2008年12月8日月曜日

漢検


去年母が家に来た時にサンパウロで購読していた日本語新聞をこちらに住所変更したのでそれから日本語新聞を読むようになった。10ページほどで日本、世界、ブラジルのニュース等が載っている。その新聞でブラジルでも年に一度漢字能力検定試験(漢検)なるものがある事を知った。2級は高卒程度で常用漢字および人名漢字の約2千の漢字が対象と書いてあった。常用漢字は大体知っていると思ったので2級を受けることにした。試験場はリオとサンパウロ。リオの場所を調べてみると息子のアパートから近い。参考書も買わずに二十数年前日本で買い求めた本で一ヶ月程勉強してさて試験場に。読みはまず問題なかった。しかしいざ書くとなると知っているようでなかなか確信を持てない。結果は合格には2点足りなかった。2点とは書きの問題では一問である。ほとんど答えたので自分では通ったと思っていた。しかし後でどこを間違えていたかチェックして自分の書き癖に気がついた。「はね」てない、下の棒が長い、そして自分では楷書で書いていると思っていたのが実は行書で書いていた、などなど。そう言えば私の日本語は最近はネットの普及で読売や朝日新聞のニュースを読んでいるが書くことは全くない。会社で働いていた頃は日本語とはゼロ。私と同じように日本生まれの人が一人下の階の経理で働いていたのでたまに会うと日本で話すだけそれも挨拶程度。
今書いているこのブログはパソコンがひらがなを漢字に変換してくれる。もちろん色々な選択肢から正しいものを選ばなければならないが。まず手で書くことはない。家では妻と日本語。妻はこちらの日本人植民地内の日本語学校で子供の頃3年ほど日本語を習ったそうだ。その頃は有志が近所の子供たちを集めて自分の倉庫で授業料も取らずに忙しい仕事の合間に日本語を教えていたところも多々あった。いなかの日本語学校ではまだコロニアが貧しい時代で先生の給料も安かった。一人の先生が学力の違う子供たち全部の面倒をみていた。ささやかな情操教育をと自作の楽器で日本の童謡を教えていた先生もいた。今のコロニアの日本語はそういう人達の奉仕に支えられてきた。敬意を表したい。当時私にも小さな日本人の集落の倉庫を使っての夜の子供たちの日本語の勉強を手伝ってくれないかと話があったがまだ移住歴も浅く苦しい時代で毎晩12時過ぎまでの荷詰めでそんな余裕なんかなかった。今年の日本移民百年祭、表で活躍した人達は表彰されただろうが裏で陽の目を見ることのなかった人達、いつまでも懐かしく思い出し感謝している人達がいることを忘れないでほしい。
さて妻の話に戻ろう。彼女の日本語はほとんど独学。いなかでの家の中ではおじいちゃん、おばあちゃんと日本語での会話。大人の言葉使いをすると近所の子供たちからいじめられたそうだ。それが基礎となって後は漫画、雑誌で日本語の語彙を増やしたそうだ。思えば私たちも日本で小さい時そうだった。ブラジルでは小学校に入る頃から外ではブラジル語での会話となる。小学校は家の近くにあるが中学校になるとバスで通ったりする。家での生活の時間が短くなり、段々とブラジル語の割合が多くなり日本語との接触が少なくなってくる。日本語離れが懸念されていたころそれまで思いもかけなかった現象が起きた。ブラジルから日本への出稼ぎだ。新しい形での日伯交流が始まりこれでブラジルでの日本語が勢いを盛り返してくれるといいが。私のこの日本語のブログの最終チェックは妻に頼む。以前日本から来られた人に言われたことがあった「あんたより奥さんのほうが日本語うまいね」。
今年も10月の末に漢検があった。イタリア旅行の帰りリオに寄ったときに申し込んだ。今年は日本からネット販売の「アマゾン」を通して問題集などを取り寄せた。便利な時代になった。去年失敗した字の癖などに注意して今年は2級の200点満点の198点でパスし昨日合格証明書が届いた。

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