2012年2月29日水曜日

70 me passar, passe 100 me atrapalhar



今日スーパーに行こうと家の前の道の角をまわりシグナルを右にそして交通量の多い道に出た。最近はいつの時間帯も渋滞気味。片道2車線で速い方の車線に入っていたのだがすぐに速度を緩め停車。隣はとみるとまだ動いている。NHKでさっき見た番組を思い出した。渋滞のときは遅い普通車線を行くほうが早いという統計上の結果がでたそうだ。なるほどそうだなと感心する。

ふと前のトラックの後ろに書いてある語句が目にとまった。それが今日のタイトルである。目で見て私はすぐに数字が時速だと思った。意味が通らない、「なんだあれは?」隣で妻が「声を出して読んでみたらわかるわよ」数字を同じ発音の言葉と入れ替えてみると(70-> Se tenta,  100->sem)‘私を追い越すつもりなら、私の邪魔にならないように追い越して下さい‘ となる。うまい語呂あわせだ。トラックの荷台の下のほうに気のきいた語句をよくみかけていたものだ。昔は車の月刊誌にその特別コーナーがあり面白おかしく読んでいたのを懐かしく思い出す。最近は車での遠出も少なくなりおまけに町の中でのトラックの出入りは禁止されたり時間帯が制限されたりであまり出会わなくなった。妻の言葉「あなたこんなもので感心するなんて甘い甘い。これはたいしたことないわよ」

夏時間



先週の土曜日に夏時間が終わり夜の11時59分59秒の次はまた11時に戻った。その時ふと不思議に思ったことがある。交通機関の出発時間はどうなっているのだろう? 11時から12時までの時間が2度ある。飛行機など近距離は1時間以内だと出発時間の前に着いてしまう。後の時間帯を使うと前の1時間が空いてしまう。

インターネットで調べたが航空会社にコンタクトして確認せよとある。もう少し調べる価値がありそうだ。

2012年2月5日日曜日

性善説と性悪説?


こちらで発行されている日本語新聞「ニッケイ新聞」に上の記事を見かけた。この事件は当時インターネットやNHKでもフォローしていたので覚えている。ブラジルに住んでいるものとして彼らの言動はこちらでは日常茶飯事のことなので当たり前のこととしてとらえていた。しかし日本ではありえないこととしてとらえられる。罰は罪に対して下されるのでそれを自分から認めれば即罰せられる。そこでなんとかそれから逃れようとする。警察および司法界は有罪か無罪かを立証していく。何に基づいてやるかというと法である。しかし法も解釈の仕方がある。優秀な弁護士だと有罪を無罪あるいは刑の軽減や実刑を受けないように持っていく可能性がある。そこで優勝な弁護士とレッテルを貼られれば引く手あまたということになる。西洋ではわずかなことでもすぐに裁判沙汰になる。人口の比率ですればブラジルは日本に比べるとずっと弁護士の数が多いだろう。大抵私立の大学は法学部から始まりそれがやがては総合大学へと発展していく。

東洋と西洋の違い、これは法が東洋が性善説からなり西洋が性悪説に基づいているからなのだろうか。自動車事故など、まず両者降りてきて自分が悪いなどというものはいないから口論になり銃器の不法所持の多いブラジルでは殺人にまでエスカレートしたりするので注意が必要だ。しかし口論の途中でお互い車の保険をかけていることが分かると大抵そこで解決、後は保険会社どうしでやってもらおういうことになる。そういうこともあって以前よりも車の保険をかけさらにそれを更新する確率はあがってきているのではないかと思う。

ブラジルで50年、いまでもどうしても分からないことがある。それは現行犯の規定。こちらでは何かやらかすとまず逃げるそして24時間たってから弁護士と警察に出頭する。現場あるいは24時間内につかまると現行犯として牢に入れられるがその後で出頭するとほとんどの場合それから免れる。車の事故を起こしても相手を救うどころかひき逃げを奨励しているようなものではないか。実際にこれはニュースでいつも見ていることである。

日本人移民の場合、苦しい生活の中でも子供を大学にやった。まずは弁護士、そして医者、後は子供の自由。違う文化の中でのなれない生活の苦労の度合いを物語っている。