2012年8月30日木曜日

とうふ


最近近くのスーパーに火曜の夕方日本食品それもごぼう、しいたけ、とうふが並んでいると聞いて早速火曜日の午後出かけることにした。しかしどこにもそれらしきものは見当たらない。近くに商品を整理していた店員に妻が聞いた。「ここにQueijo de soja (豆腐の色、形がチーズに似ているところからここブラジルでは豆腐は大豆のチーズと呼ばれている)があると聞いたのですがどこですか?」「奥さん、Queijo de soja ではありません、それはトウフというものです」と彼女得意げに答えた。分かりやすいようにわざわざQueijo de sojaと言ってやったのにとちょっと頭にきた妻、日本語で「わかりました、ありますか?」と言った、とたんに彼女バツが悪そうに肩をすくめ下向きになり「今トラックが着く時間なので確かめてきます」と小走りに走り去ろうとした時、ちょうど横に居た食品コーナーの責任者、皮肉をこめて「みろ、誰がえらそうな口をきけといった」

このスーパー、最近こちらに進出してきたばかりなのだがお客さんの対応が良いと評判で上のような妻の皮肉も通る。以前大きな楕円形の6キロはあろうかというMortadela(モルタデラハム)を見かけたのでそれを2キロくれと頼んだとき、店員は端から2キロ見当切って私に渡そうとした。これじゃ端っこを少し犬にでもやるかと思って受け取ろうとしたとき傍にいた恰幅のいい責任者私に向って「お客さん少々お待ちいただけますか」といって私が持っているものを取り上げた。そして店員に「真ん中から切って、そこから2キロ取りなさい」と指図した。「しかしそれでは最後に両端が残りますが。私は店のことを思ってお客さんに端から切って売っているのです」「そうか、そしてあんたが自分のために買う時はどうして貰いたいかね?」「それはもちろん真ん中のほうがいいに決まっています」「それじゃそのようにお客さんにしてあげなさい、ここにある全ての物、もし自分が買う時にして貰いたいようにしてお客さんに渡しなさい。」「わかりました」これを聞いて感心した。一般にブラジルでは「売ってやる」という態度が感じられる時が多い。私たちはすっかりこのスーパーのファンになった。特に金曜の夕方から土曜の夕方まではお客さんで一杯で入ろうと思うと車の列ができている。仕方がないからやりすごすこともある。最近開けたばかりだがなんでも今度は家の近くにもう一店開けるとのうわさがたっている。このチェーン、アラブ系の家族がやっている。

2012年8月27日月曜日

勝ち組、負け組



先週クリチーバに居たときCorações Sujos ( www.coracoessujos.com.br )(汚れた心)という映画を観た。第二次世界大戦直後ブラジルの日系コロニア(社会)で起きた悲しい出来事を取り上げておりコロニアの恥部としてその後はあまり公には語られてこなかったような気がする。日本においてでさえ国民には神国日本の敗北を受け入れるのは難しかったのではないか。当時の大本営発表の「敵の被害は甚大で我が方の被害は軽微」(父からよく聞いていた)のニュースを聞かされていた人達にとっては。しかし敵機の襲来、爆撃、そしてそれを迎え撃つすべが無いことを思い知らされた人達には日本が敗北に向かっていたことは分かっていただろう, 口に出さずとも。しかし情報が閉ざされ、しかも当時は多くが農業に従事していたブラジルに住む日本人にとっては日本は神国であり絶対に不滅であると教えられてきた。そこで日本は戦争に勝ったのだと説く「勝ち組」の狂走(この言葉は自作語で広辞苑には載っていませんでした)に巻き込まれてしまい、ブラジルの社会との接触があり日本は負けたのだと思うようになった「負け組」との間で抗争があった。勝ち組の組織「臣道連盟」による暗殺が横行しこれにはブラジル官憲も関与するところとなった。映画の題名のCorações Sujosというのは勝ち組の人が負け組の人に「お前は汚れた心を持った国賊だ」というところから来ている。勝ち組の組織「臣道連盟」(この漢字でGoogleで検索するとWikipidiaで上に書いたようなことが書いてあるので私の説明はここらで止めておく)の話は私が来た1960年ごろはまだ当時の事件に詳しい人達もおられたので時々聞いていた。
しかしこの映画に注目すべきはこれはブラジルのジャーナリストFernando Moraisによって書かれた本を基にしてブラジル人のプロデューサーJoão Daniel,  監督Vicente Amorim によって製作されたということである。配役も日本とブラジルの第一線で活躍し世界的な賞を受けた俳優たちが出演している豪華キャスト。日本では7月に公開されブラジルは8月となった。
日系コロニアでタブーとされてきたこのテーマにあえて取り組んできたことについての監督のコメント「映画で描いたテーマは普遍的なものであり、ブラジルの日系コロニアで起きた話ではあるが世界中で問題になっていることでもある。」
我々も教訓としてこの話を風化させてはならない。映画に携わった人達、ありがとう!
東洋文化センター「トモダチ」を営む娘は関係者から招待券を貰っていたので私もそのおこぼれにあずかった。娘に原作の本のことを聞くと彼女「何言ってるのパパイ、私が読んで良かったのでパパイにも買って送ったじゃない」「えっ、いつのこと?まだ着いてないのかな?」「いつって?もう、何年も前のことよ」「覚えない」。
今本棚をあちこち探している最中である。

2012年8月20日月曜日

冬のクリチーバ


昨日まで5日間娘理奈の住むクリチーバにいた。一週間後にスペインに用事で旅行する娘に手渡すものもあってのことだ。時々ブラジルで1、2を競う航空会社が格安航空券を出す。今回は帰りの券は39レアイス(約20ドル)ということでサイトに入って探したがいつでもというわけにはいかない。20日ほど先の往復切符で320レアイスであったので買い求めていた。ヴィトリアークリチーバ間直線距離で1082キロある、途中サンパウロで乗り換える。娘はクリチーバでトモダチ文化センター ( www.tomodachi.com.br )を開いている。そこでは日本語、韓国語、中国語、マンガのコースの他に生け花、折り紙などのワークショップなどもある、最近は韓国語を学ぶ人たちが増え他の場所でもう一教室開けたのでそこに置くプリンターの据付などの手伝いをした。先生は韓国系の人ではなく韓国に仕事で8年ほど住んだエンジニアで2011年12月のトモダチの発表会では「冬のソナタ」をキーボードで弾き歌った。中国企業の進出などで中国語を今では個人ではなく会社で教えて欲しいとのことで今までの中国人の先生はそちら専門でトモダチではその一番弟子だった若いブラジル人が教えていてビデオなどの補助教材を駆使し中国語を教え人気があるようだ。日本の夏休みを利用しての日本の会話学校との短期交換ホームステイプログラムを組みちょうど日本から来ていた生徒さんともあった。そして今やクリチーバの観光コースの一つでクリチーバが全貌できる高さ110mのコンクリート製の電話会社のタワーで偶然昨年のホームステイで日本に行った若い生徒が日本からホームステイに来た人を案内しているところにでくわした。どんどん交流が広まり日本でブラジル通が増えることを願ってやまない。


タワーから眺めたクリチーバは大きなビルが周囲に広がったような気がした。以前来た時と同じ場所が撮れているか確認して比べてみようと思っている。

さてここクリチーバでは2014年のワールドカップの予選リーグ4試合が行われる(7月16日、20日、23日、26日)。期待していたのに予選リーグだけとはと当地の新聞はぼやいていた。
昨日帰ってきたのだがクリチーバを出たときは15度、サンパウロは17度そしてヴィトリアは27度。迎えに来ているはずの息子の顔が見えない。何でも10キロレースに夫婦で参加して暑さにやられ脱水状態で、ばてているので行けないとの連絡があったそうで妻と孫娘が迎えに来ていた。

2012年8月12日日曜日

ロンドンからリオへ


今日ロンドンオリンピックが終わった。

最終日の今日、期待の男子バレーは惜しくも銀。第3セットで2回もゴールデン・ポイントを逃がし、結局は2対2、そしてタイブレイクで負けてしまい、金メダルはロシアにさらわれてしまった。女子バレーの仇をとられた。最終日恒例の男子マラソンは、やはりアフリカ勢にメダルをもっていかれた。金メダルはケニアでもエチオピアでもなくウガンダ、層が厚い。長距離は当分この傾向が続くのではないだろうか。ずっと4位で走っていたブラジルは最後にアメリカに抜かれ5位そしてその後に日本の選手が入ったのを見た。
ブラジルは金3、銀5、銅9の合計17個で22位という成績だった。
閉会式で選手たちは緊張から解かれショーを楽しんでいた。最後にリオのサンバスクールが登場、2016年のリオ・オリンピックの開会式の雰囲気を伝えた。そしてオリンピック旗はロンドンからリオへと手渡され1453日のカウントダウンが始まった。リオ・オリンピックは2016年8月5日から21日まで。

2012年8月11日土曜日

ブラジル、今日は曇り後晴れ !!


今朝いつものように朝市に買い物に出かけようとしたら雨雲が近くの山Mestre Alvaroにかかっていた。雨が降るかなと思っていたら急に降りだして朝市に着く頃はもう止んでいた。この山に雲が7合目くらいまでかかると雨が降るとはVitoria大都市圏に住む人達が一番信用している天気予報である。ブラジルのテレビでの天気予報は大雑把である。NHK で日本の天気予報を見ていると羨ましい。時間ごとの雲の進み具合が示されわかりやすい。朝市に着き買い物を始める頃はもう熱い陽が照っていた。
いつものように魚を買った後、横にたこのいいのが1キロ20レアイス(10ドル)で売っていたので1キロ半買い求めた。家の庭で取れたサトウキビが3,4本あったので適当な長さに切り、よく洗って布に包んだのを持って来ていたのでサトウキビの絞り汁を売っている所で絞ってくれと頼むと快く引き受けてくれた。いつもここで恵美を連れて絞り汁を買っているので今はお得意さん。これまでも数回絞ってもらっている。今日は約4リットルほどの汁が採れた。売っている絞り汁のサトウキビは細くて白いが家のは太くて緑色。植えてあるサトウキビに水をやって大きくしては駄目だと言っていた。乾燥している土地のは甘いのだそうだ。
朝市から帰るとオリンピック・サッカー男子の決勝戦があっていた。ちょうどハーフタイムが終わったところで試合が再開した。スコアーを見ると0対1でブラジルが負けている。ブラジルは良いところなく1対2で負け。オリンピックでの念願の金メダルはまたお預けになった。オリンピック以外のサッカー男子の全てのタイトルを取っているブラジル、なぜかしらオリンピックは取れない。実況後のコメントでブラジルは攻めるほうにあまりに重きを置き相手をマークすることを忘れていると言っていた。2016年はリオ、これでとらないと暴動が起きるかも知れないと今から心配している。暗い雲がブラジルの上にかかっている。
その後女子バレーボールの実況があり途中から見た。第4セッが始まっていた。スコアーを見ると2対1でブラジルがリードしている。あと1セット取ると金メダル。ブラジルはのびのびとプレーしている。あれ、違うなと思った。一次リーグでアメリカ、韓国から負けた試合を見た。ブラジルは縮こまっていた。ミディアからもどうしたのだと疑問視されていた。ところが決勝リーグでの対ロシア戦、タイブレークで接戦、15で終わるところがブラジルがロシアのセットポイントを20までしのぎ初めての自チームのセットポイントで勝ち準々決勝をものにした。これにはブラジルサポーター達(応援団?)の功績があったともいえる。ブラジルが盛り返す度に「チャンピオンが帰って来たぞ」との声援、選手たちもこの勝利をサポーター達(応援団)に捧げていた。今まで散々ロシアに泣かされて度々準優勝に終わったブラジル。これで自分のペースを取り戻した。準決勝で日本、そして決勝でアメリカ有利を覆し第一セットは大差で取られたものの2,3,4セットと取り優勝。オリンピック2連覇は過去ソビエトとキューバしかなく歴史に残る結果となった。終わったとたん喜びが爆発した。コート上でみんなで抱き合いそして揃っての一回転、監督もこれは応援してくれたブラジル国民そして神のおかげとみんなで輪になって祈りを捧げた。カトリック国ブラジルではよく見かける光景である。表彰式もブラジル選手は儀式なんてなんのその自分たちの喜びを精一杯発散していた。ブラジルに住む我々は慣れっこでかえってほほえましい。これでさっきまでの暗い空は晴れて見慣れた青い青い気持ちの良い空に変わった。

2012年8月9日木曜日

Touro Moreno – 褐色の闘牛  Yamaguchi その2


前回ポストのYamaguchi Falcão Florentino の名前のいきさつが意外な所でわかった。椎間板ヘルニアのリハビリに今一週間に3回通っている。私のことではなく今回は妻がMRI でヘルニアとわかりその治療に以前私が通ったところに連れて行っている。彼女が治療している間私はいつもは待合室でタブレットでメールのチェックをするのだが今日入ったときテレビでブラジルの旗を掲げた消防車でのパレードが映されていた。見ているうちに体操個人種目別の吊り輪で金メダルを取ったArthur Zanetti 選手が彼の住んでいる町に帰ってきて彼の栄誉を讃えての市役所および市民をあげての歓迎パレードであった。待合室にいた70歳代の男の人が言った。「彼は不可能を可能にした男だよ」さらに「ブラジルのように政府のサポートがない所で全然誰も見向きもしないスポーツで金メダルなんてまさに奇跡だよ」私も相づちをうった。そこに若い女性の理学療法士が通りがかりテレビを見て何事かと聞いたので「金メダルのパレードだよ」と私が答えると彼女「メダルと言えばカピシャーバが二人ボクシングで少なくとも銅メダルが約束されているわね。」「Yamaguchi Esquiva兄弟だろう」と男の人「彼らの父親はTouro Moreno(本名Adegard Camara Florentino)といってボクサーで彼が息子たちをボクサーに仕立て上げたのさ。彼が家の庭に植えているバナナの幹を打たせて鍛えたそうだ。彼は今75歳だが先年彼より32歳若いボクサーと戦って勝ったのだ私も見に行ったよ」「ところでどうしてYamaguchiと子供に名をつけたのですか?」と聞くと横に居た理学療法士がすかさず「Touro Moreno と同じヴィトリアで柔道を教えていた山口さんとは仲がよかったのよ。」
私の推察が当たっていた。
先ほど男子ビーチバレーの決勝戦があった。ドイツとブラジル。タイブレークで惜しくもブラジルは銀。ブラジルの選手の一人Alisonは2mを越す長身。あだ名は「マンモス」なんでも彼のコーチが彼の動きの鈍さにかんしゃくを起こし『お前はマンモス以外何者でもない』と言われてそのマンモスとはどんなものかと「アニメ映画」を見に行って何か共感するものがあると感じそれからは自分から広めているといるとインタビューで見たと妻が教えてくれた。彼もカピシャーバ。ビーチバレーの応援席を見ているとブラジルの旗のほかに大きなエスピリト・サント州の旗も振られていた。小さな州ゆえに思いがなお強いのかも知れない。妻も他の州に行くといつも自分はカピシャーバだと言いふらしている。

2012年8月5日日曜日

Yamaguchi Falcão Florentino


昨日オリンピックのボクシングを見ていたらブラジルの選手が81キロまでのクラスで勝ち準々決勝に進んだ。実況で盛んにヤマグチ、ヤマグチと言っている。日系人かと見ていたらどうも違うみたいだ。名前を見るとYamaguchi Falcão Florentino と出ている。どういういきさつでこういう名前がついたのか興味深いので今日の新聞に何か載っていないかと思って開けたら何と彼はCapixaba(カピシャーバ=エスピリト・サント州出身)で今はサンパウロ州に住んでいるという。ヴィトリアに山口という人が柔道を教えていると聞いていたが何か関係があるとすればここらあたりしかない。後でよく調べてみよう。
このことで思い出したのが家の近くの建築材料店の若い従業員。最近家のリフォームをしたので度々寄って顔見知りになった。いつも伝票を見ながら何か口の中で、もぞもぞ言っている。ある日私に聞いた。私の名前はどう発音するのかと。「ヒサヨシ・サエキ」だと言ったら、初めのは4シラブルで難しいが後のほうは3シラブルで簡単で気に入ったと言う。何を言っているのかとわけを聞いたら自分の子供にはありきたりの名前は付けたくない、あんたのその「サエキ」は気に入った自分の子供の名前につけると言ったので、もしお前がその名前をつけるなら出産祝いに良いプレゼントを持って行くよと冗談に笑いながら言った。それから何回か彼に会うたびに「おい、サエキは生まれたか?」と呼びかけている。しかし聞くところによると彼はまだ独身、いい加減な冗談は言うなと馬鹿にしていた。
しかしである、今日のこのことからひょっとしたらいつかどこかで「サエキ」と言う名のぜんぜん日本人とは関係のないブラジル人が現れないこともないなという気がしてきた。

2012年8月3日金曜日

体操の内村選手と佐々木選手


28年ぶりに内村航平選手が体操の個人総合で日本に金メダルをもたらした。これは世界選手権で3連覇していたことから予想されていたことであり賭け好きのロンドンっ子の間でも最も確率が高いほうに入っていたようだ。
個人総合でブラジルからは日系の佐々木選手が10位に入った。体操の伝統のないブラジルとしては個人総合のタイトル戦に出れるだけでも快挙なのに10位とはブラジル体操界の歴史に刻まれる結果を残すこととなった。
今日はなでしこジャパンとブラジルとの試合があった。妻が椎間板ヘルニアを患い今、週に三回ヴィトリアにリハビリに通っている。今日は午後一時頃早めに家を出て息子の所に寄ったのでリハビリに着いたときは後半戦が始まっていた。2対0で日本が勝っている。なでしこのマークは厳しくブラジルも思ったような試合運びができない。実況していたアナウンサーもブラジルはもっと組織だった戦いをしなければならない、名のある選手をそろえても全員サッカーにはかなわない、4年後のリオ・オリンピックまでの課題だとコメントしていた。
ブラジルでのオリンピックの放映権はRede Recordがとりチャンネルをまわすとブラジルの試合はいつも実況で見れるのでありがたい。ブラジルとイギリスとの時差は通常3時間、イギリスがサマータイムの時は4時間となるのであまり問題なくテレビでの観戦を楽しめる。