2016年2月29日月曜日

今年はうるう年、今日は2月29日

今日は4年に一度の2月29日。テレビで2月29日生まれで29日が出生証明書に記されている人たちの雑談会があっていた。なんでも昔(?)は役場に出生証明書を発行してもらうよう届出に行くと向こうから2月28日がいいかそれとも3月1日にするかとかオプションが出されたそうだ。理由はこどもが4年に一度しか誕生日がこないのでかわいそうだということだとか。今はどうなっているのか知らない。むしろ年を取らないからその方がいいのではないかと思うが。実際そのプログラムに参加している人が年齢を聞かれると16歳と答えたので、まさか?と思ったがそうか64歳かと納得した。その人たちも誕生会は2月28日か3月1日にすると言っていた。

一人が面白いことを言った。なんでも息子さんが28日の夜11時59分50秒過ぎに電話をかけてきて早口で「誕生日おめでとう」と2,3秒で言って時計の針が3月1日の1秒までに終わらせて、それが2月29日だと説明するそうだ。もちろん遊び心だろうがそれでも真夜中まで起きていなくてはならないのは大変だ。

そのあとテレビのコマーシャルで安売りとうたって「こんなバーゲンセールは4年に一度、あとは4年先だよ」 本当にそんなに安いのか疑ってしまう。

わたしのこのブログも調べてみた。さすがに4年に一度の機会は逃していない。

さっきの雑談会(座談会?)で「4年に一度では忘れられるので覚えてもらうために、今度はオリンピックの年だからね」、と誕生会のあとみんなに大きな声で言うそうだ。涙ぐましい努力もいる。

私はそれにもうひとつ「アメリカ大統領の選挙の年だよ」と付け加える。それだけアメリカという国は民主主義がゆるぎないものとなっている証拠だ。ブラジルも大統領の選挙は4年に一度だが最近の直接投票は1980年以降だ。政情不安定な発展途上国はクーデターがあったり、1期4年の任期を5年に延ばしたり、1期を2期に延ばしたり、あるいは3期になったり、etc. これでは自分たちの意見が政治に反映されないので国民の不満が爆発したりする。民主主義の熟成が大事だ、

政治の安定が経済の安定をもたらし国民の生活の安定をもたらす、と私は思う。
えっ、当たり前のことだろう!って、その当たり前が難しい。



2016年2月28日日曜日

NHKのど自慢 in 飯塚市


今日何気なくNHKのテレビ番組を調べていると福岡県飯塚市でのど自慢があるとでている。昨年の日本訪問、特に飯塚市、嘉麻市での懐かしい思い出が次から次へと浮かんでくる。

番組が始まると飯塚市の紹介があった。福岡県のほぼ中央に位置し、かっては筑豊の石炭産業の中心として栄えたところだと。そして今は緑に覆われたボタ山や名物ひよこ饅頭それに嘉穂劇場が映しだされる。「あれ、ちょっと待てよ。これ全部カメラに収められているな」と思い出し上に載せてみた。

のど自慢の出場者の人たちの元気のいいこと!なんと100歳の男性の方(おじいさんでは失礼)、肌のつやもよく声もかすれていない。すごい。おまけに百人一首を暗記しているといい一首会場で披露。ボケ防止にやっているとすらりと言ってのけられた。"とてもじゃないけどかなわない!" "わかっちゃいるけど始めれない!"  つい植木等のスーダラ節のリズムが出てこちらの歳が丸出し。私も何かしなければとあせってしまう。88歳の男性は炭鉱の坑内での作業着で出場。「ヘッドライトから出ているあの黒い線は腰のバッテリーにつながっていて翌日は充電してもらいに持って行ったんだ」と横でみている妻に説明する。あの頃の様子がなつかしく思い出される。

そして今は昨年日本で会った人達をなつかしく思い出している。

2016年2月27日土曜日

Não pode ! Não podre!  ノン ポーデ! ノン ポードレ!

この話も妻のボケの副産物。

小学校の新しい学期が始まり昼食はそれぞれ自分で持ってくるようにと先生から言い渡された。
私は家に帰っておばあちゃんにそのことを告げた。
翌朝おばあちゃんは朝早く起き、ご飯を炊きながら 「なんといっても日本人はおにぎりだね」と言って、おにぎりを二つ弁当箱に詰めてくれた。

さて午前中の授業が終わるとみんなそれぞれ家から持ってきたものを机の上に広げて食べ始めた。見るとみんなはパン食で目玉焼きを挟んだものやバターに砂糖をまぶしたものやよくて細長いパンにソーセージが入ったものを食べている。私は弁当箱を取り出してふたを開けおにぎりを取ろうとすると生徒がどんなものを食べているか見回っていた先生が私の所に来て弁当箱の中を見て言った。

「Não pode comer, está podre, não pode !」 えっ、腐っているから食べちゃいけないって。今朝おばあちゃんが作ってくれたのに先生何言ってるのよ。腐ってなんかいないしおなかすいてるし、私食べる。 そして大きな声で言った「Não podre」 腐っていないと。それからは「Não pode!」と 「Não podre」の応酬になった。先生根負けして私の弁当箱を取ってみんなに見せながら聞いた、「おいみんな、この黒いカビと黄色いカビの生えた食べ物を知っているかい?」。 するとあちこちから 「あっ、ゴマにぎりと、きなこにぎりだ、おいしそうだな」と生徒たちから日本語で答えが返ってきた。

その小学校は日本人の田舎の集団地の中にあったので生徒のほとんどが日系人でそのころの日系人はみんな日本語を話していた。先生はもう一度ブラジル語で聞いた。「これは食べれるんだな?」 すると「Pode, pode!」の合唱。先生首をかしげて私に弁当箱を返した。

2016年2月25日木曜日

"やぶ"三昧



夏の間は冷やしたビールの小瓶を毎日一本飲むようにしている。微量(?)のアルコールだと身体に良いとか、どこかで読んだような気がする。

昼食時、昨日買ってきたビールを横の小屋の冷蔵庫に入れたのを思い出し家のドアを開けて外に出た。暖かい風がほほを撫でていった。ロマンチックな感情なんて少しも湧いてこない。というのは周りは屋根がかかっているので風が暖かいのはおかしい。ガレージの方に目を通すとすごい日差しだ。夏時間は終わったというのに暑さは一向に弱まらない。家の中の温度計は30度、外はどれくらいだろう、測ってみよう。

温度計を外の直射日光の当たる所に置いたが熱いので日陰に戻った。2,3分して見に行った。45度! スマートホンで写真を撮って家に入るとスマートホンまで少し熱くなっている。ここは南緯約20度で海辺の町、1年に2度は太陽が真上を通る。しかもずっと雨が降っていない。
ブラジルのほかの地方は結構雨が降っていてサンパウロでは洪水もよく起こっている。昨日はリオに住む息子の嫁がアパートの横の通りが浸かったとか言ってスマートホンで撮った写真を送ってきた。 リオでも交通量の多い通りでメトロの駅が100m先にある。

テレビの天気予報でもなぜかこの狭いエスピリトサント州だけはいつも黄色だ。ぼやいたって仕方がないが幸い(?)定年退職の身、暑いときは休める。
困るのがなかなか外の仕事が出来ないこと。以前切りかけたグアバの木を切って整理しなければならないし、家の塀の所はすでにやぶみたいになっている。
「何とかなるだろう」主義で焦らないようにしている今日この頃だ。

今日の朝起きると妻が「私、少しぼけてきたみたい」と言う。 「どうして、僕はずっと昔からだよ」「だって、よく昔のことを思い出すのよ、今まで一度も思い出したことがないのまで」と言って語ってくれたのが今日のタイトルの話。そういえば最近妻の口から面白い昔の話がよく出てくる。

妻が13,4の頃というからまだブラジルの日本人の多くが(私たちも)農業に従事していた時代だ。サンパウロ市近郊のモジ・ダス・クルーゼス(Mogi das Cruzes 以下略してモジ)には多くの日本人が住んでいた。モジの日本人たちはサンパウロに野菜や果物を出荷して生計を立てていた。モジの町には自由業に携わる日系人も多くなり日本語ですべての用事をすますことができた。日本人の集団地には日本人会が結成され会館ができ、娯楽、スポーツや親交の場としていろいろな催し物が行われたりした。これはそのころの話である。

ある日、夜遅くおじいちゃんが急に苦しみだして父親が親しく付き合っているモジの町に住んでいる森先生に診てもらうことにしたの。「こんな時間はもう森先生の病院は閉まっているよ、しかし家を知っているから行ってみよう。車をすぐ出すから、清子お前はおじいちゃんの支度をして外で待っていなさい」と車で三人で出かけたの。町までは15キロ。夜で車も少なくわりと早く着いたの。

「私は森で、決してやぶではありませんのでご安心下さい」
やぶより森のほうがこわそうですね、大蛇が出そうで」
「おとうさん、それやぶへびだよ」
やぶからぼうに、なんで今日私がやぶさめのように打たれなければならないんです」

日本から遠く離れた地球の反対側のブラジルでこんなしゃれた日本語の会話が交わされていたなんて想像するだけでも楽しい。





2016年2月24日水曜日

ブラジルこの頃


昨日の有機栽培の野菜・果物の夕市(午後3時頃から7時まで)で上の写真の果物を見つけた。まだ食べたことは無い。Abiuという果物だそうだ。帰って調べてみた。原住民インディオの言葉で「先がとがった黄色い果物」という意味でまったく見たとおりのものだ。 中に黒い種があり果肉はさじですくって食べると少し甘い。この果物はドイツ系の農家の人が自分の庭の木からとって持ってきたもので数も少なくすぐ売り切れてしまった。ブラジルにはまだまだ私達の知らない果物がある。

今テレビのニュースで騒がれているのはZikaウイルス、リオ・オリンピックそれにに政界の汚職。
ここエスピリトサント州でもZika熱の調査と対策を検討すると言っている。ブラジルでは最初Zikaウイルスが胎児の小頭症を引き起こしていると発表されたが詳しい調査で小頭症の5280人のうちの2112人がジカ熱によるものと訂正された。まだまだジカ熱との戦いは始まったばかり。
ここエスピリトサント州はジカ熱よりデング熱の方が問題で記録的な罹病率。ジカ熱、デング熱、ともに同じ蚊が媒介するので心配だ。

しかし私がわからないのはどうして急に中南米に広まったのか。
調べて見るとジカ熱は1947年ウガンダのジカ森に住むサルがかかっているのが発見され、それが1954年に同じアフリカのナイジェリアで人に感染したという。しかしどうして今まで聞いたこともなかったこの病気が急に広まったのか。(これは信用ならないが)テレビで2014年のワールドカップで世界中から人が沢山集まったからだと言う。まさかね?

アメリカが、ジカウイルスの感染が広がっている地域への妊婦の渡航自粛勧告を出して以来航空便の予約が世界的に減少しているという。リオ・オリンピックへの影響が気にかかるが昨日ブラジルの大統領との会談で国連のWHOのチャン理事はオリンピックへの支持を語ったという。
オリンピックの聖火は4月21日ギリシャで点火され5月8日からブラジル各地を回り8月4日にリオに着きそして8月5日からオリンピックが始まる。ブラジルは今政治経済ともに大揺れだがスポーツの祭典だけは立派にやり遂げてほしい。

政界とブラジル石油公社Petrobrásとの汚職の連邦警察による取り調べが始まって以来1年が経過したとニュースが伝えていた。次から次へと現れる新しい 事実、いつ終わるのか誰も見当がつかない。この政界の混乱が招いたブラジル経済の不況、そして今日はアメリカの投資信用格付け社がブラジルの国際信用を8年前のランクまで落とした。ブラジルの政府はまだ軽く受け止めているが中短期の明るい見通しが立たない今心配だ。

今週は去年の10月18日から始まった夏時間が終わり日本との差は12時間に戻った。日本のNHKを見ているが時間表を見ていても午前と午後との差はあるが同じ時間なので助かる。政府はこれでお金にして約4千万ドルの節約になったと公表した。
年によっては時計を1時間進めずに過ごしたこともあるが、二つの時間を使い分けるのはかえってストレスが増えるので今年は開始同時にすべての時計を1時間進めた。初めてだが案外気にせずに過ごすことが出来たので次回からはこれで行く自信(?)がついた。
 




2016年2月14日日曜日

爆食い


Panetone  パネトーネ
(イタリアで生まれたもので今はクリスマス用から形を変え鳩の形のイースター用にも作られる。私たちの知人でイタリア系のビスケット会社の社長はパネトーネの作り方を学ぶためイタリアに1か月半の修行に出かけたが結局は大きな会社と太刀打ちできないと製品化まではいかなかった。)

上のタイトルは幸い今年のことではない。一昨年の年末から去年の正月にかけて体重が3キロも増えてしまった。カトリック教徒数世界第一のブラジルではクリスマス時期になるとスーパーや食品店の店頭に食がそそられる物が並ぶ。カトリック教徒ではない私たちももちろん便乗しておいしそうなものを買いあさる。子供たちが一緒に住んでいた頃は必ず七面鳥(日本ではターキーと言わなければいけないと妻は35年前に日本に住んでいた時に教えられたそうだ)を買ってオーブンで焼く。中まで火が通れば赤いセンサーがパッと飛び出すので分かるようになっている。丸焼きなのでその前は見張っていなければならなかったので楽になった。しかし大変なのはそのあと、ほかに豚肉や鶏肉や・・・などがあるので子供たちは最初の日だけで後はターキーには手を付けない, いや口をつけない。結局私の受け持ちになってしまい大晦日までくらいある。そして正月を迎えると今度は日本食の番。これが日本式に七草粥まで続く。今は人数が少なくなったので以前の半分以下になっているがやはりつい手が出て食べ過ぎてしまう。

おまけにこの時期は甘い物も付く。クリスマスケーキならぬパネトーネ(Panetone)といって大きな菓子パンの中に色々な乾燥した果物をいれたりチョコレートをいれたりして焼いたのを売っている。これが段々クリスマスの日が近づくと安くなってくる。それで行くたびに買い増したりする。これも糖尿病だからとか言ってあまり食べてくれなくて私の係となる。

正月には餅は欠かさず作られていて私の好きな「あんこもち」もつくられる。移民してきた初めの田舎にいた頃は日本から持ってきた臼と杵で餅をついていたが町に出てからはもち米をミキサーにかけ後電子レンジで15分ほどで柔らかい餅ができる。初めにお供え餅を丸め、しろもち、あんこもち、順になる。お供え餅は家の周りにあるネギ、三つ葉、みょうが、ごぼうなどをかき集め七草粥となる。

かくしてこの期間私は食べ物に囲まれる。この誘惑を振り切るには強い意志がいる。しかし残念ながらつい手が出て勝手に口まで運んでしまう。このままではいけないと毎年反省しては体重減らしプロジェクトを組む。ストレッチと軽いウオーキングなどで時間をかけてもとに戻す。「わかっちゃいるけど止められない」。それで去年の初めは3キロの体重オーバー。

私がどうしようかと悩んでいた頃日系の知り合いの娘さんが妻と家の前で話していた時「 キィー] と急ブレーキをかけて女の人が声をかけた。「ちょっとパウラあんた最近痩せたね、どこの医者に行っているの?、私ねこの年末年始で3キロ半太っちゃたの。あんたのお医者さん紹介して一日も早くこの私の物でない3キロ半を取ってしまいたいの」。私たちの通りの角のパン屋の女主人早速スマホに教えてもらった電話番号を打ち込んだ。「なにっ、私に属さない(not belong) だと、それなら私の3キロもnot belong (não me pertence)だ」とやる気になった。


そうこうしているうちに日本に行くようになった。期限つきなので何とか頑張って間に合った。
そういうことで今年は何もかも少なく買った。Panetoneは二つしか買わなかったのだが知り合いや息子たちがあいさつに持ってくるのでまだ棚の上に残っている。これは賞味期限が長いので大丈夫だ。

しかしその日系の娘さん最近会ったらまたもとの体重に戻っていた。油断大敵。




2016年2月2日火曜日

月下美人フルーツとグアバ

                     家の庭の月下美人

月下美人フルーツ

ゴヤバ(グアバ)

一夜しか花を咲かせない月下美人、 咲いた後のしぼんだ花はおひたしにするとオクラのような感じになる。

咲いた花を受粉すると赤いフルーツになる。月下美人フルーツと我が家では呼んでいるがサボテンのピタニアとおなじだ。 切ると中に黒い小さな種がありこれはそのまま食べれる。

一番下はグアバ(ゴヤバ)で果肉は赤と白がある。昔は剪定したり袋をかけたりしたが今は野生のままなので大きな実はならないが市販のグアバより味がいい。 たくさんとれるので種の部分はジュースにし果肉は砂糖漬けにして保存する。あちこちのお土産用に便利だ。