2011年4月29日金曜日

ブラジルの人口 190.755.799 人

今日ブラジル地理統計院から去年8月から10月にかけて行われた国勢調査の 結果が発表された。それによるとブラジルの総人口は190.755.799人、そして国土の面積は8.515.692,27 km²。これは最初の調査が行われた1872年の9.930.478人の約20倍2000年の人口の約2100万人増となる。男性と女性の人口比は96対100で女性の方が多い。平均寿命は女性77歳男性69歳、70歳以上の人口は4歳までの人口より多くブラジルも老人の人口比率は年々高くなってきている。ブラジル最大の都市はサンパウロで11.253.503人、ついでリオ・デ・ジャネイロ 6.320.446人。
さて私達が住むエスピリト・サント州の人口は3.514.952人、面積は46.098,57 km²。
州都ヴィトリアの人口は327.801人、それに隣接し大ヴィトリア都市圏を構成する3市の人口はSerra 409.267人、Vila Velha 414.586人, Cariacica 348.738 人で4市合計150万人となる。エスピリト・サント州の都市圏への人口集中は著しい。
詳しくは下記のサイトで。

http://www.censo2010.ibge.gov.br/sinopse/index.php?dados=4&uf=00

2011年4月28日木曜日

人生を狂わした一言

これはリオに住む息子のアパートのリフォームに私達が行っていた時の話です。
このアパートと言う言葉は日本で一度妻が使って誤解された経験があります。彼女近くの八百屋さんで買い物をして届けてもらうようにして帰って来ました。いっときしてドアをたたく音がしたので開けると八百屋さん「奥さん、ひどいじゃないですか、アパートじゃなくてマンションじゃないですか、すぐ裏のとおりのアパートだとおっしゃたので探すのに手間取りましたよ。それじゃここに置いときますよ。」
マンションというのはこちらの言葉では大邸宅という意味でとても「マンションに住んでいます」とは言えなかったと後で私にもらしました。
ある日リフォームに雇っていた左官屋さんの助手が来なかったので妻がごみを捨てる役をかってでました。リフォームも最後の日でごみも多く妻が忙しくビルの外にゴミ袋を運んでいて疲れ、ちょっと一休みしようとビルのエレベータの脇のベンチに腰掛けようとしたとき、老婦人が腰掛けているのに気がつきました。彼女の横には胴の長いソーセージ犬が寝そべっています。
「ああ、今日は私にとって犬の日だわ(大変な日という意味)」そして犬に向かって「お前の暮らしは大変だと人は言うけど私よりはよっぽど良い暮らしをしているのよ、お前はそれを知らないだろうけど」
すると老婦人「そうね、、、私は女王様の暮らしがあったのに気がつかなかったの。」とぽつりと言って自分の身の上話を始めた。
私は若いときそれはそれは美しかった。あるクラブのミスに選ばれそこで知り合った上流社会の青年と結婚した。コパカバナの広い邸宅に住みどこに行くにもお金など持たなくても主人の名前と住所を言えば宝石でも何でもすぐ届けてもらえた。10年過ぎても子供ができずにいた私にある日主人がヨーロッパから輸入した犬をプレゼントしてくれた。そして獣医が朝と夕方その犬の世話に来ることになった。獣医だということでコーヒーやケーキをだしたりして私は普通の使用人とは違う応対をしていた。。それを彼は私が好意を持っていると勘違いし始めある日ついに超えてはいけない線を越えてしまった。その後妊娠していることに気付きうれしくてうれしくて主人に報告すると彼は急に悲しそうな顔をして「自分には子種はない。何ということをしてくれたのだ。本当のことを言ってくれ、君は子供が欲しかったんだね。なっ、そうだろう。すべて子供の為にした行為だよね。」と私の肩をつかまえ念を押すように言った。不意をつかれた私は彼に許してもらいたいばかりに「いいえ、あなたのためなら子供なんていらないわ。明日にでも堕ろしていいのよ」と泣き叫んでいた。それを聞いた主人は「ああ、これでもうお仕舞いだね。その子供は絶対大事に育ててくれ。そして僕の名を継がせる。だけど君はもう二度と僕の前に姿を現さないでくれ」
私は彼が用意した女中つきのアパートに移ることになった。獣医にその事を伝えたが「大人同士の付き合いだったはずです。自分には家族がいます。」との答え。その直後彼は誰にも知れずどこかに引っ越した。それから二年後主人は亡くなった。葬儀には行かなかったけれど埋葬のときそっと身を潜めて離れたところに立っていたら私の同級生だった彼の妹が目ざとく私を見つけて「この人殺し。あなたが兄を殺したのよ。」と言ってきた。「兄はどれだけあなたと子供と家族になりたいと願ったことか。毎日毎日あなたが子供を抱いて許しを請いに来ないかと夜も眠れず食事も取れず待っていたのよ。とうとう生きる気力もなくし一人淋しくあの世に旅だったわ。生きているうちになぜこうやって訪ねてきてくれなかったの」と責めた。「私は二度と僕の前に姿を見せるなと言われたのでせめてものそれがつぐないだと思って行かなかったの。そういえば後で思い起こせばあの時必死にそれは子供のためにした行為だよねとなんども私にそう言わせようと促していた。私がそうですと答えていれば私達の人生は変わっていたはず。今思えば私が選んだたった一言が三人の人生を狂わしたのね」
生まれた息子は主人の子として育てられ遺産を継いだ。しかし物心ついた頃から私を避けるようになり「あなたが生きている限り私の心に安らぎはない。あなたを見るたびに私は憎しみと屈辱感にうちひしがれる。あなたがこの世から消える日に僕は普通の人間として生きることができる」と言った。
「孫は三人いるが私が恐ろしい伝染病にかかっているかのように近づかない。」語りながら涙にむせる彼女に妻「今のあなたには息子と三人の孫がいる。女性として他にまだ何を望みますか?」「私はまだ教会に入る勇気がない。でも毎日神様が迎えに来るのを祈っている。そして今度こそ本当に彼に許してもらいたい。しかし待つ身はつらい。もう八十六になって別に身体もわるいところもない。息子のほうが成人病に掛かっているのでそれが心配なの。」
なんの収入も蓄えもない彼女のところに月に一度息子が一か月分の食料を放り込んで逃げるように帰って行くと話していた。

2011年4月22日金曜日

Torta Capixaba  トルタ カピシャーバ 




今日はキリストが十字架にかかった受難の金曜日。世界最多のカトリック信者を有するブラジルは各地で色々な宗教的な伝統行事が催されている。
肉を食べない今日、妻は家の庭にあるパーム・ツリーを切って中の柔らかい芯を使ってのここエスピリト・サント州の名物料理「Torta Capixaba」を作るべく準備している。この料理、パーム・ツリーの芯のほかたまご、かに、えび、貝、塩抜きのたら、たまねぎ、オリーブ、オリーブ油、レモン、コリアンダー、等がはいる。各家庭で材料の違いや味の違いがありそれぞれの家庭の好みで作られる。
料理の主役ともいえるパーム・ツリーの芯(Palmito)は2、3年前までは近所の広場で山から切り出した天然のパーム・ツリーの芯が売られていたが乱伐され絶滅の危機にあうので禁止となり最近では環境局の取り締まりも厳しく今年はその代用として栽培されている椰子の木の芽が青空市の横の広場で売られていた。幸い家はパーム・ツリーを自家用に植えているので伝統の味は守られていると自負している。

2011年4月19日火曜日

イースター Páscoa



昨日スーパーに買い物に行くと所狭しとチョコレートで作られたイースター・エッグが飾られてあり通路を歩くにもぶつかってしまうほどだ。上の写真がそうである。今年のイースターは今度の日曜日、4月24日である。昔からイースター(復活祭)には復活の意味で鶏の卵が使われそれに絵を描いて飾ったりしていたようだがブラジルではそれがいつの間にかチョコレートの特大卵に変わり、いまや各社しのぎをけずっての販売合戦となっている。最近はイースター・ケーキなるものまで現れた。
イースターはキリスト教の行事でも大切なものの一つで親たちは子供たちにはもちろんのこと普段世話になっている人達にもお礼の印として買ったりするので一人で10個近く買ったりしている人を見かける。私達の前の老婦人なんか孫の数を指を伸ばして(折ってではなく)数えている。確か8個買っていた。子供たちが家にいた時は私たちもいつも買っていたが今はイースター・ケーキですましている。甘いものがあまり口に合わなくなってきている。
たしかブログでPáscoaのことを書いたと思ったのでいろいろ検索してみたが出てこない。厳かなPáscoaとは正反対のカーニバルで検索したら2008年2月19日のブログにイースターのことが出ていたのでその部分だけをコピーして下に貼り付けた。私の悪い癖でなにか前から気にかかっている言葉がでてくると横道にはいってしまい後で検索しようとしても肝心なのがなかなか出てこないということになる。今日もなにかやっていないかな?


キリスト教にとって一番大事な日はイースター(復活祭)です。この日は3月21日(も含み)以降の満月の後の第一日曜日となっています。その二日前がキリストがはりつけにあった受難の日。イースターから逆算して40日目(日曜日を除いて)が灰の水曜日となりその前日がカーニバルです。今年は2月5日。例年にない早いカーニバルとなりました。というのは満月が3月21日の金曜日でイースターが23日となっているからです。こんなに早いカーニバルとなったのは40年振りらしいです。カーニバルの後の40日は肉などを食べず慎み深い日を過ごすということになっていますがそれもすこしずつ薄れてきているようです。しかしキリスト受難の日は肉を食べません。仏教徒である私たちもこれは守っています。イースターで終わる週は聖週間と呼ばれキリスト教徒たちは肉を食べず魚介類を求めるので魚の値段がはねあがり魚好きの私達を困らせます。南太平洋のチリに属するモアイで有名なイースター島。発見された1722年の4月5日がイースターの日であったことで名づけられました。

2011年4月12日火曜日

カラオケチャンピオン・ファミリー Família de campeões de Karaokê

3月26日のブログで書いたがソロカバで妻の母方の叔母,スミエさんとスマコさんが会いに来てくれた。その時スマコさんが長男の Alexandre Hayafuji、愛称Xandão が友達と出場した「Dream Show」のDVDをプレゼントしてくれた。その時彼女は姉さんのスミエさんを見ながら「今年は彼女の孫がカラオケ大会で優勝したのよ」と言った。「Xandãoという先生がいたお陰よ。」何でもシャンダゥン(Xandão)はブラジルカラオケ大会で4度優勝し2007年には日本で行われたカラオケ大会で優勝し当時の小泉首相から優勝カップを受け取ったのだそうだ。ここ2,3年、彼はコンクールには出場せずカラオケの先生をして後輩に極意を伝授しているらしい。
今年のサンパウロ大会ではスミエさんの孫 Hideki Hayafujiが青年の部で優勝したと聞いたのでInternet でかれの名前で検索したら彼が歌っているのがYoutubeで見れた。すごい声量で歌っている。シャンダゥンの「Dream Show」のDVDを見たが彼、さすがチャンピオンの風格がある。シャンダゥンの娘さんも歌っていると聞いたのでInternetで探してみたらMariana Hayafujiという娘さんがYoutubeに出ている。さらに探してみたらDinho Hayafuji (スマコさんの三男らしい)という青年が歌って3番になっているのがある。声量が豊かなのは早藤家の遺伝なのか。妻の母親、百合子さんは彼女らの姉さんである。ひょっとしたら妻にもその才能があるということか。

2011年4月11日月曜日

春、必ず来る! Primavera, sempre vem!



津波に耐え抜いたサクラ。震災から1カ月の日に、一輪の花が咲いた=11日午前10時8分、福島県いわき市、藤脇正真撮影


春、必ず来る (Jornal “Asahi Shimbum” de 11/04/2011)

 東日本大震災から1カ月。壊滅的な被害を受けた福島県いわき市久之浜町久之浜で、津波を耐え抜いたサクラが開花した。
 サクラの根元にはがれきが押し寄せ、根も露出して幹が傾いた。高さ4、5メートルの所にある枝が何本も折れているが、一輪の花を付けた。近所の男性は「まさに希望のサクラ。元気と勇気をもらいました」と話していた。


Primavera, sempre vem !

O Japão brotou com a primavera ! Justo um mês depois do desastre do terremoto seguido de tunami, na cidade de Iwaki de Fukushima Prefecture, brotou uma flor de cerejeira (sakura), como se ouvisse a prece dos meninos da escola da Espanha. A cerejeira, com entulhos que o tunami arrastou ao redor, cuja raiz quase totalmente exposta e com tronco inclinado, mesmo assim, desabrochou a primeira flor como símbolo de coragem e esperança.

春、必ず来る!

日本は春とともに花開いた! 地震そしてさらなる津波の災害のちょうど一ヵ月後福島県いわき市に桜の花が一輪咲いた、あたかもスペインの学校の生徒たちの祈りが届いたかのように。桜の木、その周りには津波に押し寄せられたがれき、その根はほとんど露出し幹も傾いている、それでも勇気と希望のシンボルとして最初の一輪の花を咲かした。

2011年4月9日土曜日

スペインからの応援歌



今年の正月にスペインから我が家に遊びに来たAlmudenaからメールが入り数枚の写真が添付されていた。彼女が教えている学校の生徒たちが日本の震災にあった人達にがんばって下さい「春と共に日本が花咲きますように」というメッセージのもと桜の花の絵が描かれている。
下の写真は彼女が通う語学学校の生徒たちのやはりがんばって下さいとのメッセージの寄せ書きで真ん中に大きく「夢」という字が筆で書かれている。
今回の大震災、世界中から日本へ暖かい応援のメッセージが寄せられている。
大変でしょうががんばって困難を乗り越えられることを願っています。

以下、Almudenaのemailを訳してみました。

Olaaa!!
皆さんいかがお過ごしですか? 日本のご家族は? ぜひお知らせ下さい。
私が通っている語学学校では小さな市を開いて日本への募金活動をしようとしています。大きな垂れ幕やとてもきれいな鳥の折り紙も作りました。
私の教えている学校でもこの春を讃える日本への贈り物をすることを思いつきました。また「本の日(読書の日)」の記念として日の丸や漢字を書いた本のしおりを作ろうと思っています。生徒たちが作るのですよ! 出来上がり次第写真を送ります。理奈、漢字への翻訳ありがとう。
私が教えている学校で作り、壁に貼った日本の春へのメッセージと語学学校で作った垂れ幕の写真を送っています。
皆さんに大きなキッスを、
MMUAKKAAASSS (遠くへ送るキッスの音、擬音)


2011年4月7日木曜日

狂った魂

今日ブラジルの犯罪史上でも最もショッキングとも言える出来事があった。23歳の男が学校に入り2丁の拳銃を乱射、その間に弾の詰め替えをし、12人の生徒を射殺、また他に12人の生徒が負傷、そのうち4人が重症という。軍警が出動、犯人に傷を負わせて拳銃を手放すよう呼びかけたがそれに応じず自分で頭に弾を撃ち込み命をたった。彼は遺書を残しその中には自分が起こすことに神の許しを請い自分の埋葬についても述べている。計画的な犯行であるが遺書からは宗教的なにおいの怒りと悲しみと絶望に燃え上がった魂を感じさせる。また遺書の後半では彼が相続するようになっていた家は、この社会で自分の意思すら伝達することが出来ない主人に見捨てられた非力な動物たちを保護する団体に寄付するように親族たちに訴えている。今のところ動機は全く不明でなにが彼を狂わせたのかこれから分析が行われるだろう。若い子供の命を奪われた親の悲しみはいかほどか。これを防ぐ方法はなかったのか、これから国をあげての議論がはじまる。
今この犯罪についてコメントをしようと言う事ではない。こういう事が起きる温床がブラジルにはあるという事である。それは銃の所持についての取締りが甘いがゆえに多くの人が武器の不法所持をしている。何でもない些細なことでの言いあいが銃があるゆえに殺人に発展する。犯罪が多いのもこれに由来する。もう少し真剣にこの問題に取り組まないとブラジルの治安はよくならない。警察の数を増やすだけでは解決しない。