鉄でBarra (地名でバーハと発音)まで行きそれからは3両編成のバスでオリンピック・パークまで行くのよ。あれやこれやで時間がかかるから2時間前には家を出た方がいい」と嫁が言う。
私はてっきり会場のそばまで地下鉄で行けるものと勘違いしていた。またもや交通の便で失望か。

翌朝6時に起き軽い朝食をとって出かける。地下鉄でBarraまで行きそこでバスに乗るのだが3両あるのに一番先の一両にしか乗せないのでそこは一杯、多くの人が後のバスを待っている。見ると詰めればあと二人くらい入れそうなので私と息子は飛び乗った。

オリンピック会場行のバスは直行で専用車線だがすでに他の車線は通勤用などに使われていて距離を置いてバス停がいくつかある。このシステムはBRT(Bus Rapid Transit)と呼ばれているが娘の住むクリチーバでは早くから使われている。オリンピックの後は市民の足となって大いに利用されるだろう。

さてこのバスほとんどノンストップだが所々急カーブを切るので吊革を握っていないと身体が傾く、それだけでも結構いい運動になる。さてオリンピック・パークの近くに来たがそこから会場の入り口まではかなり歩かされる。私は右足の親指がまた痛み出したのでゆっくり歩くしかない。建築用のやぐらを組んで長いスロープになっている。オリンピック後は取り外すのだろうが世界のお客さんにこんなところを歩かせたのか、情けない。
チケットチェックと持ち物チェックの後、いよいよ会場に。多くのアレーナが建ち並ぶ。Goalballは後ろの方のARENA DO FUTURO (未来アレーナ)である。ここはオリンピック後は取り壊されるらしい。多くの人がぞろぞろと各アレーナに向かっている。

入ってすぐ男子スエーデンとドイツの試合が始まった。スエーデンが9対5で勝った。
次は女子戦でブラジル対イスラエル。ブラジルの女子選手に観客の大きな声援があがる。
7対2で勝ち準々決勝進出。声援と言っても試合中はかすかなボールの中の鈴の音が頼りなので{静かに!」と注意のアナウンスがある。これはパラリンピックだけにある競技なので興味があった。
ブラジルの女子はほかの国の選手とはボールの投げ方が違った。男子でも女子でも他のチームはボールを片手に持って勢いをつけて相手のゴールをめがけて投げるのだがブラジル女子は両手でボールをつかみ後ろ向きで股の間からそのまま弾みをつけ両手で投げる。果たしてどちらが有利なのか、ブラジル女子はどうしてそちらを選択したのか後で調べてみよう。
守る方はゴールの前に3人横たわって相手のボールを防ぐ。試合時間は前半後半それぞれ12分。

https://youtu.be/pKemqoCaOKQ


まだ試合は続くが日本の車いすバスケットボールが隣のARENA CARIOCA 1であるのでそちらに移ることにした。
女子のオランダ対中国の試合中であった。中国は惜しいところでなかなか点が入らずオランダから29対62で負けた。
さて次は男子、日本対オーストラリア。両チームの選手たちが車いすで勇ましく入ってきてお互いに挨拶。車いすさばきがうまい。ボールもよく入っている、NHKで見た選手もいる。
試合前に両国の国歌演奏。私も立ち上がって久し振りに「君が代」を聞く。

さて試合が始まった。動きが早い!車いすどうしのぶつかり合い、相手の前に素早く自分のを押し付け相手を行かせないようにしたり、マンツーマン、いや wheel to wheel の戦いがあちこちで起こっている。さすがにこの臨場感はテレビでは味わえない。

4セットで各セット10分。その間に観客を退屈させないように余興が組んである。日本勢は応援団までいて盛んに拍子をとって日本チームに声援を送っている。ブラジルの観客も日本びいきだ。

余興を盛り上げるアナウンサーがそれぞれの国から観戦に来ている人を4,5人づつ集めサンバの踊りの対抗試合をさせる。初めビデオで外国人にサンバを教えるという映像を通し少し練習させそのあとそれぞれの国の代表にサンバを躍らせて勝敗を決める。しかしみんな真面目じゃないから勝手に自分流に飛んだり跳ねたりして観客の爆笑を誘う。笑いすぎてどちらに軍配が上がったのかもさっぱりわからなかった。

前半はなかなかシュートが決まらず点が取れなかった日本、ようやく最終セットでそれまでの19点差を25対19で13点差に縮めたが時遅く68対55で負けた。オーストラリアチームの中に背の高い選手がいる。彼がシュートに近いところでボールを受け取ると日本選手はどんなに手を挙げてシュートを邪魔しようとしても手が届かず彼に大分点を入れられた。後半はその選手をマークしてボールが渡らないような作戦に日本が変えたような気がした。

https://youtu.be/9d2CPkc8nFQ

NHKで日本の選手のそれぞれのエピソードなど見ていたので思い出し非常に親しみがわいてきて試合にのめりこんでしまった。がんばってください。

そのあとアメリカ対イギリスの車いすバスケットを見た。3セットまでほぼ互角の戦いで点差5でアメリカやや優勢だったが最終セットで23対11の12点差をつけられイギリスは48対65で負けた。
さすがアメリカと思って調べてみたらアテネ大会以来アメリカは決勝戦にも出ておらず金メダルはカナダ3回オーストラリア2回となっている。さて、今年は?

試合が終わって外に出ると日が落ちようとしている。バスターミナルまでの長い道のりを歩く。今度は緩いスロープを登っていくが向こうからはどんどんと人が下りてくる。オリンピックの夜の部観戦で家族連れや仕事が終わってから来る人やらでいっぱいだ。
さあ、私はまた明日もあるぞー!

下の youtube はオリンピック・パークをとったもの

https://youtu.be/FDPgPaRgCIk









2016年9月17日土曜日

リオ2016 パラリンピック観戦記

8月21日にオリンピックが終わった後、9月7日のパラリンピックの開会式までの17日間ブラジルのミディアはほとんどパラリンピックのことを流さない。その間はNHKでパラリンピックの競技の説明や選手紹介などがあっていたのでそこから知識を得た。車いすテニスでは横には動けないので車いすをまわして移動する、しかしその間に相手は自分が背中を向けている間にボールを返すのでだいたいどのあたりにボールが来るのか予測して車いすを回すと言っていた。えっ!それは大変だ!

車いすバスケットは試合の様子を見せていたが車いすと車いすがぶつかり合いひっくり返ったりしている。車いすラグビーを見ていると、もっとひどい。えっ!タックルは車の倒しあい!危ない競技だなー。

今までパラリンピックの試合を見たことがなかったのでいろいろ新鮮な情報が脳をくすぐる。陸上ではあの足に付けるバネみたいなものは足があった時より速く走れるがそれに耐える体力を作らなければならない。走り幅跳びはその代表的なものでパラリンピックがオリンピックを超すかもと。
技術の進歩にたずさわる人たち、そしてそれらが障がい者の人たちに新しい希望を持たらしている現状。よし、パラリンピックを見に行くぞー!! と決意が固まった。

9月7日はブラジルの独立記念日で休日。開会式が始まると参加する選手たちの笑顔がいっぱい。そして私はノートブックを開いてチケットを買いだした。リオには長男夫婦が住んでいて地下鉄にも近い。11日の日曜日にリオに行き、12日月曜日午前中はパラリンピックならではの競技、ゴールボール、昼からは車いすバスケット。13日の午前中は競泳、午後は車いすテニス。14日は午前中は陸上、午後は車いすテニスを見るようにした。チケットはインターネットですぐに買えた。

2016年8月24日水曜日

オリンピックの酔いから覚めて



オリンピックが終わり、ふと気が付くとあれは本当にあったのだろうかと疑う。リオの市民達も世界中からの選手たちそして観光客でにぎわいオリンピックに酔っていたのに急にそれがなくなって今は何か物足りない思いをしているらしい。

テレビで次の2020年の東京オリンピックを見るには旅費、滞在費、入場券までいれて毎月R$350(現在のレートで約110ドル)積み立てると行けるとアナウンサーが伝えると、次のニュースでは誰かがインターネットで東京オリンピック行のグループツアーを募ると500人ほど集まったそうだと言っていた。オリンピックの楽しさを体験したCarioca(リオっ子)達は気が早いが果たしてどこまで実現するか? 
しかし今回のオリンピックはブラジル国民に興味を呼び起こしたようだ。ニュースなどでは学校に運動場を造る計画などを話していた。

リオ・オリンピック開催前までは国外からは言うまでもなく国内からも成功が疑問視されていた。しかしいざふたを開けてみると思っていた以上に盛り上がった。外国で盛んに治安が悪いとかZika熱にかからないかとか環境汚染とかいろいろ取りざたされ特に外国からのお客さんの旅行決定にかなりの影響を及ぼしたのではないかと思う。リオ市長はオリンピック終了後「リオではZika熱にかかった人は一人もいなかった。それはアメリカのフロリダのことではないですか」と皮肉っていた。

下は隣の国アルゼンチンの新聞がリオにオリンピックを見に来ていた外国人1262人と国内のほかの地方から来た4150人にインタビューして感想を聞いた結果を新聞に載せたもの。
まず、そのタイトルは 「Fomos muito injustos con vocês. Tudo na Rio 2016 foi perfeito」(私たちはあなたたちに不公平でした。リオ2016は完璧でした」
これは今まで5回のオリンピックを現地で観戦したフィンランドに生まれシドニーに住んだことがあり現在はアメリカのカリフォルニアに住む家族4人でリオに来ていた人のコメントで、一番感じたのは
人のやさしさだと答えた。「8歳の息子がよく見えるように席を譲ってくれました、今は主人と上の息子はみんなと浜辺で海に入ったりサッカーをしたりしていますわ。」


下はここエスピリトサント州の地方紙に載ったものでコラム担当はリオ州のCSN製鉄所の筆頭株主でもある Benjamin Stainbruch氏。

Parabéns とは誕生日おめでとう とか卒業おめでとう とかなにか良いことがある時に使われる言葉でこの場合は よくやった リオ、よくやった ブラジル と成功をたたえている。記事は細かい字でまだ長く続くが、その内容は、オリンピック前までは多くの問題を抱えていて、すべてが悲観的な状態だったが困難を乗り越え立派にオリンピックを成し遂げたと言って、最後にこう結んでいる。

あのマラカナン・スタジアムでの称賛を受けた開会式に始まったこのオリンピックの成功はブラジルが主役になれるという自負を持ってもいいということを表しているのではないだろうか。
おめでとう リオ、おめでとう ブラジル


2016年8月22日月曜日

リオ・オリンピック閉会式

5日の開会式から17日間、アスリート達の戦いは終わり昨日は閉会式。
選手たちは責任感や緊張から解き放たれ、みんな友達と祭りに行くような雰囲気で参加していた。日本選手団は開会式の時より多かったような気がした。最後はサンバ・スクールが山車を繰り出し、選手や観客まですっかりカーニバル気分に浸っていた。開会式も閉会式も無理しない自分たちのオリジナルなアイディアでブラジルの紹介そして自然を守り多様性を認め合おうというメッセージが伝えられたのではないかと思った。
閉会式の挨拶で国際オリンピックのバッハ委員長は「Olimpíada maravilhosa em Cidade maravilhosa (素晴らしい町(リオの愛称)での素晴らしいオリンピック)」とたたえた。

私たちも初めは心配したがよく立派にやり遂げたとほめたい。
ブラジルのメダル数は 7-6-6、 19個で13位。今までで一番いい成績。
日本は 12-8-21 の41個で6位、,今までで最高の成績。

ブラジルの教育レベルが上がり各学校が日本のように運動場と体育館を持ちスポーツを指導する先生がいたら成績はずっと上がると思う。 今回個人競技でのメダリストたちは恵まれない家庭で育ちボランティア活動などで指導を受けた若者達がいる。一般の人たちも使用できる設備の整ったスポーツセンターなどがあればもっと成績が上がるはずだ。ブラジルはそれまで機会もなく偶然に才能を見出された人たちに頼っている。もっと組織だった公的指導があれば伸びるのだが。これはすべての発展途上国にあてはまるか。

リオの次は2020年の東京。その引き継ぎのセレモニーの時、映像で日本から地球の反対側のブラジルまでドラえもんが掘った穴をスーパーマリオが飛び降り引き継ぎに行くのが映し出されリオに向かって行った。そして閉会式会場の舞台の上に設けられたられたマンホールにスーパーマリオが現れた。そのぬいぐるみを取って出てきたのは何と日本の阿部首相ではないか。これも映像のいたずらかなと思ったがどうやら本物らしいと気が付いた。まさか日本の首相がこんな風に出てくるとは想定外だった。後で海外の反響はどうだろうかとインターネットで調べたら案外受けているみたいだった。
2020年の東京オリンピック世界が楽しみにしている。

今回でオリンピックからの引退を表明した陸上短距離の3回連続3冠の記録を打ち立てたウサイン・ボルト選手、そして競泳で今回も5個の金メダルと1個の銅メダル、これを含めた通算メダル獲得数28個(23-3-2)の記録を持つマイケル・フェルプス選手、二人とも始終笑顔でインタビューに応じリオ・オリンピックは忘れられないものとなると言っていた。

閉会式の式場で表彰式がある男子マラソンは観光ルートとオリンピックのために近代的に整備された地区などを走りリオの観光宣伝にもなった。私たちもリオに行くといつも通る道や海岸などだが、新しい「Museu de Amanhã (Amanhãは明日ということなので未来博物館となるのか)」など,まだ行っていない所も映っていたので次回は行こうと大体の検討を付けておいた。マラソンはやはりアフリカ勢が強く1位はケニア、2位はエチオピアだったが3位にアメリカが入った。これから面白くなるかもしれない。

今回は日系ブラジル人の活躍にもうれしかった。男子体操の種目別床で3位銅メダルのArthur Nory Oyakawa Mariano 選手、そして女子10kmマラソンスイミング3位銅メダルのPoliana Okimoto 選手。その他の種目にも何人か出ているがメダルには及ばなかった。 

最後にブラジルIOC委員の挨拶の中にこんな言葉があった。
Sempre vale a pena sonhar (夢を見ることは常に価値がある)


2016年8月21日日曜日

ブラジル、祈願の金

先ほどまで男子バレーボールの決勝戦を見ていた。ブラジルがイタリアを3対0で破り金メダルに輝いた。先日、男子は過去2回金メダルをとって今回は準決勝に進出していると書いたが
準決勝でロシアを3対0で破り、今日イタリアとの手に汗を握る攻防戦を制し3度目の金メダルとなった。最初の金メダルはバルセロナ大会そして2回目はアテネ大会でそれぞれの間は偶然にも12年ごとの金メダルになる解説者が言っていた。

初めからお互いの点の取り合いでハラハラする。途中からソファーの横にきて観戦を始めた妻 
「何よこれ、持ちつ持たれつ、付かず離れず、お前たち仲がいいなー」と変なコメント。
しかしそう的の外れたコメントでもない。というのはイタリアはバレーボールの国として名が通っており今は知らないが数年前まではブラジルのトップ選手たちがイタリアのリーグで活躍していたのを思い出す。 今はSporTVの解説者となった前回の金メダルの時のブラジルのキャップテンはイタリアのコーチ・選手と挨拶してきたと言っていた。

昨日のブラジル男子サッカーの金メダル獲得の立役者ネイマールが会場で応援しているというアナウンスがあり彼が手を振っている映像がパネルに映し出されると歓声があがった。彼は席に座ると首にかけていた金メダルを取り隣の人に渡した。皆にも見てもらうよう会場に回すようだった。。なくなる危険性はないのかな? とちょっと心配になってきた。
そういえば昨日のブラジルのサッカーの試合には今回も3個の金メダルを取ったウサイン・ボルト選手が応援に来ていてネイマールがゴールを入れた時に喜び、立ち上がってケータイで写真を撮っていた。それを知ったネイマールはお返しにウサイン・ボルトのシンボルマークとなっているあの矢を射るような、Lightning(ブラジルでもRaio(稲妻)として知られている)ポーズで返した。

今回はアテネ大会から4回連続の決勝戦。ブラジル国民も祈るような気持ちで彼らにぜひ金メダルを取ってもらいたかった。「サッカーのブラジル」としてしか知られていなかったブラジルを「バレーボールのブラジル」としても世界に知めた選手たち。今回はブラジルで一緒に祝いたいという気持ちを皆持っていた。会場の熱気が伝わる応援、そして、勝利の瞬間、感動の渦が会場を包んだ。選手たちは涙、涙、涙。今までのつらい思い出も吹き飛んだようだ。つい、こちらももらい泣き。
ここまでバレーボールを普及させた功績、そして数々の喜びをブラジルに与えてくれた。
ありがとう、そして金メダルおめでとう、ブラジルバレーボール

ブラジルのことわざに「Fechar com chave de ouro」というのがある。直訳すれば「金のカギで閉める」だが、「物事がうまくいき、さらにそれをより良いものにするために最後は晴らしいことで締めくくる」という意味になるのだろうか。私が知っている日本語の範囲では「有終の美を飾る」となるのか。昨日ブラジルがサッカーで金メダルを取った時、テレビの解説者が「明日の男子バレーで金メダルを取ってこのオリンピックを Vamos fechar com chave de ouro。」という言葉を使った。
今日それが実現したわけだがこれはもっと正確に言えば「Fechou com medalha de ouro (金メダルで締めくくった)」となる。

日本の100mx4のリレーはすごい。テレビのチャンネルをまわしている途中ですでに第一走者はスタートを切っていた。ウサイン・ボルトの3回連続の金メダル3個は達成されるのかと見守っていたら赤いユニホームの2チームが隣り合っている。どちらが日本だろう思ってみていると「日本2位」と放送している。「えっ、アメリカと僅差で赤いユニホームが先に着いたのを見たがあれが日本だったのか、すごい」。




2016年8月20日土曜日

ブラジル、念願の金

先ほどオリンピックのサッカーの決勝戦がありブラジルがドイツを破り念願の金メダルが選手達の胸にかかった。 ブラジル男子サッカーにただ一つだけ足りないタイトルだった。銀メダルは何回かとったのだがワールドカップ5回優勝のブラジルでもオリンピックの金メダルは今まで取れずオリンピックの度に今度こそはと期待されていた。そして今回ようやく達成、ブラジル中が歓喜にわいた。

試合が終わったとたん電話がなった。あっ、息子からだなと感じた。 「パパイ、」という声が聞こえた。向こうが何か言う前に「ブラジルが勝ったなー!」と私。私が試合を見ていなくて知らせようとしたのか、または喜びを分かち合おうとしたのか短い会話の中で声が弾んでいた。

前半はブラジルのキャップテン、ネイマールの絶妙なフリーキックで1点、後半はマークが厳しいドイツが押し気味で1点取られた。延長戦に入ってもどちらも点が取れない。
いよいよPK戦。どちらも4人ずつ見事なキックで4対4、「ここでドイツが蹴りそこなうか、ブラジルのゴールキーパーが相手のボールを取るかして、ブラジルの選手が蹴りこめばブラジルが勝つんだがな~」と横で見ている妻につぶやく。これ以上蹴りあいが続くと安心してみていられないし負ける可能性が大きくなる。おそらくマラカナン・スタジアムを埋めた何万という観客そしてテレビを見ているブラジル人全てがそう思っただろう。

そしてPK戦の最後のドイツの選手が蹴ったボールをブラジルのゴールキーパーが守った。ブラジルの選手たちは喜んでいたが、「いやまだ早い、ブラジルの5番目の選手が点を入れないと試合は終わらないぞ」と慎重な思いが頭をかすむ。よく起きることなのだ。
5人目の選手がちょっと足をかばうように歩いていく。あれっ、ネイマールではないか。後半の試合中からちょっと足がおかしいと思っていたが大丈夫なのかな、と不安になる。彼は今回、ブラジル国民の優勝祈願をキャップテンとして一身に背負っていた。そのために南米選手権100年大会には出ずオリンピックでの優勝が自分に課された期待だと知っていた。

あまりにも重い責任を背負っているのが見え予選リーグではその大任に押しつぶされているような気がした。その空気はブラジル全選手を覆っているようだった。
しかし徐々にブラジルの選手たちの間でも緊張がほぐれ、いつものブラジルらしい軽快な試合運びとなっていき決勝戦までこぎつけた。

彼がその責任に感じPK戦の最後選手になるのか?ここで、もし失敗したらブラジル国民の期待を裏切ることにはならないのかと私の心の中にはそんな思いが横切った。
彼は少しボールから距離を置き走り出しそして途中ちょっと立ち止まると再び走り出しボールを蹴った。

ドイツのゴールキーパーは左に跳び彼はゴールを右に決めた。その瞬間ブラジルの選手たちがネイマールに抱きついた。彼は涙でしばらく声も出ない。あとでテレビ局のアナウンサーがボールを蹴るときに不安はなかったかと聞いた時、彼はペナルティキックの練習は何度もやったから自信はあったといった。それでゴールキーパーが左に跳んだのを見極めてボールを右にけこんだのだ。

選手たちは表彰台にのぼり金メダルを首にかけてもらい高らかに明るい笑顔で国歌を歌った。スタジアムの観衆も歌いそしてテレビを見ていた人たちも歌っただろう。私たちも。
ネイマールは責任を全うした満足感に満ち、私たちが知っているいつものすがすがしい顔で仲間と歌っていた。





2016年8月18日木曜日

テレビでオリンピック観戦

とにかくブログを書く時間がとれないので、今テレビを切って書いている。
私の家は周りに高いビルが建ってしまい地上波デジタル放送が映るチャンセルと映らないチャンネルがあり一番よく見ていたのが一番映像が悪いのでケーブルテレビにした。これだと普通のテレビのチャンネルも見れ、さらに子供向け、スポーツ、娯楽、その他チャンネルも数多く見れる。

特に今回はオリンピックサービスでSporTVは16チャンネルで観れる。朝起きるとその16チャンネルで何があっているのか画面で16チャンネルが同時に映像でチェックできるので一応全部見まわし一番良さそうなところに落ち着く。主にブラジルが出ている競技、次に日本が出ている競技、どちらとも映し出されているときは交互に回している。朝早くから晩遅くまで。

その他、各民放でも多くの時間を取って実況したりしている。初めて見る競技が沢山ある。昨日女子レスリングで登坂選手と五輪初の個人4連覇を成し遂げた伊調選手の戦いを見ていた。途中で30という数字が表れ30秒以内に点を取らないと相手に1点が与えられるルールがあることを知った。ブラジルはレスリングの選手はほとんどいないのではないか。いるとすればまだ無名の選手達だろう。
ブラジルでは学校でのクラブ活動はない。放課後はみんなで打ち合わせて近所の広場でサッカーボールを蹴るくらいだろう。バレーボールは実業団や地域のチームがあってブラジルはかなり強い。女子は北京、ロンドンと2連覇、今年は3連覇の期待がかかったがグループを無敗トップで通過したが中国との準々決勝で負けてしまった。男子は過去2回金メダルをとり今回は準決勝に進出している。

さてブラジル期待のサッカー。女子は予選リーグで5対1で勝ったスエーデンに準決勝で当たり今度は0対0の引き分け、そしてその後のPK戦で敗れ明日はカナダと3位決定戦となる。
男子は予選リーグでは2戦とも0対0でブラジルの観客から野次を飛ばされたがその後は歯車がかみ合い準決勝はホンジュラスを6対0で破り決勝戦はドイツとの戦いになった。ドイツと言えば2014年のブラジルワールドカップでの苦い思い出がつきまとっている。ここで恨みを晴らすのか見ものだ。

どうしても見のがせなかったレースはやはり花形の陸上100m。ジャマイカのウサイン・ボルトの歴史的な3連覇がなるか? 前半出遅れたがやはり後半に馬力がかかりトップで記録は今までより遅かったが9.81秒。彼はブラジルにも何回か来てブラジル人たちにも親しまれていて場内の騒ぎはなかなか静まらなかった。彼がやはり3連覇をねらう200mがもうすぐ始まる。これは彼の得意種目なので達成は確かか。

もうひとつ、日本選手出場の競技に日本からの応援団が少ない場合、日本への声援が多かったとブラジルのテレビアナウンサーが言っていた。ブラジルと日本移民との関わり合いで多くのブラジル人が日本びいきにまわったらしい。

21日オリンピックは終わる。今ブラジルのメダル数は4-5-5.日本は今6位で5位ロシアとは同じ金メダル数で12個、4位ドイツとは一個差、すごい快進撃、ブラジルから応援しています。



2016年8月9日火曜日

リオ-オリンピック開会式

5日にリオ-オリンピックが始まった。そして七日には末の息子家族が住む Floripa
に行くようにしていたので六日はちょっと忙しくなり七日は朝早く発ったので開会式のポストを書こうと思っていたがそれが出来なくて今旅先で初めてタブレッで書いている。今まではノートブックを持っていっていたのでちょっと勝手が違って戸惑っている。

それでテレビで見た印象を箇条書きにしてみる。

- いかにもブラジリアン-スピリットに満ちた今までと違った開会式になり、セレモニーというより祭りの雰囲気でみんな笑顔でリラックスして今までで一番ヒューマニズムに満ちていた。

- ブラジルの歴史が幻想的な雰囲気で表され、と同時に「環境」,「平和」そして子供たちを通して「地球を守ろう、そして未来をみんなで考えよう」というメッセージが世界に発せられた。

- ブラジルは原住民、そして色々な人種によって構成されていることを表したが、東洋系は日本人によって代表されたのには感激した。解説者も日本移民はすでに五世の時代に入りすっかりブラジルに溶け込んで生活していると説明していた。

- オリンピックにおける女性の参加率は回を重ねる毎に多くなり今回は一万人を超える参加者の45パーセントになっている。参加国は205だが難民選手団を入れると207になりブラジルの入場番号は207だった。

- 今回の開会式の費用は前回のロンドン大会の約10分の1だといっていた。アイデアとテクノロジーがそれを可能にしたのか。聖火台もどこにあるのだろうかと言っていたが今回発信したテ-マにぴったりのが現われた。

- 聖火リレーの最終ランナーにサッカーの神様といわれるペレ-が打診されたが健康上の理由で辞退されアテネマラソンで途中妨害されたWanderei Cordeiro de Lima
氏に白羽の矢が当たった。

- 感動の開会式で「さすがブラジル、土壇場でなんとか乗り切ったな」とは私と妻が終わった時に同時に発したコメント。

- ブラジルのIOC 委員のあいさつは「ブラジルが待ち望んだオリンピックがここに実現した。そしてこのリオ-オリンピックが新しい歴史を作る」と締めくくった。

2016年8月4日木曜日

ブラジル 0x0 南アフリカ

オリンピック男子サッカーの初戦、ブラジルは南アフリカと0対0で引き分けた。同グループのイラク対デンマーク戦がやはり0対0で引き分けたので4チームとも同じスタートラインにいる。2戦目の7日、ブラジルは結果を出さないと観客から今日よりも激しいブーイングを受けることになる。
後半の14分からは南アフリカ選手の退場でブラジルは一人多かったのだがそれでも点が取れなかった。それどころか南アフリカチームは動きも機敏でブラジルは押され気味。こんな試合にお客さんは満足するわけがない。試合が終わると観客はブーイングで選手たちも固い表情でピッチを去っていった。

ジカウイルスには外国の選手たちも心配していたようだがリオでブラジル人に聞くと全然気にかけてないと言って陽気に話しているので自分も気が楽になったという記事を目にした。
私達の周りでもニュースでは見るが話題に上ることはない。小頭症のニュースなどは以前北東部に見られたがそれも今はあまり聞かない。今年の冬(?)は去年より涼しくリオの最低気温の平均は15度くらいらしい。暑い冬だった去年に比べると4度くらい低い。これは去年が特別暑かったからなので気候がリオに近いここエスピリトサント州も同じで今年は寝るときは毛布と掛け布団の世話になっている。こういう気候の変化も影響を与えているのかも知れない。

今リオの交通事情は市民にとって非常に悪い。 オリンピックのために渋滞を改善するための道路工事はしていないので苦肉の策で三車線の所は1車線はオリンピック専用にし他の2車線を一般の車用とした。テレビで映しているが往復それぞれ1車線はがら空きそして他の2車線は渋滞でゆっくりしか動いていない。オリンピック専用車線に入ると罰金と違反ポイントが加算されるので誰も冒険はしない。交通局や市役所の監視カメラが張り巡らされているので従うしかない。運転手にインタビューしていたが「普通は仕事場まで20分から30分かかるが今は1時間半くらいかかる。しかしこれはオリンピックの期間中だけなので我慢するよ。これでオリンピックがうまくいけばいいけど」と答えていた。誰も文句を言わないし自分も役立っているのだとむしろ穏やかな表情だった。これもブラジル人気質だろうか。

オリンピックの選手村で最後の仕上げが不十分で水や電気や清掃に問題があってオーストラリア選手団は入村を拒否したとニュースになったがこれもブラジルでみかける「文句が出たら対応する」という考え方で私たちもよく出会う。それを解決するにはやはり文句を言うしかない。これもブラジル人気質だろうか。

今日IOCのバッハ会長からこういう発言があった「このオリンピックはブラジル及びリオにとって大きな挑戦だったがこれをやり遂げることができた。しかしこういうストレスのテストは2度としたくない」。
このブログのなかで東京が2020年のオリンピック開催地に決定した時にこのことを書いたと思う。(2013年9月29日 今月の書き残し 2題)

さっき日本とナイジェリアのサッカーの試合を見た。点の取り合いで結局は5対4で日本が負けた。点差1の両チーム合わせて9ゴールは珍しいのではないか。ブラジルももっとリラックスして自分の力を発揮してほしい。






2016年8月3日水曜日

Parque Olímpico - オリンピック・パーク 


上は柔道、体操、競泳、レスリングやバスケットボールなど16種目の競技が行われるオリンピック・パーク。面積は118万平方メートル。メディアセンターもここにあり今回のオリンピックの心臓部の役割を果たす。警備体制を紹介していたが50か国以上の警備のスペシャリストたちがそれぞれの国から入国する人たちのデータなどを提供しあって連携をとっている様子が映し出されちょうど日本とブラジルとの話し合いがあっていた。地球規模の祭典には地球規模の警備が必要ということか。

開会式にさきがけ今日は女子サッカーの予選リーグの6試合が行われ、ブラジルは3対0で中国に勝った。ブラジルの選手の一人はアトランタから連続6回目の出場だと言っていた。この調子だと東京まで大丈夫ではないかなー。

明日は男子の8試合がある。ブラジルは南アフリカと、日本はナイジェリアとの試合となる。ブラジルは男子も女子もオリンピックでは銀メダル止まりで今回こそはと全国民の大きな期待を背負っての戦いとなる。ブラジルはスペインのバルセロナで活躍するネイマールをアメリカカップ100回記念大会には出さずに温存し念願のオリンピックでの優勝を狙う。先日あった日本との強化試合を見たが彼の動きがまだちょっと堅かったような気がした。もっとリラックスして楽しい試合を見せてほしい。

今日はインターネットでオリンピックの競技種目のスケジュール表をプリントしたがあまりにも字が小さかったので三枚分に拡大して合わせた。是非とも見逃せない競技を確認してカレンダーに書いた。

これで準備OK!!!





2016年8月1日月曜日

オリンピックまであと4日 

今日から8月。テレビでもオリンピックに関係するニュースが多くなってきた。リオ空港には選手団が続々と降り立つ。ブラジルに住んでいる日本、韓国、中国の人たちがそれぞれ祖国の選手たちを出迎えているようすも映し出されていた。

オリンピック会場近くまでの地下鉄が今日正式に開通した。4日まではオリンピックに参加する選手やボランティア及び関係者に限られ5日の開会式から入場券を持っている人たちも地下鉄を利用することができるようになっている。そしてパラリンピックが終わる9月19日からは一般公開となる。

新しくできた地下鉄の「Jardim Oceânico」駅から会場までは専用バスで約15分と言っていた。去年の末までには出来上がる予定だったが遅れ、ぎりぎりの開通となった。私が2007年のパンアメリカン大会をリオに見に行った時から9年。あの時せめてオリンピックに名乗り出るなら会場までの地下鉄を完成してほしいと書いたが長い年月が経ったものだ。

NHKを見ていたらリオからオリンピック会場の紹介をしていた。全世界からのメディアが集まりスポーツの祭典の模様が見るもの、聞くもの、読むものに感動を与えるだろう。
オリンピックの起源となった古代ギリシャではこの期間中は争いは禁止されていたと覚えている。さて近代世界のスポーツの祭典オリンピックの期間中、少なくともこれは見習ってほしいものだ。

2016年7月28日木曜日

リオ・オリンピックまであと7日

                    31のビルからなるオリンピック選手村

リオ・オリンピック開始まであと7日。

選手村の不備が伝えられている。オ-ストラリアの選手団は2日前に到着したが、いざ選手村のアパートに入ってみると水が出ないやら、漏っているやら、おまけに電気がつかないやらで選手村に入らずホテルに移動した。これを知ったリオ市長慌てて清掃係や修理係を緊急に雇いいれどうにか住めるようになり今日オーストラリア選手団再び選手村に戻ってきた。
その間にリオ市長はテレビに出た時「こんな大きな工事にはどこかにミスが出るものですぐに修理し今度オーストラリア選手団が入るときは自国にいるような気分を味わえるようにカンガルーを用意しておこう」なんて変なジョークまで飛ばしたが今日のニュースでは選手団長からカンガルーの小さなぬいぐるみを記念品でもらい一本取られた形となった。イタリア選手団は清掃や修理する人たちを連れて選手村に入ったそうだ。

テレビカメラが毎日空港での選手団の到着を映しているが日本の選手団を映していて大きなダンボール箱の山ができていたので聞いたところお米だということだったと報じていた。勿論のこと、日本米がないと力が出ないよな。体操の内村選手の練習を映し世界トップの選手だと紹介していた。
1年前位に体操の個人総合と種目別の決勝戦の入場券抽選に応募したのだが外れてしまった。
テレビでの観戦となるが案外そこが一等席かも知れない。

2014年のワールドカップと2016年のオリンピックとの国民の期待度の比較アンケートが今日のニュースに出ていた。
                      ワールドカップ          オリンピック
一番期待していることは?      優勝すること 51%     無事におえること  59%
                     (無事に終えること 25%)   (順位 31%)

ブラジルに利益を与えるか損か?   利益  43%          損失  60%
                        (損失  40%)         (利益  32%)

外国人観光客が落とす金はワールドカップの方がオリンピックの約4倍と言っていた。






2016年7月24日日曜日

エスピリトサント州の桜

州立公園Pedra Azulに咲いた桜の花

上の写真は知人からメールで送られてきたもので2008年の移民百年祭の一環として州立公園Pedra Azulに植えた桜の花が今見事に咲いているので花見大会を催しますとの知らせが来た

2008年7月21日のポストに桜の苗が植えられることを書いた。あれから8年、花見ができるほどに大きく育った。ブラジルでは7月に咲く。気候でいうと冬だがここエスピリトサント州の標高1000mの山岳地帯(?)ではちょうど日本の春くらいの気候かもしれない。

あの時Pedra Azulに行く途中に立ち寄ったブラジル人の所で苗をもらって帰ってきたが私たちの住む海岸地帯では咲かないと知っていたのでSanta Teresaという標高約700mの町に親戚がいるという近所の親しくしている知人に桜の苗木だと言って渡し植えてもらうことにした。そこでは咲くかもしてないと期待していたらやはり2,3年前だったか桜を初めて見たと妻の友達の奥さんから知らせがあった。

ブラジルでもあちこちで桜の木が植えられているのを見る。やがては7月はブラジルの桜の花が咲く季節として覚えられるようになるかもしれない。

2016年7月22日金曜日

あおいくま

NHKの番組を見ていたら新日本風土記「サンパウロ」なるものが目に入った。この番組、時々見ているが日本の景色、祭り、伝統工芸など自分がそこに行ったような気分にさせてくれる。
日本紹介の番組なので「サンパウロ」とは何だろう? まさか、ブラジルの「サンパウロ」ではないだろうな?と思ってチャンネルをまわしてみた。日本のテーマ以外は初めてだという。

やはりブラジルに移民として来た日本人とその血を受け継ぐ日系人の生活を追っていた。今ブラジルの日本人・日系人の数はおよそ160万人でサンパウロ州には約100万人が住んでいるという。
ちなみに、私はエスピリトサント州、長女は日系人が二番目に多いパラナ州、長男はリオ州そして次男はサンタカタリナ州に住んでいて、サンパウロ州には誰も住んでいない。しかし親戚はほとんどサンパウロだ。
ブラジルに蟻と日本人のいない所はないという言葉も聞かれたが農業を離れてきている今はどうだろう。最初の移民が始まったのが1908年の6月18日だから今年で108年になる。
日本移民100年祭の時はこのブログにも色々な思いや思い出を書いた。
私たちもブラジルに来た初めの頃はサンパウロ州に住んでいたが私は大学を出た後は仕事の都合で今のところに引っ越してきた。その時娘は生後11か月、あれからもう39年になる。

見知らぬ国での、言葉、文化、習慣の違う中での苦労話、今では面白く聞ける余裕も出てきた。「サンパウロ」を見ていてもなぜか昔がなつかしい。

番組の中で日本語学校に通っていたブラジル人の青年が日本語の先生が引退して日本に帰った後学校を引き継ぎ日系人やブラジル人に日本語を教えているストーリーがあった。
その中で先生が彼に与えた「人生訓」ともいえる言葉があると言ってそれは「あおいくま」だという。
すぐ私は「青い熊」だと思ったがそれにしてはちょっとおかしいなあと思っていたら

あ は あせるな
お は おこるな
い は いばるな
  は くさるな
ま は まけるな

だと説明した。

この次の新日本風土記はブラジル日系人が多く住む群馬県の「大泉町」だと言っていた。

ブラジルに来て56年。今は故郷となった異国での生活、何の悔いもない。

2016年7月18日月曜日

テロの脅威

フランス革命の発端となった1789年7月14日のバスティーユ襲撃を記念して世界的に有名な観光地であるフランスのニースで行われた花火大会に思いがけない大惨事が起こった。花火を見ようと家族で集まった群衆に大型トラックが突進し84名の死者と約200名の負傷者がでた。
テロ行為かどうかは今取り調べ中らしいが驚いたのは今までのテロによる大量殺人が銃器や爆薬などの火器を使っての行為だったのが今回は大型運搬車を使ってのことだったので複雑な気持ちになった。これではテロを防ぐための取り調べや警戒態勢が取れないではないか。と同時にほかの手を使う可能性も否定できない。世界を震撼させた2001年の9月11日は途中から会社の事務所で実況を見ていたがそれが実際に起こっているなんて信じられなかった。ハリウッドでも思いつかないアタックではないかと思った。

今世界各地でテロが起こっている。私もこれから知らない土地への旅行は二の足を踏む。バングラデシュでは日本人がテロの対象となり7人が犠牲になった。ヨーロッパでもフランスを始め各地でテロが起こっている。アメリカでは銃器規制が出来ず最新の銃器を一般の人が買うことができるという。アメリカ独立以来の国民の権利で憲法にも謳われている。しかしそれによって時々無差別殺人が起きる。
銃器についてはブラジルは一応登録などの規制はあるが徹底しておらず闇の取引が絶えない状態で完全取り締まりは難しい。ブラジルでは「宗教とサッカーの議論は禁物」という経験に基づくことわざがある。特に知らない人とは気を付けないと喧嘩のもとになるし果ては殺人事件にまで発展する可能性がある。サッカーの場合、熱狂的なサポーター達が多く、負けると自分のチームにまで野次をとばす。サンパウロやリオの大都市のライバルチーム同士の試合だと熱狂サポーター同士の喧嘩が起きる。それに巻き込まれないためには応援チームのシャツは着ていかないほうが賢明。

8月5日開催のリオ・オリンピック、今テロ対策に力を入れている。軍隊まで動員しての総勢8万5千人でのオリンピックセキュリティー。速やかなゲームの進行と選手及び国内・国外からの観客の安全を守るための万全の警戒態勢を敷くと言っている。すでにテロ対策のシムレーションまで行われているのをテレビで観る。
待ちに待ったスポーツの祭典ブラジルでのリオ・オリンピック、運行の無事と成功を祈っている。

2016年7月14日木曜日

ポルトガル、欧州サッカー選手権初優勝おめでとう!!!

10日の日曜日、ポルトガルが念願のEurocopa (欧州サッカー選手権)初優勝を飾った。
今回もポルトガル躍進の原動力はやはりCristiano Ronaldo、だが開催国フランスとの決勝戦前半25分で涙の負傷退場となった。彼は常に相手チームからマークされラフプレーの対象とされなかなか実力を発揮できない。そういう状況でもわずかなチャンスをものにしポルトガルを2回目の決勝戦へと持ち込んだ。

彼の最初のEurocopa 参加は2004年、ポルトガルが開催国となった年。その時の監督は2002年の日本・韓国共催のワールドカップでブラジルに優勝をもたらしたLuiz Felipe Scolari (通称 Felipão フェリポン)。そのときは決勝戦でEurocopa 2回目出場で優勝候補にものぼっていなかったギリシャに敗れた。

4年に一度のEurocopa ,このフランス大会のチャンスをのがすとロナルドが優勝カップを手にするのは非常に難しい。これまでポルトガルのために尽くしてくれたロナルドのために戦おうと全選手の意気が固まった。
フランスの猛攻撃にゴールキーパーが耐えてチームにも攻めの態勢が出来てきた。そして延長戦, Éder が素早いミドルシュートで勝利を決めた。

ちょっと見慣れない光景が目に入った。普段はベンチでおとなしくしているロナルドがあたかも監督のようにラインの近くで選手たちに大きな声で指図しているように見えた。優勝が決まるとキャプテンマークがロナルドの腕へと戻され彼は念願の優勝カップを手にすることができた。

彼は2004年から連続出場、今回も3ゴールを決めEurocopaの得点数が9となりフランスのMichel Platiniと並ぶ得点王となった。出場数は21試合でこれは単独トップ。

ポルトガルの国を挙げての大喜びの様子がテレビで流れていた。ブラジルに縁の深いポルトガル、優勝おめでとう!

優勝監督はFernando Santos、勤めていた会社の同僚も同じ名前。彼は今頃どうしているかなー?。






2016年7月10日日曜日

えっ、そんなミキサーあるの?

私たちが親しくしている近くの海辺に住むご婦人から昨日の夜電話がかかってきた。
「前にお宅に行って饅頭の作り方を習ったのだけど、昨日作ったらうまく出来なかったの。明日そちらに行って又一緒に作らせてもらっていいでしょうか?」「はい、いいですよ。材料はこちらに揃っていますから」

今日の朝早くドアベル(?)が鳴った。妻はよく庭の手入れをして家の中にはいないし、私も2階の部屋にいるとベルが聞こえないので家の門の外にオートバイのクラクションを取り付けてある。庭の端っこにいても聞こえる。私たちの家の横にある救急車を市役所などに供給している会社に勤めている孫娘の車で彼女は降り立った。右手に買い物袋を持っている。「来るとき海の横の魚市場に寄ってカワハギがあったので持ってきました」と妻に手渡された。海辺の魚市場は漁師が獲ってきたものをその場で売っているので全てが新鮮だ。「一週間前にお宅に教えてもらったカワハギの刺身、居ても立っても居られず早速買って刺身にしたらおいしかったわ。寿司にしてもおいしいし、これからはいつでもできるので助かるわ。今まではまず魚屋に行って刺身にできる魚があるかどうかを見て寿司を作っていたの。カワハギで刺身、寿司なんて今まで思ってもみなかったわ。娘や孫たちも気に入って合格点をくれたの」。彼女は長い間ヴィトリアに日本食レストランを開けていてブラジル人にも「Mamasan」の愛称で親しまれている。数年前にレストランは年齢を理由に閉めている。

この話、実は5月8日のポストにさかのぼらなければならない。実はあの時、鯛やハマチやEnchovaのほかに4キロの「カワハギ」を買っていたのだ。カワハギはこの辺では最も身近な魚で海辺のキオスクなどで油で揚げビールの友としてブラジル人に人気がある。値段も安いし私たちも今までバカにしてきて家でもいつも揚げて食べるものとなっていた。

話はまた30年ほど前にさかのぼらなければならない。
当時私と同じ会社に勤めていた同年代の二世の家族が近所に住んでいた。子供たちも同じ学校に通っていて時々誕生日などお互いに行き来していた。
ある日こんなことを旦那が妻に話した。
「奥さん、ここで一番おいしい刺身はなんだか知ってますか?」
「この辺だと、まぐろがあるし、鯛やスズキやハマチとか・・・」
「いや違いますよ、カワハギですよ。一年中手に入るし、おいしいし、おまけに安いし。それにわさびはいらないですよ。一番おいしい食べ方はしょうがのすりおろしを使うんですよ」
それから数日して町の朝市でカワハギを買ってきてしょうがをすって食べたがあまりおいしくなかった。「やっぱり、カワハギは油であげて食べるものだな」ということとなった。

妻が5月8日に買ったカワハギ、あまりにも新鮮なので、30年前の話を思い出した。「そうだ、海に行って魚を買っていたといったな。そういえば漁師市には何度も行ったが刺身目当てでカワハギは買ったことはない。試してみるか」ということとなった。
おずおずとはしに取って口に入れる。「アッ、これはいける。あの人の言っていたのは本当だ」と30年後に気が付いた。お粗末さまでした。

アレッ、今日のタイトルをすっかり忘れていた。
台所で妻とママさん、饅頭を作っている。妻があんこになる豆をミキサーにかけているとママさん 「お宅のミキサー調子よく回っているわね。豆腐もそれで作っているんでしょう。うちのは一週間のうちに3台も駄目になって、また買わなくちゃいけないのだけどあなたそれどのくらい使っているの?」「もうかれこれ15年かな」
「えっ、そんなミキサーあるの」
「ええ、ARNOです」
(ARNO, アルノとはブラジルのミキサーや電動泡立て器などの有名メーカーのひとつ)

またもやタイトルとは関係ない話に脱線してしまった。





2016年7月7日木曜日

大西宇宙飛行士国際宇宙ステーションへ旅立つ

今日7日カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から現地時間午前7時36分(日本時間午前10時36分、ブラジル時間6日の午後10時36分)にロシアのソユーズ宇宙船で日本の大西宇宙飛行士がロシアとアメリカの飛行士とともに国際宇宙ステーション(ISS)へと無事旅立った。約4か月の滞在で色々な科学実験が予定されていているようで、人類の老化についてという項目が目についた。何か新しい手がかりがつかめたらと楽しみにしている。

現在、ブラジル訪問には日本からの旅行者にはビザが免除されているからこちらに来られたらどうですかと日本の従弟家族とブラジルに昔来たことがあり今はANAのパイロットの長男家族に打診したところ今回は皆でカザフスタンのバイコヌールに行くから残念ながらいけませんという返事が来た。

従弟の長男と大西飛行士とはANAで飛行機操縦訓練の際ペアで習った仲で大西さんが宇宙飛行士に採用された時、宇宙船打ち上げの際は必ず行くと約束をしてあるのでブラジルは次の機会にという内容で大西飛行士と二人で撮った写真が添付されていた。 


それを覆すのはとても不可能なので私も渋々降りざるを得なかった。
ということで私も昨日の夜はNASAからの実況を待っていたがつかめれなかった。しかし日本のニュースにアクセスして打ち上げが成功し3人が船内で喜んでいる姿を見ることができた。

宇宙ステーションへのドッキングは約50時間後、そして約4か月の滞在。訓練されているとはいえ宇宙空間での生活、大変だとはわかっているが想像するだけでわくわくする。

こんな明るいニュースの中にブラジルのことを載せていいのか戸惑っている。考えるだけでつい情けなくなる、数年前までは先進国への仲間入りを目指しBRICSの一員として羽ばたこうとしていたが、今は急降下でしかもめくら飛行。どこに行きつくかさっぱり分からない状態だ。

2016年6月29日水曜日

過半数ルール

最近どうも気にかかることがある。

イギリスがEU(União Européia)から離脱するかしないかの国民投票で離脱派が51.9%で過半数を占めEUから離れることとなった。しかし自国のみならず世界中の経済に予想以上のインパクトを既に与えており今後の動向もまだ不透明だ。選挙の結果が発表され為替や株、今後のイギリス経済、EUとの関係、社会問題などがミディアにより報じられると投票者自身がその影響の大きさにとまどっている様子がテレビに映し出されていた。EUに留まる方に投票するとみられていた若い層の投票率が低かったとも報じられた。ブラジルのように投票が義務付けされていたら結果は変わっていたのだろうか? 移民問題が決定の一番大きな材料となったのだろうか?
しかし、何と言おうと過半数は過半数!!民主主義の定義をなす過半数ルールだ。

もう一つは、やはり6月に南米ペルーで行われた大統領選挙の決選投票。4月の大統領選挙で元大統領アルベルト・フジモリの娘ケイコ・フジモリが得票数一位だったが過半数に達しなかったので2位との決選投票があり彼女は得票率49.88%で敗れた。わずか0.12%の差。

この過半数ルール、特に国家の重要事項において一票の差で決定される過半数ルールでいいのだろうかと疑問がわいてきた。というのは最近ブラジルであった大統領の弾劾の賛否が初めは下院で2/3以上さらに上院でも2/3以上の票で大統領の不信任案が可決され現在は副大統領が代理を務めていて最終的には再度上院に回されやはり2/3以上の票が必要だ。どうやら決定はリオ・オリンピック後になりそうなので開会式宣言は代理大統領にまわってきそうだ。

2016年6月13日月曜日

ブラジルに早くも寒波?

今日はSanto Antonio(聖アントニオ)縁結び聖人の日。よき伴侶に出会えますようにと若い娘さんたちも教会にお祈りに行く。とても人気のある聖人のひとりである。

その前日、昨日はブラジルでは「恋人の日」と名付けられているが別に祝祭日ではなく、なんとなくできたものでどうやら商魂たくましい人達の仕業らしい。最近は結構認められて恋人同士でプレゼントを交わしたり食事をしたり映画を見たりで、カップルには大事な日になっている。ブラジルではこの恋人の日は既婚の夫婦の間でも祝われている。

実は今日は別のことを書こうと思ってノートブックに向かったのだがヴィトリアのサントアントニオ地区の話をしていてその延長で書きだしてしまった。サントアントニオ地区はヴィトリアでは早くから開けた地区だが港が島の反対側にできたので伸び悩んだ。

今日の朝のニュースではブラジルの南部の8州の州都は記録的な寒さで朝を迎えたと伝えていた。娘の理奈が住んでいるクリチーバはブラジルで一番気温の低い州都だ。それに昨日は今までのアジアセンターのほかに外国からブラジルに仕事に来る人にブラジル事情やポルトガル語の手ほどきなどを教える「ブラジルセンター」の開所式をやると言っていたので電話を入れた。

「昨日の夜は賑わったかい?」
「150人以上の人が集まって外国人も沢山いたわ、Festa junina (六月祭、田舎で秋の終わりの収穫祭とでも言うか、たき火を囲み田舎料理をたしなみ、サトウキビから作った蒸留酒にしょうがを入れたのを飲み身体を温めて、踊ったりする祭り)のまねごとをしたので皆騒いで賑わったわ。用意していたものがほとんどなくなって残ったのは私達でいただいたの」
「へー、良かったね、ところでそっちは寒いだろう」
「ええ、今日の朝の気温は零下1.3度でこの時期では19年ぶりの寒さだそうよ。ここ数日はずっと寒い日が続いているの。昨日のテレビの天気予報でヴィトリアは最低気温は15度とか言っていたので会場にいた人たち皆どっと笑っていたわ、私がヴィトリア出身と知っているので」
電話の横で婿のRodrigoが叫ぶ声が聞こえた。
「寒さではそっちはまだまだアマだな、こっちは何しろプロだからね」
ヘンな自慢をするな。
娘まで「これから冷蔵庫に入ってちょっとあったまってくるからね」と言って電話を切った。

今年の4月に南のサンタカタリナ州の州都フロリアノポリスに引っ越した正人の方の気温はと調べるとこちらは+1.3度、それでもやはりこの時期としては海岸の町でもあり記録的な寒さだという。
生まれてこのかた、ずっとヴィトリア育ちなのでこの寒さにはこたえて郷愁にかられているのでは。

日本の冬と比べるとそれでもいと言われそうだが昨日は今年始めて太陽熱風呂に入れず電気シャワーでは身体を温めるまでにはいかなかった。

あした暖かくなーれ!







2016年6月1日水曜日

アボカド石鹸



アボカド石鹸はいわば「もったいない」精神から生まれたものでアボカドの傷モノやちょっとくされが入ったものを取り除いたものなどを寄せ集めて作ったものでsる。
上のは今年初めてのもので少し「灰」を入れるとミネラル豊富な石鹸になるとのあたらしいレシピが手に入ったので早速作ったがちょっと色が灰色になったので2回目は去年まで作っていたものにした。写真の上が灰入りで下はなし。色の違いがわかる。

今は柔らかいのでこのまま2か月ほど寝かせて適当な大きさに切ってしまっておく。作ったはじめでは約4キロだが乾燥すると約3キロになる。一本に250ミリリットルのオリーブ油がはいる。
2本作れば一年中まかなえる。今年は欲張って4本くらい作ればあちこちのお土産用になる。



上は昨日の夕食に出た私の好物の煮しめ。家でできたコンニャクいもで作ったこんにゃくとごぼう、それによそからもらったタケノコとの煮しめ。サンパウロだとみんな買えるのだがここでは手に入らないので全て自家製となる。しかしこんな手間をかけるのも私たちの世代で終わりかもしれない。


2016年5月28日土曜日

Corpus Christi 聖体の祝日

一昨日の26日木曜日はカトリックの宗教祭日「Corpus Christi」の日。これはラテン語でポルトガル語だと「Corpo de Cristo」となりキリストの身体という意味で伝統的にラテン語が使われている。カトリック国の公式の祭日で日本語だと「聖体の祝日」と訳されている。

今年は5月26日だが普通は6月の祝日として覚えているので年の初めにカレンダーをもらうと6月の赤丸は「Corpus Christi」の日だなと見当がつく。そういえば今年はカーニバルが早かったのでこうなったのか。今年の前後12年で一番早くなっている。
すると今年は6,7,8月は記念日、祭日の休みはなしか。サラリーマンには厳しくなる。

そういえば休日はブラジルより日本の方が多いのではないかと思う。ブラジルは記念日、祭日が日曜日に落ちても振替休日はない。だから年によっては休日が非常に少ない時がある。昔は宗教祭日が多く休みが多かったような気がするがそれがかなり切られて今度は振替休日なしでは休みが少なすぎるような気がする。定年退職者としては関係ないが少なくても日曜日の振替休日だけは作ってほしい。

いつものように話がずれてきたが何も宗教とか休日の話をするために書こうと思ったのではない。Corpus Christiの日はブラジルのほとんど全市で花、砂、布、おがくず、瓶のふたやその他の日用廃棄物などで作られた長いじゅうたんが教会の前の通りやその他の大通りに敷かれる。
その仕上がりの美しさで有名になった町や地域がありCorpus Christiの日は見物客が殺到する。

エスピリトサント州では南寄りの町「Castelo (城という意味)」が有名でこちらに移ってきた時から行こう行こうと思いながら距離や混雑などを考えるとついおっくうになり、なにを隠そう今年もまた逃がしてしまい同じ思いを約40年間引きずっている。。
その代わりと言ってはなんだが近くの区でやっているとテレビで言っていたのでのぞいてきたので下に写真を載せている。。

今年のCasteloの様子は Imagens de festa de corpus christi em Castelo 2016 これをコピーし検索の所に貼り付けてEnterキーを押すと出てくる。
Castelo地方はブラジル有数の大理石の生産地なので大理石やその粉で飾っている様子がテレビ局の映像に映っている。今年はなんでも8万人の人出だったとか。車の渋滞のニュースを見るとやはり行けない。

下の写真は近所の通りに造られた色付けされた砂やおがくず、などで道に描かれたじゅうたん。









庭をひと回り

ようやく暑さもおさまりエアコンをつけなくてもよくなった。でもまだ雨は降らない。庭に植わっている果樹や花はどうなっているのか庭を一回りしてみた。




 上左の赤いバラは二階のベランダの緑の(赤い?)カーテンになるべく植えられたのだが結局は育ちが悪く今では絶えかかっている。

 









 下左は野生の蘭で三色バンダ、木にくくりつけてある。右はカトレア。





 左の蘭はレリアで上はカトレア
下左はアサイーの木で中頃に小さな実が沢山なる。右はププニャの木でイースターの時は切り倒してやわらかい芯は郷土料理のタルトの「Torta capixaba」に使われる。木の中頃の赤い実は粉にしてパンを作る。







 バナナの木(?)はまだ低くて実も小さい。逆にヤシの木は高くなりすぎてとても登れない。
右のUrucum(ウルクン)は赤い自然着色料として料理に使われたりブラジルインディオは伝統の儀式のときなど顔や身体に塗ったりする。













上左はスターフルーツの木で下はその実。

上右はピタンガ(Pitanga)の実で 大きさは人差し指の頭くらい。今は時期ではないがたまたま熟れたのが一つなっていた。

池に放った金魚が大きくなっている。前はここで生まれた鯉がいたのだがオスが全滅して絶えてしまった。オスたちはメスにいいとこをみせようと高く宙返りをするのだが時々的がくるって夜、外のコンクリートに落ちてしまい息を引き取ってしまう。最後のメスも老衰で死んでしまった。

3羽の石の鳥は孫娘が園芸店によるたびに買って集めたもので一番大きいのはおとうさん、次はおかあさん、小さいのは自分だそうだ。

下右は今年最後のぶどう。 実は写真では大きく見えるが最初の11月、12月のに比べると半分の大きさ。

追記:
ブドウの棚の下にブドウの実が沢山落ちていて通るたびに踏みつけるのでコンクリートが紫色になっている。収穫しないとみんな熟れて落ちてしまうなと思って全部取った。小鳥たちにつつかれて大分傷が入っている。下も掃除してきれいになった。何を隠そう家にある3本のブドウの木、すべてコンクリートの割れ目に枝を差し込んだものが育ったものである。畑に植えても思わしくない。畑もすべていい加減に種をばらまいておいて自然にはえてきたものを育てている。その方が効率が良い。

翌朝、外で朝のコーヒー(朝食)をとっているとブドウの棚の周辺がばかに騒がしい。見ると小鳥たちが「ピピピー、、ピピピー」 といって飛び交っている。「あれー、自分たちの朝食がないぞーと騒いでいるぞ」と気が付いた。
この辺は都市開発が進み近所に緑が少なくなって動物たちが家に食べ物をあさりに来る。木立が続いているわけでもないのに、たまにはリスや小ザルまで現れるようになった。

最近はこちらが食べるのを楽しみにしている果物が小鳥たちに先取りされている。
先日知り合いが家の庭を回っていて「今ジャブチカーバの時期だろう、食べさせろよ」と言ったので木の所に連れていくと青いのしか付いていない。色ずき始めると熟す前にみんな小鳥にやられて皮と種だけが木に張り付いている。それを見て「へー、時勢は小鳥たちにも厳しくなっているんだなー」と言って深刻な顔をして帰って行った。
ということで家のJaboticabaは小鳥たち専用となり私たちは朝市から買ってきている。


グアバの実はブドウやJaboticabaに比べると大きいので小鳥たちがつつき始めたのはそのまま残しておくと他の実への被害が少なくなる。